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第2話 オレンジ色の涙

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 約束の水曜日は、今にも泣き出しそうな子供のような空だった。

 
 「お待たせー!」

 瑠璃子は細かいパターンのレモン色のワンピースと、薄いサマーカーディガンを着て来た。


 「とりあえず飲物とかは買ったけど、他に何か食べたいものはある?」
 
 瑠璃子はコンビニ袋の中を覗き込んだ。

 「どれどれ、流石は大門君、私の好みを覚えてくれているのね?
 マーブルチョコレートとジャスミンティー、それと「都こんぶ」。
 ばっちりじゃないの!」


 高校のブラバン・コンクールのバス遠征の時、瑠璃子の好物はいつもこれだった。


 「ところで今日はどこへ行くの?」
 「今日はねー、福島市にある『山岸屋』っていうすっごく美味しいラーメン屋さんよ。
 新幹線で行こうよ、大宮からだと1時間位だから」


 私と瑠璃子は切符を買い、新幹線に乗った。
 窓際に瑠璃子を座らせると、自分の缶ビールだけを取り、後は瑠璃子に袋ごと渡した。

 「ありがとう、じゃあ乾杯しよう」

 瑠璃子はジャスミンティーのペットボトルの蓋を開け、私の缶ビールと乾杯をした。

 「カンパーイ!」
 「夕方まで帰れば大丈夫?」
 「うん、それ以上でも大丈夫だよ、今日は旦那、遅いから。
 それともそのまま泊っちゃおうか? 飯坂温泉にでも。あはははは」

 それはいつもの瑠璃子のジョークだった。


 「ねえ、ちょっと交換しない?」

 瑠璃子は私のビールと自分のジャスミンティーを交換した。
 缶ビールを美味しそうに飲む瑠璃子。
 だが私は瑠璃子のジャスミンティーには口を付けなかった。
 瑠璃子とkissをするようで、瑠璃子の夫に対して罪悪感があったからだ。

 「あー、おいしいー。
 平日の昼間に飲むビールって、どうしてこんなに美味しいのかしら?」
 「少し悪いことをしているような感じがするからじゃないか?
 平日の日中は、みんな仕事や学校だからね」
 「そうかー、じゃあこのドキドキ感は不倫しているみたいだからかな?」
 「瑠璃ちゃんはいつもそうやって僕をからかうよね?」

 (不倫? たとえカラダの関係がなくてもこれは十分に不倫かもしれない)

 私は遂に瑠璃子の口紅のついたジャスミンティーのペットボトルを口にした。
 それを見ていた瑠璃子が言った。
 
 「しちゃったね? 私と間接キッス!」

 私は顔が赤くなっていないか心配だった。



 あっという間に新幹線は福島駅に到着した。
 タクシーに乗り、山岸屋へと向かった。



 そして私たちは度肝を抜かれた。
 11:30からの開店だというのに、11時の段階で既に20人以上が並んでいた。

 ぽつりぽつりと雨も降って来た。
 私は傘を取出し、瑠璃子に差してあげた。

 「相合傘だね?」

 瑠璃子から淡いアリュールの香りがした。


 ようやく店内に入れたのは12時を過ぎていた。
 カウンターが8席だけの狭い店内。メニューは醤油のみで支那そばとチャーシュー麺、それとチャーシューワンタンメンのみだった。
 私たちはチャーシューワンタンメンを注文した。

 注文取りから調理、会計までをすべて店主がひとりで切り盛りしている。
 お客の注文を聖徳太子のように聞き分け、会計も鮮やかだった。
 
 瑠璃子はラーメンを一口啜ると歓声を上げた。

 「何これ! こんな美味しいラーメン、食べたことない!」

 まだ30代半ばの店主は笑っていた。

 「お客さん、どこから来たんですか?」
 「大宮から新幹線で来ました! 電車賃をかけて来た価値はありますよ、このラーメン!」
 「ありがとうございます」

 スープを一口飲んだだけで、頭がしびれそうだった。
 麺も独特で、腰があっても伸びず、しかも絶妙な太さがスープとよく調和し、小麦のいい香りがした。
 ネギは九条ネギを使い、ワンタンの皮はギリギリまで薄く滑らかで、チャーシューは鹿児島県産の黒ブタの背豚バラを丁寧に仕上げた逸品だった。

 さらに驚いたのは、奥のカウンターに角野卓三が座っていたことだった。
 昨日も訪れたらしい。
 私たちはすっかり満足して店を出た。


 「あのお店、14時で終わりなんだよ。それでも1日200食、すごくない?
 山岸屋の店主って、大阪の老舗料亭の花板だったんだってさ。
 基本がキチンとしているから出せる味だよね? まるでラーメンの「懐石料理」みたいだったよね?
 ねえ、また来ようよ、『山岸屋』さんに」
 「ああ、また来よう」
 

 私たちは飯坂温泉で足湯に浸かったり、お団子を買ったりして夕方まで福島を満喫した。


 帰りの新幹線の中で、駅の売店で買った日本酒を飲んだ。

 「美味しいー、スッキリとした辛口だね?」
 「うん、切れがあるのにコクがある。俺の死んだオヤジが造り酒屋の杜氏だったんだけど、いい酒って水に近いんだってさ」
 「エーッ! 大門君のお父さんって杜氏だったの?」
 「ああ、元は銀行員だけどね?」
 「なんで銀行辞めたの?」

 私は笑って小指を立てた。
 だが瑠璃子は笑わなかった。

 「うちの旦那もね、銀行員なんだ」
 「エリートなんだね? 瑠璃ちゃんの旦那さんは。俺みたいなしがないファミレスの店長とは大違いだ」

 すると瑠璃子は急に悲しそうな顔になり、

 「彼、浮気しているの。
 今日も今頃、たぶん女と一緒よ・・・」

 瑠璃子は私に寄り添い、彼女の白い手が私の手の上に静かに置かれた。

 「私、離婚するんの」
 
 いつの間にか雨はあがり、夕暮れの西日が強くなったので、私はシェードを下ろそうとした。

 その時、瑠璃子は私の腕を抱き締めた。

 彼女の頬には夕日に染められた、オレンジ色の涙が流れていた。
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