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第12話
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清彦は店も休んでいるようだった。
(一体どこに行ってしまったの?)
私は酷い後悔の念に囚われていた。
関東平野を走る東北自動車道の周りには、桜並木と菜の花畑が点在していた。
「こうやって高速道路を走っていると、つくづく人生を感じるよ。
追い越し追い抜かれ、一喜一憂しながら俺たちは人生を走って行くんだとね?
もの凄いスピードで俺を追い越して行く奴もいる、「負けたなあ」と思う。
でもしばらく走って行くと、俺を追い抜いたそのクルマが故障して立ち往生をしていたりもする。
そしてビリだと思って走っていた自分がいつの間にか先頭、トップを走っていたりする。
またその逆に、自分がトップだと思って走っていても、実はビリを走っていたりすることもある。
そうして人は死に向かって人生を走って行くんだろうなあ」
「私は今、どの辺りを走っているんでしょうか?」
「人生のかい? それともJAZZの方?」
「両方です」
「君のプライベートはよく知らない、だから君が人生のどの辺りを走っているのかはわからない。だがJAZZに関して言えば、今の君はビリだ」
「そうですか・・・」
「でも落ち込むことはない、君は羊の皮を被った狼、BMWだからね?
これからビュンビュン他のクルマを追い越して行くことになるだろう。
だがその道程は決して平坦ではないのも事実だ」
クルマは福島を過ぎて宮城県に入った。
「どうして青森から南下して行くんですか?」
「飛び込み訪問の営業ではなく? 集合住宅を回る時には最上階から下に降りて営業して行くんだよ。
階段の登りは息が切れるだろう? だから一番上から下に下がって行く方が気分的にもラクなんだ。
だから今回の武者修行も上から行くことにした。そうすれば君がどんなに落ち込んでもすぐに家に帰れるからね? あはははは」
「私は落ち込みません、絶対に。私のJAZZでギターケースを投げ銭でいっぱいにして見せますから」
「それは楽しみだ」
サービスエリアで休憩と仮眠を取りながら、ようやく私たちは青森の弘前に到着した。
「とんでもない長旅でしたね? 明日からが本番ですね?」
「明日から? 何を寝ぼけたことを言っているんだ? 何様だよお前」
尾形さんが私を「お前」呼ばわりした。私はそれにカチンと来た。
「東京からここまで何時間掛かったと思っているんですか! もうクタクタですよ、まともに歌なんかとても歌えません」
「あれでまともに歌っているつもりなのか? ここまで運転して来たのは俺だ。お前は隣で鼾を掻いて寝ていたくせによく言うよ。
まあそんなことはどうでもいい、路上ライブの設営準備をするぞ」
私の意見には耳も貸さず、尾形さんは弘前駅前に荷物を下ろし、駐車場にクルマを停めに行った。
春先とはいえ、流石に夜の弘前は冷えた。
尾形さんと私は発電機やアンプ、スタンドマイク、ヒーター等をセッティングした。
エレキギターとキーボード、そしてフルートは尾形さんが曲に合わせて演奏し、私がそれにあわせて歌うことになっていた。
「それじゃあ音合わせしてみようか?」
「はい」
チューニングの確認を終えると、弘前駅前を通る人たちが珍しそうに私たちを見ていた。
正直に言えば私は明らかにビビっていた。足が震えた。
(果たして私の歌が弘前の人たちに聴き入れてもらえるのかしら?)
私の歌を聴くためにやって来るライブハウスの観客とは違い、JAZZに興味があるなしに関わらず集まってくる人たち。
曲はなるべく分かり易い選曲にした。
私は勇気を出して『Fly Me to The Moon』を歌い始めた。
すると何人かの人たちが足を止め私たちのまわりに人集りが出来始めた。
私は精一杯歌った。
人がどんどん集まって来て私の歌を聴いてくれた。
「うまいね? この人」
「本当だね? この曲、ディズニーで聴いたことあるよ」
「エヴァンゲリオンじゃねえの?」
「それでもやってたね?」
「上手~」
「誰この人? 有名な歌手?」
感触は上々だった。
その後も10曲以上、私は歌い続けた。
だが人はどんどん離れて行き、そして遂に誰もいなくなってしまった。惨めさに涙が溢れて来た。
「あと10曲歌うんだ」
「もう歌えません。誰も、誰も私の歌を聴いてくれない。ううううう」
「それでも歌うんだ。ギターケースを投げ銭でいっぱいにするんだろう?」
「もう無理です、今日は勘弁して下さい・・・」
「駄目だ、あと10曲歌え」
「東京へ帰ります、こんなことしても何の意味もないじゃないですか!」
「だからお前のJAZZには心がないんだ。ただのテクニックだけのJAZZなんだよ。そこに感動がない」
悔しかった。仕方なく私は残りの10曲を歌った。
「よし、今日はここまで。明日は八戸でやるからな?」
私たちはオートキャンプ場へと向かった。
食事はコンビニで買ったジャムパンが一個。それを尾形さんと半分にして食べた。涙が零れた。
「今日のギャラは230円だったからな? 明日の八戸ではちゃんと稼いでくれよ、飢え死にしないようにな?」
私は泣きながらジャムパンを食べた。
「人生の味とは「泣きながらパンを食べた者にしかわからない」とゲーテは言った。
つまりお前は今、人生の味を噛み締めていることになる。
人生は勝ち負けじゃない、学びだ。この辛さをチカラに変えてみせろ。
アメリカにはこんな言葉がある、「苦くて酸っぱいレモンを受け取ったら、それを甘いレモネードに変えろ」とな?
お前には才能がある、後は心だ。JAZZにお前の魂を吹き込め」
その晩、私はワゴン車で、尾形さんはクルマの脇にテントを張って寝袋で寝た。
「まさかレディと同じワゴンで寝るわけにはいかないからな? あはははは」
尾形さんはそう言って笑った。
(一体どこに行ってしまったの?)
私は酷い後悔の念に囚われていた。
関東平野を走る東北自動車道の周りには、桜並木と菜の花畑が点在していた。
「こうやって高速道路を走っていると、つくづく人生を感じるよ。
追い越し追い抜かれ、一喜一憂しながら俺たちは人生を走って行くんだとね?
もの凄いスピードで俺を追い越して行く奴もいる、「負けたなあ」と思う。
でもしばらく走って行くと、俺を追い抜いたそのクルマが故障して立ち往生をしていたりもする。
そしてビリだと思って走っていた自分がいつの間にか先頭、トップを走っていたりする。
またその逆に、自分がトップだと思って走っていても、実はビリを走っていたりすることもある。
そうして人は死に向かって人生を走って行くんだろうなあ」
「私は今、どの辺りを走っているんでしょうか?」
「人生のかい? それともJAZZの方?」
「両方です」
「君のプライベートはよく知らない、だから君が人生のどの辺りを走っているのかはわからない。だがJAZZに関して言えば、今の君はビリだ」
「そうですか・・・」
「でも落ち込むことはない、君は羊の皮を被った狼、BMWだからね?
これからビュンビュン他のクルマを追い越して行くことになるだろう。
だがその道程は決して平坦ではないのも事実だ」
クルマは福島を過ぎて宮城県に入った。
「どうして青森から南下して行くんですか?」
「飛び込み訪問の営業ではなく? 集合住宅を回る時には最上階から下に降りて営業して行くんだよ。
階段の登りは息が切れるだろう? だから一番上から下に下がって行く方が気分的にもラクなんだ。
だから今回の武者修行も上から行くことにした。そうすれば君がどんなに落ち込んでもすぐに家に帰れるからね? あはははは」
「私は落ち込みません、絶対に。私のJAZZでギターケースを投げ銭でいっぱいにして見せますから」
「それは楽しみだ」
サービスエリアで休憩と仮眠を取りながら、ようやく私たちは青森の弘前に到着した。
「とんでもない長旅でしたね? 明日からが本番ですね?」
「明日から? 何を寝ぼけたことを言っているんだ? 何様だよお前」
尾形さんが私を「お前」呼ばわりした。私はそれにカチンと来た。
「東京からここまで何時間掛かったと思っているんですか! もうクタクタですよ、まともに歌なんかとても歌えません」
「あれでまともに歌っているつもりなのか? ここまで運転して来たのは俺だ。お前は隣で鼾を掻いて寝ていたくせによく言うよ。
まあそんなことはどうでもいい、路上ライブの設営準備をするぞ」
私の意見には耳も貸さず、尾形さんは弘前駅前に荷物を下ろし、駐車場にクルマを停めに行った。
春先とはいえ、流石に夜の弘前は冷えた。
尾形さんと私は発電機やアンプ、スタンドマイク、ヒーター等をセッティングした。
エレキギターとキーボード、そしてフルートは尾形さんが曲に合わせて演奏し、私がそれにあわせて歌うことになっていた。
「それじゃあ音合わせしてみようか?」
「はい」
チューニングの確認を終えると、弘前駅前を通る人たちが珍しそうに私たちを見ていた。
正直に言えば私は明らかにビビっていた。足が震えた。
(果たして私の歌が弘前の人たちに聴き入れてもらえるのかしら?)
私の歌を聴くためにやって来るライブハウスの観客とは違い、JAZZに興味があるなしに関わらず集まってくる人たち。
曲はなるべく分かり易い選曲にした。
私は勇気を出して『Fly Me to The Moon』を歌い始めた。
すると何人かの人たちが足を止め私たちのまわりに人集りが出来始めた。
私は精一杯歌った。
人がどんどん集まって来て私の歌を聴いてくれた。
「うまいね? この人」
「本当だね? この曲、ディズニーで聴いたことあるよ」
「エヴァンゲリオンじゃねえの?」
「それでもやってたね?」
「上手~」
「誰この人? 有名な歌手?」
感触は上々だった。
その後も10曲以上、私は歌い続けた。
だが人はどんどん離れて行き、そして遂に誰もいなくなってしまった。惨めさに涙が溢れて来た。
「あと10曲歌うんだ」
「もう歌えません。誰も、誰も私の歌を聴いてくれない。ううううう」
「それでも歌うんだ。ギターケースを投げ銭でいっぱいにするんだろう?」
「もう無理です、今日は勘弁して下さい・・・」
「駄目だ、あと10曲歌え」
「東京へ帰ります、こんなことしても何の意味もないじゃないですか!」
「だからお前のJAZZには心がないんだ。ただのテクニックだけのJAZZなんだよ。そこに感動がない」
悔しかった。仕方なく私は残りの10曲を歌った。
「よし、今日はここまで。明日は八戸でやるからな?」
私たちはオートキャンプ場へと向かった。
食事はコンビニで買ったジャムパンが一個。それを尾形さんと半分にして食べた。涙が零れた。
「今日のギャラは230円だったからな? 明日の八戸ではちゃんと稼いでくれよ、飢え死にしないようにな?」
私は泣きながらジャムパンを食べた。
「人生の味とは「泣きながらパンを食べた者にしかわからない」とゲーテは言った。
つまりお前は今、人生の味を噛み締めていることになる。
人生は勝ち負けじゃない、学びだ。この辛さをチカラに変えてみせろ。
アメリカにはこんな言葉がある、「苦くて酸っぱいレモンを受け取ったら、それを甘いレモネードに変えろ」とな?
お前には才能がある、後は心だ。JAZZにお前の魂を吹き込め」
その晩、私はワゴン車で、尾形さんはクルマの脇にテントを張って寝袋で寝た。
「まさかレディと同じワゴンで寝るわけにはいかないからな? あはははは」
尾形さんはそう言って笑った。
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