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9月7日(月)曇り 入院2日目(手術日)
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裏切者の夫も、だらしない父親もいらないということだった。
それがこの結果をもたらしたのだから仕方がない。自業自得である。
私はただ家族にもっといい暮らしをさせてやりたかっただけなのだ。
家族を守ろうと必死でがんばったつもりだった。
だがそれは私の勝手な自己満足でしかなかった。
私は女房が言う、「普通の生活」では飽き足らなかったのだ。
私は自分が親からしてもらえなかったことを子供たちにしてあげたかった。
そして理想の夫婦像を女房に押し付けていただけなのかもしれない。
バカな男だ。
所詮俺は結婚には向いていない男であり、自分が子供なのに子供を育てようとした。
実に滑稽な話である。
まずはこの悲惨な今の状況から目を背けず、受け入れることだ。
なってしまったことは仕方がないではないか?
後は医者に、天におまかせするしかないのである。
「良くなりたい」ではなく、「失明しても生きていける勇気」が欲しい。
家族に会いたい。
でも会ってどうする? 家族はこんな父親、夫を見たくはないはずだ。
こんな不様に弱った私など見たくもないだろう。
かえってイヤな思いをさせるだけだ。
父親は、夫は常に強くパワフルでなければならない。
こんなしょぼくれた姿を見せるわけにはいかないのだ。
会えない、会いたくないと思われているくらいが丁度いいのである。
そして私には「会いたい」と言える資格はない。
レオンにも会いたい。
思い切り抱きしめて撫でてやりたい。
散歩に連れて行ってやりたい。
レオンだけは私を受け入れてくれるはずだ。
子供たちはいつまでも子供ではない。
彼らには彼らなりの悩みも迷いも、そして夢もある。
父親はただ存在するだけでいい。必要とされた時に支援をしてやればそれでいいのだ。
彼らはもう子供ではない。
子供は親離れしてこその大人なのだから。
女房には自分の理想を押し付けてばかりいたと思う。
私は仕事に拘りはなかった。何になりたいという夢もなかった。
世界中を周り、好きなことをして結婚した。
女房が専業主婦として安心出来る生活が送れるように稼げれば、仕事など何でも良かった。
今まで仕事で辛いと思ったことはない。
家に帰れば女房が俺を待っていてくれる、それだけで十分幸福だった。
そして今、自由という名の孤独になった。
所詮、人間はひとりで生まれ、ひとりで死んでゆくものだ。
死なない人間など誰ひとりいない。
金持ちも貧乏人も、偉い人間も偉くない人間も皆、死んでゆく。
「人は死ぬために生きている」のだ。
人は良く死ぬために良く生きなければならない
100才で死ねばいいのか? かわいい盛りで死んでしまった2才の幼子は不幸なのか?
人にはそれぞれ決められた寿命がある。
人は病気や事故で死ぬのではない。ましてや自殺など、創造主に対する冒涜でしかない。
自殺する運命などない。
私は思うのだ。生きることは修行だと。
そして死はこの世での修行の終わりなのだと。
死は決して悪いことではない。天寿を全うすることで人間は、より良く生まれ変われるはずだ。
手術当日である。 ドキドキする。
看護士さんがやって来た。
「菊池さん、今日の13時から手術ですね?
下着を脱いでこの手術着に着替えて下さい」
「はい」
「では10分前になったら迎えに来ますね?」
そう言って看護士さんは颯爽と病室を出て行った。
部屋は5階の4人部屋だった。
見舞いが来ないのは私と隣の老人だけだった。
看護士との会話を聞いていると、どうもここへは2度目のようだった。
他のふたりには奥さんと子供たち、親や親戚、恋人が来ていた。
眼科は基本的に食事制限も点滴も少なく、病室ではあったがのんびりとしていた。
時間になり、定刻に看護士さんが車椅子を押して迎えに来てくれた。
「それじゃあ菊池さん、この車椅子に乗って下さい」
「ドラマみたいにストレッチャーで行くのかと思いました」
「今回の手術は部分麻酔なんですよ。だから車椅子になります」
(部分麻酔?)
私はまた怖くなった。
私は生まれて初めて車椅子に乗った。
驚いた。子供はこの目線で見ているのかと。
そして街で見かける車椅子の人たちも、このような景色を見ているのだと。
車椅子を押してもらいながら、裏の暗い廊下を通っていると、緊張している私を気の毒に思った看護士さんが話し掛けてくれた。
「手術は初めてですか?」
「手術をするのも入院したのも初めてです」
「今回の目の手術は歯医者さんみたいに椅子に座ってやるんですよ」
「歯医者みたいに椅子で?」
「そうです、だから意識はあります」
その光景を想像した私は更に怖くなった。
睫毛が入っただけでも痛いというのに、目にメスを入れる?
だがそれはすぐに諦めに変わった。
そのエレベーターは重症者や手術のための患者、そして死体を運ぶものらしかった。
冷たく、浮遊霊を感じる気がした。
手術室の前に到着した。
ドアは二重の自動ドアになっており、最初のドアが開くと、手術着を着たナースたちに迎えられた。
「菊池昭仁さんです。よろしくお願いします」
「わかりました。本日は左目の手術で間違いありませんね?」
「はい」
「では念のため、お名前と生年月日をお願いします」
「菊池昭仁、昭和37年・・・」
「はい、ではご案内しますね?」
「菊池さん、がんばって下さいね?」
「ありがとうございます」
その看護士さんの言葉で私は少し救われた気がした。
そこは大きな通路があり、左右にいくつかの部門の手術室があり、ロックや演歌が流れている手術室もあった。
長時間に及ぶ手術の場合にはそのようなことがあるとは聞いたが、その通りだった。
私の手術中の音楽はなんだろう?
出来ればLed Zeppelin の『Stairway to Heaven(天国への階段)』だといいのにと思った。
私は結婚式の時に妻と選んだ、竹内まりやの『本気でオンリーユー』を思い出して苦笑いをした。
ステンレスの扉が開き、佐藤医師たちが待っていた。
音楽は掛かっていなかった。
「この椅子に座って下さい」
その椅子は機械の台の上にあり、ガンダムやエヴァンゲリヲンの操縦席のようだった。
天井には大きな無影灯が微かに見える。
電動リクライニングが倒され、助手や研修医がやって来て、手術の準備を始めた。
目の麻酔は佐藤医師がしてくれた。
若いナースが私に声を掛けた。
「抗生剤の点滴をしますね? 少しチクリとします」
新人のようで緊張しているのが伝わる。
チクリではなかった。かなり痛かったが我慢した。
なぜか針を刺した辺りが冷たい液体が広がる感触があったので、
「すみません。左手が冷たい感じがするのですが」
すると助手が言った。
「あれ? 液漏れしてるな? ナースはどこへ行った?」
ナースは既に逃げていなくなっていた。
「ではこれより手術を始めます」
モニターの電子音や手術器具のふれあう音、医者たちの会話も聞こえた。
若い医師が佐藤先生に尋ねた。
「先生、このメスは先生の自前のメスですか?」
「そうだよ」
「今度、ボクにも貸してくれませんか?」
「それはチョットねえ」
どんなメスなんだろうと思った。
医者も料理人のようにマイ包丁ならぬ「マイ・メス」を持っているのだろうか?
手術はかなり長時間に及んでいた。
少し、麻酔が切れて来たような感じがした。
「先生、麻酔が切れて来たような気がするんですが」
「わかりました。麻酔を追加しますね?」
「お願いします」
最終的に4時間の大手術だった。
「硝子体を生理食塩水に置き換えてあります。
網膜を定着させるためにこれから1週間、うつ伏せ寝で安静にして下さい」
ベッドにはマッサージの時に使う、便座のような枕が準備されていた。
拷問のような1週間が始まった。
頭が割れそうに痛くなり、吐き気もした。
私は度々ナースコールをして、鎮痛剤を処方してもらった。
本も読めず、テレビも見ることが出来ない。
そして話し相手もいない。
ラジオだけが私を慰めてくれた。
それがこの結果をもたらしたのだから仕方がない。自業自得である。
私はただ家族にもっといい暮らしをさせてやりたかっただけなのだ。
家族を守ろうと必死でがんばったつもりだった。
だがそれは私の勝手な自己満足でしかなかった。
私は女房が言う、「普通の生活」では飽き足らなかったのだ。
私は自分が親からしてもらえなかったことを子供たちにしてあげたかった。
そして理想の夫婦像を女房に押し付けていただけなのかもしれない。
バカな男だ。
所詮俺は結婚には向いていない男であり、自分が子供なのに子供を育てようとした。
実に滑稽な話である。
まずはこの悲惨な今の状況から目を背けず、受け入れることだ。
なってしまったことは仕方がないではないか?
後は医者に、天におまかせするしかないのである。
「良くなりたい」ではなく、「失明しても生きていける勇気」が欲しい。
家族に会いたい。
でも会ってどうする? 家族はこんな父親、夫を見たくはないはずだ。
こんな不様に弱った私など見たくもないだろう。
かえってイヤな思いをさせるだけだ。
父親は、夫は常に強くパワフルでなければならない。
こんなしょぼくれた姿を見せるわけにはいかないのだ。
会えない、会いたくないと思われているくらいが丁度いいのである。
そして私には「会いたい」と言える資格はない。
レオンにも会いたい。
思い切り抱きしめて撫でてやりたい。
散歩に連れて行ってやりたい。
レオンだけは私を受け入れてくれるはずだ。
子供たちはいつまでも子供ではない。
彼らには彼らなりの悩みも迷いも、そして夢もある。
父親はただ存在するだけでいい。必要とされた時に支援をしてやればそれでいいのだ。
彼らはもう子供ではない。
子供は親離れしてこその大人なのだから。
女房には自分の理想を押し付けてばかりいたと思う。
私は仕事に拘りはなかった。何になりたいという夢もなかった。
世界中を周り、好きなことをして結婚した。
女房が専業主婦として安心出来る生活が送れるように稼げれば、仕事など何でも良かった。
今まで仕事で辛いと思ったことはない。
家に帰れば女房が俺を待っていてくれる、それだけで十分幸福だった。
そして今、自由という名の孤独になった。
所詮、人間はひとりで生まれ、ひとりで死んでゆくものだ。
死なない人間など誰ひとりいない。
金持ちも貧乏人も、偉い人間も偉くない人間も皆、死んでゆく。
「人は死ぬために生きている」のだ。
人は良く死ぬために良く生きなければならない
100才で死ねばいいのか? かわいい盛りで死んでしまった2才の幼子は不幸なのか?
人にはそれぞれ決められた寿命がある。
人は病気や事故で死ぬのではない。ましてや自殺など、創造主に対する冒涜でしかない。
自殺する運命などない。
私は思うのだ。生きることは修行だと。
そして死はこの世での修行の終わりなのだと。
死は決して悪いことではない。天寿を全うすることで人間は、より良く生まれ変われるはずだ。
手術当日である。 ドキドキする。
看護士さんがやって来た。
「菊池さん、今日の13時から手術ですね?
下着を脱いでこの手術着に着替えて下さい」
「はい」
「では10分前になったら迎えに来ますね?」
そう言って看護士さんは颯爽と病室を出て行った。
部屋は5階の4人部屋だった。
見舞いが来ないのは私と隣の老人だけだった。
看護士との会話を聞いていると、どうもここへは2度目のようだった。
他のふたりには奥さんと子供たち、親や親戚、恋人が来ていた。
眼科は基本的に食事制限も点滴も少なく、病室ではあったがのんびりとしていた。
時間になり、定刻に看護士さんが車椅子を押して迎えに来てくれた。
「それじゃあ菊池さん、この車椅子に乗って下さい」
「ドラマみたいにストレッチャーで行くのかと思いました」
「今回の手術は部分麻酔なんですよ。だから車椅子になります」
(部分麻酔?)
私はまた怖くなった。
私は生まれて初めて車椅子に乗った。
驚いた。子供はこの目線で見ているのかと。
そして街で見かける車椅子の人たちも、このような景色を見ているのだと。
車椅子を押してもらいながら、裏の暗い廊下を通っていると、緊張している私を気の毒に思った看護士さんが話し掛けてくれた。
「手術は初めてですか?」
「手術をするのも入院したのも初めてです」
「今回の目の手術は歯医者さんみたいに椅子に座ってやるんですよ」
「歯医者みたいに椅子で?」
「そうです、だから意識はあります」
その光景を想像した私は更に怖くなった。
睫毛が入っただけでも痛いというのに、目にメスを入れる?
だがそれはすぐに諦めに変わった。
そのエレベーターは重症者や手術のための患者、そして死体を運ぶものらしかった。
冷たく、浮遊霊を感じる気がした。
手術室の前に到着した。
ドアは二重の自動ドアになっており、最初のドアが開くと、手術着を着たナースたちに迎えられた。
「菊池昭仁さんです。よろしくお願いします」
「わかりました。本日は左目の手術で間違いありませんね?」
「はい」
「では念のため、お名前と生年月日をお願いします」
「菊池昭仁、昭和37年・・・」
「はい、ではご案内しますね?」
「菊池さん、がんばって下さいね?」
「ありがとうございます」
その看護士さんの言葉で私は少し救われた気がした。
そこは大きな通路があり、左右にいくつかの部門の手術室があり、ロックや演歌が流れている手術室もあった。
長時間に及ぶ手術の場合にはそのようなことがあるとは聞いたが、その通りだった。
私の手術中の音楽はなんだろう?
出来ればLed Zeppelin の『Stairway to Heaven(天国への階段)』だといいのにと思った。
私は結婚式の時に妻と選んだ、竹内まりやの『本気でオンリーユー』を思い出して苦笑いをした。
ステンレスの扉が開き、佐藤医師たちが待っていた。
音楽は掛かっていなかった。
「この椅子に座って下さい」
その椅子は機械の台の上にあり、ガンダムやエヴァンゲリヲンの操縦席のようだった。
天井には大きな無影灯が微かに見える。
電動リクライニングが倒され、助手や研修医がやって来て、手術の準備を始めた。
目の麻酔は佐藤医師がしてくれた。
若いナースが私に声を掛けた。
「抗生剤の点滴をしますね? 少しチクリとします」
新人のようで緊張しているのが伝わる。
チクリではなかった。かなり痛かったが我慢した。
なぜか針を刺した辺りが冷たい液体が広がる感触があったので、
「すみません。左手が冷たい感じがするのですが」
すると助手が言った。
「あれ? 液漏れしてるな? ナースはどこへ行った?」
ナースは既に逃げていなくなっていた。
「ではこれより手術を始めます」
モニターの電子音や手術器具のふれあう音、医者たちの会話も聞こえた。
若い医師が佐藤先生に尋ねた。
「先生、このメスは先生の自前のメスですか?」
「そうだよ」
「今度、ボクにも貸してくれませんか?」
「それはチョットねえ」
どんなメスなんだろうと思った。
医者も料理人のようにマイ包丁ならぬ「マイ・メス」を持っているのだろうか?
手術はかなり長時間に及んでいた。
少し、麻酔が切れて来たような感じがした。
「先生、麻酔が切れて来たような気がするんですが」
「わかりました。麻酔を追加しますね?」
「お願いします」
最終的に4時間の大手術だった。
「硝子体を生理食塩水に置き換えてあります。
網膜を定着させるためにこれから1週間、うつ伏せ寝で安静にして下さい」
ベッドにはマッサージの時に使う、便座のような枕が準備されていた。
拷問のような1週間が始まった。
頭が割れそうに痛くなり、吐き気もした。
私は度々ナースコールをして、鎮痛剤を処方してもらった。
本も読めず、テレビも見ることが出来ない。
そして話し相手もいない。
ラジオだけが私を慰めてくれた。
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