最後の男

深冬 芽以

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18 悪あがき

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 既視感デジャブのようなシチュエーションだった。

 球場の駐車場を出ると、ただでさえ混み合う道路が、事故のために片側通行になっていて、大渋滞だった。

 子供たちは疲れて眠ってしまい、俺は薄暗くなった公園の駐車場に車を停めた。

 どちらからともなく、車を降りる。

「今日はありがとうございました」

「いえ」

「千堂課長――」

「なんか、似てますね」

『課長』と呼ばれたことに反応して、思わず彼女の言葉を遮ってしまった。

「え?」

「初めて一緒に出掛けた時と」

 彩さんに近づきたくて、待ち伏せまでしたのは、七か月ほど前。

 あの時は、まだ雪が降り始める前だった。

「溝口課長と結婚するんですか?」

「え――?」

「亮君が、そんなようなことを言っていました」

「亮が?」

 彩さんは驚いた表情で俺を見た。けれど、『俺を』見ているわけではないように感じた。

「結婚なんてしません」

 その断固とした言葉は、『溝口課長とは』ではなく『誰とも』という意味だろう。

「今日の俺たちって、家族に見えましたかね」

「え?」

はたから見たら、仲のいい家族のように見えたんですかね」

 だったらどうだということではない。

 誰にどう見られても、俺は家族じゃない。

「彩さん」

「はい」

「これで最後にします」

「え?」

 一縷の望みをかけて、言った。



「あなたが好きです」



 藁をも縋る想いで、言った。



「俺と結婚してください」




 ほんの数秒が、数十分にも感じた。

「ごめんなさい――!」

 彩さんが深々と頭を下げた。

 彼女の髪が風になびく。

「課長の気持ちは本当に嬉しかったです。だけど――」

「なら! どうして俺と寝たんですか?」

 こんなことを言うつもりじゃなかった。

 もっとスマートに、潔く引き下がろうと思っていた。思っていたのに、彼女の迷いのなさに、思わず本音が口をついた。

 こんなの、見苦しいだけなのに。

「すいません。あなたの迷いにつけ込んでおきながら……」

 腰を直角に曲げたまま、彼女が首を振る。

「私がずるかったんです」と言って、ゆっくりと顔を上げた。

「あんな風に求められたのが初めてで……、流されたくなってしま……って」

 泣いているのかと思った。

 けれど、彩さんは泣くどころか、目を見開いて俺を見た。

「課長を利用したんです」

「利用?」

「正直、イケメンの年下上司に好かれて、人生初のモテ期だって浮かれてるところもあって、今までとは違う自分になれた気がしたんです」

「違う自分?」

 彩さんが頷く。

「課長が言った通りです。私はずっと、どうしたいかよりもどうすべきか、欲しいものより必要なもの、を選んできました。だけど、失敗ばかりで……。だから、課長に気持ちを聞かれた時、上手く答えられなかった。そういう自分が嫌で、もっと衝動的に生きられたら――とか思ったりして……」

「衝動的に俺に抱かれた?」

 もう一度、彼女が頷く。

「けど、やっぱり私には無理があったんですよね」

「無理?」

「ないものねだり、だったんです」

『あいつがお前に揺らいだ気持ち、わかる気がする』

『ないものねだりだな』

 溝口課長は言った。

 そして、今、彼女も。



 敵わない――。



 彼女と深く繋がっていて、深く理解し合っている溝口課長でも、彼女の鎧を脱がせなかったのだ。

 俺なんかに、脱がせるはずがない。

「彩さん」

「はい」

 聞くべきじゃない。

 聞いたってどうしようもない。

 余計にみじめになるだけだ。

「一つだけ、正直に答えてください」

 だけど、聞かなきゃ吹っ切れない。

 前に進めない。

「絶対、誰にも言いませんから」

「はい……」

 俺自身のためだ。

 俺自身が、彼女への気持ちにけじめをつけるためだ。

「溝口課長を愛していますか――?」

 彼女は少し迷って、俯き、唇を震わせた。

 俺は、彼女が口を開くのを、待った。

 恐らく、十秒くらい。

 顔を上げた彼女は一筋だけ涙をこぼし、けれど、笑って言った。

「はい――!」

 それが、彼女の決断。

 俺なんかには、決して覆せない。

 溝口課長に言われた通りにするのは癪だけれど、これ以上彼女の迷惑にはなりたくない。

 これからも一緒に働いていくのだから、せめて嫌われたくはない。

 それが、俺のちっぽけなプライド。

「帰りましょう、堀藤さん」

 不思議と、涙は出なかった。
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