上 下
1 / 236
1章 ボロボロな出会い

1-1 森を彷徨う

しおりを挟む
 鬱蒼とした森のなかを、俺は彷徨っていた。
 俺は靴も履いておらず、装備もなく、上半身は裸だ。
 足どころか、全身が泥と血で汚れている。
 深い刺し傷が腰にあり、シャツを脱いで腰に強く巻いて止血したが、すでにその服は赤黒く染まり、意味をなしていないように思える。
 痛みなど疾うに感じなくなっており、カラダが非常に熱くなったと思えば、凍えるほどの寒さを感じたりもする。薬も何もない状態ではどうしようもない。
 一歩一歩、覚束ない足取りで進む。
 手には剣身が黒い短剣を握っている。
 魔物が現れても何とか対処できているのは、その短剣のおかげである。
 さすがに、俺も素手では魔物をどうにかできない。
 カラダは疲労困憊。頭は朦朧としていた。
 街へはこちらの方向で良かったのかさえ、もう定かではない。
 けれど、カラダが動く限り、僅かな可能性にかけて歩き続けた。




 他人がこの俺の姿を見れば、盗賊にでも遭って命からがら逃げ延びたのかと推測するだろう。
 魔物に靴まで盗られることはないからだ。
 けれど、そうではない。
 ダンジョンに一緒に入った仲間である三人の内の一人に、俺は手に持っている黒い短剣で背中から腰を刺された。他の二人もグルだった。
 ラスボスと戦った後に、飲み薬で体力を回復する前のほんのひとときを狙われた。
 
 俺の装備はアスア王国の国王陛下から賜ったものだ。
 今の俺が半裸状態なのも、彼らは動けなくなった俺から、鎧も、長剣も、収納鞄も、すべて剥ぎ取っていった。
 そして、俺の靴さえも、いくら歩いても疲労しない魔術がかかっているため、彼らは忘れずに回収した。

 俺を刺した黒い短剣は、神から授かった能力であるギフト『蒼天そうてんやかた』を奪っていった。
 どういう類の剣なのかよくわからないが、刺されてからギフトが使えなくなった。
 俺のカラダの中から消えてなくなったという表現の方が正しいだろう。この黒い短剣は刺した相手から能力すらも奪う剣なのだろうと推測する。

 ボヤけた視野で見なくても、短剣で刺されてから俺の筋肉も痩せ衰えてきている。
 あれほど逞しく鍛え上げたカラダも失った。
 黒い短剣に刺されたせいなのか、それとも、もう何日も食事どころか、水さえも口にしていないからなのか。
 魔物を倒しているのだから、その肉でも食べれば良いと思うのだが、討伐後に意識を失ってしまうことが多い。気づいたときには自分の近くには魔物の死骸はなかった。自分が生きているので、魔物が生き返ったとかそういうことはなさそうだ。


 俺はダンジョンの最奥部から何とか脱出し、ふらふらと森のなかを歩いている。

 仲間の三人は、街に残って魔物退治していた他の仲間三人と合流して、俺が死んだとアスア王国に報告するだろう。
 隣国である神聖国グルシアに急に出現したダンジョンのラスボスを自分たちが倒したものとして報告し、俺が築き上げた英雄としての地位も、名誉も、お金も他の仲間たちも何もかも、すべて奪い取っていくのだろう。
 だが、もしギフト『蒼天の館』がなくなった状態でアスア王国に帰れても、もはや俺は英雄としては役立たずだ。俺が英雄になれたのも『蒼天の館』があってこそだ。
 ギフトがなくなってしまえば、俺が能力的にも身体的にも冒険者としても続けていくことは難しい。
 俺は仕事も失ってしまった。お金がまったくない状態では、この神聖国グルシアで何とか細々とでも暮らしていく方法を探さなければならない。
 すべてを失った。
 今、俺に残されているのは、このボロボロな己のカラダのみである。

 彼らを恨んでいるかというと、今はそこまでの怒りも湧いてきていない。カラダがこんな調子だからなのか、生死の境を彷徨っているからなのかは判断できない。

 ただ、俺を刺して装備を奪った後、俺を見下ろす彼ら三人の目には憎しみが籠っていた。








 微かに花の香りがした。
 穏やかな風が漂った気がした。
 安全な場所に出ることができたと思った。
 のだが。

 ただの気のせいだった。

 唸り声が聞こえた。
 子供が大人の身長の二倍はあるかという魔物に襲われようとしている。
 魔物の口からは涎が滴り落ちている。
 ダンジョンのラスボスの魔物を倒したからといって、ダンジョンから地上に溢れた魔物が消えてなくなるわけではない。一匹ずつ根気よく討伐していかなければならない。魔物が大量発生した後は隠れている魔物も多いので、必要がなければ単独で行動したりしない。しかも、子供だ。

 親はどうした。どこにいる。
 何でこんな森のなかにこんな小さい子供が一人でいるんだ?
 待ち望んだ他人と会えたのに、残念ながら俺が救われる状況ではない。
 とことん運がない。
 俺は黒い短剣をかまえる。

 魔物は少年の方に気をとられている。
 幸いなことに俺にはまだ気づいてないようだ。俺の血のニオイが恐ろしいほど辺りに漂っているだろうに。それほどまでに少年に夢中なのか?オッサンは眼中にないとか?

 少年は怯えて動けない。
 俺の姿は目にも入っていないらしい。
 その方が良い。
 少年の視線が動いていたのなら、きっと魔物もその目の先の俺に気づいてしまう。

 魔物が勢いよく少年に襲いかかった。
 少年は小さい身をより小さくする。

 俺は勢いよく地面を蹴って、魔物の背に短剣を突き立てた。
 所詮は短剣である。
 言わなくてもわかると思うが、剣が短い。
 人間なら致命傷にもなるが、肉体が大きい魔物には大した傷にもならない。


 それでも。
 俺はこの少年を助けたいと望んだ。
 魔物は俺を剥がそうと暴れるが、俺も短剣から手を離さない。
 できるだけ短剣を押し込み続ける。


 長い時間だったのか、短い時間だったのかわからない。
 魔物は地面と仲良くなり動かなくなった。
 俺の手が短剣からようやく離れる。

 少年は目に涙を溜めて、俺を見ていた。
 もう大丈夫だよ、と言ってやりたい。頭に手をのせて、安心させたい。
 けれど。
 俺は肩で息をしている。それすらもやっとだ。
 俺のカラダも自分の意志ではもう動かない。
 口さえも動かすことができずに、俺は魔物の上に倒れた。

「王子、何をしているんですか」

 青年の声が聞こえた。もはや閉ざされた視界ではどのような姿か判別できない。
 そして、耳まで変になっていなければ、青年はこの少年を王子と呼んだ。こんな森のなかにいるってことはどこぞの王の落し胤かもしれない。ここは保養地とか別荘とかがある土地ではない。

「ヴィンセントっ、この人が僕を助けてくれたんだっ」

 王子が必死な声で、青年に訴えた。

「そうですか」

 あまりにもあっさりと、無情な返答をした。
 そうだ。この世界では無償の人助けは馬鹿がすることだ。
 怪我も自己責任。
 俺の怪我はこの魔物にやられたものではないけど。
 口が開くのなら、せめて魔物にやられた傷ではないと伝えたいが、今の状態では無理な話だ。
 だからといって、仲間にやられたと真実を告げられるかというと、この二人が何者かわからない今、それもまた無理な話なのだが。

「ヴィンセントっ、おねがいっ。この人を助けてあげて」

 王子が背を向けようとするヴィンセントに必死に食い下がる。

「王子、貴方には貴方自身を守る結界が常に張られています。魔物に襲われようと傷の一つもつけることはできません。そこの彼が特にその魔物を討伐しなくても、何ら問題はなかったのですよ」

 ああ、そうなのか。
 それはそれで問題はないだろうが、結局は王子を襲えなかった魔物は血のニオイをさせている俺を襲いに来たのではないだろうか?
 どちらにしても、討伐するしかなかったのだろう。

 俺はほんの少しだけ瞼を開ける。
 俺のボヤけた視界ではヴィンセントはそこにいるということしかわからなかった。

 ただ、俺はそこの王子に恩を売る気はなかったということはわかってほしい。
 仲間に殺されかけた、というより仲間は俺が死んだと思っているのだろうが、殺したいほどまで恨まれていたという事実を直視したくないのだ。
 誰でも良いからほんの少し優しくしたかっただけだ。

「ヴィンっ、お手伝いもするからっ」

「王子、この人を助けるというのは、犬、猫のようなペットを拾うのとはワケが違うんですよ。傷は深いようですし、カラダもかなり衰弱もしています。治療も大変ならば、カラダを元に戻すためのリハビリも大変でしょう。彼を面倒みるということは、お手伝いどころか貴方の人生をすべて捧げるぐらいの覚悟が必要です」

 そりゃ、犬猫と同じに考えられると微妙だけど、今の俺は健康な犬猫よりも始末が悪い。
 まだ幼い王子ができることは限られているだろう。すべての負担はこのヴィンセントに重く伸し掛かる。
 見も知らぬ、何の義理も恩もない人間である俺を世話させていいわけがない。

 俺は魔物に刺さっている黒い短剣に手を伸ばそうとした。腕が重く、言うことを全然聞かない。

「僕、この人に僕の人生をすべて捧げるからっ、おねがいっ」

 魔物に襲われても涙を溜めていたが泣かなかった王子が涙を流していた。
 人生を捧げるって、まるで求婚のような台詞だな。
 と思いながら、俺は意識を手放した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

マリオネットが、糸を断つ時。

せんぷう
BL
 異世界に転生したが、かなり不遇な第二の人生待ったなし。  オレの前世は地球は日本国、先進国の裕福な場所に産まれたおかげで何不自由なく育った。確かその終わりは何かの事故だった気がするが、よく覚えていない。若くして死んだはずが……気付けばそこはビックリ、異世界だった。  第二生は前世とは正反対。魔法というとんでもない歴史によって構築され、貧富の差がアホみたいに激しい世界。オレを産んだせいで母は体調を崩して亡くなったらしくその後は孤児院にいたが、あまりに酷い暮らしに嫌気がさして逃亡。スラムで前世では絶対やらなかったような悪さもしながら、なんとか生きていた。  そんな暮らしの終わりは、とある富裕層らしき連中の騒ぎに関わってしまったこと。不敬罪でとっ捕まらないために背を向けて逃げ出したオレに、彼はこう叫んだ。 『待て、そこの下民っ!! そうだ、そこの少し小綺麗な黒い容姿の、お前だお前!』  金髪縦ロールにド派手な紫色の服。装飾品をジャラジャラと身に付け、靴なんて全然汚れてないし擦り減ってもいない。まさにお貴族様……そう、貴族やら王族がこの世界にも存在した。 『貴様のような虫ケラ、本来なら僕に背を向けるなどと斬首ものだ。しかし、僕は寛大だ!!  許す。喜べ、貴様を今日から王族である僕の傍に置いてやろう!』  そいつはバカだった。しかし、なんと王族でもあった。  王族という権力を振り翳し、盾にするヤバい奴。嫌味ったらしい口調に人をすぐにバカにする。気に入らない奴は全員斬首。 『ぼ、僕に向かってなんたる失礼な態度っ……!! 今すぐ首をっ』 『殿下ったら大変です、向こうで殿下のお好きな竜種が飛んでいた気がします。すぐに外に出て見に行きませんとー』 『なにっ!? 本当か、タタラ! こうしては居られぬ、すぐに連れて行け!』  しかし、オレは彼に拾われた。  どんなに嫌な奴でも、どんなに周りに嫌われていっても、彼はどうしようもない恩人だった。だからせめて多少の恩を返してから逃げ出そうと思っていたのに、事態はどんどん最悪な展開を迎えて行く。  気に入らなければ即断罪。意中の騎士に全く好かれずよく暴走するバカ王子。果ては王都にまで及ぶ危険。命の危機など日常的に!  しかし、一緒にいればいるほど惹かれてしまう気持ちは……ただの忠誠心なのか?  スラム出身、第十一王子の守護魔導師。  これは運命によってもたらされた出会い。唯一の魔法を駆使しながら、タタラは今日も今日とてワガママ王子の手綱を引きながら平凡な生活に焦がれている。 ※BL作品 恋愛要素は前半皆無。戦闘描写等多数。健全すぎる、健全すぎて怪しいけどこれはBLです。 .

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。 愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。 それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。  ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。 イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?! □■ 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 完結しました。 応援していただきありがとうございます! □■ 第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき
BL
 族の総長と副総長の恋の話。  アルビノの主人公――聖月はかつて黒いキャップを被って目元を隠しつつ、夜の街を駆け喧嘩に明け暮れ、いつしか"皇帝"と呼ばれるように。しかし、ある日突然、姿を晦ました。  その後、街では聖月は死んだという噂が蔓延していた。しかし、彼の族――Nukesは実際に遺体を見ていないと、その捜索を止めていなかった。 「どうしようかなぁ。……そぉだ。俺を見つけて御覧。そしたら捕まってあげる。これはゲームだよ。俺と君たちとの、ね」  学園と夜の街を巻き込んだ、追いかけっこが始まった。  族、学園、などと言っていますが全く知識がないため完全に想像です。何でも許せる方のみご覧下さい。  何とか完結までこぎつけました……!番外編を投稿完了しました。楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...