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第1章『流浪の元聖女』

第18話「剣聖クレール、猛る!!」

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 幾分か遠くにいるはずの敵が近付いているようだった。

「さあ、聖女さま、急ぎましょう!」

 ヴァージルがひと際大きな声でフローラを促した。
 彼にはフローラを託された責任がある。
 彼の表情からは、決意の強さがはっきりと伝わってきていた。

「え、ええ……」

 二、三歩進んだところでフローラは、その場で少し立ち止まろうとしていた。
 頭では急ぐべきだと理解しているのだが、心と身体は、なかなか受け入れようとはしなかった。

「フローラさま! ぐずぐずしている暇はありません!」

 ヴァージルにもその気持ちは痛いほど理解できたが、心を鬼にしてフローラの手を引いた。

「はい。ごめんなさい」

 そんなフローラたちを、少し離れた所から、リコ司祭や、他の神官たちが目だけで、或いは表情だけで、『大丈夫』だと後押しするように背中を押してくれているようだった。
 優しくて力強い幾つもの瞳が、フローラに前へ進む勇気を与えてくれた。

 フローラたちはヴァージルを先頭に、やぶを分け入って、森を目指して足早にこの場から離れて行った。


 徐々に遠くに離れて行くフローラの背中を、リコ司祭は仲間たちと愛おしそうに見つめていた。どうか無事に逃れて欲しいと心中で何度も繰り返していた。

「みんな、良くここまで着いてきてくれた。もうしばらく頑張って欲しい」

 仲間の一人一人の顔を順に見据えながら、リコ司祭は最期の言葉を掛けていた。
 そしてもう目前に迫る敵に対して、大きく息を吸い込んだ後に突如として気合の声を上げた。

「皆の者! 決して怯むなひるむな! 命を捨てて戦え! 聖女フローラさまの為に!!」

「もとよりこの命は神々に捧げております! ここで死すとも悔いは無い! 聖女さまの為に!」
 
「「「「いざ! 聖女さまの為に!!」」」」

 リコ司祭に続いて、それぞれが気合の声と誓いの言葉を叫んでは、武器を手に取り、盾を構えて、迫りくる敵に備えていた。

 すぐそこに数騎の騎馬兵が迫ると、リコ司祭は先頭に駆け出した。

 騎馬兵を相手にするのに、徒歩の兵では分が悪すぎる。
 せめて槍でも持って来ていたのなら戦いようもあった。

 不利な状況を少しでも好転させようと、突っ込んでくる敵兵に必殺の一撃を加えて、味方の士気を高めようとした。リコ司祭は気合の声を張り上げながら、猛然と先頭の騎馬兵に躍りかかろうとしていた。

 そんな時だった。

 敵兵たちの少し後ろの辺りから、空気を切り裂く鋭い音をさせながら一本の矢が飛んできた。
 正確無比な矢が、哀れな犠牲者を射抜くと、苦悶を滲ませた悲鳴を上げて乗馬もろともその場に倒れ込んだ。

 この突然の出来事には、敵兵だけではなく、リコ司祭たちも驚いていた。

 しかし、そんな程度の事で驚いている場合ではなかった。

 何故ならば、この直後に音もなく飛んできた、神速の刃が剣閃となって敵の集団を切り裂いたからだ。
 立て続けに起こった不測の事態に、敵の集団は完全に浮足立っていた。
 それもそうだろう。
 意識の外からの完全な奇襲攻撃を受けたのだ。
 これで動揺するなと言うほうが無理がある。

 敵部隊の隊長は、乱れた部隊の統制を取り戻そうと、必死に周辺に気を配り始めた。
 状況はまだ味方に有利なはずだと、隊長は自分自身をまず落ち着かせようとしていたが、急に視界に入ってきた人影にギョッとしていた。
 その人影は赤い髪の男だった。
 陽光に煌めく刀を携えて、真っ直ぐに駆けて来ている。
 信じられない速さだった。
 あっという間に騎兵集団の後方に迫ると、そのまま突っ込んできた。

 有り得ないと思っただろう。
 人の身でありながら、騎馬兵の何人かを吹き飛ばしてしまったのだから。
 そしてこの騎馬兵の隊長は、この後に更に驚愕することになった。

「一人、二人では面倒だ! 五人でも十人でもまとめて掛かってこい!! 我が主に向けた刃を、そっくりそのまま返してやる! 我が名は剣聖クレール! 聖女フローラさまに助太刀する!!」

 勿論、クレールの叫びはリコ司祭たちにも届いている。
 先ほどまで挟撃される危険があったのは、リコ司祭たちのほうだった。
 だが今度はリコ司祭たちと、クレールたちとで、逆に挟み撃ちする格好になった。

「おお! これほど心強い援軍はない! 皆の者! クレールさまに遅れるな!!」

 リコ司祭が味方を大いに奮い立たせると、自身が突出する槍の穂先の如くごとく、周囲の敵兵を誰彼構わず、襲い掛かった。
 後ろに続く司祭や神官たちも、雄々しく気合の声を叫びながら、未だ浮足立つ敵兵を相手に次々と切り結び始める。



―――



 港町パトラから少しオルビア方面へ戻った辺りに、およそ十数名ほどの騎馬の集団がいた。
 この集団は遠目に見える国境地帯の様子を見ているようだ。

「……どうだった?」

 巫女の姿をした女性が、息せき切っている男に声を掛けた。
 女性の名はイルマで、荒い息の男はユーグだった。

「はあ…はあは…ふう、せ、聖女フローラさまと、その一行みたいだ」

「お姉さま、やっと見つけたわ。急がないと!」

 ずっと探していたフローラを見つけて、イルマは嬉しそうにしている。

「ちょっと待てイルマ、こういう事には順序があるんだよ」

「行かない気なの!?」

 すぐにでも駆けて行きたいのだろう。そんな彼女を制止するユーグに、キッと厳しい視線を投げた。

「ここまで来ておいて行かないわけがないだろ、ここで手柄を立てれば俺の運も向いてくるし、この剣もたまには使ってやらないとな。それにお前一人で行かせれるわけがないだろ?」

「じゃあ急いでよ! ユーグ!!」

 イルマは今にも一人で駆け出しそうになっている。
 彼女の顔には嬉しさに入り混じって、焦りも見え隠れしている。

 焦ってばかりのイルマとは対照的に、ユーグはとても落ち着いている。
 大事な時だからこそ性急に動くべきではない。
 ユーグは人や集団を統率する基本を理解し、更にそれを効率的に運用する才能もありそうだ。

「わかってるよ! よし、みんな! この先で俺たちの救援を待ちわびているのは聖女フローラさまだ!! 急いで行かないと美味しい所が無くなっちまうぞ!!」

 ここぞとばかりにユーグが鬨の声ときのこえを上げる。ユーグとイルマに従う者たちから『応!!』と気合の入った掛け声が次々と上がる。

 ここに集まっている者らは、メイヌースに戻ったイルマが集めた者たちだ。
 まず最初にユーグに助けを借りた。
 そしてユーグやイルマの馴染みの者たちを片っ端から当たって、ようやくこれだけの人数を集める事ができた。
 その後、最寄りの国境から順に巡って来たが、この地でフローラの所在を掴むに至った。

 ユーグとイルマを先頭に雪崩を打ってなだれをうって駆け出して行った。
 目指す目的地はすぐそこにある。



―――



 剣聖クレールの戦いぶりは凄まじかった。
 彼は自分を顧みる素振りが全くなかった。
 まるでこの戦いで全てを燃やし尽くして、死そのものを求めているかのように錯覚さえしてしまう。

 そのくらい剣聖クレールの戦い方は、己の犠牲を厭わないいとわないものだった。

 凄絶であり、そして壮絶だった。

 まさかクレール一人で、百を越える敵兵の半ばまでを倒してしまうとは、誰が予想できただろうか。
 途中からは関所のオルビア兵も敵方に加勢してきた。
 ただ、そんなことはクレールには大した差ではなかったようだ。

 敵方の兵共にしても、剣聖クレールの名は良く知っているはずだ。
 だがここまで凄まじいとは予想だにしなかっただろう。

 しかし、そんなクレールにも限界が近付いていた。
 身体中に傷を受けて満身創痍になりながらも、剣聖クレールは未だ刀を手放さず、その鋭い両の眼りょうのまなこからは光を失ってはいない。

 だが、そろそろだった。
 死を悟ったクレールは、これが最期とばかりに雄叫びを上げた。

「ふぅぅぅ……最早これまでか……くははは、楽しいな、お前たち如きでは些かいささか不足だが、我が剣術の最大奥義であの世への道連れにしてやろう!! おおおおお!! 行くぞ!!」

 剣聖の間に口伝くでんのみで伝わる最終奥義。
 己の命を燃やし尽くして放つ、禁忌とされている技だった。

 直後、クレールの最期の技が、敵を散々に打ち負かした。
 技を放った後も微動だにせず、剣聖クレールは立ち尽くしていたが、その横顔からはすっかり生気が失われており、やがて膝から地面に倒れ伏した。

 僅かに生き残った敵兵たちは、とても敵わないと思ったのか、蜘蛛の子を散らして逃げ去った。





*****

ゲージ20本くらい溜めると使えます(´ー+`)

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