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第1章『流浪の元聖女』
第5話「荷馬車に揺られて」
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連日のように王宮では、ここ最近の難題についての善後策が協議されている。
今日この場でもクレール追跡について、武官と文官の間で激しく対立が起きていた。
玉座に深く腰を落ち着けているのは、当然ながらクラウス王だったが、彼は目の前の論争をぼうっと見ているだけで、王らしさを発揮する素振りを見せようともしない。
さきほど議長を務める大臣から、クレール追跡の不手際を叱責する言葉が飛んだばかりだ。
大臣たちは一向にクレールの消息が知れず、苛立ちを隠そうともせずに、将軍や騎士たちを、いたずらに刺激する言葉ばかりを並べ立てている。
そんな大臣たちの無礼な態度に、ある将軍が業を煮やして口火を切った。
「バカを申せ! クレールさまだけでも厄介なのに、あの方の麾下は名だたる剣豪ばかりだぞ?」
王都をクレールの指示の下、長く守ってきた将軍が、しかめ面をしながら反論した。
「それに20人程度なら、2つか3つに分けられた場合、見つけ出すのは難しいでしょう」
口火を切った将軍を後押ししようと、騎士隊長の一人が擁護する意見を述べる。
今しがたこの騎士隊長が発言したように、クレールの率いる集団は20人程度だと目されている。騎士隊長の懸念通り、姿をくらます目的ともう一つ、いち早くフローラの行方を探せるようにと、クレールはあえて最小の手勢を連れて領地を出ている。
もう戻る意思がなかったのか、クレールは領地の使用人や私兵のほとんどに暇を出し、屋敷の家財の内、すぐに財貨に換えれる物はそのようにしてある。
そういった態度こそが背信を疑われているのだが、それをクレールが予想していないとは思えない。
すべて承知した上で、フローラを見つけ出す為に馬上の人となっていた。
「脳みそまで筋肉なのか? 少しは頭を使って兵士を率いたらどうだ」
大臣の一人が火に油を注ぐようなことを言った。こともあろうにこの大臣は、にやけた笑みを浮かべて、さぞかし楽しそうにしている。
「貴様……! 我らが前線で命を懸けて戦っている時に、お前たちは後方で私腹を肥やしてばかりだろうが!」
会議が始まる前から大臣たちは、王の寵愛を良いことに、将軍や騎士隊長たちを見下す態度を取り続けている。
大臣たちの不遜な態度に怒りを抑えきれない将軍に、傍に控える騎士隊長が小声で『お鎮まりを』と言って、なんとか将軍の気持ちを落ち着けようと苦心している。
このような大臣たちの態度は今に始まったことではない。
ずっと以前から問題になっているが、クラウス王が大臣たちを庇護するものだから、大臣たちは職務を放り投げて、権力を強めることと、それを行使することに終始している。
「その台詞を我らが王陛下の前で吐くとは……気でも触れたのか?」
将軍の痛烈な批判も大臣たちには、意に介さないと言った感じで気にもしていない。
これ以上の話し合いは無駄とばかりに、将軍は荒々しく椅子から立ち上がると、ドカドカと大きな足音を立てて配下の騎士たちを連れて出て行ってしまった。
今まではもめ事があっても、クレールたちが間を取り持っていた。
しかし既にオルビアはクレールという緩衝材を失っているのに、大臣たちは相変わらずな態度を崩さない。
まるで自ら滅びの道を突き進んでいるかのようだ。
剣聖クレールと、騎士団長ユリウス将軍、この二人がオルビアを支えていたと言っても過言ではない。クレールが国元に残ってオルビアを守護していたからこそ、ユリウスは何の憂いもなく、隣国との戦いに集中できていた。その結果、幾つもの戦役で勝利を収め、オルビアの版図は拡大し続けている。
クラウス王はそれらの功績を、王である自分の有能さから来ていると信じ込んでおり、戦果によってもたらされる利益にすっかり内政をなおざりにしている文官たちも、クラウス王を讃えるばかりで軍部の功績を不当に低く扱っている。
クレールがオルビアに留まっていたからこそ、オルビアが国として成り立っていた。クラウス王がクレールから王位を騙して奪った時、クレールを慕う武官の多くが反感を示したが、他ならぬクレール自身に窘められて叛意を手放したという過去がある。
それらは口に出して言わずとも、クレールの態度を見ていれば想像できる。
だから兄王を必死に支えようとするクレールの為に、オルビアに留まった者は大勢いる。
本来ならばクラウス王は、そこのところを最重要視するべきなのだが、そういう事実があることに気付いていないし、気付こうという素振りさえなかった。
今この場で武官たちの見せる、文官への激しい敵愾心にも全く気付かないでいる。
今にも足元が揺らいで崩れるかもしれないのに。
クラウス王は気に留めていなかった。
―――
王都を離れてより既に8日間、フローラは粗末な荷馬車に押し込められていた。
まさか人買いに身売りされるとは、さすがに予想外だったが、これも女神が与えた試練だと思えば、久しぶりに王都の外の景色を楽しむ心境にもなれる。
遠くの空に番の野鳥が仲良さげに飛んでいる。
自分も翼を生やしてどこへなりと自由に飛べたらと、取り留めのない考えに思わず、微笑していた。
「何がそんなに面白いんだ?」
王都を出て以降、フローラの旅の仲間の一人が不審な顔つきで尋ねてきた。
仲間と言えば聞こえはいいが、彼は奴隷商人で、今ではフローラの主でもある。無精ひげは生やしているが、それなりに清潔な身なりと、複数の言語を操る特技も持っている。
「いえ、空を眺めていただけです」
言うなり口元に微笑を湛えて、ニコリとする。
奴隷商人の男にとって、このフローラの態度はとても奇妙なものだった。
王都で出会った見知らぬ男から、フローラを格安で紹介されたのだが、ひと目で美しい美貌と、落ち着いた佇まいを気に入って言い値で買い取っている。
普通そんな売られ方をしたなら、もっと絶望に打ちひしがれてもおかしくはない。
それなのに全く動じていない。
それどころか時折、笑顔を見せるくらいだ。
彼女のほうから率先して、奴隷商人のキャラバンの仕事を手伝いもする。
もともとは『貧農の娘』ですからと、炊事や洗濯、怪我人の世話など、それはもう頼んでもいないのに、せっせと働くのだから気味が悪い。
しかも料理上手だし、怪我人の世話も慣れた手つきでこなしている。
いつの間にか奴隷商人の仲間たちのほうが、すっかりフローラを気に入っている。
当初は彼女を売り払って大儲けをしようと、彼らは酒の肴にそんなことを話していたのだが、もうそんなつもりはないようだ。
その証拠にフローラだけは鎖が繋がれていない。
そんな可哀相なことをしたくないから。
彼女だけは自由に行動させてしまっている。正直なところ、逃げようと思えばそうできなくもない。だが逃げたところで行く場所が無い。
こんなのんびりした旅も良いものですね。
奴隷にされた時は、行く末を悲観しそうになりましたが。
女神さまの試練だと思えば、これも修行の内でしょう。
そのうち光明が差すこともあるはず。
それにこの隊商の皆さんも、良い人ばかりのようですし。
もうしばらく、共に旅をするのも良い選択肢かも。
ただ気懸りがあります。
プリシラさまでは神殿の仕事の遂行は無理でしょう。
せめてイルマが残っていれば良いのですが。
そうでないとすると、不味いですね。
せめて教会か、礼拝堂か、神の在す場所でなら、祈祷は行えるのですが。
今の奴隷の境遇では難しいでしょうかねぇ。
*****
2020/06/05 推敲
*****
今日この場でもクレール追跡について、武官と文官の間で激しく対立が起きていた。
玉座に深く腰を落ち着けているのは、当然ながらクラウス王だったが、彼は目の前の論争をぼうっと見ているだけで、王らしさを発揮する素振りを見せようともしない。
さきほど議長を務める大臣から、クレール追跡の不手際を叱責する言葉が飛んだばかりだ。
大臣たちは一向にクレールの消息が知れず、苛立ちを隠そうともせずに、将軍や騎士たちを、いたずらに刺激する言葉ばかりを並べ立てている。
そんな大臣たちの無礼な態度に、ある将軍が業を煮やして口火を切った。
「バカを申せ! クレールさまだけでも厄介なのに、あの方の麾下は名だたる剣豪ばかりだぞ?」
王都をクレールの指示の下、長く守ってきた将軍が、しかめ面をしながら反論した。
「それに20人程度なら、2つか3つに分けられた場合、見つけ出すのは難しいでしょう」
口火を切った将軍を後押ししようと、騎士隊長の一人が擁護する意見を述べる。
今しがたこの騎士隊長が発言したように、クレールの率いる集団は20人程度だと目されている。騎士隊長の懸念通り、姿をくらます目的ともう一つ、いち早くフローラの行方を探せるようにと、クレールはあえて最小の手勢を連れて領地を出ている。
もう戻る意思がなかったのか、クレールは領地の使用人や私兵のほとんどに暇を出し、屋敷の家財の内、すぐに財貨に換えれる物はそのようにしてある。
そういった態度こそが背信を疑われているのだが、それをクレールが予想していないとは思えない。
すべて承知した上で、フローラを見つけ出す為に馬上の人となっていた。
「脳みそまで筋肉なのか? 少しは頭を使って兵士を率いたらどうだ」
大臣の一人が火に油を注ぐようなことを言った。こともあろうにこの大臣は、にやけた笑みを浮かべて、さぞかし楽しそうにしている。
「貴様……! 我らが前線で命を懸けて戦っている時に、お前たちは後方で私腹を肥やしてばかりだろうが!」
会議が始まる前から大臣たちは、王の寵愛を良いことに、将軍や騎士隊長たちを見下す態度を取り続けている。
大臣たちの不遜な態度に怒りを抑えきれない将軍に、傍に控える騎士隊長が小声で『お鎮まりを』と言って、なんとか将軍の気持ちを落ち着けようと苦心している。
このような大臣たちの態度は今に始まったことではない。
ずっと以前から問題になっているが、クラウス王が大臣たちを庇護するものだから、大臣たちは職務を放り投げて、権力を強めることと、それを行使することに終始している。
「その台詞を我らが王陛下の前で吐くとは……気でも触れたのか?」
将軍の痛烈な批判も大臣たちには、意に介さないと言った感じで気にもしていない。
これ以上の話し合いは無駄とばかりに、将軍は荒々しく椅子から立ち上がると、ドカドカと大きな足音を立てて配下の騎士たちを連れて出て行ってしまった。
今まではもめ事があっても、クレールたちが間を取り持っていた。
しかし既にオルビアはクレールという緩衝材を失っているのに、大臣たちは相変わらずな態度を崩さない。
まるで自ら滅びの道を突き進んでいるかのようだ。
剣聖クレールと、騎士団長ユリウス将軍、この二人がオルビアを支えていたと言っても過言ではない。クレールが国元に残ってオルビアを守護していたからこそ、ユリウスは何の憂いもなく、隣国との戦いに集中できていた。その結果、幾つもの戦役で勝利を収め、オルビアの版図は拡大し続けている。
クラウス王はそれらの功績を、王である自分の有能さから来ていると信じ込んでおり、戦果によってもたらされる利益にすっかり内政をなおざりにしている文官たちも、クラウス王を讃えるばかりで軍部の功績を不当に低く扱っている。
クレールがオルビアに留まっていたからこそ、オルビアが国として成り立っていた。クラウス王がクレールから王位を騙して奪った時、クレールを慕う武官の多くが反感を示したが、他ならぬクレール自身に窘められて叛意を手放したという過去がある。
それらは口に出して言わずとも、クレールの態度を見ていれば想像できる。
だから兄王を必死に支えようとするクレールの為に、オルビアに留まった者は大勢いる。
本来ならばクラウス王は、そこのところを最重要視するべきなのだが、そういう事実があることに気付いていないし、気付こうという素振りさえなかった。
今この場で武官たちの見せる、文官への激しい敵愾心にも全く気付かないでいる。
今にも足元が揺らいで崩れるかもしれないのに。
クラウス王は気に留めていなかった。
―――
王都を離れてより既に8日間、フローラは粗末な荷馬車に押し込められていた。
まさか人買いに身売りされるとは、さすがに予想外だったが、これも女神が与えた試練だと思えば、久しぶりに王都の外の景色を楽しむ心境にもなれる。
遠くの空に番の野鳥が仲良さげに飛んでいる。
自分も翼を生やしてどこへなりと自由に飛べたらと、取り留めのない考えに思わず、微笑していた。
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王都を出て以降、フローラの旅の仲間の一人が不審な顔つきで尋ねてきた。
仲間と言えば聞こえはいいが、彼は奴隷商人で、今ではフローラの主でもある。無精ひげは生やしているが、それなりに清潔な身なりと、複数の言語を操る特技も持っている。
「いえ、空を眺めていただけです」
言うなり口元に微笑を湛えて、ニコリとする。
奴隷商人の男にとって、このフローラの態度はとても奇妙なものだった。
王都で出会った見知らぬ男から、フローラを格安で紹介されたのだが、ひと目で美しい美貌と、落ち着いた佇まいを気に入って言い値で買い取っている。
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それなのに全く動じていない。
それどころか時折、笑顔を見せるくらいだ。
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もともとは『貧農の娘』ですからと、炊事や洗濯、怪我人の世話など、それはもう頼んでもいないのに、せっせと働くのだから気味が悪い。
しかも料理上手だし、怪我人の世話も慣れた手つきでこなしている。
いつの間にか奴隷商人の仲間たちのほうが、すっかりフローラを気に入っている。
当初は彼女を売り払って大儲けをしようと、彼らは酒の肴にそんなことを話していたのだが、もうそんなつもりはないようだ。
その証拠にフローラだけは鎖が繋がれていない。
そんな可哀相なことをしたくないから。
彼女だけは自由に行動させてしまっている。正直なところ、逃げようと思えばそうできなくもない。だが逃げたところで行く場所が無い。
こんなのんびりした旅も良いものですね。
奴隷にされた時は、行く末を悲観しそうになりましたが。
女神さまの試練だと思えば、これも修行の内でしょう。
そのうち光明が差すこともあるはず。
それにこの隊商の皆さんも、良い人ばかりのようですし。
もうしばらく、共に旅をするのも良い選択肢かも。
ただ気懸りがあります。
プリシラさまでは神殿の仕事の遂行は無理でしょう。
せめてイルマが残っていれば良いのですが。
そうでないとすると、不味いですね。
せめて教会か、礼拝堂か、神の在す場所でなら、祈祷は行えるのですが。
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