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第1話
しおりを挟むうたをわすれたカナリヤは うしろのやまにすてましょか
いえいえそれはなりませぬ
うたをわすれたカナリヤは せどのこやぶにうめましょか
いえいえそれはなりませぬ
うたをわすれたカナリヤは やなぎのむちでぶちましょか
いえいえそれはかわいそう
うたをわすれたカナリヤは ぞうげのふねにぎんのかい
つきよのうみにうかべれば わすれたうたをおもいだす
童謡『かなりや』
私は歌を忘れたカナリヤだった。
離婚、母と愛犬との死別、スキャンダル、ネットでの誹謗中傷、移籍した事務所との確執。
あまりにも辛い事が続いて、私は歌うことが出来なくなってしまっていた。
ステージに立ってスポットライトを浴びると体が震えて歌が歌えない。
藝大の院でアカデミックに声楽を研究した私は単身、イタリアへ留学し、さらに声楽に磨きをかけた。
そしてそこで知り合った同じ大学のカルロスと恋に落ち、結婚した。
彼はバリトンのオペラ歌手を目指していて、私はソプラニスタになるために毎日が必死だった。
ディーヴァ、歌姫になるのが私の夢だった。
オペラ歌手になるためにはイタリア語が母国語のように操れなくてはならない。
私はカルロスからイタリア語とセックスを学んだ。
カルロスとは2年で破局した。
彼が私の元を去って行ったからだ。
私は失意のどん底に落ち、志半ばで日本へ帰国することにした。
日本に帰国してからはイタリア語の通訳、翻訳の仕事をしながら声楽のレッスンを続けていた。
そんなある日、私の個人リサイタルに来ていた芸能プロダクションの尾形に声を掛けられた。
「いいリサイタルでした。特に高音がムチのようにしなやかで伸びやか、ブレがない。
いかがですか園部早紀さん? ウチの専属歌手になりませんか?」
「御社はオペラ業界にも顔が利きますか?」
「正直に申し上げると、オペラ業界はあまり得意分野ではありません。ウチはポップスが殆どの音楽事務所です。
ポップス・シンガーとしてデビューしてみる気はありませんか?」
「すみませんが私はオペラのアリアを歌うことにしか興味がありませんので、折角のお誘いですがお断りいたします」
私は何事も即断即決だった。短い人生に迷う時間はない。
「そうでしたか? 残念です。でももし気が変わりましたらここへご連絡をいただけると幸いです。
ではいずれまた近い内に。園部さんとは長いお付き合いになりそうな気がします」
尾形は私に名刺を渡すと踵を返して去って行った。
私はその名刺をゴミ箱に捨てた。
(冗談じゃないわよ! この私に演歌や歌謡曲を歌えと言うの? 音楽と真剣に向き合って来たこの私に!)
何度かオペラの舞台にも立ったがプリマドンナの役は貰えず、合唱のメンバーにしかなれなかった。
恋も音楽も上手くはいかなかった。
寄ってくる男たちは皆、私の音楽には興味はなく、私のカラダが目当てだった。
うんざりだった。
私は自暴自棄になり、お酒とタバコを覚えるようになり、次第に声を潰していった。
自慢だったソプラノ・ヴォイスはハスキー・ヴォイスへと変わってしまった。
生きているのが辛かった。
そんなある日、酒場で偶然、ジュリー・ロンドンの歌と出会った。
『酒とバラの日々』
稲妻に打たれたような衝撃だった。
類稀なる美貌と艶のあるウエットに富んだ歌声。
私は彼女にすっかり魅了されてしまった。
(これがJAZZなの?)
私のJAZZシンガーとしての人生は、ここからスタートしたのである。
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