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20XX/07/02(土)
p.m.10:02「生き延びた少女」
しおりを挟む母に愛されていないとは思わない。
その証拠になるかは不明だが、彼女の部屋は家を出た当時のままだった。もっとも片付けなければいけないほどの荷物はなかったのだが、例えば、畳の上に置かれたベッドに敷かれた肌触りのいいシーツだとか、母と選んだ若草色のカーテンだとか、家族の写真を何枚か貼ったコルクボードだとか、細々したものまで変えられていなかったのだ。
そこに愛されている実感を見い出したくなるのは、母に会えない現状があるからだろうか。何も変わらない部屋のベッドに横たわり、板張りの天井を見る。風呂も食事も済ませた。窓の外はとっくに暗くなっている。
時間は夜の十時を過ぎた。
昼間、神々廻に告げられた言葉は未だに頭の中を巡っている。それだけ衝撃的で、一風の心臓に深く突き刺さった。
顔を合わせるのは気まずい。そんな気持ちを察したのか否か、神々廻慈郎は昼食の後片付けをしてすぐ月島家を出て行った。ちょっと島を回ってくるよ、と軽い調子で言い、ひらりと手を振りながら――。
そして十時を過ぎたというのに、まだ帰って来ていない。
八雲は夕方過ぎに帰宅して、夕飯のカレーを作ってくれた。食べ盛りだからか、大きなハンバーグと目玉焼きとチーズが乗ったカレーだった。神々廻の言葉が尾を引いてぎこちなくなるかと思ったが、大盛りのわんぱくカレーを頬張る弟を見ていたら、そんなこともなく。自然と話すことができた。
ふと、ガラガラと音が聞こえた。玄関の引き戸を動かした音だ。誰かが出て行くのか、入ってくるのか。足音が聞こえる。どうやら後者だったらしい。そして、何も言わないまま、こんな時間に月島家の中へと入ってくる人物は、ひとりしかいないだろう。
足音は一風の部屋のほうにだんだん近付いてきて、やがて襖の向こうで止まった。
「一風ちゃん、起きてる?」
「……はい」
一瞬、狸寝入りをキメて無視してしまおうかとも思ったが、さすがに子どもっぽすぎると思い直して返事をした。
「入ってもいい?」
「……どうぞ」
わずかな逡巡はあったが、了承の返事をしながらベッドの上で身体を起こす。同時に襖が開いて、廊下の明かりに照らされる神々廻の姿が浮かび上がった。
「ごめんね。寝ようとしていたところだったりする?」
「いえ、ボーッとしていただけです。電気つけますね」
「ああ、いいよいいよ。僕がつけるから、そのまま座ってて」
言うが早いか、神々廻が部屋に足を踏み入れる。そして和室の中心にぶら下がる蛍光灯の紐を引いて、明かりをつけた。
「椅子、使ってください」
勉強机に付属した椅子を示せば、彼はそれをベッドの傍まで引いて腰かけた。出かける寸前まで整っていた髪が少し崩れている。
「ずっと歩き回っていたんですか?」
「まーね。小さな島だと思ってたけど、歩くとけっこう広いもんだよ。久し振りにこんなに動いたから、明日は筋肉痛になるかもしれない」
「……翌日に筋肉痛がきたらいいですね」
「歳取ってからの筋肉痛は数日後にくるってやつ? 酷いなぁ。そんなにおじさん扱いされると、傷ついちゃうよ。僕って繊細だから」
繊細という言葉とは正反対に位置しているような男だ。一風がフッと鼻で笑えば、神々廻はやれやれとばかりに肩をすくめた。
昼の一件もあり顔を合わせるのは気まずいと思っていたが、そんなことを考えていた自分が馬鹿らしくなるほど、彼は変わらない。それが大人の対応というものなのだろうか。目的のためなら、気まずさや不和なんて素知らぬフリをして接する。あるいは神々廻は何事も引きずらない性格なのか。答えを導けるほどの材料はなかった。
「島のどこへ行っていたんですか?」
二十歳。自分はもう成人した大人だ。一風は複雑な気持ちを全て飲み込み、神々廻に倣って素知らぬフリで通すことにした。
「いろいろ見て回ったけど、一番の収穫は小学校かな」
「……は?」
神々廻の答えに一風は目をまたたかせる。
「小学校に行ったんですか?」
「うん。警備員もいないし、監視カメラもなかったから、さっと入ってさっと出てきたよ。あんまり上手くいきすぎて、逆に不安になったくらいだ」
「島に来る外部の人間が少ないので、警備はゆるゆるですけど……なんでまた、小学校に?」
「伊蔵くるみちゃんの顔を確認しにだよ」
「伊蔵くるみ……今朝発見された、伊蔵家の孫娘ですか?」
名前すら聞いていなかったことに、一風は動揺した。この島で命を落とした少女のことを気にしているようでいて、その子の名前も確認していなかったなんて……自分の薄情さにも、薄っぺらさにも嫌気がさす。
環音螺島に戻ってからというもの、どんどん自分を嫌いになっている。上手く隠して、捨てたと思っていた部分を掘り起こされているかのようだ。
暗い顔をする一風に、神々廻が笑みを向けた。
「うん、そう。伊蔵さんちの孫娘。彼女、生きてるよ」
「……え……は……?」
言葉を上手く飲み込めない。
「いきてる……」
「そう」
「でも、あの男が……」
「鬼石堂安? そうそう、あの男の言葉が気になったから小学校に行ってみたんだよね。何せあいつ、女の子が死んだとは言ってなかったから」
「え……」
あの男のことを思い出すのは不本意だが、なんと言っていたか思い返す。混乱する頭で記憶を紐解いていくのは難しい。それでもゆっくりと、時間をかけて記憶を辿った。沈黙の時間が続く。その間、神々廻は黙って待っていてくれた。
――やがて、一風は深く息を吐いた。
「……確かに、死んだとは、言ってませんね……」
「全部あいつの悪ふざけ。小学校は同級生のお葬式ムードじゃなかったし、放課後になったら診療所へお見舞いに行こうって話してたよ」
「その、くるみちゃんは、名ばかりの診療所にいるんですか?」
「名ばかりなの?」
「現代で、薬草だのなんだのを、真面目な顔で処方するようなところです」
「ああ、なんかそんな感じだったね」
「………………」
神々廻の言葉に、一風は引っかかる。
「まさか、診療所にも行ったんですか?」
「実地調査は探偵の基本だよ。さすが長閑な島って感じだね。診療所も、その辺の家も施錠してないんだもん。入りたい放題だ……あっ、してないけどね」
「本当にしていないのならいいですけど……不法侵入が許されるのは島民同士だけですよ。余所者がそんなことをしたら、袋叩きにされます」
「物騒な話だねえ」
「孤島も田舎もそういうものですよ」
神々廻慈郎という男の人生は知らないが、閉鎖的な場所で生まれ育ったわけではなさそうだ。余所者という理由だけで、何も悪さをしていなくても嫌厭されるのだと、理解できていない。
一回ビシッと言っておくべきだろうか。一風がそんなことを考えていると、神々廻がスマホを出した。そして何か操作して画面をこちらへ向けてくる。
「これは? 小学校の……」
「玄関を入ったところの掲示板に貼られていた生徒の写真。この真ん中の、少し右の女の子が伊蔵くるみちゃん」
診療所に忍び込んだ時に顔を確認したのだろう。画面に映る女の子は溌溂そうな雰囲気で、明るく、可愛らしい笑みを浮かべている。
「彼女がくるみちゃん……」
「覚えてる?」
唐突な問いに、首を傾げた。
「何をです?」
「僕たち、この子に会ったことあるんだよ」
「え?」
画面の中で笑う少女を見つめた。伊蔵くるみは小学二年生だと聞いている。つまり七歳か八歳くらいだ。神々廻が会ったのならば、島に来た昨日か、今日、顔を合わせたということになる。しかしその年齢の子供と接した記憶は――
「ぁ……」
一風の記憶が蘇る。
「その顔は思い出したみたいだね」
「昨日、観伏寺の下で……」
「そう。石段を駆け降りてきていた女の子。彼女が伊蔵くるみちゃんだ」
心臓が鼓動を速めた。嫌な想像をしてしまい、彼女の顔色が一気に悪くなる。思わず両手を口元に運んでいた。そうしていなければ、言いたくない言葉を吐き出してしまいそうだった。
「くるみちゃんと会ったのは午後五時前。小学生の帰宅時間としては相応だよね。門限は六時らしいし、きっと真っ直ぐ帰ろうとしていたんだろう。その途中で消えた。その線が濃いと思わない?」
「……そうです、ね……」
「最後にくるみちゃんと会っていたのは、誰?」
「………………」
一風が答えられずにいると、神々廻が代わりに「夏目大寿」と口にした。
「あいつ、ますます怪しいねえ」
「でも、わたしたちと話していました」
「十分ちょっとでしょ? 話し終わったあとに追いかければ、すぐに捕まえられると思うけど。何せ相手は子供だしね。信頼させてたみたいだし、姿が見えた時点で声をかければ、自分から追いつく必要もない。向こうから来てくれる」
夏目大寿が子供に好かれることは否定できない。心を掴むのが抜群に上手く、あまりにも優しく話を聞いて答えをくれるから、理解者として信頼してしまう。痛いほどわかる。何せ一風がそうだから。
意識不明の重体となった女の子。彼女と夏目大寿の関係はどんなものだったのか。ただの頼りになる大人と元気な子供……それだけであってほしいと思うのに、夏目大寿を怪しむ神々廻に対して、それを否定できるだけの言葉を、月島一風は紡ぐことができなかった――。
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