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第2話 警戒する娘

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「あぁ……あわわ……」

 イーリスはアルドを見てぶるぶると震えている。アルドは父親が帰って来たのにどうして娘が震えているのか理解しなかった。アルドが知っているぼんやりとした記憶。そこには父親に甘える娘しか思い浮かばなかった。

「えっと、どうしたんだ? イーリス」

 アルドは明るく振る舞おうとした。自分の記憶がないことをイーリスに悟らせないようにした。もし、記憶がないことがバレたら、娘がショックを受けるかもしれない。そういう配慮だった。

「あ、あの……」

 イーリスはアルドを見て不審がっている。いつもなら、帰ってくるなり、いきなり怒号が飛んでくる。それがないので、逆に調子が狂ってしまう。

「えっと、ほら。僕だよ。キミの父親のアルド。大丈夫? 忘れてない?」

 アルドは自分を指さして苦笑いをする。もしかして、数日家を留守している間に自分のことなど忘れ去られてしまったのではないかと、ぼぼほぼありえない仮定をしていない。

「えっと……はい。あなたはお父さんです……」

 イーリスがこくりと頷いて答える。今のところは、怒鳴られていないので、イーリスはアルドに対して少しは心を開いている。

「そっか。うん、忘れてないようなら良かった。大丈夫? 僕が数日間、留守している間になにかなかった?」

「いえ……なかったです。はい」

 イーリスは、アルドの調子がいつもと違うことに戸惑いを感じつつも受け答えをする。もし、返答を少しでもミスをしたら、この機嫌の良いアルドではなくて、いつものアルドに戻ってしまうのではないかと内心ビクついているのだ。

「あ、あはは……」

 気まずい空気が流れる。アルドとしては帰ってきたら娘のテンションに合わせてこちらもそれ相応に接しようと思っていたところだった。しかし、予想以上にこの娘のテンションとやらが低すぎる。

 アルドはこの空気をどうにかしようと頭を働かせた。もしかしたら、イーリスは腹が減っているのではないかと。やせ細った体型からして、あまり食べてないのではないか。そう推察した。

「イーリス。お腹空いてないか?」

「えっと……」

 イーリスは伏し目がちになってしまう。アルドはそれを遠慮だと捉えた。

「遠慮しなくても良い。僕たちは親子なんだからね」

「親子……!」

 その言葉にイーリスの顔がちょっと明るくなった。今まで、アルドに親子関係を否定され続けて暴力を振るわれてきた。それだけに、アルドが自分を娘と認めてくれるのは嬉しかった。自分がこの人の娘である限り、暴力を振るわれることはない。イーリスはそう解釈をした。

「イーリス。なにか食べたいものはないか?」

「えっと……なんでもいい」

「なんでもいいが1番困るんだよなあ」

 アルドがそう零して頭を掻く。何気ない発言。しかし、それがイーリスの心に深く刺さった。

「ひ、ご、ごめんなさい、すぐになにか考えますから……」

「あ、いや。別にイーリスを責めているわけじゃないよ。ごめんな」

「ご、ごめん……?」

 イーリスはアルドの口からその言葉を聞いたのは実に久しぶりのことだった。母親が出て行って以来、アルドはイーリスにただの1度も謝ったことがない。イーリスが悪くなくても怒鳴って、自分を正当化する。

 自分は絶対に悪くない。そんなスタンスのアルドにイーリスの心はボロボロになっていく。いつしか、イーリスは全ての原因は自分にある。自分は悪い子なんだと思い込むようになってしまった。

 それなのに、アルドに謝罪をされて、イーリスはようやく自分の正当性を認められたような気がした。

「えっと……えっと……」

「まあ、具体的なメニューは言わなくてもいいよ。甘いものとか辛いものとかそういう漠然としたものでもいいからさ」

「えっと……甘いお菓子が食べたい」

 イーリスはそう呟いた。お菓子。子供ならば好きな人が多い。ましてや女の子。嫌っている方が珍しいくらいである。

「お菓子か。うん、そうだな。よし、待ってな」

 アルドはすぐにお菓子作りに取り掛かった。幸いにして、母親が出ていく前に彼女が使っていた調理器具もあった。長年使われた形跡がなく乱雑に置かれてはいるものの、使用には問題はない。

 家の中にあるあり合わせの材料でクッキーを作っていく。あまり、食材に恵まれてないものの、なんとか簡単なクッキー程度なら作れるくらいにはあった。

 クッキーを焼いている間に、アルドはイーリスに話しかけた。

「イーリス。その。なんだ……そんなに僕のことが怖いのか?」

 アルドは何気なく尋ねた。イーリスはそれに対して戸惑ってしまう。怖いと答えたらアルドの機嫌を損ねかねない。でも嘘をつくのも、アルドに嘘をつくなと叱られる可能性がある。

「えっと……その……」

 アルドはこの時点で確信した。答えを出さずともわかる。イーリスは自分を怖がっていると。記憶をなくしているアルドだからこそ、この親子の間に何があったかはわからない。けれど、このイーリスの怯えっぷりをみるに、相当ひどいことをしてきたのかもしれない。

「ごめん。イーリス。答えたくないなら答えなくても良い」

 アルドはそう言って口をつぐんだ。その沈黙の間にクッキーが焼きあがった。

「ほら、イーリス。クッキー焼けたぞ。食べてみて」

「う、うん」

 イーリスは恐る恐るアルドからクッキーを受け取った。決して綺麗とはいえないその形。不器用ながらもイーリスのために一生けん命作ったクッキーだ。

 アルドはイーリスの様子を注目している。自分の作ったクッキーを美味しく食べてくれるのだろうか心配なのである。

 イーリスはそのクッキーをしばらく見つめた後に、意を決して口に運んだ。パク、カリ。まだ熱が残っているクッキーを口にして、イーリスは目を輝かせた。

「美味しい……!」

「そうか。良かった」

 アルドはほっとした。これで少しはイーリスと心を打ち解けられたかと思った。実際、イーリスも今まで与えられなかったお菓子を食べることができて、嬉しい気持ちがあった。

「お父さん……ありがとう」

「あ、ああ。喜んでくれて良かった」

 アルドは鼻の頭を掻いて照れた。イーリスも久々にアルドにお礼を言ったのだ。今まで、お礼を言うようなことをされてこなかった。でも、アルドがこうして優しくしてくれたことにイーリスはかなり感動している。

「うぅ……」

「お、おい。イーリスどうした」

 食べかけのクッキーを持つイーリスがポロポロと泣き始めた。アルドは自分がなにかをやらかしてしまったのではないかと心配になった。

 しかし、アルドはなにもしていない。いや、逆。イーリスを喜ばせてしまったのだ。イーリスの流した涙が嬉し涙であることを知らなかったアルドは、彼女を泣かしてしまったことでかなり慌てた。

「ご、ごめん。イーリス。僕がなにか気に障るようなことをしたか?」

「ち、違うの……ねえ、お父さん。お父さんはいなくなったりしないよね?」

 イーリスのその言葉。それには色々な意味が含まれていた。それは父親の物理的な失踪。イーリスの母親も急にイーリスの前からいなくなった。

 そして、もう1つの意味。それはこの優しい父親。その精神の消失だ。今の優しい父親が消えて、元の暴力を振るう最低の父親がまた戻ってくるんじゃないかと。イーリスはそう心配をしてしまった。

「イーリス……大丈夫だ! お父さんはいなくなったりしない。いつまでも、イーリスを愛してみせる。守ってみせる。だから、イーリスは何にも心配しなくても良い」

 アルドは静かにそう言った。本当はイーリスを優しく抱きしめてあげたい気持ちもあった。しかし、それにはまだ距離感が遠い。イーリスは、まだどこかアルドを警戒している部分がある。目を見てそう判断したのだ。

 でも、それで良かった。イーリスはその言葉。言葉だけだ。言葉だけで、きちんと父親、アルドの愛情を感じ取ることができたのだ。

「ありがとう。お父さん……」
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