20 / 56
二
第二十話
しおりを挟む「はい、どうぞ。ありがとうございます」
画材屋から外に出るともう昼過ぎ、食事をしようと近くのショッピングモールへ向かった。久々に創作意欲が湧き、ここを訪れていた。
目を瞑れば浮かぶあの情景。一度形にしてみたいと、そう思った。
これまで暗い画風ばかりだったのが、美しい風景画に変わろうとしている。そんな日が訪れようとは、本人すら驚きだった。
春休みはあと僅かばかりに差し迫るが、復学するのかしないのか、新天地で新たな学生生活を始めるのか、決めてはいない。今はこの気持ちを忘れないように描き留めておくことが、何よりも大切な気がした。
うららかな日差し、小鳥のさえずり、通りに咲く色とりどりの花々。通い慣れたこの場所が、未知の地にでもいるような新鮮さを感じる。
観光客の気分で、辺りを興味深げに見回しては一歩一歩、歩みを進めた。
じわじわと汗が滲み、上着を脱ぐ。道行く人々の浮かれ声も好意的に受け入れられた。全てを悪口に捉えていた卑屈な自分が嘘のようだ。
大通りに出てしばらく行くと、ベージュ色の巨大なビルが見えて来る。エントランスを抜け、真っ直ぐ向かった先は、あるファストフード店。
「いらっしゃいませ!」
と、いつもの親しみ深い笑顔に心が和む。外の陽気と変わらないこの温かさ。客だから持成すのは当たり前かもしれない、ただ瑞樹にとっては特別な思い入れがあった。
ある日このフードコートで、捨て猫も同然にうなだれていた。制服の汚れもそのままで。帰宅前、ここのトイレを経由する日常に、いい加減疲れ果てた。もう取り繕うのはうんざりだ、と日が暮れても帰らなかった。
生きる気力が衰えようと、腹は構わずグーと鳴る。そんな時、無意識に導かれたのが、この店。
憔悴甚だしく、注文も覚束ない有様で、「すみません」と呟いた。
その人はそっと顔を近づけ、
「お茶の試飲、如何ですか?」
と囁き、微笑んだ。
それはゆず茶というもので、甘く、温かく、心に染みた。
新作のアップルパイ、か。後でお母さんに買って帰ろう。
「ご注文お待たせしました。ありがとうございます」
にこりと返し、注意深くトレーを抱える。
混雑時は過ぎた模様。定位置である角の席を求め、突き当りの方まで進み、そこへ抜ける通路に入る。
ふと何かが、足に触れた。
まるでスローモーションのようだった。筆や絵の具、ドリンクやバーガーが宙を舞い、椅子やテーブル、壁の模様が出鱈目の角度に回ると、ガシャーン!という音がした。
両腕に走る激痛が脳天を突き抜ける。瑞樹は四つん這いになって、倒れていた。
ワーッと背後から拍手喝采の嵐。忽ちに血の気が引いていく。
「超ウケるっ!」
「サボり魔さんを捕まえましたー」
「はい、現行犯逮捕ー」
と一斉に捲し立て「ほら、こっち見ろよ」と尻をグイグイと蹴る。
「どうしたの? 瑞樹ちゃん、リアクションは?」
「ほらぁ、ドッキリ動画撮ってんだから、早くして」
まさか、嘘だろ……
ウッと込み上げる吐き気。あの頃の屈辱が、徐々に蘇る。
「つーかさ、スッゲーキモいもん食ってんだけど」
「何これ、魚? キッモ」
「マジで? バーガーで魚食ってんの? ヤバいっしょ」
グチャ、グチャと潰す音に、心臓が反応した。
わからない、この事態をどう回避していたのか。もう自分すら、守れなくなってしまったようだった。
「おい、こっち見ろっつってんの!」
堪り兼ねたそいつは、狂犬のように唸った。足から直にそのエネルギーが伝わる。
シュワシュワと流れる炭酸に浸るフライドポテト、グシャッと折れ曲がったスケッチブック、どれもこれもが非情の末路を遂げていた。それを呆然と眺める自身の影はグイ、グイと押される度に、ゆら、ゆらと揺れていた。
『いいんだぞ無理して来なくても』
失意の果てに聞こえたのは、この言葉だった。神も仏もない、あるのはこの現実。教訓が骨まで浸透し、いつしかにやっと、笑っていた。
本当だ、超ウケる。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて。
くだらな過ぎて。
頬が紅潮し、涙が溢れ出す。
本当に酷い、世界だ……
地べたに力尽きようとした、その時だった。すっと何かが視界に入る。
——それは、人の手。
静かに辿り見上げると、そこには少年がいた。
とても大きく澄んだ瞳。潤いを通して見るそれは、まるで夢か幻のようだった。
瑞樹はその手を取り、立ち上がる。すると少年は傍らを通り過ぎ、奴らとの間を遮るようにした。
「何してんだよっ!」
と予期した罵声も、発せられる様子は、なかった。
ハッと我に返り、慌てて散らかった物を片付け始める。
私物をかき集めトレーに手をかけると、「あっ、いいですよ、やりますからっ」との声に振り返った時には皆、消えていた……
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる