上 下
9 / 10
蛇顔男の長い足

1_3

しおりを挟む

 懐かれてしまった。

「こんにちは、シーガイア教授。鎧水蛇の鱗が実家から届いたんですけど、水薬の実験に付き合ってもらえませんか?」
「……またですか。毎度飽きずによく来ますね」

 なんの心境の変化があったのか、呼び出しのあとから、メルティ・フィンハートに懐かれている。授業に出るようになった彼女は、教科によってムラはあるが、それなりに優秀な成績を修めているようだ。

 問題児を更正させた。教育者としてまだ若い彼を心配していた教授陣からの信頼が、その件で厚くなったのは記憶に新しい。上司――前任の魔法薬学の教授は元教え子の成長を特に喜んだ。そして昨年『安心して椅子を譲れる!』と、後任にシグルドを推薦して知識追求の旅に出た。タイミングよく、発表した論文が評価されたこともあり、シグルド・シーガイアは学園創立以来、最年少で教授職に就いたのである。

 若い教授だと舐められないように、生徒にはこれまで以上に厳しく指導した。融通の利かない厳格で冷淡な人物だと噂されても否定しない。理不尽に威圧したり、怒鳴ったりなどはしたことがなかったが、それでも子供たちには遠巻きに接せられるようになった。

 そんな中、メルティ・フィンハートは、実家から魔法薬学の材料が送られてくる度に研究室へやって来る。最初は自習をするからと、魔法薬学の教室の使用許可を求めてきた。学生だけで調合を行うことはできないと伝えれば、だったら監督してほしいと頼まれ、貴重な素材をちらつかされて引き受けることに。何度か続けている内にだんだん高度な魔法薬を生成するようになり、自習の場所は教室から研究室に移った。

「調合の手順は調べてきていますね?」
「はい、一応は。だけど先日、鎧水蛇を使用する魔法薬の作業工程を、一部見直すべきだって論文が発表されましたよね? それを試してみたいなって思うんですけど、どうでしょう?」
「比較したいのであれば、元来の手順、新規の手順と、二種類調合する必要があります」
「ご安心ください。複数回分の調合量にあたる鱗を持ってきました!」
「惜しげもなく、ですか。貴重な素材なのですがね……」

 魔法薬学に関してメルティは才能に恵まれていた。家業の影響か素材に詳しく、下処理や扱いが丁寧だ。その薬には素材のどの成分が必要なのか、どうすれば抽出できるのかを理論的に、まれに直感的に導き出せている。彼女はシグルドの解説をよく聞き、わからない部分はすぐに質問し、自分の知識と反する点があれば忌憚なく意見を述べた。

 生徒の自習を監督する教授……という立場が、ただの建前に成り果てるまで、そう時間はかからなかった。メルティが最終学年に進級する頃には、共に時間を過ごし、魔法薬の研究をする対等な相手として、彼女を認めていた。

 ちょうどその頃だったか。メルティが一度、自分の婚約者だという青年を研究室につれて来たのは。

 フェルナンド・バーバリーは真面目で優秀な生徒だ。天才ではなく、カリスマ性があるわけでもないが、入学以来コツコツと努力して結果を出し続けている秀才として、教授たちから評価されている。

「彼、魔法薬学に興味があったそうなんです」
「ほう、そうなのですか?」
「あ、はい。これまでにいくつか論文を書いたりしてて……もしよろしければ、教授にご意見をいただけたらと……」
「いいでしょう。添削してお返しします」
「っ、あ、ありがとうございます!」

 緊張していたのだろう。目的を達した彼はわかりやすくホッとすると、いささか引きつったままの顔でメルティに笑いかけた。彼女も肩をすくめて笑い返す。

「だから言ったでしょ。心配しなくても教授はちゃんと受け取ってくれるって。生徒の論文をつき返すような人じゃないよ」
「……うん。もっと早く訪ねてれば良かった。一年も無駄にしてしまったよ」
「しょうもない噂を信じるからでしょ。講義以外では生徒と関わらない冷血漢なんて、デマカセもいいところだよ」
「メルティ!」

 本人の前で言わないでと、フェルナンドが慌てた。メルティはごめんごめんと謝りながらも笑っていて、そこからはふたりの気心の知れた親しさを感じる。ここは貴族の子女が集まる学園だ。婚約している者同士の関係を、学生の頃も教員になってからも、嫌というほど見てきている。だからこそ、彼女たちが良好な婚約関係にあることは、言われずとも理解した。

 フェルナンドが退出したあと、いつものように彼女と魔法薬を調合した。いつものように、調合したつもりだった。誰にも言えない。調合用の鍋の底を、生まれて初めて焦がしてしまった、なんて。

 秀才フェルナンド・バーバリーの論文は、非常によく書けていた。数度手直しをして発表すると、魔法薬学会により最優秀新人賞を授与された。そして、それを含めて好評価されたフェルナンドは望んだとおり、卒業後、神聖王国魔法学園の魔法薬学教授の助手として採用されることが決まったのである。

 やがて卒業を間近に控えた、最後の自習日。彼女は言った。

「フェルナンドのこと、よろしくお願いしますね」
「これはこれは、殊勝なことですな。聞くところによると、学園の教授陣全員に挨拶をして回っているとか」
「ま、私って一年生の時は問題児でしたからね。その頃のお詫びに回るついでに、婚約者殿のことを頼んでいるってわけです。『以前は大変失礼いたしました。夢見がちなところがありますが、まだ年若い彼のことをくれぐれもどうかよろしくお願いします』って」
「嫁ぐ相手ならともかく、婿に来る相手のためによくやりますね。婚約者の鑑のような振る舞いだと、賞賛されていましたよ」
「人は変われば変わるものですね」
「……自分で言うんじゃありません」
「はーい」

 出会った頃は少女だった彼女も、今では女性的な雰囲気をまとっている。とはいえ、これまでの関係のせいで立派な淑女に見えるかと問われれば、言葉を濁してしまうだろうが。

 サースロック伯爵領の後継者と、いずれ魔法薬学界の権威になるであろう第一人者。その肩書きがある限り関わりがなくなることはないだろう。それでも、これまでのような付き合い方でなくなることは、わざわざ言われなくても、どちらもわかっていた。

「シーガイア教授、どうかお元気で」
「フィンハート君も息災で」

 そんなありきたりな、どこにでも転がっていそうな言葉でふたりは別れた。その後の関わりは取引の要件だけをしたためた手紙のやり取りだけ。

 次に顔を合わせるのは、それから五年後のことだった――。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪女扱いした上に婚約破棄したいですって?

冬月光輝
恋愛
 私ことアレクトロン皇国の公爵令嬢、グレイス=アルティメシアは婚約者であるグラインシュバイツ皇太子殿下に呼び出され、平民の中で【聖女】と呼ばれているクラリスという女性との「真実の愛」について長々と聞かされた挙句、婚約破棄を迫られました。  この国では有責側から婚約破棄することが出来ないと理性的に話をしましたが、頭がお花畑の皇太子は激高し、私を悪女扱いして制裁を加えると宣い、あげく暴力を奮ってきたのです。  この瞬間、私は決意しました。必ずや強い女になり、この男にどちらが制裁を受ける側なのか教えようということを――。  一人娘の私は今まで自由に生きたいという感情を殺して家のために、良い縁談を得る為にひたすら努力をして生きていました。  それが無駄に終わった今日からは自分の為に戦いましょう。どちらかが灰になるまで――。  しかし、頭の悪い皇太子はともかく誰からも愛され、都合の良い展開に持っていく、まるで【物語のヒロイン】のような体質をもったクラリスは思った以上の強敵だったのです。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

溺愛を作ることはできないけれど……~自称病弱な妹に婚約者を寝取られた伯爵令嬢は、イケメン幼馴染と浮気防止の魔道具を開発する仕事に生きる~

弓はあと
恋愛
「センティア、君との婚約は破棄させてもらう。病弱な妹を苛めるような酷い女とは結婚できない」 ……病弱な妹? はて……誰の事でしょう?? 今目の前で私に婚約破棄を告げたジラーニ様は、男ふたり兄弟の次男ですし。 私に妹は、元気な義妹がひとりしかいないけれど。 そう、貴方の腕に胸を押しつけるようにして腕を絡ませているアムエッタ、ただひとりです。 ※現実世界とは違う異世界のお話です。 ※全体的に浮気がテーマの話なので、念のためR15にしています。詳細な性描写はありません。 ※設定ゆるめ、ご都合主義です。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。

婚約破棄が国を亡ぼす~愚かな王太子たちはそれに気づかなかったようで~

みやび
恋愛
冤罪で婚約破棄などする国の先などたかが知れている。 全くの無実で婚約を破棄された公爵令嬢。 それをあざ笑う人々。 そんな国が亡びるまでほとんど時間は要らなかった。

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

【連載版】おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。

石河 翠
恋愛
主人公は神託により災厄と呼ばれ、蔑まれてきた。家族もなく、神殿で罪人のように暮らしている。 ある時彼女のもとに、見目麗しい騎士がやってくる。警戒する彼女だったが、彼は傷つき怯えた彼女に救いの手を差し伸べた。 騎士のもとで、子ども時代をやり直すように穏やかに過ごす彼女。やがて彼女は騎士に恋心を抱くようになる。騎士に想いが伝わらなくても、彼女はこの生活に満足していた。 ところが神殿から疎まれた騎士は、戦場の最前線に送られることになる。無事を祈る彼女だったが、騎士の訃報が届いたことにより彼女は絶望する。 力を手に入れた彼女は世界を滅ぼすことを望むが……。 騎士の幸せを願ったヒロインと、ヒロインを心から愛していたヒーローの恋物語。 この作品は、同名の短編「おかえりなさい。どうぞ、お幸せに。さようなら。」(https://www.alphapolis.co.jp/novel/572212123/981902516)の連載版です。連作短編の形になります。 短編版はビターエンドでしたが、連載版はほんのりハッピーエンドです。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:25824590)をお借りしています。

処理中です...