解放の砦

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3章 闇のなか

3-9 高熱であっても

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「母上っ」

 手を伸ばしても、母上はいなかった。
 暗い部屋が視界に入る。

「夢、、、」

 荒い息で目が覚める。
 カラダが熱くて寒い。
 クロとシロ様の暖かい布団に包まっても寒い気がする。
 喉も乾いているが、布団から出たくない。
 怠すぎる。
 どうしようもないから目を閉じる。

「リアムー、僕を頼りなよー」

 肩を小さい手でポンポン叩かれた。

「え?」

 目を抉じ開けると、クロがいた。

「自分の作ったご飯をちゃんと食べないからだよー。リアムが作ったご飯を食べていたら、とりあえずカラダは壊れないんだからー」

「クロ、」

 俺はクロを胸元に抱いた。
 温かい。

「ほらほら、今夜は僕がしっかり添い寝してあげるよー。だから、ゆっくり寝なー」

 俺はほんの少しだけ目線を彷徨わせる。
 シロ様はいない。
 いないのか。

 クロの頬を触る。ウリウリ。
 膨らんでない。残念だ。プクプクに膨らまないかな。

「リアムー、熱で変な行動しないでよ。心配になるじゃないかー」

「母上と一緒に死にたかった」

「ダメだよー。リアムは僕の嫁になるという使命があるんだからー」

「母上がいれば幸せだった」

「、、、うん、そうだね。おやすみ、リアム」

 柔らかいクロの声だった。
 いつもの軽口とは違い、深く、深く俺の奥に沈んでいった。

 おやすみ。




 朝、起きると、すでにクロはいなかった。
 カラダの怠さは軽減していた。完璧な体調とは言い難いが、カラダは動くようになった。
 いつもより起床時間が少し遅くなってしまったようだ。
 着替えようとすると、玄関で話し声が聞こえる気がする。
 少し起きるのが遅くなったとはいえ、こんな朝早くに何だろう。

 部屋の扉を開けて、玄関の方に行って様子を窺う。
 クズ親父が対応しているようだが。

「リアム坊ちゃん、おカラダの具合はいかがですか?」

「え?」

 来ていたのはこの街の高齢になる医師だ。
 医師はほんの少しだけ顔を覗かせた俺を見つけてしまった。
 クズ親父も振り返って俺を見ている。

「酒屋の店主さんから話を聞いていてね。昨晩こちらに駆けつけたかったが、領主様が私を呼びに来られないのならそこまでではないのかと思いながらも心配でね。朝一で来てしまったよ」

 朝一も朝一ですが。
 医師は俺の額に手を当て、口を開けさせ確認する。

「やはり熱があるね。扁桃腺も腫れている。普通ならこの時間、リアム坊ちゃんは起きている時間だからね。私も早起きだから知っているんだよ」

「クロが来て、カラダはだいぶ楽になったのでもう大丈夫です」

「さすがはクロ様だ。だが、リアム坊ちゃん、何を言っているんだ。だから、私は朝一で来たんだ。リアム坊ちゃんが行動を起こす前に。今日は薬を飲んで一日寝ていなさい」

 優しく諭されるように言われるが、一日でも休んだら魔物討伐ができない。お金が手に入らない。

「いえ、俺は大丈夫です。薬も大丈夫です。俺には今、手元に持ち合わせがありません。診察代は明日にでも持って行きますので」

「心配しなくても、リアム坊ちゃんの診察代も薬代もここにいる領主様が払ってくれる。そうだろう、領主様?」

 医師は有無を言わせない目でクズ親父を見た。クズ親父は何も言い返せず、頷いただけだ。

 だが、そういうことではない。

「嫌だっ。何でこんなクズ親父を頼らなきゃいけないんだっ。砦の運営費も母上がすべて負担していたのに、母上は砦の管理者も冒険者もしていたのに、命を張って砦を守っていたのに、何でこの家の生活費もすべて母上が払って、疲れているのにすべて家事もやって、何もしないクズ親父やクソ兄貴たちを養わなきゃいけなかったんだっ。コイツらが母上を殺したんだっ。こんな何もしない奴らがいなければ、母上は死ななかったっ。今だって、俺が家事をやっているのにこの家の食費すら出そうとしないコイツに一円だって頼りたくないっ」

 支離滅裂。
 混乱している。円は前世の通貨だ。この地の通貨はもちろん円ではない。
 けれど、意味は通じているようだ。医師にもクズ親父にも。

「リアム坊ちゃん」

 医師が俺の肩にストールをかけた。

「今日はうちの治療院で寝ていなさい。薬を飲んでゆっくり休みなさい。領主様、いいですね?」

「リアムがコイツら嫌いならー、この地を焦土にしちゃった方がいいじゃーん。人間なんかいない方が、リアムと僕とシロでハッピーライフを過ごせるよー」

 小さいクロが俺の肩に飛びのった。どこから現れるんだか。

「焦土の上、人がいなかったら、どうやって俺は生きるんだ。焼け野原で空気だけじゃ人間は生きられない」

「僕がそんな甲斐性なしに見えるかーい?しっかり嫁は養うよー。リアムは僕にほんのちょこっとご飯作って、ナデナデしてくれれば充分さー」

「それでも、こんな奴らでも弟には必要な家族だ」

 俺には必要ない家族だが。
 コイツらも俺を必要としていないだろう。
 家事をやる使用人として必要だと思っているか。いや、俺にとって使用人の方がまだ良いか。使用人だったら報酬が出るからな。
 奴隷だな。鎖につながれた。

「行きましょう、リアム坊ちゃん。領主様、失礼します」

 医師に背を優しく押される。
 クズ親父の顔を見なかった。見たくもなかった。
 だから、そのまま歩き出す。開いたままの玄関の扉から出た。
 気づくと着古した汚いシャツのままだった。もう外に出られない服を寝巻にしていたから、医師がかけてくれたストールでできるだけ隠す。近所の人たちもすでに起きている時間だろう。あまり見られたくない。
 クロは俺の肩にのったままだった。

「僕の添い寝でも治らないなんて頑固な風邪だねー。普通ならあんなふらふらになる高熱でも治るのにー。まあ、精神的なものは僕でも難しいからねー」

 精神的。
 わかっている。
 どうしようもない。

「今日は僕がリアムを独占するー。ずっと添い寝するー」

「昼食の弁当は作れないぞ」

「リアムー、僕をアイツらと同じにしないでくれるかな」

 あ、プクっとクロの頬が膨らんだ。
 すかさず両頬を両手で潰す。

「ぶっ?リアムー?」

「もう少し膨らんでいた方が潰し甲斐があったのに」

「やっぱり熱のせいかなー?早くリアムをベッドに寝かせてやってくれ」

 クロが医師に言った。

「もちろんです、クロ様。リアム坊ちゃん、こちらですよ」

 治療院も数分も歩かずに着く。
 街でも砦側に近いところにあるからだ。
 ただ、この治療院の医師に冒険者が怪我で頼ることはない。重傷でも上級治療薬でなんとかしてしまう。それでなんとかできなかったものは医師でもどうにもならない。
 冒険者も病気になるから治療院に行く。この医師は治癒魔法が使えるわけではない。適切な薬を処方する。前世の医師とさほど変わらない気がするのはなぜだろうか。
 病院に行ったところですべてが劇的に治るわけではないのは前世と同じ。

 治療院に行くと、奥の部屋に通され、そのままベッドに寝かされた。
 病院の小さな個室という感じだ。ベッドにサイドテーブルとイスがあるくらいだ。

 医師に薬と水を出された。クロが小さな手で俺の頬をペチペチと叩くので、大人しく飲んだ。
 ベッドに横になると、うつらうつらと眠気が舞い降りる。
 クロが温かい。
 そばにいてくれるのがわかる。

 クロがいてくれるのは嬉しい。

 けれど、なぜシロ様は現れてくれないんだろう。
 俺が探しに行っても、姿を見せてくれない。

 俺はシロ様に何か怒らせるようなことをしただろうか。
 一週間に一度のお酒を忘れたことはない。今のところない。

 俺の存在は生きているだけで嫌われるのだろうか。
 そういう人間なのだろうか。
 シロ様は俺のことがどうでもよくなったのだろうか。
 だから、今回は会いに来てくれないのだろうか。
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