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20XX/07/13(水)
a.m.8:50「悲しみの共有」
しおりを挟む月島一風が目を開けると、見慣れない天井が目に入った。
消毒液のにおいと、窓から差し込む陽光、やかましい蝉の声……一風は静かにまばたきをする。天井は見慣れないが、そこがどこかはすぐに分かった。
(診療所……)
身体がだるい。四肢も頭も重く、全身に疲労が溜まっている。
その原因に思い至るまで時間はかからなかった。夏目弥生の一連の犯行を知り、彼女の仲間だと思われる鬼石堂安、百花台雲仙から離れるため、海に飛び込んだことを思い出す。ひとりで、ではなく、弟の八雲と共に――ハッと、彼女は勢いよくベッドの上で半身を起こした。
大部屋だ。
周りを見回して八雲が入院していた部屋だと分かる。だが、そこには自分だけしかいない。弟の姿も、同じく入院中の伊蔵くるみの姿もなかった。
いつの間にかサーモンピンクの病衣を着ている。誰が着替えさせたかのか分からないが、診療所の備品だろう。この建物の屋上に干されて、たなびいているのを見たことがあった。
(ここにいたんじゃ、何も分からない……)
八雲のことも、事件の顛末も、自分の状況も、不明だ。
一風はベッドを降りようとした。靴はない。スリッパも。仕方なく裸足のまま降りて、ふらつく身体を壁や物で支えながら部屋を出る――
「姉ちゃん……?」
――寸前、目の前に大きな壁が現れた。
「……八雲?」
「姉ちゃん……起きた、と……?」
背中を丸めてなお大きな身体の弟が、長い前髪の下で目を見開いている。目がだんだんと潤んで、今にも涙がこぼれてしまいそうだ。唇をきゅっと結び、泣くのを耐えている弟を見て……姉の彼女も同じ表情を浮かべた。
「起きたと、って、それはこっちのセリフだか――ぐふっ」
自分よりも大きな身体が抱きついてくる。そのまま腕の中に閉じ込められ、ぎゅうぎゅうと抱き締められた。息苦しいが、体重を自分で支えなくてもいい分、気だるい身体には楽ではある。
肩に顔を埋めた弟が、泣いていた。身体を震わせながら、嗚咽を漏らしている。薄い病衣に涙が染みていくのが分かった。
「ちょ、八雲……」
「っ……ぅ、っ……ふぅ、ぐ……っ!」
「一回離して、まずは会話を――」
腕の力は弱まらない。涙も止まらない。
(八雲……?)
弟の様子がおかしいと、気付く。
「ね、どうしたの?」
返ってきたのは言葉ではなく、嗚咽だ。
その後も何度か、できるだけ穏やかな声音で問いかけた。けれど八雲は泣いてばかりいて、返事をしてくれない。何も説明してくれない弟に、一風は根気強く声をかけていたが――ふと、昔のことを思い出した。
七年前、父親の月島金青が死んだ。
当時、十一歳だった八雲は、部屋でずっと泣いていた。その頃よりもっと昔――幼い頃に父と母が買ってくれた大きなテディベア。弟はディと名付けていたそのクマのぬいぐるみを、ぎゅうぎゅうと抱き締めて、嗚咽をこぼしていた。大声で泣き喚くのではなく、身体を震わせながら……そう、今のように。
(……ぁ……)
悟って、しまった。
弟の涙の理由を。
弟の、悲しみのわけを。
そんなはずない、確認しないと……と、頭の中の自分が言っている。けれど一風の心はすでに、そうであるのだと確信していた。目蓋が熱くなる。こらえていた涙が溢れて、止まらない。だんだんと嗚咽が抑えられなくなって――
「っ……ん……だの……?」
――唇が震える。声も震える。
それでも覚悟を決めて、もう一度、同じ問いを紡ぐ。
「お母さん……死ん、だの……?」
返事はない。
でも、一風を抱く腕の力が強くなった。苦しいのは肺が圧迫されているからか、八雲の悲しみが流れてきて、自分の悲しみと混ざり合っているから、か。
彼女は抱き締められたまま、力が抜けていた腕をぐっと動かし、弟の背に回して抱きしめ返した。互いの心音が聞こえるほど強く抱き、慰め合い――どちらからともなく、声を上げて泣いた。
母を失った。
凛とした、美しい母だ。
強く、気高い、大好きな人。
月島の姉弟は声が枯れるまで、ただ母を想い、涙を流した――。
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