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第9話

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 美佐子は幸子の港町食堂で働き始めた。
 初日を終え、店では幸子と絵里、そして美佐子の三人の女子会が始まった。

 「初日だから疲れたでしょう? 徐々に慣れてくれたらいいからさあ、気楽にやってね?」
 「ありがとうございます。
 私、こんなお店で働くのが夢だったんです。お料理するのも好きだし。
 本当に素敵なお店ですね?」
 「私ね、飲食で人をしあわせにしたいの。
 だって美味しい物を食べて怒っている人なんかいないでしょう?
 そしてこの美しい空と海。私、この島が大好き」

 そう言って幸子はレモンサワーを美味しそうに飲んだ。
 絵里が美佐子に訊ねた。

 「美佐子さんはどこで八代さんと知り合ったんですか?」

 絵里はシーラの刺身をポン酢を付けて食べていた。
 シーラの刺身はワサビでは旨くはない。

 「同じ職場だったの。でもあまり話をしたことはなくてね。
 ある日、私がひとりで映画を観に行ったら、そこで彼とばったり。
 私、その時結婚していてね、旦那には他に女がいたの。 
 私は自棄やけになっていた。
 だからって誰でもよかったわけじゃないのよ、あの人の背中にグッときちゃったの。
 寂しい背中に」
 「背中に?」
 「そう、凄く寂しそうな背中だった。
 なんだか後ろから抱き締めてあげたくなるような悲しい背中。
 彼の銀行での仕事はね、「貸し剥がし」といって、不良債権になりそうな会社から資金を引き揚げて来ることだったの。
 その頃の彼は酷く荒れていたわ」
 「じゃあ不倫してたってこと?」
 「実はね」
 「でも美佐子さんなら許してあげる。
 だって美佐子さん、いい人だから」

 絵里が言った。

 「ありがとう絵里ちゃん。でも不倫はいけないことよ、正当化するつもりはないわ。
 そして私たちはいつの間にか自然消滅・・・」
 「でもこの島に八代さんを追いかけて来たんですよね?
 旦那さんは?」
 「夫とは離婚して銀行も辞めた。
 本気で彼を愛していたから」
 「すごい行動力ですね?」
 「賭けだった。だって彼、この島に来るなんて一言も言ってくれなかったのよ。
 それでもどうしても彼に会いたかった。
 色々考えたわ、電話番号変えられたり、着信拒否、あるいは私の電話に出てくれないんじゃないかとも考えた。
 そして会えても拒絶されたらどうしようとかね」
 「もし、そうだったらどうするつもりだったんですか?  
 だって島に着いてから八代さんに電話したんですよね?」
 「帰りのフェリーで海に身を投げて死のうと思った」
 「えっ、本当に!」
 「ウソよ」

 美佐子はそう言って絵里に笑って見せたが、幸子はそれがウソではないと感じていた。


 「私の旦那はね、元ヤクザなの。
 私が六本木のお店で働いていた時、知り合ったの。
 組長の命が狙われて、その犯人を殺して服役。
 模範囚でもあり、刑期が短くなったの。
 三か月後にここへ帰って来るわ」
 「凄い話ですね?
 早く会いたいですよね? 旦那さんに」
 「ここは狭い島だからね? あの人の為を思えば薄汚い東京で暮らす方がいいのかもしれないけどね?」

 幸子は自分自身に話し掛けるようにそう呟いた。

 「なんだか高倉健さんの『幸せの黄色いハンカチ』みたいな話ですね?
 飾るんですか? 黄色いハンカチ」
 「ハンカチじゃなくて、黄色いパンティにしようかなあ?」

 三人の美女たちは笑った。
 それがしあわせになるかどうかも分からずに。



 俺は学校から帰った幸子ママの息子、快と砂浜でサッカーに興じていた。
 
 「よしいいぞ快! 思いっきりオジサンにパスして来い!」

 煌めく海に抱き込む波音。快は自分の息子のようだった。

 「八代さーん、いくよー!」
 「思い切り蹴るんだぞ、思いっ切りな!」

 快がボールを蹴ると、海の中にボールが入ってしまった。

 「あーあ、ごめんなさーい!」
 「しょうがねえなあ」

 俺はシャツとズボンを脱ぎ捨て、パンツ一丁で海へ飛び込みサッカーボールを捕まえた。

 「快っつ! オマエも来いよー! 気持ちいいぞー!」
 「うん!」

 快もパンツになって海へ入って来た。
 俺は快の両腕を引きながら、快は嬉しそうに顔を上げ、バタ足をした。
 俺は娘の渚の幼い頃を思い出していた。
 プールで浮輪をした渚の手を、こうして引いたあの日の事を。


 俺たちはびしょ濡れのまま、港町食堂の裏口へと回った。

 「どうしたのあんたたち? ふたりともそんな恰好で!」
 
 幸子と美佐子は笑っていた。

 「なんか拭く物を貸してくれ」

 幸子がタオルをそれぞれに渡すと、俺は快の身体を拭いてやった。
 その光景を、幸子と美佐子は目を細めて見詰めていた。
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