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3. 過去を思い出す庭で
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夫の成明は、二ヶ月前のある日、突然帰らぬ人となった。
朝起きると、成明の姿がなかった。一人娘が家を出てから、娘の使っている部屋を成明が使うようになった。そして自然と成明はその部屋で寝起きするようになった。
テレビ番組も、みつ子は連続ドラマやクイズ番組を好むが成明はニュースやドキュメンタリーを好む。
三度の食事の他には、お互いに別々に過ごすことが多くなった。朝食を食べるとみつ子は趣味の庭いじり。成明は自室で読書やテレビなどを見ているようだった。
昼食を食べると、少し涼しくなったころに成明は散歩に出かけた。みつ子は時を同じくしてスーパーへ出かけた。
「そんなわけで、夜の間あの人が出かけてたとしても私は何も気付かなかったの」
成明に朝食ができたと知らせに行き、姿がないので朝の散歩か、何か買い物にでも出たのだろうと思っていた。
そのうち戻って来るだろうと思って連絡もしていなかったが、さすがに昼近くなり、携帯電話にかけてみた。つながらなかった。
それでも友達とばったり会ったのかもしれない、食事は外で済ませたのかもしれないと思って、みつ子はそれほど慌ててはいなかった。
しかし夕方になり、夜になり、不安はだんだん増してきて有里さんに連絡をした。
「すぐに警察に連絡しましょう」
有里さんの指示で、やっとみつ子の頭は回転し始めた。
「何か、困ったことに巻き込まれたのかもしれないわ」
みつ子はそこから先のことをあまり覚えていない。ただ、成明が帰って来たときにお腹が空いているだろうからと豚汁とおにぎりを拵えていた。
──あの人は、食欲のない時でもおにぎりなら、って言ってた……。
みつ子が緩慢な動作でネギを刻んでいると、血相を変えて有里さんが飛び込んできた。
「みっちゃん!! 大変……成明さんが……」
みつ子はゆっくりと顔を上げて有里さんを見た。有里さんが一瞬、息を呑んだのがわかった。
「結局、主人は転んで頭を打ったことが原因で亡くなったの。だけど、うちからずいぶん離れた、小学校の近くの歩道で倒れていて。何のためにそこに行ったのか、何故夜から朝にかけてそこに行ったのか、どうして何の段差もないところで転んだのか……わからないことだらけ」
みつ子は落ち着いて話せている自分が不思議だった。佳月は黙ってみつ子の話を聞き終え、「小学校……」とつぶやいた。
「そう、警察で調べてもらったけどその時の状況を見ていた人がいなくて謎のまま」
佳月は何か考えている風だったが、みつ子は立ち上がった。
「さ、この話はこれでおしまい。麦茶もっと飲む? ごめんなさいね、長話……」
みつ子が台所に歩きかけたときだった。
ピンポーン。
玄関の呼び鈴が鳴る。
「ごめんくださーい!!」と妙に威勢のいい挨拶の声が聞こえると、傍らの佳月がピクッと反応した。
「突然申し訳ございません。わたくし、港警察署の高良清十郎(たからせいじゅうろう)と申します」
慌ててみつ子が玄関に出ると、戸口にはキリリとした面差しの、背の高い男性が立っていた。警察官と名乗るものの、今日は休みなのか白い半袖シャツにコットンのパンツを履いている。
「警察の方……?」
みつ子はわけもなく動揺した。成明が亡くなった直後は変死扱いでいろいろと警察のお世話になったが、最近めっきり連絡がくることもなくなっていたのだが。
「こちらに葉山佳月という19歳の青年がお邪魔していると、わたくしのGPSが……」
そこまで言って、剣豪のような名前の警察官・高良清十郎は佳月の姿を見つけ、
「かぁーずきー! こんなところで何してるんだ!」
問答無用で佳月を捕まえた。華奢な佳月は無抵抗で半分首根っこを掴まれるような形でいる。
「……清十郎くん」
「いや、ほんとすみません!! 突然お邪魔したんですか? こいつ、興味があるとどんどん進んで行っちゃうところあるんで……」
猛烈に謝罪を始めた清十郎に、みつ子は「私が頼んであがってもらったんです」と慌てて説明する。
「そうだよ。かーさんにも確認して許可をもらったし」
清十郎は頭を掻いた。
「圭織さんも締め切り前で忙しかったのかなぁ。知らない人の家にお邪魔することを承諾するなんて……」
ブツブツ文句を言いながら、何度も頭を下げた。みつ子は微笑ましい気持ちになっていた。
「佳月くんには、私の話を聞いてもらってたんです。最近、誰かと話すことも減っていましたから楽しかったですよ」
みつ子の言葉に、清十郎は徐々に怒りを鎮めていく。
「寂しい年寄りの一人暮らしですからね」
みつ子が微笑むと、清十郎も表情を和らげた。佳月だけは放置された魚を観察し続けていた。
「清十郎くん、魚」
「おお、本当だ。立派だな」
実は玄関先に置かれていたのだ、とみつ子が知らせると、清十郎は眉をひそめた。
「いたずらか、動物の仕業ですかね。気を付けてくださいね。お年寄りを狙った悪質な訪問販売も多発していますから……」
「清十郎くん。みつ子さんはそんなにお年寄りじゃない」
警察官モードに切り替わった清十郎に、不服を申し立てるように佳月が言う。
「お年寄り、っていうのは七十歳から上のこと。あと、女の人に年のことを言うのは失礼」
「……お前が自分で年のことを言い出したんだろうが」
うふふ。みつ子は二人のやり取りを見て思わず笑ってしまった。
──私、七十三歳なんだけど。
みつ子は何だか佳月の気遣いが嬉しくて微笑んでしまった。あの子はきっと、「こう」と決めたことを貫き通すことしかできないのだろう。
噛み合うような合わないような言い合いをしている佳月と清十郎を、みつ子はいつまでも眺めていたい気持ちだった。
「困ったことがあったらいつでもご相談ください」
清十郎は玄関前で一礼した。みつ子は恐縮して頭を下げる。おまわりさんと知り合いになれたと知ったら有里さんは喜ぶかもしれない。
一緒に連れられて帰る佳月は、背を向けて立ち去ろうとしてもう一度みつ子に向き直ると、
「みつ子さん、また来てもいいですか?」
そう訊ねた。みつ子はすぐに頷いた。
「ええ、ええ。いつでも来て頂戴。待ってるわ」
二人が出て行ってしまった玄関は、妙にがらんとしていてみつ子はしばらくそこに佇んでいた。
朝起きると、成明の姿がなかった。一人娘が家を出てから、娘の使っている部屋を成明が使うようになった。そして自然と成明はその部屋で寝起きするようになった。
テレビ番組も、みつ子は連続ドラマやクイズ番組を好むが成明はニュースやドキュメンタリーを好む。
三度の食事の他には、お互いに別々に過ごすことが多くなった。朝食を食べるとみつ子は趣味の庭いじり。成明は自室で読書やテレビなどを見ているようだった。
昼食を食べると、少し涼しくなったころに成明は散歩に出かけた。みつ子は時を同じくしてスーパーへ出かけた。
「そんなわけで、夜の間あの人が出かけてたとしても私は何も気付かなかったの」
成明に朝食ができたと知らせに行き、姿がないので朝の散歩か、何か買い物にでも出たのだろうと思っていた。
そのうち戻って来るだろうと思って連絡もしていなかったが、さすがに昼近くなり、携帯電話にかけてみた。つながらなかった。
それでも友達とばったり会ったのかもしれない、食事は外で済ませたのかもしれないと思って、みつ子はそれほど慌ててはいなかった。
しかし夕方になり、夜になり、不安はだんだん増してきて有里さんに連絡をした。
「すぐに警察に連絡しましょう」
有里さんの指示で、やっとみつ子の頭は回転し始めた。
「何か、困ったことに巻き込まれたのかもしれないわ」
みつ子はそこから先のことをあまり覚えていない。ただ、成明が帰って来たときにお腹が空いているだろうからと豚汁とおにぎりを拵えていた。
──あの人は、食欲のない時でもおにぎりなら、って言ってた……。
みつ子が緩慢な動作でネギを刻んでいると、血相を変えて有里さんが飛び込んできた。
「みっちゃん!! 大変……成明さんが……」
みつ子はゆっくりと顔を上げて有里さんを見た。有里さんが一瞬、息を呑んだのがわかった。
「結局、主人は転んで頭を打ったことが原因で亡くなったの。だけど、うちからずいぶん離れた、小学校の近くの歩道で倒れていて。何のためにそこに行ったのか、何故夜から朝にかけてそこに行ったのか、どうして何の段差もないところで転んだのか……わからないことだらけ」
みつ子は落ち着いて話せている自分が不思議だった。佳月は黙ってみつ子の話を聞き終え、「小学校……」とつぶやいた。
「そう、警察で調べてもらったけどその時の状況を見ていた人がいなくて謎のまま」
佳月は何か考えている風だったが、みつ子は立ち上がった。
「さ、この話はこれでおしまい。麦茶もっと飲む? ごめんなさいね、長話……」
みつ子が台所に歩きかけたときだった。
ピンポーン。
玄関の呼び鈴が鳴る。
「ごめんくださーい!!」と妙に威勢のいい挨拶の声が聞こえると、傍らの佳月がピクッと反応した。
「突然申し訳ございません。わたくし、港警察署の高良清十郎(たからせいじゅうろう)と申します」
慌ててみつ子が玄関に出ると、戸口にはキリリとした面差しの、背の高い男性が立っていた。警察官と名乗るものの、今日は休みなのか白い半袖シャツにコットンのパンツを履いている。
「警察の方……?」
みつ子はわけもなく動揺した。成明が亡くなった直後は変死扱いでいろいろと警察のお世話になったが、最近めっきり連絡がくることもなくなっていたのだが。
「こちらに葉山佳月という19歳の青年がお邪魔していると、わたくしのGPSが……」
そこまで言って、剣豪のような名前の警察官・高良清十郎は佳月の姿を見つけ、
「かぁーずきー! こんなところで何してるんだ!」
問答無用で佳月を捕まえた。華奢な佳月は無抵抗で半分首根っこを掴まれるような形でいる。
「……清十郎くん」
「いや、ほんとすみません!! 突然お邪魔したんですか? こいつ、興味があるとどんどん進んで行っちゃうところあるんで……」
猛烈に謝罪を始めた清十郎に、みつ子は「私が頼んであがってもらったんです」と慌てて説明する。
「そうだよ。かーさんにも確認して許可をもらったし」
清十郎は頭を掻いた。
「圭織さんも締め切り前で忙しかったのかなぁ。知らない人の家にお邪魔することを承諾するなんて……」
ブツブツ文句を言いながら、何度も頭を下げた。みつ子は微笑ましい気持ちになっていた。
「佳月くんには、私の話を聞いてもらってたんです。最近、誰かと話すことも減っていましたから楽しかったですよ」
みつ子の言葉に、清十郎は徐々に怒りを鎮めていく。
「寂しい年寄りの一人暮らしですからね」
みつ子が微笑むと、清十郎も表情を和らげた。佳月だけは放置された魚を観察し続けていた。
「清十郎くん、魚」
「おお、本当だ。立派だな」
実は玄関先に置かれていたのだ、とみつ子が知らせると、清十郎は眉をひそめた。
「いたずらか、動物の仕業ですかね。気を付けてくださいね。お年寄りを狙った悪質な訪問販売も多発していますから……」
「清十郎くん。みつ子さんはそんなにお年寄りじゃない」
警察官モードに切り替わった清十郎に、不服を申し立てるように佳月が言う。
「お年寄り、っていうのは七十歳から上のこと。あと、女の人に年のことを言うのは失礼」
「……お前が自分で年のことを言い出したんだろうが」
うふふ。みつ子は二人のやり取りを見て思わず笑ってしまった。
──私、七十三歳なんだけど。
みつ子は何だか佳月の気遣いが嬉しくて微笑んでしまった。あの子はきっと、「こう」と決めたことを貫き通すことしかできないのだろう。
噛み合うような合わないような言い合いをしている佳月と清十郎を、みつ子はいつまでも眺めていたい気持ちだった。
「困ったことがあったらいつでもご相談ください」
清十郎は玄関前で一礼した。みつ子は恐縮して頭を下げる。おまわりさんと知り合いになれたと知ったら有里さんは喜ぶかもしれない。
一緒に連れられて帰る佳月は、背を向けて立ち去ろうとしてもう一度みつ子に向き直ると、
「みつ子さん、また来てもいいですか?」
そう訊ねた。みつ子はすぐに頷いた。
「ええ、ええ。いつでも来て頂戴。待ってるわ」
二人が出て行ってしまった玄関は、妙にがらんとしていてみつ子はしばらくそこに佇んでいた。
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