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2章 夢渡り

2-22 誰に向ける笑顔か

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 セリア姫の方が若いだけあって回復は早かった。
 彼女もクエド帝国では成人している。
 今回の件を鑑み、かなりの部分で軽減されていた仕事量を増やされることとなった。

「アレが一週間で元通りになるとは思わなかったわ」

 セリア姫が呟いた。

 さっさと通常運転に戻ったクフィール皇帝の執務室。
 床にまで山積みに積まれた書類は、人間離れした皇帝さんの技で綺麗に消え去った。

 ルーシェの執務机の他に、セリア姫の机もこの部屋に設置されてしまった。
 宰相トトもようやく復帰して、自分の机に座っている。本調子ではなさそうだが。

「養父とはいえ同じ部屋で仕事をするのは、各々の仕事のペースを乱すことにもつながる。だが、今後、俺たちの婚約式、結婚式、新婚旅行が予定されており通常業務が滞るのが目に見えているのに、留守を預かるお前がこの程度の仕事量で熱を出しているとは問題だ」

「この程度の、、、ねえ」

 言いたいことはわかるぞー、セリア姫。
 人間じゃない皇帝さんと比較されると心が折れるよね。
 が、自分を支える職場を作るのはセリア姫だ。
 クエド帝国はまだ皇帝命だから、皇帝が何をやっても許される環境なので、まだ恵まれている。

 他の国では国王が何かやろうとすると必ず反対派がどこからともなく現れ頓挫することが少なくない。
 既得権益を失う場合は、特に反対勢力が強く出る。

 頑張れ、セリア姫。
 そもそも、この時期は皇帝さんの仕事の繁忙期ではない。
 忙しくない時期でこの仕事量なのだ。
 人に任せられる仕事も多い。
 どれだけ皇帝としての仕事を減らせるかが、今後の生活において重要な鍵になるぞ。
 仕事漬けの人生を歩みたくなければ、今のうちから人を育成しろ。

「ところで皇帝陛下、貴方の机の端に置かれているお菓子はどのような意味が?」

 トトが皇帝さんに質問した。
 皇帝さんは執務中にお菓子をつまむことはない。
 休憩時間でもお茶を飲む程度である。

 広い執務机でお菓子が置かれていたとしても皇帝さんの仕事の邪魔になることはないが。

「コレは貢ぎ物だ。祭壇だと思えばいい」

 言い切ったよ、皇帝さん。
 宰相さんがものすごく嫌そうな顔をしているのですけど。

「誰に対しての?」

「決まっているじゃないか。語り部に対してだ。夕方以降はつまみや酒を出しておくと、口の滑りが良くなる」

 おや?
 語り部さんは罠にかかってしまったのかな?
 まあ、語り部さんたちは積極的に情報を開示して滅亡から世界を救うという使命、、、使命ではないな、趣味を持っているから問題ない。

「趣味で世界を救うのか」

 皇帝さんが思いっ切り変な顔になった。

 使命だったらこんな無理難題、無理ゲーなんか投げだしているところだ。
 趣味だ、趣味。
 運良く滅亡からこの世界を救えればいいなあ、というくらいの。
 もう皆、各自路線を突っ走っている。趣味じゃなければ何なんだ。

「積極的に情報を開示って、そこまでしてくれたことはないと思うが。しかも前には語り部だから話せないことがある的なことを言っていた気がするが」

 そりゃ、趣味だから情報を開示するのも語り部さんの気分次第だ。
 クエド帝国の皇帝さんに話してマイナスになりそうなことはもちろん話さないさっ。

 ま、せっかくの貢ぎ物だからいただくとしよう。
 机にちょこんと正座して。
 膝に真っ黒なハンカチを敷いて。
 いただきます。
 もぐもぐ。
 おいしい。
 うんうん、フィナンシェは妻も子も好きだった。
 私も焼き菓子の中ではコレが一番かな。

「はあっっっ?」

 おお?
 皇帝さんが椅子から立ち上がって驚きの表情でこちらを見ている。
 一体どうした?
 もぐもぐごっくん。
 欲しいと言っても返さないぞ。お口に収納っ。

「お前、結婚していたのかっっ」

 えー、おまいう?
 お前が私の妻を人質に、、、と言ってもわからないかー。
 今回の皇帝さんと私は関係ないからね。

「は、、、え、」

 机の上にある皇帝さんの両手は握り締められている。

 あれ?
 口が滑り過ぎたな。
 貢ぎ物効果抜群。自白剤でも入れた?語り部さんには自白剤は効かないけど。

「、、、それは、どういう」

 確実に動揺している。
 皇帝さんがこんな瞳を今まで他人に見せることはあっただろうか。

 ルーシェも、トトも、セリア姫も、そんな表情の皇帝さんを見ているが、皇帝さんは気にしてもいない。気にする余裕もないのか?


 繰り返されている世界。
 それを説明されていて、この聡い皇帝さんが推測できないはずもない。

 現実に会えないから今の語り部さんをどうこうしようとしないが、もしこの世界に語り部さんが存在していたら、皇帝さんは手に入れようとする。
 超高性能な能力はこのちっこい黒子語り部さんでもにじみ出てしまっているのだ。

 もし、現実の世界に語り部さんになる前の私がいたならば。

 皇帝さんがどうするかなんて決まっている。
 自分のことだからよくわかるだろう。
 そういう世界だっただけだ。


 皇帝さんは勢いよく椅子に座り直した。
 一回両手で顔を隠したが、すぐに語り部さんに向き直る。

 もぐもぐ。
 語り部さんはフィナンシェを持ったままだ。

「今の何も知らない私がすまないと簡単に謝罪の言葉を口にするのは、何か違うと私でもわかる。確かに、お前の高い能力を知ったならば、俺はどうしても帝国で囲おうとする」

 語り部さんの能力すべて知っているわけじゃないのにねえ。
 そんなに買い被っていただけるなんて。
 片鱗だけでもこの皇帝さんなら推測できるか。

「それでも、俺は目的のためにお前の妻を人質にしたのか」

 うん、した。
 大量な繰り返しの世界で、一回ね。

「一回でもお前は俺を恨んでいるんだろう」

 他の回は語り部さんの連戦連勝だったけどねっ。
 妻子を人質になんかさせなかったよ。
 世界滅亡まで幸せ家族だったよっ。
 語り部さんが不測の事態で皇帝さんに負けたのは、たった一回だけだよっ。
 その一回だけですべて勝ったと思うなっ。
 驕るなっ、皇帝さんっ。

 皇帝さんに不運以外で負けるほど、語り部さんは甘くないっ。

 ちっこい黒子語り部さんが机の上に立って主張した。

「、、、ああ、そうか」

 皇帝さんはふにゃっと笑った。

「それなら良かった」

 本当に良かったと思っている表情だった。
 こんな笑顔もできたんだな。
 この皇帝さん。


 このとき。
 なぜ語り部さんが皇帝さんをクフィールと名前で呼ばなかったのか、呼んでくれなかったのか皇帝さんは勝手に解釈した。
 語り部さんが呼びたくなかったからだ、と。

 皇帝さんは自分自身のことも冷静にわかっている。
 本当に手に入れたい魔導士なら、自分がどうするか。どう動くか。
 しかも、他国の魔導士なら。

 正攻法で手に入れるのなら。
 犯罪で手に入れるのなら。

 すべての手段を使うならば。
 人質ということはありとあらゆる手段を使った証明だ。

「そうか、俺はお前をたった一回しか手に入れられなかったんだな」

 皇帝さんが語り部さんに向かって言った。
 ちょっと言葉が間違っていると思うが。

「言い換えれば、一回は手に入れることができたのか」

 皇帝さんがどうも間違った方向に解釈しているようなので、語り部さんは訂正せずにもくもくとフィナンシェを食すことにした。

 ま、どうでもいいや。

「いや、どうでも良くないだろう。面倒臭がるな。どう違っているのか、訂正しろ。話せ」

 あー、フィナンシェ、おいしいなー。
 いいじゃん、今の皇帝さんは今の皇帝さんなんだから、ルーシェと幸せになってくださいな。
 過去は振り返るなー。

 どんなに語り部さんが超ハイスペックな人間だろうと、皇帝さんが手に入れることは今後一生ないのだから。

「そうか、お前を手に入れることは一生できないのか。けれど、お前はルーシェがこの地にいる限り、ここに居続けるのだろう」

 それが趣味ですからねっっ。

 皇帝さんの表情筋が緩くなったようだ。
 優しい笑顔を向けられた。

 あの回では一度も見られなかった類の笑顔だ。
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