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第4話 島崎次長
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仕事を終え、帰宅しようとすると、島崎次長から呼び止められた。
「三浦代理、ちょっと一杯つき合え」
私はまた説教かと憂鬱になったが、断る理由が咄嗟には浮かばず、駅前の居酒屋へとついて行くことにした。
店に入ると、沢山の玉が浮かんでいるのが見えたが、極端に数字の短い人がいなかったのが、せめてもの救いだった。
「実は今日、人事から内示があってな、今度の人事異動で佐野支店に支店長として赴任することになったんだ」
「おめでとうございます、いよいよ島崎支店長の誕生ですね?」
「ああ、俺の夢だったんだ。入行以来ずっと、支店長になることが」
そう言って島崎次長は美味そうにビールを飲んだ。
私は胸が苦しくなった。
いつも私に辛く当たるこの島崎次長が、ようやく今までの努力が実り、支店長になることが出来るという。それなのに次長の余命はあと僅かだなんて、あまりにも残酷すぎる。
「女房、子供も喜んでくれてな? 「パパ、よかったね」って言われたよ。
俺がここまで頑張ってこれたのも、家族がいたお陰だからな。
三浦代理、結婚はまだか? うちのライバル銀行の美人の彼女とはどうなんだ?」
島崎次長は私にビールを注いでくれた。
「中々プロポーズするタイミングが掴めなくて、ズルズルです」
「そうか? でもな、結婚は早い方がいいぞ、彼女、2つ年上だったよな?」
「はい、よく覚えていますね?」
「どうでもいいことはよく覚えているんだよ、ハハハ」
次長は喉を鳴らしてビールを飲んだ。
今度は島崎次長の空いたグラスに私がビールを注いだ。
「代理も遠慮しないでどんどん飲めよ、今夜は無礼講だからな? あはははは」
次長は上機嫌だった。
「そうなんですよねー、そろそろプロポーズしないと・・・」
私は躊躇していた。自分も瞳もあとどのくらい生きられるのかと考えてしまっていたからだ。
「お前ならいい家庭を作ることが出来るよ。何しろ俺のしごきに耐えた男だからな?
代理、いや壮一、俺はもうすぐこの支店から出ることになる。
だから最後にお前に謝っておきたかったんだ。
お前は見込みのある男だ、だから俺はお前に期待した。「こいつは俺よりもいいバンカーになる」とな?
だから俺はお前には誰よりも厳しく接した。
今まで嫌な想いをさせて、本当にすまなかった。
この通りだ」
島崎次長はテーブルに頭が付くのではないかと思うほど、私に深く頭を下げた。
「止めて下さい! 頭を上げて下さい、島崎次長!」
私は涙が止まらなくなってしまった。
その涙は、島崎次長が自分に目をかけてくれていたといううれしさと、感謝の涙であり、そしてもうひとつは、こんな優しい上司がもうすぐ死んでしまうという悲しみの涙だった。
そんなことも知らずに、私は次長を避け、疎ましく思っていたのだ。
私はそんな浅はかな自分を責め、後悔した。
「壮一、もちろん今日は俺の奢りだ、じゃんじゃん飲んでくれ」
「ありがとう、ござい、ました、島崎、島崎次長・・・」
「泣くな壮一、いいから飲め!」
そう言って島崎次長は私の左肩を軽く叩いた。
その後、スナックに移動しても私はずっと泣き続けていた。
「どうした壮一? いいかげんもう泣くのは止せ、俺が泣かせているみたいじゃないか! あはははは」
(その通りなんです、私をこんなに泣かせているのは島崎次長、あなたなんです)
私は心の中でそう叫んでいた。
うれしそうに笑って夕食を食べている島崎次長と奥さん、そして子供さんたちの顔が目に浮かんだ。
「壮一、もういい、泣くな。
カラオケでも歌え、なんだっけ? お前の好きなミスチルのあれ」
「私がミスチルを好きな事、どうして・・・」
「去年の支店の忘年会で歌っていたじゃないか? いい声だったから覚えていたんだよ、それに俺は出来る銀行員だからな? あはははは」
この人は俺のことをいつも気にかけてくれていたんだ。だから私のどんな些細なことでもちゃんと覚えていてくれたんだ。
私はマイクを握り、思い切りミスチルを熱唱した。
この悲しみを振り払うために。
酔って家に帰ると、マイケルが待っていてくれた。
「うわっ、酒臭いな壮一。飲んで来たのか?」
「うん・・・、飲んだよ、飲んで思い切り泣いて歌った!」
「どうした? 飲んで来たのに楽しそうじゃないな?
何か嫌な事でもあったのか?」
「マイケル・・・、俺は辛いよ、どうしてこんなのが見えるようになっちゃったんだろう・・・。
俺がいったいどんな悪いことをしたって言うんだ! もうイヤだよ! 耐えられないよ! こんなの!」
私は服を着たままベッドに倒れ込んだ。
「どうしたんだ? 壮一、ボクに話してごらんよ」
マイケルは私の胸に乗ると、私の顔を優しく舐めてくれた。
私は今日の島崎次長との出来事を、マイケルにすべて話した。
「そうだったんだ、それは辛かったね?・・・。
でもね、壮一。人はいつかは死ぬものだよ。
次長さんだけじゃない、そんな悲しい人たちがこの世の中にはたくさんいるんだ。
あと少しで苦労が報われる、そんな時に命が中断されてしまう。
あの志村けんさんだってそうだったじゃないか? あと少し、あともう少しで映画の主役や、いろんなチャンスが来ていた矢先だよ、天国へ旅立ってしまったのは。
壮一、人はね? 病気や事故で亡くなるんじゃないんだ、神様がお決めになった寿命であの世に帰るんだよ。
だから悲しむことはないんだよ、みんないつかは死ぬんだから。
それはボクも壮一も同じだよ。
壮一はその事実を知るのが怖いし、辛いかもしれない。
でもね、考えてごらんよ、死期が迫っている人だからこそ、その人に精一杯の優しさを、思い遣りを持って接してあげたらいいんじゃないのかな?
だってみんなはそんなことわからないんだよ? この大切な人がいつ死ぬかなんて誰も分からないし、考えもしないじゃないか?
だから壮一、君は神様から選ばれた人間なんだよ。
わかるよね? ボクの言っていること?
だから勇気を出してよ、壮一。
ボクはそんな悲しそうな壮一を見るのが辛いんだ」
マイケルは前足で私の頬をやさしく撫でてくれた。
「ありがとう、マイケル。
そうだよね? そう考えることにするよ。
明日から、サングラスは外すことにする。
現実から目を背けるのはもう止めるよ」
「うん、うん、そうだよ、その方がいいよ、君は選ばれた人間なんだから」
私とマイケルは寄り添いながら眠った。
「三浦代理、ちょっと一杯つき合え」
私はまた説教かと憂鬱になったが、断る理由が咄嗟には浮かばず、駅前の居酒屋へとついて行くことにした。
店に入ると、沢山の玉が浮かんでいるのが見えたが、極端に数字の短い人がいなかったのが、せめてもの救いだった。
「実は今日、人事から内示があってな、今度の人事異動で佐野支店に支店長として赴任することになったんだ」
「おめでとうございます、いよいよ島崎支店長の誕生ですね?」
「ああ、俺の夢だったんだ。入行以来ずっと、支店長になることが」
そう言って島崎次長は美味そうにビールを飲んだ。
私は胸が苦しくなった。
いつも私に辛く当たるこの島崎次長が、ようやく今までの努力が実り、支店長になることが出来るという。それなのに次長の余命はあと僅かだなんて、あまりにも残酷すぎる。
「女房、子供も喜んでくれてな? 「パパ、よかったね」って言われたよ。
俺がここまで頑張ってこれたのも、家族がいたお陰だからな。
三浦代理、結婚はまだか? うちのライバル銀行の美人の彼女とはどうなんだ?」
島崎次長は私にビールを注いでくれた。
「中々プロポーズするタイミングが掴めなくて、ズルズルです」
「そうか? でもな、結婚は早い方がいいぞ、彼女、2つ年上だったよな?」
「はい、よく覚えていますね?」
「どうでもいいことはよく覚えているんだよ、ハハハ」
次長は喉を鳴らしてビールを飲んだ。
今度は島崎次長の空いたグラスに私がビールを注いだ。
「代理も遠慮しないでどんどん飲めよ、今夜は無礼講だからな? あはははは」
次長は上機嫌だった。
「そうなんですよねー、そろそろプロポーズしないと・・・」
私は躊躇していた。自分も瞳もあとどのくらい生きられるのかと考えてしまっていたからだ。
「お前ならいい家庭を作ることが出来るよ。何しろ俺のしごきに耐えた男だからな?
代理、いや壮一、俺はもうすぐこの支店から出ることになる。
だから最後にお前に謝っておきたかったんだ。
お前は見込みのある男だ、だから俺はお前に期待した。「こいつは俺よりもいいバンカーになる」とな?
だから俺はお前には誰よりも厳しく接した。
今まで嫌な想いをさせて、本当にすまなかった。
この通りだ」
島崎次長はテーブルに頭が付くのではないかと思うほど、私に深く頭を下げた。
「止めて下さい! 頭を上げて下さい、島崎次長!」
私は涙が止まらなくなってしまった。
その涙は、島崎次長が自分に目をかけてくれていたといううれしさと、感謝の涙であり、そしてもうひとつは、こんな優しい上司がもうすぐ死んでしまうという悲しみの涙だった。
そんなことも知らずに、私は次長を避け、疎ましく思っていたのだ。
私はそんな浅はかな自分を責め、後悔した。
「壮一、もちろん今日は俺の奢りだ、じゃんじゃん飲んでくれ」
「ありがとう、ござい、ました、島崎、島崎次長・・・」
「泣くな壮一、いいから飲め!」
そう言って島崎次長は私の左肩を軽く叩いた。
その後、スナックに移動しても私はずっと泣き続けていた。
「どうした壮一? いいかげんもう泣くのは止せ、俺が泣かせているみたいじゃないか! あはははは」
(その通りなんです、私をこんなに泣かせているのは島崎次長、あなたなんです)
私は心の中でそう叫んでいた。
うれしそうに笑って夕食を食べている島崎次長と奥さん、そして子供さんたちの顔が目に浮かんだ。
「壮一、もういい、泣くな。
カラオケでも歌え、なんだっけ? お前の好きなミスチルのあれ」
「私がミスチルを好きな事、どうして・・・」
「去年の支店の忘年会で歌っていたじゃないか? いい声だったから覚えていたんだよ、それに俺は出来る銀行員だからな? あはははは」
この人は俺のことをいつも気にかけてくれていたんだ。だから私のどんな些細なことでもちゃんと覚えていてくれたんだ。
私はマイクを握り、思い切りミスチルを熱唱した。
この悲しみを振り払うために。
酔って家に帰ると、マイケルが待っていてくれた。
「うわっ、酒臭いな壮一。飲んで来たのか?」
「うん・・・、飲んだよ、飲んで思い切り泣いて歌った!」
「どうした? 飲んで来たのに楽しそうじゃないな?
何か嫌な事でもあったのか?」
「マイケル・・・、俺は辛いよ、どうしてこんなのが見えるようになっちゃったんだろう・・・。
俺がいったいどんな悪いことをしたって言うんだ! もうイヤだよ! 耐えられないよ! こんなの!」
私は服を着たままベッドに倒れ込んだ。
「どうしたんだ? 壮一、ボクに話してごらんよ」
マイケルは私の胸に乗ると、私の顔を優しく舐めてくれた。
私は今日の島崎次長との出来事を、マイケルにすべて話した。
「そうだったんだ、それは辛かったね?・・・。
でもね、壮一。人はいつかは死ぬものだよ。
次長さんだけじゃない、そんな悲しい人たちがこの世の中にはたくさんいるんだ。
あと少しで苦労が報われる、そんな時に命が中断されてしまう。
あの志村けんさんだってそうだったじゃないか? あと少し、あともう少しで映画の主役や、いろんなチャンスが来ていた矢先だよ、天国へ旅立ってしまったのは。
壮一、人はね? 病気や事故で亡くなるんじゃないんだ、神様がお決めになった寿命であの世に帰るんだよ。
だから悲しむことはないんだよ、みんないつかは死ぬんだから。
それはボクも壮一も同じだよ。
壮一はその事実を知るのが怖いし、辛いかもしれない。
でもね、考えてごらんよ、死期が迫っている人だからこそ、その人に精一杯の優しさを、思い遣りを持って接してあげたらいいんじゃないのかな?
だってみんなはそんなことわからないんだよ? この大切な人がいつ死ぬかなんて誰も分からないし、考えもしないじゃないか?
だから壮一、君は神様から選ばれた人間なんだよ。
わかるよね? ボクの言っていること?
だから勇気を出してよ、壮一。
ボクはそんな悲しそうな壮一を見るのが辛いんだ」
マイケルは前足で私の頬をやさしく撫でてくれた。
「ありがとう、マイケル。
そうだよね? そう考えることにするよ。
明日から、サングラスは外すことにする。
現実から目を背けるのはもう止めるよ」
「うん、うん、そうだよ、その方がいいよ、君は選ばれた人間なんだから」
私とマイケルは寄り添いながら眠った。
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