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19XX/03/06(土)
雪木終夜「恋と春雷・後」
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自分よりも弱者を相手にする時、愉悦に染まった顔で笑う者がいる。いいだろう、手加減をしてやるから足掻いてみろ、と――しかし、春雷と共に現れた女は、その手の傲慢さは一切なかった。
雪木終夜が面と向かって勝負ができたのは五分にも満たない時間だ。炎の術はより大きな炎に飲まれ、水の術は海をも巻き込む巨大な水の塊に飲まれ、使役していたあやかしは金の龍に消された。相手にもならない。早々に離脱と逃走に舵を切ったが、逃がしてもらえるはずもなく――
十分も経たない内に雪木終夜は、女の金属バットを回避する行動に専念していた。武器を持たない相手に卑怯だと叫んでみたが、女の「異能者が何を一般人みたいなことを言っているのかしら?」というもっともな言葉に沈黙せざるを得ない。
「っ……クソッ!!」
バットが終夜の顔面に向けて横凪ぎに振り抜かれる。躱しきれないと判断し、咄嗟に腕で庇えば――鈍い音と共に焼けるような痛みが腕に走った。完全に折れている。腕を叩き折った張本人は表情を変えるでもなく、再び顔面を狙って、追撃をしかけてきた。
あやかしや怪異にではなく、人間の顔面に向けて全力で金属バットを振り抜ける人間が、果たしてどのくらいいるのか。少なくとも放浪生活の中で会ったことがない。もちろん、呪いや術で命を狙う者はいる。しかし自らの手をもってして相手の命を奪わんとする者は少ない。
「イカレた女だな!」
吠えるのと同時、脇にバットが叩き込まれ、肋骨が折れた。女の細腕の筋力で、これほどの威力があるとは思えない。何か、そう、筋力増強の術でも自身にかけているのだろう。
わざわざパワーを底上げしてまで金属バットを振り回し、容赦なく骨を折り、顔面を狙ってくるのだから、当然、終夜を殺す気だ。
死が、すぐ傍まで訪れている。
恐怖は――ない。
自分の人生はこんなものだろうと、納得できた。ロクな死に方はしないと思っていたが、頭がイカレているとはいえ、とんでもなく強い美人に殺されるのは、悪くない死に方なのかもしれない。場所は美しい海を臨むビーチだ。死に場所としては充分だろう。
金属バットにばかり注意していたら、パンプスを履いた足が終夜の胸を蹴り飛ばした。彼の身体は後ろに吹き飛び、柔い砂の上に落下する。
全身が痛む上に重く、起こすことはままならない。呻きながら藻掻いている内に、頭の傍に女が立った。ワイドパンツとスプリングコートがひらりと揺れる。
「私の勝ちでいいのよね?」
「チッ……俺の勝ちに、見えるのか?」
「正直に『負けました』って言えないの?」
「誰が言うかよ――」
ハンッと鼻で笑って中指を立てた。
これまでの傲慢さは、死に瀕していても消えてくれない。プライドの高さは一級品だ。折れずに虚勢を張れば、女は微かに目を細めた。
「時には潔さも大切だって知らないのね」
「ンなこと誰も教えちゃくれなかったからな」
「そう。じゃあ私が教えてあげるわ」
――と、言うが早いか女が金属バットを振り上げる。
(……は? まさか、嘘だろ――)
次の瞬間、女は顔面に向かってバットを振り下ろしてきた。骨が砕ける感覚を覚えるのと同時、雪木終夜の意識は、暗転したのだった――
――ハッと目を開けて、飛び起きる。
周囲の景色は変わっていない。どうやら気を失っていたのは一瞬のことだったらしい――と、そこで彼は自分の身体が軽くなっているのに気付いた。脇腹も痛まず、折れていたはずの腕も動かせる上、顔面に異常もない。
「治ってる……?」
そう呟いて、背後に人の気配を感じた。首だけで振り返ると、案の定、バットを肩に担いだ女が立っている。
「あんたが?」
「他に誰がいるの? それで敗北宣言をする気になった?」
コツン、と女はバットを肩で跳ねさせた。
この女に殺されかけた。死んだと思って意識を失い、目が覚めたら傷は完全に修復され、今はピンピンしている。女の後ろでは銀の龍が尾を揺らしていた。まるで、自分の功績です、とばかりに。
身体は元に戻った。だが、再び立ち向かおうという気は起きない。何度やり合っても結果は同じだろう。勝てず、逃げきれず、また殺されかける。そして傷を治されて同じ言葉で問われるのだ。
「――俺の、負けだ……」
終夜の敗北宣言に、女は満足そうに微笑む。
バカ強いイカレた女だと思っていたのに、どことなく幼く見える、その楽しげな笑みから、雪木終夜は目が逸らせなかった。
「ええ、私の勝ちよ。だから貴方には、私の言うことを聞いてもらうわ」
「どんな命令だ? 俺が集めた秘術を渡せってか?」
「そんなの要らないわよ。なくても強いもの」
もっともだ。終夜は肩をすくめて立ち上がると、身体についた砂を払い落す。頭を振って髪についた砂を振りまくと、女は少しだけ嫌そうな顔をして、そんな表情の変化に彼の胸は――
「秘術なんて要らないから、貴方をちょうだい」
「はあ!?」
思わず大きな声が出た。砂を払う途中の変な格好のまま、雪木終夜はぴしりと固まる。
「雪木終夜、貴方の人生を貰うわ」
「な、え……あんた、何言ってんだよ……?」
「何って、プロポーズしてるの。何? 跪いて指輪でもないと嫌だなんて、ロマンチックな展開を求めているわけじゃないでしょう?」
「いや、その前に、俺たち初対面だろ?」
心臓がバクバクと鼓動を速めていた。それが目の前の女に結婚を迫られたからなのか、結婚を迫ってきた女に殺されかけたからなのか、その辺りの感情の違いは微妙なところだ。
「貴方のこと、調べたわ。随分と有能な『霊能者』みたいね。一般人を言葉巧みに騙して、多額の金銭を巻き上げているのに、トラブルに発展したことはない……そう聞いているけれど、合っているかしら?」
終夜は頷く。女の言う通りだった。
『霊能者』雪木終夜は、彼の持つ顔の側面だ。こちらの界隈で怪異やあやかし、術者たちと敵対する傍ら、彼は『霊能者』としてあちら側の一般人と接している。
人間とも人外とも、さまざまな相手とトラブルになってきた終夜だが、あちらの世界の一般人に訴えられたり、お前は詐欺師だと罵倒されたり、恨まれたりしたことはない。雪木終夜という『霊能者』は、そんなことをされるような二流の『霊能者』ではないのだ。
騙すのであれば騙しきる。信頼を得て、信用を得て、悩みを解決して満足のいく結果を与えてやれば、向こうは悪感情を向けてきたりしない。それどころか、頼りになる『霊能者』をますます信じ、心酔するのだ。
他人の感情をコントロールする術は、母や祖母、周囲の環境が教えてくれた。その教えはしっかりと身になり、骨になり、終夜の中で生きている。
「マインドコントロールとでも言うのかしら。その他人の心理を上手く誘導する『技術』を私に貸して」
「誰か操りたい人間でもいるのか?」
「そうよ。対象は、いずれ生まれる私と貴方の子供――」
「……は?」
終夜は目をまたたかせた。
初対面で結婚を申し込んで――命じてきたかと思えば、できてもいないふたりの子供にまで話が飛躍している。
(別の意味でもイカレてんのか?)
彼がそう思うのも無理はない。
混乱し、言葉を紡げない終夜に、女は自身のことを話した。
彼女は九州の孤島、環音螺島から来たと言う。島には神が居ることや、島民たちはその神を崇め奉っていること、環音螺島における自分の立ち場など、詳細に教えてくれる。そこでようやく、終夜は女の名前を知った。
彼女の名は――月島彩乃。
その名の通り、極彩色に輝く力を内包した女性だ。名前を聞いたせいか、余計に彼女が輝いて見えるようになった。
「環音螺島には時折、予言を口にする老婆が現れるの。島でもっとも年長の女性が、ふとした瞬間に予言を紡ぎ、島の歴史の中では何度も危機を救ったとされている。四か月前、島で最高齢の女性だった伊蔵縫子(いぞうぬいこ)さんが、死の間際に私だけを呼んで、予言を残したわ」
彩乃の目が細められる。終夜はそこに、怒りの火が灯るのを見た。
「どんな予言だったんだ?」
「私がいずれ、神子を産み落とすんですって」
「みこ……神の子か?」
見たことはないが、存在は知っている。
神に愛され、神を愛し、神の目となり耳となり、手足となって生きる存在だ。世界を記憶したのちは、人間としての五感も感情も、あらゆる全てのものを捨て去って身を清め――やがて神の元へと還っていく。魂は輪廻の環に戻ることはない。永劫、神の庭に囲われるのだと云う。
終夜は彩乃の腹を見た。
膨れてもおらず、子など宿りもしていない。だが彼女はすでに、まだ存在していない子供のことを考えていると言うのだ。
「私は、自分の子を神になんて渡さないわ」
「生まれ育った島の神にもか?」
「どこの神にも渡さない」
あまりにも傲岸不遜な物言いだった。けれど、目の前の女には、それを怖れもせず言い切れるだけの力があることは、身をもって知っている。
「子供を作らないって選択もあるだろ」
「誰ともそういう行為をしないとしても、神がそうすると決めれば子供はできる。人間の魂と肉を女の胎に宿すことくらい、力のある神には容易いことよ」
「……処女懐胎か。ありえねえ話じゃないな」
「ええ。だからコントロールできることは、全部するの」
「父親の選択だったり?」
月島彩乃が頷く。
「予言は私が神子を『産み落とす』って言っていたわ。だから島の医者に頼んで、時期が来たら帝王切開で『取り出して』もらうつもりよ。それに……神を愛さなければ『神子』ではないでしょう?」
「つまり俺に、子供が『神を愛さない』ようにマインドコントロールしろって?」
「できるでしょう? 神を信じない、怪異もあやかしも、術者も存在していないと思う子に育てて、いずれは……島から出すわ。相手は環音螺島で崇め奉られている神……島外へ干渉する力は当然、弱まるもの」
――とはいえ、相手は神だ。
言葉で言うほど容易いことではないと、月島彩乃も理解しているのだろう。真剣な表情で、真っ直ぐ終夜を見据えてくる。
「神に挑もうってか。無謀にもほどがあるぞ」
「あら、そんなことないわよ。古今東西、神話も寓話も歴史も証明しているわ。神に挑むことができるのも、神を騙すことができるのも、神を殺すことができるのも――人間だけなんだって」
女が、好戦的に笑う。
「私の子は、絶対に神になんか渡さないわ」
再びそう言って、月島彩乃が手を差し出してくる。
熱に浮かされた……のではない。
きっと、彼女の狂気染みた――まだ存在してもいない子供への、愛に、手を貸したくなってしまったのだ。それに完膚なきまでにプライドを圧し折られてなお、カッコつけたかったのかもしれない。神に挑み、負けたとしても、カッコがつく、と。ひとりで野垂れ死にするより、よっぽどいい、と。
月島彩乃の手を取った、この時の雪木終夜は、まだ知らない。
自分の名前が『十郷金青』という偽名を経て『月島金青』になることも、そう時間がかからない内に妻にベタ惚れした主夫兼漁師になることも、生まれた娘を見て涙してしまうことも、息子ができて大喜びすることも……家族という存在のためなら、死んでもいいと、心から想うようになることも――。
end
//あとがき
『神の居る島~逃げた女子大生は見えないものを信じない~』は、本編、番外編含めてこちらで完結です。
こちらは第6回キャラ文芸大賞に応募するために書き始めた作品で、当初の想定では10万字程度で完結する予定でした。しかし私の好きをたくさん詰め込みまくった結果、18万字を越えることになり、え?マジ?と自分自身で驚いているところです。
本編の雰囲気は、〇〇シリーズなどと銘打たれる二時間ドラマの雰囲気を目指して書いてまいりました。個人的にはいいところに落ち着いたのでは?と思っています。
飄々とした軽い調子のイケオジをヒーローにするんだ!と意気込んでいたこともあり、神々廻慈郎を書くのは大変楽しかったです。スリーピーススーツ、大好物。何色のを着せようかなあと考えているだけで、刻々と過ぎていく時間……。
その反面、主人公の月島一風は難しかった!ひとりだけ見えているものが違う人間を主人公に設定してしまったため、どう描写すべき?と頭を捻ることも多々……精神面では、成人済みだけれど、二十歳になったからといって急に大人になれるわけでもなく、子供から大人への過渡期の段階を書ければいいなと思いながらの制作でした。
月島八雲のその後、夏目大寿のその後など、書きたい部分はまだありますが、ひとまずエピソードゼロ的な、月島母と父の出会いの話で『神の居る島』は完結とさせていただきます。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
20230218 32
雪木終夜が面と向かって勝負ができたのは五分にも満たない時間だ。炎の術はより大きな炎に飲まれ、水の術は海をも巻き込む巨大な水の塊に飲まれ、使役していたあやかしは金の龍に消された。相手にもならない。早々に離脱と逃走に舵を切ったが、逃がしてもらえるはずもなく――
十分も経たない内に雪木終夜は、女の金属バットを回避する行動に専念していた。武器を持たない相手に卑怯だと叫んでみたが、女の「異能者が何を一般人みたいなことを言っているのかしら?」というもっともな言葉に沈黙せざるを得ない。
「っ……クソッ!!」
バットが終夜の顔面に向けて横凪ぎに振り抜かれる。躱しきれないと判断し、咄嗟に腕で庇えば――鈍い音と共に焼けるような痛みが腕に走った。完全に折れている。腕を叩き折った張本人は表情を変えるでもなく、再び顔面を狙って、追撃をしかけてきた。
あやかしや怪異にではなく、人間の顔面に向けて全力で金属バットを振り抜ける人間が、果たしてどのくらいいるのか。少なくとも放浪生活の中で会ったことがない。もちろん、呪いや術で命を狙う者はいる。しかし自らの手をもってして相手の命を奪わんとする者は少ない。
「イカレた女だな!」
吠えるのと同時、脇にバットが叩き込まれ、肋骨が折れた。女の細腕の筋力で、これほどの威力があるとは思えない。何か、そう、筋力増強の術でも自身にかけているのだろう。
わざわざパワーを底上げしてまで金属バットを振り回し、容赦なく骨を折り、顔面を狙ってくるのだから、当然、終夜を殺す気だ。
死が、すぐ傍まで訪れている。
恐怖は――ない。
自分の人生はこんなものだろうと、納得できた。ロクな死に方はしないと思っていたが、頭がイカレているとはいえ、とんでもなく強い美人に殺されるのは、悪くない死に方なのかもしれない。場所は美しい海を臨むビーチだ。死に場所としては充分だろう。
金属バットにばかり注意していたら、パンプスを履いた足が終夜の胸を蹴り飛ばした。彼の身体は後ろに吹き飛び、柔い砂の上に落下する。
全身が痛む上に重く、起こすことはままならない。呻きながら藻掻いている内に、頭の傍に女が立った。ワイドパンツとスプリングコートがひらりと揺れる。
「私の勝ちでいいのよね?」
「チッ……俺の勝ちに、見えるのか?」
「正直に『負けました』って言えないの?」
「誰が言うかよ――」
ハンッと鼻で笑って中指を立てた。
これまでの傲慢さは、死に瀕していても消えてくれない。プライドの高さは一級品だ。折れずに虚勢を張れば、女は微かに目を細めた。
「時には潔さも大切だって知らないのね」
「ンなこと誰も教えちゃくれなかったからな」
「そう。じゃあ私が教えてあげるわ」
――と、言うが早いか女が金属バットを振り上げる。
(……は? まさか、嘘だろ――)
次の瞬間、女は顔面に向かってバットを振り下ろしてきた。骨が砕ける感覚を覚えるのと同時、雪木終夜の意識は、暗転したのだった――
――ハッと目を開けて、飛び起きる。
周囲の景色は変わっていない。どうやら気を失っていたのは一瞬のことだったらしい――と、そこで彼は自分の身体が軽くなっているのに気付いた。脇腹も痛まず、折れていたはずの腕も動かせる上、顔面に異常もない。
「治ってる……?」
そう呟いて、背後に人の気配を感じた。首だけで振り返ると、案の定、バットを肩に担いだ女が立っている。
「あんたが?」
「他に誰がいるの? それで敗北宣言をする気になった?」
コツン、と女はバットを肩で跳ねさせた。
この女に殺されかけた。死んだと思って意識を失い、目が覚めたら傷は完全に修復され、今はピンピンしている。女の後ろでは銀の龍が尾を揺らしていた。まるで、自分の功績です、とばかりに。
身体は元に戻った。だが、再び立ち向かおうという気は起きない。何度やり合っても結果は同じだろう。勝てず、逃げきれず、また殺されかける。そして傷を治されて同じ言葉で問われるのだ。
「――俺の、負けだ……」
終夜の敗北宣言に、女は満足そうに微笑む。
バカ強いイカレた女だと思っていたのに、どことなく幼く見える、その楽しげな笑みから、雪木終夜は目が逸らせなかった。
「ええ、私の勝ちよ。だから貴方には、私の言うことを聞いてもらうわ」
「どんな命令だ? 俺が集めた秘術を渡せってか?」
「そんなの要らないわよ。なくても強いもの」
もっともだ。終夜は肩をすくめて立ち上がると、身体についた砂を払い落す。頭を振って髪についた砂を振りまくと、女は少しだけ嫌そうな顔をして、そんな表情の変化に彼の胸は――
「秘術なんて要らないから、貴方をちょうだい」
「はあ!?」
思わず大きな声が出た。砂を払う途中の変な格好のまま、雪木終夜はぴしりと固まる。
「雪木終夜、貴方の人生を貰うわ」
「な、え……あんた、何言ってんだよ……?」
「何って、プロポーズしてるの。何? 跪いて指輪でもないと嫌だなんて、ロマンチックな展開を求めているわけじゃないでしょう?」
「いや、その前に、俺たち初対面だろ?」
心臓がバクバクと鼓動を速めていた。それが目の前の女に結婚を迫られたからなのか、結婚を迫ってきた女に殺されかけたからなのか、その辺りの感情の違いは微妙なところだ。
「貴方のこと、調べたわ。随分と有能な『霊能者』みたいね。一般人を言葉巧みに騙して、多額の金銭を巻き上げているのに、トラブルに発展したことはない……そう聞いているけれど、合っているかしら?」
終夜は頷く。女の言う通りだった。
『霊能者』雪木終夜は、彼の持つ顔の側面だ。こちらの界隈で怪異やあやかし、術者たちと敵対する傍ら、彼は『霊能者』としてあちら側の一般人と接している。
人間とも人外とも、さまざまな相手とトラブルになってきた終夜だが、あちらの世界の一般人に訴えられたり、お前は詐欺師だと罵倒されたり、恨まれたりしたことはない。雪木終夜という『霊能者』は、そんなことをされるような二流の『霊能者』ではないのだ。
騙すのであれば騙しきる。信頼を得て、信用を得て、悩みを解決して満足のいく結果を与えてやれば、向こうは悪感情を向けてきたりしない。それどころか、頼りになる『霊能者』をますます信じ、心酔するのだ。
他人の感情をコントロールする術は、母や祖母、周囲の環境が教えてくれた。その教えはしっかりと身になり、骨になり、終夜の中で生きている。
「マインドコントロールとでも言うのかしら。その他人の心理を上手く誘導する『技術』を私に貸して」
「誰か操りたい人間でもいるのか?」
「そうよ。対象は、いずれ生まれる私と貴方の子供――」
「……は?」
終夜は目をまたたかせた。
初対面で結婚を申し込んで――命じてきたかと思えば、できてもいないふたりの子供にまで話が飛躍している。
(別の意味でもイカレてんのか?)
彼がそう思うのも無理はない。
混乱し、言葉を紡げない終夜に、女は自身のことを話した。
彼女は九州の孤島、環音螺島から来たと言う。島には神が居ることや、島民たちはその神を崇め奉っていること、環音螺島における自分の立ち場など、詳細に教えてくれる。そこでようやく、終夜は女の名前を知った。
彼女の名は――月島彩乃。
その名の通り、極彩色に輝く力を内包した女性だ。名前を聞いたせいか、余計に彼女が輝いて見えるようになった。
「環音螺島には時折、予言を口にする老婆が現れるの。島でもっとも年長の女性が、ふとした瞬間に予言を紡ぎ、島の歴史の中では何度も危機を救ったとされている。四か月前、島で最高齢の女性だった伊蔵縫子(いぞうぬいこ)さんが、死の間際に私だけを呼んで、予言を残したわ」
彩乃の目が細められる。終夜はそこに、怒りの火が灯るのを見た。
「どんな予言だったんだ?」
「私がいずれ、神子を産み落とすんですって」
「みこ……神の子か?」
見たことはないが、存在は知っている。
神に愛され、神を愛し、神の目となり耳となり、手足となって生きる存在だ。世界を記憶したのちは、人間としての五感も感情も、あらゆる全てのものを捨て去って身を清め――やがて神の元へと還っていく。魂は輪廻の環に戻ることはない。永劫、神の庭に囲われるのだと云う。
終夜は彩乃の腹を見た。
膨れてもおらず、子など宿りもしていない。だが彼女はすでに、まだ存在していない子供のことを考えていると言うのだ。
「私は、自分の子を神になんて渡さないわ」
「生まれ育った島の神にもか?」
「どこの神にも渡さない」
あまりにも傲岸不遜な物言いだった。けれど、目の前の女には、それを怖れもせず言い切れるだけの力があることは、身をもって知っている。
「子供を作らないって選択もあるだろ」
「誰ともそういう行為をしないとしても、神がそうすると決めれば子供はできる。人間の魂と肉を女の胎に宿すことくらい、力のある神には容易いことよ」
「……処女懐胎か。ありえねえ話じゃないな」
「ええ。だからコントロールできることは、全部するの」
「父親の選択だったり?」
月島彩乃が頷く。
「予言は私が神子を『産み落とす』って言っていたわ。だから島の医者に頼んで、時期が来たら帝王切開で『取り出して』もらうつもりよ。それに……神を愛さなければ『神子』ではないでしょう?」
「つまり俺に、子供が『神を愛さない』ようにマインドコントロールしろって?」
「できるでしょう? 神を信じない、怪異もあやかしも、術者も存在していないと思う子に育てて、いずれは……島から出すわ。相手は環音螺島で崇め奉られている神……島外へ干渉する力は当然、弱まるもの」
――とはいえ、相手は神だ。
言葉で言うほど容易いことではないと、月島彩乃も理解しているのだろう。真剣な表情で、真っ直ぐ終夜を見据えてくる。
「神に挑もうってか。無謀にもほどがあるぞ」
「あら、そんなことないわよ。古今東西、神話も寓話も歴史も証明しているわ。神に挑むことができるのも、神を騙すことができるのも、神を殺すことができるのも――人間だけなんだって」
女が、好戦的に笑う。
「私の子は、絶対に神になんか渡さないわ」
再びそう言って、月島彩乃が手を差し出してくる。
熱に浮かされた……のではない。
きっと、彼女の狂気染みた――まだ存在してもいない子供への、愛に、手を貸したくなってしまったのだ。それに完膚なきまでにプライドを圧し折られてなお、カッコつけたかったのかもしれない。神に挑み、負けたとしても、カッコがつく、と。ひとりで野垂れ死にするより、よっぽどいい、と。
月島彩乃の手を取った、この時の雪木終夜は、まだ知らない。
自分の名前が『十郷金青』という偽名を経て『月島金青』になることも、そう時間がかからない内に妻にベタ惚れした主夫兼漁師になることも、生まれた娘を見て涙してしまうことも、息子ができて大喜びすることも……家族という存在のためなら、死んでもいいと、心から想うようになることも――。
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//あとがき
『神の居る島~逃げた女子大生は見えないものを信じない~』は、本編、番外編含めてこちらで完結です。
こちらは第6回キャラ文芸大賞に応募するために書き始めた作品で、当初の想定では10万字程度で完結する予定でした。しかし私の好きをたくさん詰め込みまくった結果、18万字を越えることになり、え?マジ?と自分自身で驚いているところです。
本編の雰囲気は、〇〇シリーズなどと銘打たれる二時間ドラマの雰囲気を目指して書いてまいりました。個人的にはいいところに落ち着いたのでは?と思っています。
飄々とした軽い調子のイケオジをヒーローにするんだ!と意気込んでいたこともあり、神々廻慈郎を書くのは大変楽しかったです。スリーピーススーツ、大好物。何色のを着せようかなあと考えているだけで、刻々と過ぎていく時間……。
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月島八雲のその後、夏目大寿のその後など、書きたい部分はまだありますが、ひとまずエピソードゼロ的な、月島母と父の出会いの話で『神の居る島』は完結とさせていただきます。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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