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第二楽章

第7話 友だち以上 恋人未満

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 先生が連れて来てくれたお店は、テナントビルの5階にあった。

 「面白い名前のお店でしょう?」
 「凄い店名ですね? 『銀座の絶望』だなんて」
 「安心して下さい、お店の人たちは「希望」の人たちですから」

 先生はドアを開け、私をエスコートしてくれた。いつもパリで銀河がそうしてくれたように。


 「あら錬ちゃん、いらっしゃい! どうしたのその「檀れい」みたいな美人さんは? どこで拾って来たのよー! 「」来た帰り? それともこれから? このエロ弁護士! あはははは」

 なんとそのお店はゲイ・バーだった。
 ママさんはミッツ・マングローブのようなスリムな長身で、長い黒髪のゲイだった。


 「ママ、久しぶりだね? この人は僕の大切なクライアントさんなんだ。よろしくね」
 「接待ということね? そしてこれからベッドでも「夜の接待」もするくせに! あはははは。嫉妬しちゃうわよ、凄く綺麗な人なんですもの。
 カウンターは一杯だから、奥のボックス席でもいいかしら?」
 「別にどこでも構わないよ。相変わらず繁盛しているね? レイの店は?」
 「おかげさまで。どうぞこちらです」


 お店はマホガニーで作られた、オーセンティックな内装だった。
 以前、聡子に連れて行かれた新宿二丁目のゲイ・バーとは違い、どちらかと言えばイギリスのPUBのようなお店だった。

 「初めまして、ママのレイです。よろしくね? 檀れいちゃん」

 レイ・ママは角の丸くなった、アクリル製の透明な名刺を私に差し出した。

 「初めまして、海音寺と申します」

 するとレイ・ママは、周囲を気遣うように私の耳元で囁くように言った。

 「知っているわよ。あなた、ソプラニスタの海音寺琴子さんでしょ? 去年の『Madam Butterfly』、最高だったわ。私、スタンディング・オベーションで泣いちゃったわよ。
 ようこそ、我が『銀座の絶望』へ」
 「ご観覧いただいていたんですか? ありがとうございます」
 「今度はいつ歌うの? 絶対に行くから」
 「今年の夏に新国立劇場で『椿姫』をやります。是非おいで下さい」
 「いいわね! 私、『椿姫』大好きなのよお! わかるわ、クルティザンヌのヴィオレッタの切ない恋心」
 「レイは藝大でトロンボーンを勉強していたんですよ」
 「凄いじゃないですか!」
 「昔の話よ、ブラスに絶望したの。だからお店の名前も『銀座の絶望』にしたのよ。
 肺の病気になっちゃってね? トロンボーンはもう吹けなくなったの」
 「そうだったんですか? 私も子供の頃から内耳が弱くて、つい1カ月ほど前にも一時、難聴になって聴力を失った時は、本当に「絶望」しました。もう歌うことは出来ないんだと」
 「今はもう大丈夫なの?」
 「おかげ様で」
 「じゃあ飲み物はノンアルの方がいいかしらね?」
 「大丈夫です。お酒は強いんで」
 「そう? あまり無理しないでね? 錬、ボトルがもう三分の一しか残っていないから、今日は全部飲んで新しいヘネシーを入れなさいね?」
 「とりあえず新しいボトルを入れていいよ、歌姫には新しいお酒を飲ませてあげたいからね?」
 「あら、やっぱりお酒も女も「ヴァージン」がいいってことね? 毎度おおきに。あはははは。お邪魔でしょうからゆっくり楽しんでいってね? では歌姫、ごゆっくり。また後で来るから?」

 カウンターへ戻って行くレイ・ママの後ろ姿は、まるでパリコレのモデルのように雅だった。


 「面白い奴でしょう? レイは左目を失明しているんですよ、そうは見えませんけどね」
 「えっ、そうなんですか?」
 「ああ見えて、いつ右目も見えなくなるかと怯えて生きているんですよ。アイツとは高校の同級生で、ブラバンで一緒だったんです。 
 文化祭でレイの吹く『追憶』のトロンボーンのソロ・パートで、みんなが総立ちになったのは今でも鮮明に覚えています」

 先生は私のブランディー・グラスに、テーブル・フラワーにあった薔薇の花びらを一枚摘まんで浮かべてくれた。

 「こうするとなんだかお洒落でしょう?」

 おそらく彼は、私がお酒を勢いよく飲まないようにと気を遣ってくれたらしい。
 先生は銀河のように、そんなさりげない気配りの出来る男性だった。


 「このお店にはよくいらっしゃるんですか?」
 「毎日来ることもあれば、半年以上来ないこともあります。
 男の友だちってそんなもんです。
 彼はゲイですけどね? あはははは」


 ステージでショーが始まった。
 オープニングはフレンチ・カンカンだった。私は銀河と行ったムーラン・ルージュを思い出して涙が零れた。

 ショーの演目はマドンナとマイケル・ジャクソンのパロディ物だったが、かなりハードな練習をして舞台に立っていることが窺えた。
 そしてショーが終わるとレイ・ママがマイクを握った。

 「今日はここに飲んだくれのイリオモテヤマネコ、じゃなかった、奇跡の天才ピアニスト、「錬三郎」が来ています。みなさん、彼のピアノ、聴いてみたいですかあー! 私は聴いてみたいわよー!」
 「俺も聴きてえぞ!」
 「私も聴きたい!」
 「それじゃあ錬、みんなのご指名よ、聴かせてあげて頂戴、あなたの素晴らしいピアノを!」
 
 顔の前で手を左右に振り、先生はそれを笑って固辞した。

 「今日のアンタのボトル、タダにしてあげるから弾きなさいよ! 錬三郎! 錬三郎! 錬三郎!」

 お店に「錬三郎」のシュプレヒコールが巻き起こり、先生はママに引き摺られるようにピアノの前に座らせられた。

 ママがグランド・ピアノに先生を無理やり座らせると、先生は観念したようで、瞳を閉じて深呼吸をした。
 彼の演奏が始まった。リストのパガニーニの主題による超絶技巧練習曲、『マゼッパ』だった。

 演奏不可能とまで言われたこの難曲を、一心不乱に弾く彼に、みんなは息を呑んだ。

 とても10本の指だけで演奏されているとは思えない、魔術師のようなテクニック。
 まるで鍵盤の上を沢山の小人たちが自由に飛び跳ねているようだった。
 そして彼は突然途中で演奏を止めてしまった。

 「あとは弾けません」

 と笑った。
 その後、アンコールの嵐。

 「ショパンを弾いて下さい!」
 「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、『悲愴』がいい!」
 「ラフマニノフの二番!」

 すると彼はマイクを引き寄せると、X  JAPANの『Endless Rain』の弾き語りを始めた。
 ざわめき、そして鎮まり返る店内。
 眼を閉じてうっとりと聴き入る人や、泣いているお客さんもいた。
 レイ・ママも涙を拭っていた。
 
 (彼の伴奏で私も歌ってみたい!)

 私は彼のピアノ伴奏でアリアを歌う、自分の姿を想像した。


 演奏を終え、拍手喝采を浴びて先生が戻って来た。

 「レイにはめられました」

 少し照れる先生。

 「素晴らしい演奏でした。今でも弾いていらっしゃるんですね?」
 「ピアノ、好きなんですよ」

 毎日弾いていなければ、とても弾きこなせるような曲ではなかった。
 レイ・ママがやって来た。

 「てっきりラフマニノフを弾くのかと思ったら、『マゼッパ』だったのね?
 久しぶりに聴いたわ、錬のピアノ」
 「もうやらないからね? ヘネシーのXOじゃ割に合わないよ」
 「ちゃんとステージで弾いてくれたら『エクストラ・パラダイス』でもタダにしてあげるわよ」
 「あはははは。ちょっとトイレ」

 先生がトイレに席を立った時、レイが言った。

 「いい男でしょ? 錬三郎。
 世の中にはテストの成績のいい秀才は沢山いるけど、彼は天才。日本のモーツァルトよ。ファッションにも拘りがあるのよ。あれでね? あはははは。
 ねえ琴子、お付き合いしている男はいるの?」
 「亡くなりました。去年」
 「ごめんなさいね、悲しいことを思い出させちゃって」
 「先生は亡くなった彼の親友なんです。色々と親身になって相談に乗っていただいています」
 「そうだったの? 錬は頼りになる男よ。超一流の国際弁護士だしね? 錬三郎とは高校の時からの付き合いなんだけど、彼が努力している姿を一度も見たことがないの。いつもああやってニコニコしているだけ。スポーツも万能なのよ。そしてやさしくて思い遣りもある」
 「私もそう思います。凄く温かい人ですよね? 錬三郎先生は?」


 先生がトイレから戻って来ると、レイは温かいおしぼりを彼に渡した。

 「他のお客様のテーブルを回って来るわね?」

 先生は軽く手を挙げてそれに応えた。


 「銀のお墓はパリにあるんですか?」
 「いえ、ノルマンディーの近くにある港町、ディエッペにあります。彼は海が好きだったので、海の見える墓地に埋葬しました」
 「行きたいなあ、銀のお墓参りに」
 「今度の公演が終わったら、またパリに戻るつもりですので、パリにおいでになる時には連絡して下さい。ご案内します」
 「私の仕事に終わりはないので、強制的にスケジュールに入れなければいけません。年末にはパリで過ごしたいものです」

 そう爽やかに語る錬三郎の瞳を見た時、私は思わず彼に惹き込まれてしまった。

 (この人に抱かれたい)

 生理前ということもあり、私は久しぶりに男に抱かれたいと思った。
 おそらくそれは、錬三郎に銀河の面影を重ねているのかもしれない。
 体力の復調と共に、性欲も回復して来たのだろう。
 錬三郎と話していると、とても穏やかな気持ちでいることが出来た。


 私たちは色んな話をした。
 音楽や文学、美術についてなど、様々な話をした。
 こんなに自分から話しをしたのは初めての事だった。
 銀河とはいつも聞き役に徹することが多かったが、錬三郎とは私もよく話しをした。
 それは彼が話を上手くリードしてくれているからだった。まるで社交ダンスのように私たちの会話は弾んだ。


 「あらやだ、もうこんな時間?」
 「送りますよ、鎌倉でしたよね?」
 「大丈夫ですよ~、まだ終電には間に合いますから~」

 私はさほど酔ってはいなかったが、「酔ったふり」をした。

 「では新橋のJRの駅まで送ります。レイ、チェックして」
 
 レイは金額を書いたメモを渡し、錬三郎はカードで支払いを済ませた。


 「琴子、また来てね?」
 「今日はとっても楽しかったでーす。またお邪魔しまーす! レイちゃんママ、大好き! あはははは」
 「ちょっと琴子、大丈夫? そんなに酔って?」
 「心配ないない。ちゃんと帰れますよーだ。あはっ」
 「錬、汐留のホテル、取ってあげようか? これじゃ電車は無理よ」
 「その時はタクシーで送って行くから大丈夫だよ」
 「そう? 気を付けてね? 今日はどうもありがとう」
 「おやすみレイ」
 「おやすみなさい、錬、琴子」
 「バイバイ、レイ、またねー。あはははは」


 花金の銀座は1月ということもあり、とても華やかだった。
 今夜だけはひとりで眠りたくはなかった。

 「あー、今日は酔っちゃったー。
 鎌倉には帰らないで、今日は汐留のホテルに泊まることにしまーす。おい、錬三郎、ホテルまで送って行け!」
 「大丈夫ですか琴子さん? そんなに飲んではいなかったようですけど?」
 「うるさーい! 琴子さんじゃないでしょ? 私たち、もう友だちなんだから、錬三郎も呼び捨てにしなさいよ! 私の事、琴子って呼びなさーい!」
 「琴子っては呼べないなあ。じゃあ「琴ちゃん」でどうですか?」
 「仕方ないなあ、とりあえず今日はそれでいい。「琴ちゃん」で許してあげる! あはははは」

 私は錬三郎に軽くボディ・タッチをし、彼の頬にkissをした。

 私たちは汐留のタワーホテルにタクシーで向かった。
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