神の居る島〜逃げた女子大生は見えないものを信じない〜

(旧32)光延ミトジ

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20XX/07/07(木)

p.m.12:30「真意の在処」

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 午前の儀式は島民の誰もが参加できる。けれど午後――日が落ちてから行われる祈祷に参加できるのは、各家の当主か代理の人間だけだ。

 夏目大寿と四家の人間は霊峰を降りて観伏寺へ足を運ぶ。実質的に下山だ。慣れない着物での移動は無理だと分かっている。私服に着替えた一風はヘロヘロになりながら、最後尾で観伏寺の敷地に入った。

(老人とは?って感じね)

 自分よりも遥かに快調に進んで行った三家の当主たちや、島の老人たちの姿を思い出し、空笑いが漏れる。観伏寺にお手伝いに来ていた島の女性に渡されたペットボトルの水を飲みながら、一風は周囲を見渡した。

 そして、気付く。

「……え?」

 嫌になるほど目立つ、その男に。

「あ、一風ちゃ~ん!」
「神々廻さん!?」

 真っ白のスーツを着た男が、ヘラヘラ笑いながら手を振っていた。悪目立ちしているにもほどがある。足の疲労など忘れて神々廻の元へ駆けて行くと、彼が上げていた手を掴んで下ろさせた。

「っ、ちょっとこっち来てください」
「うん?」

 腕を掴んだまま建物の陰に引っ張り込む。神々廻はおとしくついて来た。おとなしくと言っても目立っているのは確実だ。趣味を疑うような白のスーツを、嫌味なくらい完璧に着こなしている。ランウェイを歩くモデルが奇抜な服を着ていても違和感がないように、この趣味を疑う格好をしていても違和感がない。

 陰に引き込み、周囲に目がないことを確認する。神々廻を見れば何を考えているのか楽しげに目を細めていた。肉体的にも精神的にも疲れ切っている、こっちの気も知らないで……と、一風は顔を顰め、神々廻に詰め寄った。

「ここで何をしているんですか?」
「さすがに山は登れないけど、寺までは行けると思ったんだよ。昼過ぎには山を下りてくるだろうって、今朝お義母さんに聞いたから」
「あ……」

 今朝は早くに家を出なければいけなかったため、母のことは全て神々廻に任せてきたのだ。詰め寄っていた気持ちを削がれる。ふっと冷静になった一風は、一歩後ろに下がった。

「えっと……母のこと、ありがとうございました。母は何も変わりはありませんでしたか?」
「うん。元気そうだったよ。顔色も良かったしね。起き抜け一番、僕がおはようの挨拶をしても動じてる様子はなかったかな。いや~、肝が据わった人だよねえ。それに容赦がない。おかゆはとろみが命、今日のは三十二点よって言われちゃった。上手くできたと思ったんだけど、修行あるのみだねえ」
「父や八雲が料理上手だから、母は舌が肥えているんでしょう」
「うん、そうみたい。ステーキなら自信あるんだけどなあ。神がかった焼き加減で食卓に並べられるよ。でも問題は時間帯。お義母さん、朝起きてすぐのステーキなんて食べてくれると思う?」
「無理でしょうね」
「やっぱりか」

 神々廻は冗談っぽく言うと、肩を竦める。そして少しだけ笑い、本題に入ろうとばかりにわずかに声を潜めた。

「それで一風ちゃんのほうはどうだった?」
「……眠かったです。後ろのほうで立って見れたら良かったんでしょうが、最前列の席で座って見ていると、睡魔が、こう……ああ、もちろんちゃんと最後まで起きていましたよ?」
「はは、眠かったのか。一風ちゃん早起きしてたもんねえ。睡魔に負けないで良かったよ。こっくりこっくり船でも漕いでたら、後ろにいる島民の皆さんにはバレバレだっただろうし……うん、よく頑張ったね」
「あと、それから――」

 隠すようなことではない。

 一風は舞が終わったあと、会場で木守家の人間に声をかけられたことを話す。最初はざっくり話すだけのつもりだったが、神々廻が「どんなことを言われたの?」「それでなんて答えた?」「こういうことは言われなかった?」と追及してきたため、結局、覚えていることを詳細に報告するに至った。

 話を聞き終えた神々廻は腕を組み、右手で顎を触りながら目を細める。何かを考えているのか表情はなく、散々喋り倒してきた口も閉じたままだ。花籤花枝の依頼で環音螺島へ来た彼にとって、気になることがあるのだろう。それを理解できるから、一風は何も言わない。

(思考を邪魔するつもりはないけど……)

 無表情で固まる彼の前に、ただ突っ立ったままでいるのはどうなのだろう。一風は彼の顔を見つめる。表情がなくても端正で、目を惹く面持ちだ。写真でも撮って、あえて白黒で印刷すれば、ノスタルジックかつクールで、どことなくアウトローさを秘めた一枚になるに違いない。

 そんなことを考えながら見つめていると、神々廻と目が合った。どうやら思考の海から意識が戻ってきたらしい。

「一風ちゃんは、実際に木守家の人たちと話してみて、どう思った?」
「わたしですか? そうですね……物腰柔らかで、温厚そうな人たちでした。雰囲気が穏やかで、お節介とまではいかなくても、お人好しの感じはあるのかな、と……」
「そう――」
「でも」

 一風は神々廻の言葉を遮って、言葉を続ける。

「本当にそういう性格なら、娘を失った妻を、嫁を放っておいたりしませんよね。寄り添って、共に哀しみ、話を聞いてあげるでしょう?」

 そうしていれば、花籤花枝が船に密航してまで逃げ出さなければならないと、追いつめられることはなかっただろう。共感を示すだけでも結果は違ったはずだ。なんの裏表もなく、素で温厚な、穏やかな性格のお人好しであれば……きっと、そうしていた。

「ふたりの全ては演技だったと思う?」
「全てがそうかは分かりません。ただ、わたしの警戒を解いて、信用を得ようとしていたのは間違いないかと……」
「つまり、あえて好意的に接してきていると感じたんだね。それは言葉から? それとも態度から?」
「両方です。あのふたり、八雲を……その、責める素振りが、なかったんです」
「え?」

 月島八雲の魚が原因で水難事故が起きた。

 そんな噂があるにも関わらず、木守家のふたりは最初から最後まで敵愾心を露わにしていない。娘の死の原因かもしれない人物の身内を目の前にして、穏やかな言葉、穏やかな態度で接するなんてことが、素で、できるのだろうか。例えば本当に月島八雲は無関係だと思っているのだとしても、微塵も敵意を示さないなんてこと、一風には信じられなかった。

 一風がそう話すと、神々廻は神妙な顔で頷く。

「彼らは、どうしてそんなことをしたんだろうね? 何か言ってた?」
「奪われないように、と……」
「奪う……?」
「簒奪者に心を許さないように、柔く透明な、意識しなければ気付かない釘を、刺しておきたかったのかもしれないですね」
「簒奪者って、僕?」

 自分の顔を指差す神々廻に、一風は首を横に振る。

「鬼石堂安です」
「ああ、あの男。島の人に好かれてなさそうな感じはあったけど、名士に敵視されてるの? 仕方ないと言えば仕方ないだろうけどねえ」
「あの男に敵が多いって知ってたんですか?」
「島を回っていれば、そういう情報は自然と入ってくるんだよ。皮肉にも僕と鬼石堂安は同じ『余所者』だからねえ。比較対象とでも言うのかな。話を聞いた人には、あの男と比べて……って、ありがたいことに、だいぶいいように見てもらえた」

 どうやらこの男、一風の知らないところで、思っていた以上に島を動きまわっていたらしい。しかも建物に侵入するだとか、ひとりで調査を進めるのではなく、島民に話を聞き回る形で。

「夏目家の食客なのは間違いないけど、島に連れて来たのは妻の弥生だって話だよ。それを夏目大寿が有能な霊能者だと認めて、いろいろと意見や話を聞いているんだって」
「理解に苦しみますね」
「嫁ぎ先に男を呼んだこと? そうだねえ。島でも最初は噂になったらしい。でも夏目弥生の夫への献身や、その夫である夏目大寿自身が認めているから、結局その噂はすぐに消えたそうだけどね」
「……それ、誰の情報ですか?」
「サカモト商店のハツ子さん」
「ああ……」

 環音螺島唯一の商店がサカモト商店。島外から定期的に買い付けている、日用品や生鮮食品を扱う店で、ちょっとしたコンビニよりも品揃えがいい。物資を運ぶその船こそ、島へ定期的に来る船だ。花籤花枝が密航したのは、おそらくそれだろう。

「あのおばあさんは、事情通ですもんね」
「納得してもらえて良かった。それで鬼石堂安だけど、八雲くんが倒れてからも月島家に出入りしてるよね?」
「……ええ。でも招き入れているわけじゃありません」
「だろうね。勝手に入ってきて、例の鼻がもげそうなくらい甘い香りを撒き散らしてるんでしょ? 本当、嫌になるよねえ……」

 顔を顰める神々廻は本気で嫌そうな顔をしている。いい歳した大人が顔に出すくらいだ。よほど相性が悪いのだろう。彼のそんな顔を見て、ふと思った。

「敵の敵は味方……の構造にしたいんでしょうか?」
「うん?」
「木守家の人たちです。八雲が家にいないのに、それでも鬼石堂安が出入りをしているのを知って、わたしとも関係を築いていると思った。だから島の外の人間と親交を深める前に、島内の人間同士で固まっておこう……とか。わたしが鬼石堂安を敵だと認識すれば、木守家の人たちと、共通の敵ってことになりますし……」

 思いついたことを口に出しながら整理していく。

 この島は排他的だ。木守鳴弓と蓮譲が語った言葉を思い返せば、余所者である鬼石堂安よりも、娘を殺したかもしれない青年の姉のほうが信用できる……という考えを木守家が抱いている可能性を示唆していた。

「木守家の人間はよっぽど一風ちゃんに、あの男と仲良くなってほしくないんだね。奪われまいと必死になってる。釘を刺しておかないと、君を奪われてしまうと思っているのかもしれないね。もしくは……」
「もしくは?」
「君がついて行ってしまうと思ってる。故郷も家族も全部捨てて」

 一風は目を見開く。

「自分たちが家族というものに重きを置いていないから、他人もそうだと思い込んでいる。だから翠子ちゃんが亡くなっても、花籤には寄り添わなかったし、彼女がどれだけショックを受けているか分からなかった。僕にはそう思えてきたねえ」

 口の端を歪め、神々廻は目を細める。不愉快だと言わんばかりの顔だ。一風も同じ顔をしていた。木守鳴弓と蓮譲は、一風をそういう人間だと認識して声をかけたのだと、そう思うだけで気分が悪い。

 遠くで夏目弥生が食事の用意ができましたよと、声を上げている。彼女の声を遠くに聞きながら――月島一風は舌を打つ。

(やっぱりこの島の人は、好きになれない)

 蝉がうるさく、鳴き喚いていた。



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