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第3話

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 終業のチャイムが鳴った。
 最近では「働き方改革」とかで、労務の方から勤務時間が厳しくチェックされ、定時で上がることが義務付けられていた。
 
 小川係長の若い頃は、深夜の残業などは当たり前で、午前2時に仕事を終え、それからみんなで近くのラーメン屋に行き、餃子をつまみにビールを飲み、ラーメンを食べて朝の始業時間まで会議室の椅子を並べて仮眠するのが当たり前の時代だった。
 だがその頃の方が今よりも楽しかった。
 働いている、生きているという実感があったからだ。
 今では何でもかんでもコンピュータで管理され、行動記録も携帯のGPSで見張られていた。
 特に現場を知らない連中は「お客様が一番だ!」と喚き散らし、お客さんの都合に合わせて配達するという、時間指定配達を導入した。
 おまえら自分で配達してみろ、バカ!
 お米やリンゴがぎっしり詰まった箱を持って、エレベーターのない5階の団地に運んでみろっつうの!
 そして階段を上がり、やっと5階に辿りついてチャイムを押しても出て来ない。
 部屋の中からは女の喘ぎ声。
 仕方なくまたクルマに戻って次の配達先に行こうとすると、

 「何やってんだ! 今すぐ持って来い!」

 と携帯で怒鳴られる始末。


 データだけを見て、あれが悪い、これがダメという前に、もっと現場の苦労を分かってあげて欲しい。
 小川係長は現場想いの人だった。
 そんな係長は現場からの信頼も厚い。

 「いいよ係長、俺が運んでやるから」
 「いつもすまないね? 虎次郎さん」
 「いいってことよ、俺と係長の中じゃねえか? 困った時はお互い様よ、なあサクラ?」
 「ありがとう、虎次郎さん、サクラさん」



 定時に会社を出て、満員電車に揺られてまた1時間半、そこから歩いて30分。
 電車の待ち時間やなんやらで、それでも家に着くのは19時半を過ぎてしまう。
 一日のうち、往復で約5時間がこの過酷な通勤で占められていた。
 睡眠で8時間、通勤で5時間、一日24時間の約半分の時間が無駄に消えていた。
 単純な話、35歳で家を買った係長の人生が、定年までの25年の間に、そのうちの約6年もがこの通勤に消えてしまうというわけだ。
 電車のグリーン車で座ることが出来て、寝たり、本を読んだり、ツイッターをしたり、エッチな動画を見ていられるなら通勤も有意義ではあるが、満員電車の押し競饅頭の中、バンザイ状態の通勤は地獄である。
 小さな家の住宅ローンを払うために、係長は人生を無駄にしていた。
 小川係長は思う、住宅ローンのために生きているようなものだと。

 係長は永谷園の鮭茶漬けにお湯を注ぎながら、テレビのバラエティ番組を観て大きな口を開けて笑っている女房と娘を見て、係長は溜息を洩らした。

 (こうやって、俺の人生は過ぎていくんだなあ?
 定年になったらどうして暮らそう? 
 年金を貰うにはまだ早いし、住宅ローンはあるし。
 取り敢えず、ヤマネコの営業所で荷物の仕分けでもするしかないか? 年寄りには辛いだろうなあ。
 趣味もない、お金の掛かる趣味は静枝に叱られちゃう。
 いいや! そんなのは贅沢な話だ!
 健康で仕事もあり、家族もいて、小さいけれど持ち家もある。
 毎日こうしてご飯が食べられて、お風呂にも入ることが出来て、ふかふかの布団で眠ることも出来る。
 3か月に1度は静枝も夜のお相手をしてくれる。お金は盗られるけど。
 こんなにもしあわせなことはないじゃないか!)

 小川係長はスーパーの特売で買った、1本98円の発泡酒を大事そうに大事そーに労わるように飲んだ。

 「しあわせ、しあわせ」

 この言葉が係長のいつもの口癖だった。



 その頃、課長の飯島は総務の梢とラブホでニャンニャンしている最中だった(羨ましい)。
 飯島は梢と社内不倫をしていた。

 「ねえ、飯島ちゃん、あの小川係長って課長の元上司だったんでしょう? 
 自分の部下が自分の上司になるって、チョー笑えるんですけど」
 「係長のことを悪く言うもんじゃない。俺はあの人から仕事のイロハを教えてもらったんだ。
 悪い人ではないし、仕事が出来ないわけでもない。
 ただ、あの人が万年係長止まりなのは、出世に興味がないからなんだよ。
 小川さんは、いつもあれで満足なんだ」
 「へえー、係長さんって欲がないんだねー。
 コズピョンにはわかんないなあー。
 ねえ、もう一回しよ♪」
 
 そう言って梢は飯島にチューをした。


 飯島はパッコンパッコンしながら悩んでいた。
 それは北島部長から小川係長の子会社への出向を打診されていたからだった。


 「飯島課長、小川係長のことなんだがあの人もあと1年で定年になる。
 本来なら定年延長で65才までは雇用されるが、あの人の場合それは難しい。
 俺もあの人にはかなり世話になったから何とかしてあげたいが、現状では厳しいんだ。
 そこで相談だが、今のうちに「さいたま」のウチの子会社、ヤマネコ・パッケージに出向してもらってはどうだろう?
 あそこならたとえ係長がボケてオムツをした徘徊痴呆老人になったとしても、死ぬまで働くことが出来る。
 どうだ? 飯島課長?」
 「あの「さいたま」のヤマネコ・パッケージですか? あの「さいたま」の?」
 「そう「さいたま」「さいたま」と強調するな。
 このまま窓際族として「Windowsおじさん」しているよりも、「さいたま」のヤマネコ・パッケージで段ボール箱を作っている方が幸せだと思うんだが」
 「あの「ダ・サイタマ」で段ボール作りで一生を終える?
 それはまるでハリポタの「アズカバンの囚人」も同じじゃないですか!」
 「飯島、だから「ダ・サイタマ」と言うな、「さいたま」と言うだけでも辛いのに、「ダ」なんて付けると、なんだかお洒落なフランス語みたいに聞こえるじゃないか?」
 「すみません、つい・・・」
 「お前の気持ちもわかる、俺たちはあの人に育てられたも同じだ。
 なんとかしてあげたいんだ、たとえ「さいたま」でもだ」
 「そうですか・・・。
 でも「さいたま」だけでもシベリアと同じ響きなのに・・・。
 それならいっそ、「いばらき」や「とちぎ」の方がマシじゃないですか!
 部長! せめて練馬区のヤマネコ・メールではダメなんでしょうか?」
 「わかってくれ飯島、それは出来ない。
 あそこは、練馬は練馬でも、一応、東京23区なんだ・・・」

 部長は泣いていた。

 「そうですよね? 練馬区は東京都・・・。
 練馬区なのに、都内・・・」
 「頼む飯島、おまえから小川さんに言ってくれんか!「さいたま」の深谷、ヤマネコ・パッケージに出向だと」

 飯島も泣いた。

 「でも深谷ですよ! 「さいたま」だけでも屈辱なのに、深谷・・・。
 あの、ネギしかない深谷ですよ! いくらなんでも酷すぎる!
 「さいたま」と言うだけでも辛いのに、おまけに深谷だなんて、とても私には言えません! そんな死刑宣告のような人事は・・・」



 飯島はそんなことを考えながら梢とズッコンバッコンしていたので、思わず梢に中出ししてしまった。

 「あーあ、どうすんのおー、中にしちゃってー。
 今日は危険日なのだぞー! プンプン!
 飯島ちゃん、ちゃんと責任とって結婚してもらうからニャアー、テヘペロ」
 「中にしてしまった・・・」


 小川係長もまさか自分が「さいたま」の子会社で段ボール作りの話が持ち上がっているとは思いもしなかった。



 
 翌朝、小川係長が出社すると、飯島課長に会議室に呼ばれた。

 「小川係長、どうか落ち着いて聞いて下さい。
 来月より、ヤマネコ・パッケージに転勤していただきます」

 そう言って飯島課長は小川係長に辞令を渡した。

 
 「えっ! ヤマネコ・パッケージって、あの「さいたま」の? しかも深谷にあるあそこに俺が・・・」

 係長はその場に膝から崩れ落ちてしまった。

 「いったい俺が、俺が何をしたって言うんだ? 定年まであと1年、それはあんまりじゃないか!
 「さいたま」でも大宮や浦和ならまだしも。
 深谷だなんて・・・。
 頼む飯島、せめて、せめて練馬のヤマネコ・メールにしてはもらえんのか!」

 係長は飯島課長のネクタイを引っ張った。

 「すみません、私にはどうすることもできないんです、分かって下さい! 小川さん!
 これは係長のためなんです!」

 係長はまるで幼稚園の年長さんのように駄々をこね、泣き叫んでいた。

 「さいたま! さいたま! 深谷なんて絶対にイヤだあー!」
 

 小川係長の泣き声と、飯島課長のすすり泣く声が会議室にこだましていた。
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