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第1話 食べ歩き仲間
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給料日後の日曜日のファミレスは戦場だった。
「もう1時間も待ってんだぞ! いつになったら絶品ジャンボハンバーグってえのがやって来んだよお!」
「申し訳ございません、ただいま確認して参ります」
私が厨房へ急ごうとすると、隣のテーブルの中年女性から呼び止められた。
「ちょっとお水頂戴。それからチョコレートパフェ追加」
「すみませんがお水はセルフサービスでお願いいたします。
何卒、ご協力の程、よろしくお願いいたします」
「使えないウエイターねー。
いいわ、パフェはいらないからキャンセルして。
ネットにこのファミレスの接客が最悪だって晒してやるから!」
「申し訳ございませんでした。ただいまお水をお持ちいたします」
すると今度はホールの珠代が私を手招きした。
「店長、鹿島君まだバイトに来てないんですけどー。
何やってんだろー? あのバカ」
「悪いけど電話してみてくれるかな? 俺も手が一杯なんだよ」
「わかりましたー」
休憩室に戻り、珠代が鹿島に電話を掛けた。
だがいくら電話しても鹿島は電話に出なかった。
鹿島からLINEが届いた。
お疲れ様です
今日は腹が痛い
ので休みます
珠代は既読にしたまま、それを無視して私にそれを見せた。
「店長、これです。
ふざけてますよね? 鹿島のやつ」
「わかった。悪いけどあと2時間だけ残業してくれないかな? 彼の代わりに」
「困りますよー、今日は家族で焼肉なんですからあー」
「そうか、わかった。じゃあ何とかするよ」
「それから店長、私今月いっぱいでこのお店を辞めますから」
「どうして?」
「もう疲れました」
珠代はこの店のフロア責任者だった。
彼女が店を辞めるのは店にとって大きな打撃だ。
「明日、ゆっくり話そう」
「無駄です、主人にも相談して決めたことなので。
それではお先でーす」
珠代はそのまま休憩室に入り、帰り支度を始めた。
21時になって、ようやく店は落ち着いた。
また今日も私は昼飯を食べ損ねていた。
「5番に行ってくる」
5番とは店の隠語で、タバコを吸って来るという意味だった。
私は店の裏口を出て、外の喫煙所でタバコに火を点けた。
美しい満月の夜だった。
瑠璃子からLINEが届いた。
明日、とんかつ
なんてどう?
では『美山』で
13時に
OKです!
予約しておくね
瑠璃子との食べ歩きだけが私の唯一の救いだった。
それがなければ私は壊れていたかもしれない。
その日、瑠璃子はベージュ色のハイネックに黒い薔薇のガウチョパンツで現れた。
小さな胸の膨らみが清楚であり、またセクシーでもあった。
トンカツの『美山』はトンカツ屋としては珍しく、フルオープンのキッチンスタイルの店で、カウンターが店主を囲むように、コの字形になっていた。
夫婦で営んでいる店だったが有名店として定評があり、店はいつも混雑していた。
店主はまるで千手観音のように手際よくトンカツを揚げていた。
「瑠璃子は何にする?」
「うーん、ロースなのは決まっているんだけどさあ、問題は特大にするかどうかなのよねー。
よし決めた! 最近、ちょっと太っちったけど、でもここのロースは最高だから特大にしちゃおうっと。
大門君は?」
「じゃあ俺も同じ特大で」
「すみませーん、ロースの特大をふたつ下さい」
「特大ロースですね? かしこまりました」
店主は二代目で、元フレンチのシェフをしていたらしい。
トンカツ屋のオヤジというより、県庁職員といったような感じだった。
私は35歳のバツイチ、瑠璃子は36歳で、結婚して8年になるが子供はいなかった。
「うわあー、大きい! サックサクの衣にこの肉厚ロース。
お肉に甘味があってもうサイコー!
よく粗いパン粉を使うお店があるでしょ? 私、あれ苦手なんだー。やっぱりパン粉はこうでなくっちゃ!」
ウチのファミレスのとんかつ定食とは雲泥の差だった。
輸入豚肉をセントラルキッチンで加工し、冷凍で店にやって来る。
それを解凍して揚げるだけの物だった。
瑠璃子は高校の吹奏楽部の先輩で、彼女はホルン、私はクラリネットを吹いていた。
私と瑠璃子はずっと付き合っていたわけではなく、3年前に偶然、街の本屋で再会してからの付き合いだった。
別に不倫をしているわけではなく、週に1度、一緒に食べ歩きをするだけの関係だった。
「瑠璃ちゃんはいつも美味しそうに食べるよね?」
「当たり前でしょう? 美味しい物を選んで食べに来ているんだから」
「それはそうだけど・・・」
「ねえ今度さあ、ちょっと遠出しない? 電車に乗って?」
「いいけど、どこに?」
「それはその時のお楽しみ、15日の水曜日とかどう?」
「水曜日なら大丈夫、俺、休みだから」
「じゃあ決まりね?」
瑠璃子とのこのひと時が、今の崩壊寸前の私にとっては唯一の支えになっていた。
「そういえばこの前、韓流スターのキム君が自殺したって話、知ってる? ショックだったなあー。
なんで自殺なんかするんだろう?」
私は一瞬、返事を躊躇った。
それは今、自分自身が生きていることが辛かったからだ。
死ぬ理由なんて本当はない。その韓流スターは死にたいから死んだだけだ。
彼が弱い人間だっただけの話だ。
「ニューヨークでは、雨の日の月曜日に自殺する人が多いんだってさ」
「どうして?」
「休み明けの月曜日が雨だからじゃないのかな?
そんな憂鬱な気分になるんだよ、雨の日の月曜日は・・・」
(瑠璃子、僕もそのキム君と同じことを考えているんだよ)
私は黙々とトンカツに添えられた千切りキャベツを食べた。
まるで草食動物のヒツジのように穏やかに。
「もう1時間も待ってんだぞ! いつになったら絶品ジャンボハンバーグってえのがやって来んだよお!」
「申し訳ございません、ただいま確認して参ります」
私が厨房へ急ごうとすると、隣のテーブルの中年女性から呼び止められた。
「ちょっとお水頂戴。それからチョコレートパフェ追加」
「すみませんがお水はセルフサービスでお願いいたします。
何卒、ご協力の程、よろしくお願いいたします」
「使えないウエイターねー。
いいわ、パフェはいらないからキャンセルして。
ネットにこのファミレスの接客が最悪だって晒してやるから!」
「申し訳ございませんでした。ただいまお水をお持ちいたします」
すると今度はホールの珠代が私を手招きした。
「店長、鹿島君まだバイトに来てないんですけどー。
何やってんだろー? あのバカ」
「悪いけど電話してみてくれるかな? 俺も手が一杯なんだよ」
「わかりましたー」
休憩室に戻り、珠代が鹿島に電話を掛けた。
だがいくら電話しても鹿島は電話に出なかった。
鹿島からLINEが届いた。
お疲れ様です
今日は腹が痛い
ので休みます
珠代は既読にしたまま、それを無視して私にそれを見せた。
「店長、これです。
ふざけてますよね? 鹿島のやつ」
「わかった。悪いけどあと2時間だけ残業してくれないかな? 彼の代わりに」
「困りますよー、今日は家族で焼肉なんですからあー」
「そうか、わかった。じゃあ何とかするよ」
「それから店長、私今月いっぱいでこのお店を辞めますから」
「どうして?」
「もう疲れました」
珠代はこの店のフロア責任者だった。
彼女が店を辞めるのは店にとって大きな打撃だ。
「明日、ゆっくり話そう」
「無駄です、主人にも相談して決めたことなので。
それではお先でーす」
珠代はそのまま休憩室に入り、帰り支度を始めた。
21時になって、ようやく店は落ち着いた。
また今日も私は昼飯を食べ損ねていた。
「5番に行ってくる」
5番とは店の隠語で、タバコを吸って来るという意味だった。
私は店の裏口を出て、外の喫煙所でタバコに火を点けた。
美しい満月の夜だった。
瑠璃子からLINEが届いた。
明日、とんかつ
なんてどう?
では『美山』で
13時に
OKです!
予約しておくね
瑠璃子との食べ歩きだけが私の唯一の救いだった。
それがなければ私は壊れていたかもしれない。
その日、瑠璃子はベージュ色のハイネックに黒い薔薇のガウチョパンツで現れた。
小さな胸の膨らみが清楚であり、またセクシーでもあった。
トンカツの『美山』はトンカツ屋としては珍しく、フルオープンのキッチンスタイルの店で、カウンターが店主を囲むように、コの字形になっていた。
夫婦で営んでいる店だったが有名店として定評があり、店はいつも混雑していた。
店主はまるで千手観音のように手際よくトンカツを揚げていた。
「瑠璃子は何にする?」
「うーん、ロースなのは決まっているんだけどさあ、問題は特大にするかどうかなのよねー。
よし決めた! 最近、ちょっと太っちったけど、でもここのロースは最高だから特大にしちゃおうっと。
大門君は?」
「じゃあ俺も同じ特大で」
「すみませーん、ロースの特大をふたつ下さい」
「特大ロースですね? かしこまりました」
店主は二代目で、元フレンチのシェフをしていたらしい。
トンカツ屋のオヤジというより、県庁職員といったような感じだった。
私は35歳のバツイチ、瑠璃子は36歳で、結婚して8年になるが子供はいなかった。
「うわあー、大きい! サックサクの衣にこの肉厚ロース。
お肉に甘味があってもうサイコー!
よく粗いパン粉を使うお店があるでしょ? 私、あれ苦手なんだー。やっぱりパン粉はこうでなくっちゃ!」
ウチのファミレスのとんかつ定食とは雲泥の差だった。
輸入豚肉をセントラルキッチンで加工し、冷凍で店にやって来る。
それを解凍して揚げるだけの物だった。
瑠璃子は高校の吹奏楽部の先輩で、彼女はホルン、私はクラリネットを吹いていた。
私と瑠璃子はずっと付き合っていたわけではなく、3年前に偶然、街の本屋で再会してからの付き合いだった。
別に不倫をしているわけではなく、週に1度、一緒に食べ歩きをするだけの関係だった。
「瑠璃ちゃんはいつも美味しそうに食べるよね?」
「当たり前でしょう? 美味しい物を選んで食べに来ているんだから」
「それはそうだけど・・・」
「ねえ今度さあ、ちょっと遠出しない? 電車に乗って?」
「いいけど、どこに?」
「それはその時のお楽しみ、15日の水曜日とかどう?」
「水曜日なら大丈夫、俺、休みだから」
「じゃあ決まりね?」
瑠璃子とのこのひと時が、今の崩壊寸前の私にとっては唯一の支えになっていた。
「そういえばこの前、韓流スターのキム君が自殺したって話、知ってる? ショックだったなあー。
なんで自殺なんかするんだろう?」
私は一瞬、返事を躊躇った。
それは今、自分自身が生きていることが辛かったからだ。
死ぬ理由なんて本当はない。その韓流スターは死にたいから死んだだけだ。
彼が弱い人間だっただけの話だ。
「ニューヨークでは、雨の日の月曜日に自殺する人が多いんだってさ」
「どうして?」
「休み明けの月曜日が雨だからじゃないのかな?
そんな憂鬱な気分になるんだよ、雨の日の月曜日は・・・」
(瑠璃子、僕もそのキム君と同じことを考えているんだよ)
私は黙々とトンカツに添えられた千切りキャベツを食べた。
まるで草食動物のヒツジのように穏やかに。
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