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満月の夜に抱かれて

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 彼も、月を見上げる。

「それ、男の台詞じゃねーの」

 グズッと小さく鼻をすすりながら、彼が言った。

「若いのに、そんなこと知ってるの?」

 思わず、ふふっと笑う。

「あんたもカツ丼、食うの」

「え?」

 彼が、私が渡した一万円を顔の前に差し出す。

「カツ丼は、ちょっとね」

「じゃあ、何食うの」

「どうして?」

「独りでカツ丼とか、寂し過ぎだろ」

「そお……ね」

 ふっと、彼の左手に視線を移す。

 薬指には、指輪。



 独り……か。



 私の指には、もう指輪はない。

「ああ、これ」

 私の視線に気づいた彼が、右手で指輪に触れた。

「気になる?」

「気にして欲しいの?」

「いや」と言って、彼が約束の輪を薬指から抜いた。

「思いっきり放り投げたら格好つくのかもしんねーけど――」

 彼は痛々しい笑顔で、指輪をジャケットのポケットに入れた。

「――今は格好つけてる場合じゃないかな」

「未練……ではないの?」

「それは、ない。無一文になっちまったから、売って少しでも金にしねーと」

「そう……」

「どんな金でも、大事だからな」

 私の言葉を、さも自分の言葉のように言った。得意気に。

「そうよ。大事にしなさい」

「あんたはしてんの?」

「え?」

「金。大事にしてんなら、得体の知れない子供《ガキ》にやんなよ」

 面白い子だな、と思った。

 怒ったり、泣いたり、笑ったり。

 感情に素直で、だけど馬鹿じゃない。

「慈善活動も、有効なお金の使い方だわ」

 素直な彼は、素直にムッとした表情をした。

「施しかよ」

「そうよ」

「そうやって、寂しそうな男を見つけては金を渡してんの」

「寂しいの?」

「寂しくねーよ!」

「初めてよ」

「は?」

「慈善活動」

 こんな会話のキャッチボール、仕事以外ではいつ振りだろう。

 感情のこもった表情と言葉を投げられるのは、いつ振りだろう。

「施しが必要なのは、あんたじゃねーの」

「……?」

 彼が急に真顔で言う。

 言葉の意味がわからず、返事に困った。

「あんたの方が、よっぽど寂しそうだ」

 初めて言われた。

『お前は一人でも生きていけるだろう? いや、一人の方が自由でいいだろう?』

 思い出したくない男の、思い出したくない言葉を、思い出してしまった。

「寂しくなんて、ないわ」

 ポケットの中の手を、握り締める。

 強く。

「寂しい奴ほど、そう言うんだよ」

「わかったようなこと――っ!」

 私には珍しく、カッとなった。

 私が声をかけるまで、夜の公園のベンチで背中を丸めて項垂れていた男に、知った風に言われて腹が立った。



 何も知らないくせに――っ!!



 そうだ。

 目の前の彼は、何も知らない。

 私が誰なのかも、自分が誰なのかも。

 私は言いかけた言葉を飲み込み、ポケットの中の手を開いた。

 余程強く握っていたらしく、ほんの少し掌に痛みを感じた。

 ふうっと小さく息を吐く。
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