上 下
2 / 27
第一楽章

第2話 弁護士 椎名錬三郎

しおりを挟む
 「眠剤も飲まずにぐっすり眠っているわ。可哀想な琴子・・・」
 「あんな辛い別れ方をしたんだ、立ち直るには時間は掛かるよ。見守ってあげよう、僕たちで」
 
 疲れていたせいか、ワインの酔いも早く、私と悟は熱いキスを交わし、服の上からお互いの身体に触れた。
 琴子が傍で寝ているので、セックスまでは無理だった。
 私たちは声を押し殺してペッティングに興じた。

 「お口でしてあげましょうか?」
 「今夜は遠慮しておくよ。苦しんでいる琴子ちゃんを前に悪いから」
 「ごめんなさいね」

 悟はそういう男だった。
 
 「お正月が明けたら、琴子と一度、日本に帰ろうと思うの」
 「その頃までには琴子ちゃんの気持ちも落ち着くといいね?」
 「それは無理だと思う。かなりの重症だから」
 「凄く愛していたんだろうな? 彼の事。
 僕たちは35年以上も想い続けていたが、琴子ちゃんたちはたった2週間しか愛し合う事が出来なかった。
 愛とは付き合っていた長さではなく、僕と久子のように、深さなんだろうな?
 琴子ちゃんたちの出会いは本当に運命だったのかもしれない」
 「運命なんてものじゃないわ。これは宿命だったのよ。あの子たちの。
 生まれた時から決められていた宿命。
 いえ、もしかすると、生まれる前からなのかもしれない」
 「それじゃ僕と久子が再会出来たことも、宿命だったんだね?」
 「そうよ、だいぶ遠回りした宿命だったけどね?」
 「でもこうしてまた君と出会うことが出来た」
 「奇跡よね?
 この子、いつになったらオペラ歌手に戻れるのかしら?」
 「焦ってはいけないよ。僕たちは琴子ちゃんを信じて見守ってあげるしかない」
 「悟・・・」




 トイレに行こうとベッドから降りた時、母と悟さんが抱き合ってソファで眠っていた。
 私は見てはいけない物を見てしまったような気がした。それはひとりの女としての母の姿だった。
 すると私の気配に気付いた母が目を覚ました。

 「トイレ?」
 「うん」
 
 
 私がトイレから戻ると、ふたりは起きてソファに並んで座っていた。

 「よく眠れたかい? 琴子ちゃん」
 「おかげさまで・・・」
 「琴子、先生の依頼してくれた東京の弁護士さんに電話してみたら? 今だと日本は丁度午後の三時過ぎだから」
 「まだいいよ」
 「お手紙にも書いてあったでしょう? 「なるべく早く」って。
 依頼を受けた先生も、お待ちになっているはずよ」
 
 私はあまり気乗りがしなかった。別にお金が欲しいわけではない。私は銀河にもう一度会いたいだけ、死んでしまった銀河に。

 「それにその弁護士さんは先生の親友だった人なんでしょう? 先生のお話も聞くことが出来るんじゃない?」

 仕方なく、私は手紙に書かれていた電話番号に電話を掛けた。
 ただ興味はあった。椎名というその男性が銀河の親友であったなら、母が言うように、私の知らない銀河のことを色々と知っているかもしれないと思ったからだ。

 (椎名錬三郎。銀の親友って一体どんな人なのかしら?)


 電話が繋がった。

 「はい、エンデバー法律事務所でございます」
 「海音寺琴子と申しますが、椎名錬三郎先生はお手隙でしょうか?」
 「少々お待ち下さいませ」

 かなり大きい法律事務所のようだった。
 事務所の住所は東京地方裁判所に近い、霞が関になっている。

 「お待たせしてすみませんでした。初めまして、弁護士の椎名です」
 「海音寺琴子です。初めまして。星野銀河の・・・」

 椎名は私の言葉をやさしく制した。

 「銀から聞いていますよ。なんでも凄いオペラ歌手さんだそうで?
 すみません、僕、クラッシックは苦手なんです。
 いつも甲本ヒロトや椎名林檎ばっかり聴いているんですよ。ちなみに同じ椎名ですが、彼女とは何の関係もありません。あはははは」

 私も彼につられて少し笑った。
 嬉しかった。銀河が私の事を親友の椎名先生に話していてくれていたことが。
 でも意外だった。国際弁護士だと言うから、もっと堅物な人なのかと思っていたからだ。
 陽気で明るいカウンターテナーの声、温かい人柄が伝わって来た。

 「ごめんなさい、余計な話をしてしまって。
 では早速本題に入りましょう。銀の資産は現時点で預金、有価証券、不動産、動産等を合わせて234,522,345円。約2億3千万円ほどになります。
 それをすべて海音寺さんに相続させるようにと、銀から依頼されています。 
 失礼ですが銀とは結婚されていたのですか?」
 「フランスと日本の婚姻届に彼のサインがされた物は預かっています。もしそれで手続きが上手く進むのであれば使って欲しいと遺書に書いてありました」
 「なるほど。フランスでは婚約者が死亡しても結婚は出来るのですが、最終的には大統領の審査が必要になるのです。そして相続に対する権利は生じません。
 日本の法律ではそれは認められていません。予めフランスで亡くなることを見越して、生きていることにして婚姻関係を結ばせようとしたのかもしれませんが、それでは後でその事実が発覚した時に、海音寺さんが困ることになってしまいます。
 相続ではなく、別な方法を考えましょう。すでに彼からの遺言書は僕にも届いていますので、正確な数字については税理士とも協議の上、お知らせします。
 弁護士資格を取得すれば弁理士、社会保険労務士、行政書士、海事補佐人、そして税理士の登録も出来るのですが、税法はしょっちゅ変わるので、とても私では追いつけないんですよ。
 やはり餅は餅屋に任せた方がいいですからね? 税金は少しでも安い方がいいですから。駄目ですよね? 弁護士の私がそんなこと言っちゃ。あはははは。
 ところで日本にはいつ帰国されますか?」
 「お正月が明けたら一度、帰国するつもりです」
 「ではその日が決まりましたら、なるべく早くお知らせ下さい。スケジュールを調整しますので」
 「お世話になります」

 すると椎名弁護士は急に声のトーンを落とし、

 「銀の事、本当に残念です。バカですよアイツは。「詩人は不幸じゃなければ詩人じゃねえ」なんてカッコ付けて。
 ごめんなさい、いただいた電話でつい長電話をしてしまいました。じゃあ東京でお待ちしています。まだパリは朝の6時ですよね? では失礼いたします」
 「貴重なお時間をありがとうございました」


 私は少し心が軽くなった。
 早くこの弁護士に会ってみたくなった。銀の事をもっと聞きたい、話したいと思った。


 「琴子、笑って話していたようだけど、先生、何だって?」
 「銀の資産が2億3千万円ほどあるから、その遺産の移行の手続きをするから、東京に戻ったら会いましょうと言われたわ」
 「そう」

 お金に困っていない母と悟さんは遺産には無関心だったが、私が笑ったことが余程うれしかったのか、目頭を押さえていた。
 

 「ママ、そう言うことでお正月が明けたら私、一度日本に帰るね?」
 「私も色々と日本でやらなければならないことがあるから一緒に帰りましょう」
 「うん」
 「良かった、琴子ちゃんに笑顔が戻って」
 「おじ様、ソファで寝かせてごめんなさい。今日は母の宿泊しているホテルでゆっくり休んで下さい。私ならもう大丈夫ですから」
 「ありがとう。でもパリでの女性のひとり暮らしは心配だから、このメゾンに僕たちも引っ越して来ようかと思っているんだ」
 「えっ、いいの悟?」
 「ホテルより安上がりだろう? ここならルーブルやオルセーにも近いしね。そして何よりこの建物が気に入ったんだ。どうだい久子? ここで3人で暮らさないかい?」
 「実は私も同じことを考えていたの。ここに大人三人は狭いから、このメゾンに空きがあればと」
 「じゃあ今日、早速、不動産屋に行ってみるよ」
 「ねえ琴子、気晴らしにクリスマスツリーを買いにいかない? そしてリースとかも」
 「それじゃ僕がサンタクロースになるよ」
 「私もミニスカサンタになりたい! オバサンサンタだけどね? あはははは」
 「あはははは」

 そんな楽しそうな母と悟さんを見ていると、私も頬が緩んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

★【完結】ダブルファミリー(作品230717)

菊池昭仁
恋愛
結婚とはなんだろう? 生涯1人の女を愛し、ひとつの家族を大切にすることが人間としてのあるべき姿なのだろうか? 手を差し伸べてはいけないのか? 好きになっては、愛してはいけないのか? 結婚と恋愛。恋愛と形骸化した生活。 結婚している者が配偶者以外の人間を愛することを「倫理に非ず」不倫という。 男女の恋愛の意義とは?

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

★【完結】今日 パパを辞めます(作品230528)

菊池昭仁
現代文学
ロクデナシの父親と 出来すぎた娘との絆

★【完結】哲学犬『ソクラテス』(作品230506)

菊池昭仁
現代文学
哲学者のような思想を持った喋る犬 ソクラテスのお話です

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

★菊池昭仁・短歌集「ビター・チョコレート」

菊池昭仁
現代文学
愛についての現代短歌集です

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ぼたん ~不器用な歌い手達が紡ぐ音~

雪見桜
恋愛
音楽の才能を持つ以外とことん不器用な女子高生の千依(ちえ)は、器用な双子の兄・千歳の影の相方として芸能活動をしている。昔自分を救ってくれたとある元アイドルに感謝しながら……。憧れの人との出会いから始まるスローテンポな恋と成長のお話です。 表紙イラストは昼寝様に描いていただきました。

処理中です...