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20XX/07/05(火)

a.m.0:15「父の死」

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(眠れない……)

 診療所から戻り、シャワーを浴びて、麺が伸びてしまったきのこのパスタを食べた。八雲が目覚めないことへの不安、夏目大寿に対して抱いた不審など、考えることが多すぎて、一風はずっとぼんやりと考え込んでいた。神々廻が何か話していたような気がするが、完全に右から左で、頭の中には残っていない。

 私室に戻ってベッドに横になっている内に、日付けが変わっていた。どんなに部屋を暗くしていても眠気はやってこない。胸か、頭か、感情が渦巻きすぎて目が冴え、何度も寝返りを打つ。

 結局、眠るのは諦めて一風は部屋を出た。

 台所で麦茶を飲む。ピッチャーに入っている分はだいぶ減っていた。八雲が沸かしてくれていたが今彼は家にいない。一風はヤカンで麦茶を沸かす。ヤカンをコンロにかけて、椅子に腰を下ろす。暗い台所に、コンロの火が揺れていた。

 ぼーっと揺れる火を見つめていると――

「沸騰してるよ」

 コンロの火が消える。

「神々廻さん……」

 いつの間にか神々廻がいた。彼は椅子を引くと、一風の隣に腰を下ろす。彼が来ていたことにまったく気付かなかった。足音が異常にしないのか、一風の意識がどこかへ飛んでいたのか……おそらくは後者だろう。

「八雲くんの様子はどうだったの?」
「それ、今聞きます?」
「さっきは教えてくれなかったからねえ。一風ちゃん『さすがですね』『知りませんでした』『すごいです』『センスがいいですね』『そうなんですね』だけで会話してたよ。合コンのさしすせそなんて大学で覚えたの?」
「アルバイト先のコンビニで李くんと佐々木さんが話していたんです。以前合コンした相手が、途中から明らかにそれしか言わなくなったって」
「盛り上がらなくての脈なしか……ああ、でも合コンのさしすせそは成功の秘訣として話題に上っていたわけだから、逆に脈ありなのかも……なんて、まあ、今はどうでもいいけどね。それより八雲くんのこと」

 合コンのさしすせそがどうのと語っていた時から、がらりと表情が変わった。神々廻は真面目な顔で見つめてくる。飄々とした掴みどころのない彼でも、八雲が心配だというのに嘘はないようだ。

「八雲は――」

 一風は診療所での話を神々廻にした。

 医者の鷲頭に言われたことも、ひとりきりの伊蔵くるみが気になることも、夏目大寿に抱いた疑念も、全てを話す。神々廻は椅子に座ったまま、やや前のめりの姿勢になって聞いてくれた。意外にも途中で茶々を入れられたりはしなかった。

 ――あらかたのできごとを話し終える。

「……なるほどねえ。終わった愛にしがみつく男ほど醜いものはない。それにとてつもなく面倒で、厄介だ。僕が電話したタイミング、バッチリだったね。一風ちゃんが無事に逃げられて良かったよ」
「わたしは、逃げられていませんよ」

 大寿の言ったとおりだ。母である彩乃と八雲の寝たきりの状態が続けば、島に残らざるを得ない。大学は辞めることになるだろう。休学という選択肢もあるが、いつまでに目覚めるという確証がない以上、それが利口な選択とは思えない。あるいはふたりを一緒につれて島を出たら……という考えもあったが、そのためには資金が必要だ。奨学金を得て、なんとか学費と生活費を捻出している女子大生に、それだけの金を稼ぐ手段はない。

 家族を人質に取られた気分だ。島から逃げられない。精神的に囚われた。そして、その一端を担っているのが初恋を捧げた相手なのではないかと、疑っている。頭の中も、心の中もぐちゃぐちゃだ。

「この島からは……どう足掻いても、逃れられないのかもしれません」
「そんなことないでしょ。花籤だって逃げられた。まあ、それがだいぶ乱暴な手段ではあったことは否めないけど……」
「花籤花枝さんも結局は逃げられていませんよ。島の詳細を話せないようにマインドコントロールをされて……そうでなくても、娘さんのことがあって精神的に島を忘れることはできていない。違いますか?」
「……違わないねえ」

 神々廻が肩を竦め、ふっと笑った。

「でも、生きるってそういうことだよ」
「……はい?」
「過去のない人間なんていない。何にも囚われず、根無し草のように生きていける人間なんていないんだ……とはいえ、この島はだいぶ特殊だけどねえ。神に縛られ、神に囚われている島……疑問さえ抱かなければ、神のみもとで幸せに生きていけるんだろう。気付いてしまえば、生きにくい。一風ちゃんや、君のお父さんのように」
「お父さん……」

 一風と八雲の父、月島金青(こんじょう)は漁師で、七年前に海の事故で死んだ。死んだとされている。彼女は父の死因に納得していない。だから金青の死の真相を知っていると話した神々廻と共に、環音螺島に戻ってきたのだ。

 結局、今の今まで、その真相とやらは教えてもらえていない。

「神々廻さん……もうそろそろ、教えてくれてもいいんじゃないですか? あなたが知っている、父の死の真相を」
「そうだねえ……」

 彼女の言葉への相槌か、自分自身に語りかけているのか判断できないほど、小さく、抑揚のない声音だった。それでも教えてくれる気はあるということは、わかる。神々廻慈郎の目は真っ直ぐに、一風の視線を捉えていた。

「月島金青は海難事故で死亡したとされているが、実際は違う。彼は殺されたんだよ」

 彼の低い声が紡ぐ言葉は、しっかりと一風の鼓膜を震わせる。自分でもそうではないかと思っていたのに、改めて他人の口から聞くと、嫌に心臓が脈を速めた。バクバクと大きな鼓動が、身体の内側で鳴り響いている。

「誰に、殺されたんですか?」
「一風ちゃんは誰だと思う?」
「島の誰か、ですよね? 第三者が来るような島じゃない……島の誰かが父を殺した。それが誰なのか、神々廻さんは知っているんですか?」
「その前に聞かせて。一風ちゃんはどうして、お父さんが殺されたんだと確信を持っていたの? 何か証拠でもあった?」
「証拠……」

 少し考えて、一風は首を横に振った。

「証拠はありません。でも、父は生前、島の人間に殺されるかもしれないと言っていました。それに……漁場が、違ったんです」
「漁場?」

 島の漁師たちにはそれぞれ自分たちの持ち場がある。個人で漁場を持っている者もいれば、複数人で大きな漁場を管理している者もいた。基本的に漁師たちは自分の漁場か、共有の漁場以外で漁をすることはない。

「父は東の十番の漁場で溺死していたそうです。船もそこに沈んでいたと聞いています。東の十番辺りは岩礁が多くて、船を出す人があまりいない共有の漁場なんです。父が……そんな場所にいたのは、おかしい」
「危険だから近付かない?」
「いえ、そうじゃなくて……父は一匹狼というか、あまり他人とは関わらない人だったので、いつもひとりで漁に出ていました。東の漁場はよく魚が獲れるから、人も船もけっこういるんです。だから……父は普段、西の漁場で漁をしていました。自分から好き好んで人の多い東の漁場に行くはずありません」
「じゃあお父さんは、いつもと違う場所で漁をしていたってこと?」

 一風は頷く。

「それに、変だと思いませんか?」

 父は朝から漁に行ったきり、夕方になっても戻らなかった。だから母は島中を尋ねて回ったが、誰もが父の居場所を知らないと答えたのだ。そして夜になり、転覆した船と、溺死した父が発見された――

「いくらお父さんがいたのが岩礁が多いポイントとはいえ、基本的に人が多いはずの東の漁場で、人知れず船が転覆したとは思えない。そして行方を聞かれた誰もが『月島金青を見ていない』と答えたってことか」
「そう、まるで口裏を合わせたみたいに……」

 だから、犯人はひとりではないと、島の人間が何人も父の死に関わっているのではないかと、考えたのだ。父がたまたま普段行かない場所へ行き、たまたま船の操舵を誤って転覆し、たまたま誰の目にも映らず、死んでしまったなんて……そんな偶然の連続を信じることはできない。

「ねえ、神々廻さん。父は誰に殺されたんですか?」
「それを答えるのは少し待って」
「……どうして?」
「一風ちゃんの話を聞いて、確認することができたから、かな。そこのところをハッキリさせておかないと、真相として話せない」
「ここまで言って、ここまで聞いて、まだ先延ばしにするんですか?」
「ごめんね」

 眉尻を下げて謝罪の言葉を口にする神々廻に、一風は首を横に振る。まるで聞き分けのない幼い子供のように。

「そんな言葉が、聞きたいんじゃないです。わたしは……っ、本当のことが知りたい。父が誰かに殺されたのなら、その犯人が誰か聞いて――」
「聞いてどうするの?」
「え……」
「聞いて、どうするの?」

 言葉を遮るように投げられた問いへの答えを、彼女はまだ持ち合わせていなかった。聞いて納得して終わるのか、復讐に走るのか、それすら分からない。復讐するということは向き合うということだ。これまでの月島一風は、立ち向かわず、逃げるという選択をして島を出た。

 黙って考え込みはじめた彼女に、彼は小さく息を吐く。

「いろいろ考えることが多いね。その上でもうひとつ考えてほしいんだけどさ……明日の朝、お母さんに会うのは大丈夫なの?」
「……あ……」

 八雲がいない以上、彩乃に食事を運び、身の回りの世話をするのは一風の役目だ。まさか神々廻に任せるわけにはいかない。自分に会いたくないと言い続けている母と、こんな形でいきなり顔を合わせるのは、どうも気が重かった。

 会いたいのに、会いたくない。

 矛盾した気持ちが差し迫る中で、一風はますます目が冴えていくのだった。




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