上 下
3 / 7

3. 過去を思い出す庭で

しおりを挟む
 夫の成明は、二ヶ月前のある日、突然帰らぬ人となった。
 朝起きると、成明の姿がなかった。一人娘が家を出てから、娘の使っている部屋を成明が使うようになった。そして自然と成明はその部屋で寝起きするようになった。
 テレビ番組も、みつ子は連続ドラマやクイズ番組を好むが成明はニュースやドキュメンタリーを好む。
 三度の食事の他には、お互いに別々に過ごすことが多くなった。朝食を食べるとみつ子は趣味の庭いじり。成明は自室で読書やテレビなどを見ているようだった。
 昼食を食べると、少し涼しくなったころに成明は散歩に出かけた。みつ子は時を同じくしてスーパーへ出かけた。
「そんなわけで、夜の間あの人が出かけてたとしても私は何も気付かなかったの」
 成明に朝食ができたと知らせに行き、姿がないので朝の散歩か、何か買い物にでも出たのだろうと思っていた。
 そのうち戻って来るだろうと思って連絡もしていなかったが、さすがに昼近くなり、携帯電話にかけてみた。つながらなかった。
 それでも友達とばったり会ったのかもしれない、食事は外で済ませたのかもしれないと思って、みつ子はそれほど慌ててはいなかった。
 しかし夕方になり、夜になり、不安はだんだん増してきて有里さんに連絡をした。
「すぐに警察に連絡しましょう」
 有里さんの指示で、やっとみつ子の頭は回転し始めた。
「何か、困ったことに巻き込まれたのかもしれないわ」
 みつ子はそこから先のことをあまり覚えていない。ただ、成明が帰って来たときにお腹が空いているだろうからと豚汁とおにぎりを拵えていた。
──あの人は、食欲のない時でもおにぎりなら、って言ってた……。
みつ子が緩慢な動作でネギを刻んでいると、血相を変えて有里さんが飛び込んできた。
「みっちゃん!! 大変……成明さんが……」
 みつ子はゆっくりと顔を上げて有里さんを見た。有里さんが一瞬、息を呑んだのがわかった。

「結局、主人は転んで頭を打ったことが原因で亡くなったの。だけど、うちからずいぶん離れた、小学校の近くの歩道で倒れていて。何のためにそこに行ったのか、何故夜から朝にかけてそこに行ったのか、どうして何の段差もないところで転んだのか……わからないことだらけ」
 みつ子は落ち着いて話せている自分が不思議だった。佳月は黙ってみつ子の話を聞き終え、「小学校……」とつぶやいた。
「そう、警察で調べてもらったけどその時の状況を見ていた人がいなくて謎のまま」
 佳月は何か考えている風だったが、みつ子は立ち上がった。
「さ、この話はこれでおしまい。麦茶もっと飲む? ごめんなさいね、長話……」
 みつ子が台所に歩きかけたときだった。

 ピンポーン。
 玄関の呼び鈴が鳴る。
「ごめんくださーい!!」と妙に威勢のいい挨拶の声が聞こえると、傍らの佳月がピクッと反応した。
「突然申し訳ございません。わたくし、港警察署の高良清十郎(たからせいじゅうろう)と申します」
 慌ててみつ子が玄関に出ると、戸口にはキリリとした面差しの、背の高い男性が立っていた。警察官と名乗るものの、今日は休みなのか白い半袖シャツにコットンのパンツを履いている。
「警察の方……?」
 みつ子はわけもなく動揺した。成明が亡くなった直後は変死扱いでいろいろと警察のお世話になったが、最近めっきり連絡がくることもなくなっていたのだが。
「こちらに葉山佳月という19歳の青年がお邪魔していると、わたくしのGPSが……」
 そこまで言って、剣豪のような名前の警察官・高良清十郎は佳月の姿を見つけ、
「かぁーずきー! こんなところで何してるんだ!」
 問答無用で佳月を捕まえた。華奢な佳月は無抵抗で半分首根っこを掴まれるような形でいる。
「……清十郎くん」
「いや、ほんとすみません!! 突然お邪魔したんですか? こいつ、興味があるとどんどん進んで行っちゃうところあるんで……」
 猛烈に謝罪を始めた清十郎に、みつ子は「私が頼んであがってもらったんです」と慌てて説明する。
「そうだよ。かーさんにも確認して許可をもらったし」
 清十郎は頭を掻いた。
「圭織さんも締め切り前で忙しかったのかなぁ。知らない人の家にお邪魔することを承諾するなんて……」
 ブツブツ文句を言いながら、何度も頭を下げた。みつ子は微笑ましい気持ちになっていた。
「佳月くんには、私の話を聞いてもらってたんです。最近、誰かと話すことも減っていましたから楽しかったですよ」
 みつ子の言葉に、清十郎は徐々に怒りを鎮めていく。
「寂しい年寄りの一人暮らしですからね」
 みつ子が微笑むと、清十郎も表情を和らげた。佳月だけは放置された魚を観察し続けていた。
「清十郎くん、魚」
「おお、本当だ。立派だな」
 実は玄関先に置かれていたのだ、とみつ子が知らせると、清十郎は眉をひそめた。
「いたずらか、動物の仕業ですかね。気を付けてくださいね。お年寄りを狙った悪質な訪問販売も多発していますから……」
「清十郎くん。みつ子さんはそんなにお年寄りじゃない」
 警察官モードに切り替わった清十郎に、不服を申し立てるように佳月が言う。
「お年寄り、っていうのは七十歳から上のこと。あと、女の人に年のことを言うのは失礼」
「……お前が自分で年のことを言い出したんだろうが」
 うふふ。みつ子は二人のやり取りを見て思わず笑ってしまった。
 ──私、七十三歳なんだけど。
 みつ子は何だか佳月の気遣いが嬉しくて微笑んでしまった。あの子はきっと、「こう」と決めたことを貫き通すことしかできないのだろう。
 噛み合うような合わないような言い合いをしている佳月と清十郎を、みつ子はいつまでも眺めていたい気持ちだった。

「困ったことがあったらいつでもご相談ください」
 清十郎は玄関前で一礼した。みつ子は恐縮して頭を下げる。おまわりさんと知り合いになれたと知ったら有里さんは喜ぶかもしれない。
 一緒に連れられて帰る佳月は、背を向けて立ち去ろうとしてもう一度みつ子に向き直ると、
「みつ子さん、また来てもいいですか?」
 そう訊ねた。みつ子はすぐに頷いた。
「ええ、ええ。いつでも来て頂戴。待ってるわ」
 二人が出て行ってしまった玄関は、妙にがらんとしていてみつ子はしばらくそこに佇んでいた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

アサシンのキング

ミステリー
経験豊富な暗殺者は、逃亡中に不死鳥の再生を無意識に引き起こし、人生が劇的に変わる。闇と超自然の世界の間で、新たな力を駆使して生き延びなければならない。

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

少年の嵐!

かざぐるま
ミステリー
小6になった春に父を失った内気な少年、信夫(のぶお)の物語りです。イラスト小説の挿絵で物語を進めていきます。

どうかしてるから童話かして。

アビト
ミステリー
童話チックミステリー。平凡高校生主人公×謎多き高校生が織りなす物語。 ____ おかしいんだ。 可笑しいんだよ。 いや、犯しくて、お菓子食って、自ら冒したんだよ。 _____ 日常生活が退屈で、退屈で仕方ない僕は、普通の高校生。 今まで、大体のことは何事もなく生きてきた。 ドラマやアニメに出てくるような波乱万丈な人生ではない。 普通。 今もこれからも、普通に生きて、何事もなく終わると信じていた。 僕のクラスメイトが失踪するまでは。

深淵の迷宮

葉羽
ミステリー
東京の豪邸に住む高校2年生の神藤葉羽は、天才的な頭脳を持ちながらも、推理小説の世界に没頭する日々を送っていた。彼の心の中には、幼馴染であり、恋愛漫画の大ファンである望月彩由美への淡い想いが秘められている。しかし、ある日、葉羽は謎のメッセージを受け取る。メッセージには、彼が憧れる推理小説のような事件が待ち受けていることが示唆されていた。 葉羽と彩由美は、廃墟と化した名家を訪れることに決めるが、そこには人間の心理を巧みに操る恐怖が潜んでいた。次々と襲いかかる心理的トラップ、そして、二人の間に生まれる不穏な空気。果たして彼らは真実に辿り着くことができるのか?葉羽は、自らの推理力を駆使しながら、恐怖の迷宮から脱出することを試みる。

嘘と嘘の重ね合い

依空
ミステリー
 梨佳を、俺の大切な梨佳は何処へ行ったんだ。  梨佳を、誘拐したのは、一体誰なんだー。  時間が無い僕は、愛しい君と、最期を過ごすはずだった。

わたしはいない

白川 朔
ミステリー
少女(白井めぐり)と誘拐犯の日々。 あなたはなぜ少女を誘拐したのか。誘拐から始まった2人の歪な関係。 少女が出会う孤独と優しさ。

処理中です...