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第6話

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 テーブルにメモを残して来た。


    美奈子王女様
   
    13:00に迎えに来ます 
    昼飯は何が食べたい? 
    考えておいて下さい
    なお、夕方は砂漠に行くから
    汚れてもいい服装で
    ジャケットがあればそれも用意
    しておくように

     「眠れる森の美女」の小人より



 13時ジャスト。俺は荷役当直を終え、彼女のホテルにやって来た。
 船乗りや日本の自衛官は「5分前精神」を徹底的に叩き込まれる。
 時間に遅れることは許されない厳罰だ。
 俺は女との待ち合わせにも遅れたことはない。
 仕事に関わらず、プライベートも時間厳守だ。それが相手に対する礼儀でもある。
 時間を守ることは約束を守ることであり、信用と思い遣りなのだ。
 フロントから美奈子の部屋に電話を掛けてもらい、私はロビーのソファアで彼女を待った。


 5分ほどして、息を弾ませて彼女がやって来た。
 
 「ごめんなさい、待たせちゃって。
 時間に正確なのね? そんな彼氏はあなたが初めてよ。みんな時間にルーズな人ばかりだったから」
 「俺は船乗りだからな? 例えば本船の出港に遅れたとする、すると岸壁を離れた船のキャプテンはこう言うんだ。「次の港で待ってるぞ-!」と。だが会社からはこんな書類が届く、「以後、出社するに及ばず」とな? 解雇通知だ」
 「厳しいお仕事なのね?」
 「仕事に遅れる事自体、能力も誠意もないということの証明だ」
 「なるほどね? 私の職場にも何人かいたわ。時間を守らない人が。
 えへっ、そういう私もそうだよね? 遅れてごめんなさい」
 「心配するな。女は許される」
 「どうして?」
 「女はが必要だからな?」
 「うふっ、ありがとう。服装はこれでいいかしら?」

 彼女はジーンズにTシャツ、サマーカーディガンに白いスニーカーというスタイルだった。
 髪は髪留めで押え、キャップを被っていた。

 「厚手のジャケットか、薄いウインドブレーカーはないのか?」
 「夏だからそんなの持って来てないよ。それに砂漠に行くんでしょ?
 砂漠って暑いんじゃないの?」
 「夜は意外と冷えるんだ。砂は比熱が高いからな?
 まあいい、念のため俺のジャンパーを用意して来たから、夜はこれを着ればいい。
 昼飯は何が食べたい?」
 「タジン鍋!」
 「じゃあ海の見えるレストランに行こう」




 コルニッシュ通りにあるレストラン。
 大西洋に面したシーサイドテラスに座り、俺たちはシャンパンを飲んだ。
 海から吹いて来る潮風と波の音が心地いい。
 そして流れるジョアン・ジルベルトのボサノヴァ。

 「風がとっても気持ちいいわー。
 冷えたシャンパンも最高。
 ハリウッド女優になった気分」

 美奈子は長い足を組んでご満悦だった。

 「この辺りにはアトランティック大陸が沈んでいるという伝説がある」
 「そうなの?」
 「だから大西洋を「アトランティック・オーシャン」っていうだろう?」
 「へえー、そうなんだあ」

 美奈子はそう言って微笑んだ。
 かわいい女だと思った。

 「アトランティスには高度な文明があったらしい。
 空も飛んでいたそうだ。円盤みたいなやつで」

 だが美奈子はそんな話には興味を示さず、
 
 「夕べはありがとう。添い寝してくれて」
 「凄いいびきをかいていたぞ。涎を垂らして」
 「うそっ!」
 「嘘だよ。きれいな寝顔だった、眠れる森の美女のようにな?」
 「それもちょっと恥ずかしいかも。寝顔を見られるなんて」
 「裸よりもか?」 
 「うん。男の人の肌の温もりって好き。なんだかすごく安心するの。「ああ、私はこの人に守られているんだなあ」って思っちゃう」
 「守りたい男と守られたい女か? いいな、そんな関係も」
 「するとかしないとかじゃなくてさ、昨日みたいなカンジって、エッチするよりも良かった。
 私、俊輔に大切にされているんだと思った。恋人同士だもんね? 私たち」
 「本当はお前とやりたかったよ。俺も男だから。
 航海中に女はいない。当然、性欲は高まるものだ」
 「そんな時はどうするの? 自分でするの?」
 「港に着くまで我慢するか、自分で慰めるかだな?」
 「宇宙飛行士もそうなのかな?」
 「パイロットも凄いらしいな? よくCAと機内でしちゃうとか言うからな?
 つまり、男の性欲というものは、命に係わる仕事には付き物なのかもしれない」
 「女にもあるわよ、性欲」
 「人の人生に関わる弁護士とか検事、裁判官もそうかもな?
 ムッツリスケベが多そうだろう?
 アイツらも相当なストレスを抱えているからな?
 そして政治家や芸能人も同じだ」
 「昔付き合ってた弁護士の男もそうだったわ。
 要するに男はみんなヤリたい動物なんだ」
 「電車に飛び込んで轢死すると、髪の毛が真っ白に逆立ち、ペニスが勃起したままになることがあるそうだ。
 死ぬ瞬間に自分のDNAを残そうとする本能がはたらくのかもしれない」
 「じゃあさあ、港に着いたら女の人をどうやって探すの?
 女の人にお金を出してするの?」

 そう言って、美奈子はシャンパンを飲み干した。
 俺はその空いたグラスにワインクーラーから取り出したシャンパンを、泡が立たないように気をつけながらシャンパンを注いだ。
 午後の日射しがシャンパングラスを輝かせ、黄金色に染めた。
 
 「そういう奴もいるが、俺は女をカネで買うことはしない」
 「じゃあどうするの?」
 「普通の女を口説く」
 「でもそれって矛盾しているわよね?
 昨夜ゆうべ、私を抱かなかったのは彼女さんに悪いと思ったからじゃないの?
 それなのに他の女は抱くの? それっておかしくない?」
 「商売女を抱かないのは、カネでやらせろというのが嫌なのと、性病が怖いからだ。
 日本の風俗でもそうだが、梅毒よりも雑菌性の淋病とか、毛虱の方が厄介だ。
 特に雑菌性の淋病の場合は完治しにくいようだ。
 疲労や飲酒で症状が出ることもあるらしいからな?
 船内医療は二等航海士の俺の管轄なんだ。
 昔は船医が乗船していたが、今では省力化が進み、クルーも減ったから船医もいなくなった。
 殆ど仕事をしなくてもいい高給取りだしな?
 だから俺たち航海士は船舶衛生管理者という資格を取らされて、看護師や医者のように緊急救命医療行為を行うことが出来る。
 海の上には医者も美人ナースもいねえからな?
 本船にも医療処置室があり、簡単な手術も可能だ。
 テトラサイクリン、ペニシリン、ストレプトマイシンなどの抗生剤はもちろん、注射器に縫合セット、メスまである。
 アスピリンにブスコパンなどが船舶法定医薬品として常備され、他にも様々な薬が保管されている。
 包帯にガーゼ、何でも揃っているんだ。
 だが怖いことに麻酔は無い。
 もっともそれは医者じゃないと使えないがな?
 病気を貰った連中に俺が注射してやることもあるが、今はめったになくなった。
 そして医療技術も格段に進歩したからな?」
 「ちょっと、私の質問を躱された気がするんですけど?
 他の女とはどうしてエッチするんですかあ? 私とはしなかったくせに。セカンドオフィサーさん?」
 「愛してしまいそうだったからだ」

 美奈子は俺のその答えに戸惑っていた。

 「それは私のことを愛し・・・」

 俺はそれを途中で遮った。
 なぜならその時、タイミングよくタジン鍋が運ばれて来たからだ。

 「さあ食おう。温かいうちに。
 あと、クスクスもくれ」
 「かしこまりました」

 美奈子もその先を言わなかった。
 この女は恋愛の本質をわかっていると思った。
 
 俺たちは何事もなかったかのように食事を続けた。

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