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第3話

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 「結構いいホテルじゃねえか?」

 私はタクシーで彼女をホテルまで送り届けた。

 「ねえ、少し飲んでいかない?」
 「アンタの部屋でか?」
 「それでもいいわよ、別に」
 「ホテルのバーで待ってるよ」
 「シャワー、浴びて来てもいい?」
 「ごゆっくりどうぞ、王女さま」
 「それじゃあ、行ってきまーす」
 
 私はホテルのバーラウンジに腰を据えた。


 階段を上がったり下がったりするようなジャズ・ピアノの演奏に、ここが日本から数千キロも離れた異国であることを忘れてしまいそうだった。
 飛び交う様々な言語。


 「ジンライムをくれ」
 「かしこまりました」

 地中海沿岸はライムやレモン、オレンジなどの柑橘類の宝庫だ。
 俺は深く、ライムの香りを吸い込んだ。
 疲れた頭の中に、爽やかなエメラルドの風が吹き抜けて行くようだった。
 今度の航海を終えれば、俺は日本で休暇の予定になっていた。
 そして真由美と結婚するつもりだった。
 俺は真由美から会社経由で現地に送られて来た、エアメールを開封した。


   My Dear, 俊輔

   お仕事ご苦労様です。
   今、あなたはどこにいるんでしょうね?
   アフリカ? それともヨーロッパの港かしら?
   私も今すぐ飛んで行って、あなたに会いたい。
   いつも考えるのはあなたのことばかり。
   5分に一度、いえ、3分に一度は俊輔のことを考え  
   ています。
   あと2か月で会えるんですね? もう2か月? ま 
   だ2か月?
   1年ぶりだね? 楽しみだなあ。俊輔に会えるの。

   最近、2キロも太っちゃいました。
   俊輔をがっかりさせないようにダイエットしていま
   す! 
   明日からだけど(笑)

   俊輔はどうですか? ちゃんと食べていますか?
   あんまりお酒、飲み過ぎないでね。
  
   この前、久しぶりに道代に会いました。
   「真由美、まだ俊輔君と付き合っているの?」
   と、驚かれちゃいました。
    1年も会えない恋。
   しかも会いたくても会いに行くことも出来ない   
   超遠距離恋愛。

   道代には絶対に無理だそうです。
   でも私は平気。
   大好きな人が自分の夢を追いかけているのを見て 
   いるのが好きだから。

   なんて本当は凄く寂しいです。
   帰国したら迎えに行きます。清水港まで。
   その時は骨が折れるくらい、強く抱き締めて下さ
   いね。

   お体に気を付けて。
   今度、会える日を楽しみにしています。
   大、大、大好きな俊輔に、たくさんの愛を込め 
   て。チュ

            あなたの真由美ちゃんより



 「彼女さんからのラブレター?」

 私は便箋を封筒に戻し、ジャケットの内ポケットに仕舞った。
 そこには昼間のジーンズにポニーテールの美奈子ではなく、髪を解いた、ロングスカートにピンヒールの彼女が立っていた。
 その美しさに私は言葉を失った。
 美奈子は私のテーブルの前に座ると、両手で頬杖をつき、

 「何を飲んでいるの?」
 「ジンライムだ」
 「美味しい?」
 「不味かったら飲まねえよ」
 「じゃあ私も同じ物を頼んで頂戴」

 美奈子はそう言って微笑んだ。
 私はギャルソンを呼び、

 「このセニョリータにもジンライムを。
 そして俺にも同じ物を」
 「シー、セニョール(はい、お客様)」
 「英語じゃないのね? 何語なの?」
 「スペイン語だ」
 「あなたってスペイン語も話せるの?」
 「世界中の女を口説くには語学は必要だからな?
 そして言葉は道具だ。教養じゃねえ。
 日本人は英語が出来るというだけで尊敬される。バカげた話だ。
 日本人と韓国人くらいだぜ、英語すら喋れないのは。
 ここでは小学生だってフランス語やスペイン語、ポルトガル語や英語、ドイツ語ですら話せるやつがザラにいる。
 公用語はベルベル語とアラビア語だけどな?
 言葉が多いということは、そこには侵略の歴史があるということでもある。
 俺も仕事柄アフリカ沿岸の国は殆ど行ったが、ヨーロッパの植民地では白人との混血がたくさんいる。
 混血と混血がまたヤレば、どんどん白人に近づいていくだろうな?
 そして言葉まで侵略されてしまう。
 「亡国の民、言葉忘れじ」とは言うけどな?
 フランス語やイタリア語、スペイン語にポルトガル語。切がねえ。
 世界は白人の物なんだよ。
 俺たちはその白人のおこぼれで生きるしかねえのさ」

 俺はカメルーンの酒場でフランス人と喧嘩をした事を思い出し、イラついた。
 俺はグラスに残ったジン・ライムを飲み干し、ライムを齧った。
 辺りに立ち込めるライムの鮮烈な香り。


 「マイケル・ジャクソンもいつの間にか白くなってるもんね?」
 「アイツら黒人は、白人に憧れているからな?
 黒人の夢は白いシャツを着て、白いキャデラックにの乗って、白い家に住んで、白人のような白い肌になることだ。
 元々、白人の奴隷やペットとして連れてこられて、笑える話だよ。
 世界には人種差別の根深い現実がある。
 アメリカはまだいい、ヨーロッパでの黒人は人としてさえ認められていない。人種区別だ。
 アメリカで黒人が白人の女と歩いていればリンチされるが、ヨーロッパではそれがない」
 「どうして?」
 「人間として扱われず、犬や猫としてのペット扱いだからだ」
 「いやな話ね?」
 「日本の少女漫画を見てみろよ、殆どがきれいな白人ばかりじゃねえか?
 あんなきれいな日本人なんているか?
 結局俺たちは白人に憧れて、いつまでも頭が上がんねえんだよ」

 酒が運ばれて来た。
 俺はテーブルに酒代とチップを置いた。

 「グラシアス(ありがとうございます)」
 「お金はその都度払うの? 私が出すわよ。
 タクシー代も払ってもらって、ご飯までごちそうになっちゃったんだから」
 「殆どの店はキャッシュ・オン・デリバリーだ。
 それにカネは男が払うもんだ。
 少なくとも俺たち船乗りはそうしている。だから気にするな、ダイヤやバッグを買う訳じゃねえ。どうせ端下カネだ」
 「なんだか悪いわ」
 「俺といる時は飲み屋の姉ちゃんだと思えばいい。
 俺は客じゃねえけどな?」
 「ありがとう。じゃあカラダで返そうか?」
 「もっと払わせられそうだな? あはははは」
 「うふふふふ」

 俺は美奈子とグラスを合わせた。

 「ようこそ、カサブランカへ」
 「ありがとう、セカンド・オフィサーさん」

 グラスの氷が溶けるように、ゆるやかに夜が更けて行った。

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