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13.御曹司の罠

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 私は隣の会議室に入った。

 そして、会議室と会議室の間にある備品室のドアを静かに空けた。

 四か月前、皇丞が私と直の別れ話を聞いていた場所。

 足音をたてないようにそっと、皇丞と直がいるであろう会議室のドアノブを回した。

 誰もいなければいい。

 そう願いながら。

「――さないでください。きらりから聞いたんですよ」

 直の声。

「なにを」

 皇丞の声。

 いてほしくなかった。

 私は本当にほんの少しだけドアを開け、聞き耳を立てた。

「あんたが、きらりに俺を誘惑させたって」



 ……させ……た――?



「梓がなびかないからって、きらりを使って――」

「――俺がなにを使おうが、お前が林海に堕ちたのはお前の弱さだ。俺のせいにするな」



 皇丞……。



 さっきまでの息苦しさの比じゃない。

 きっと、富士山の山頂付近はこんな感じなんじゃないかと思えるほど、酸素が薄い。

 口を開けても、思うように取り込めない。

 傍から見たら、口をパクパクさせて何をしているのかと思うだろう。

「あんたが――っ! あんたが俺と梓の仲を壊したんだ! あんたが余計なことをしなきゃ、俺と梓は――」

「――泣き落としだろうが色仕掛けだろうが、放っておけば良かったんだ。手を伸ばしたのはお前だろう? 妊娠と聞いて覚えがあったから、梓と別れたんだろう?」

「あんたがそうするように仕向けたんだろ!」

 ガタンッと、恐らくどちらかが机か椅子にぶつかった音がした。

 もみ合っているのなら、止めなければ。

 そのためにここに来たのに、身体が動かない。

「被害者ぶるなよ。事情はどうでも、お前が梓を裏切ったのは事実だ」

「だから、それは――」

「――理由なんて問題じゃないんだよ! お前は梓を裏切った。お前が梓を捨てたんだ。そして、今の梓は俺の女だ。その事実は変わらない」

 皇丞の言葉は正しい。

 直のしたことは許せないし、消せない。



 でも、もし、きらりが直を誘わなければ――。



「梓が欲しいなら、そう言えば良かったんだ。こんな卑怯な真似して――」

「――わかってないな。お前がいる限り、彼女は他の男を視界に入れない。絶対だ」

 そうだ。

 私はずっと直を見てた。直だけを。

 それで、幸せだった。

「俺がきらりに堕ちなければ――」

「――勝ち目のないゲームはしない」

「ゲーム!?」

『全部、課長のゲームです』

 ついさっきのきらりの言葉を思い出す。



 皇丞にとっては、ゲーム?



 指先が震える。

 いや、指先だけじゃない。

「バレなきゃいい。そう思ったろう? いつものように」



 いつも……?



「俺はっ――」

「――時間だ」

 カッカッカッと靴音が響き、キィッとドアが開く音がした。そして、バタンッ。

「くそっ――!」

 ドンッと鈍い音がして、直も出て行った。



 どうなっているの……?

 きらりが直を誘惑したのは、皇丞がそう仕向けたから?

 皇丞にとっては、全部ゲームだった?



『全部、課長のゲームです』

 すぐ耳元で囁かれているかのように鼓膜を震わす。きらりの声。

 勝ち誇ったような、高笑いが聞こえそうな余裕の声。

『全部、課長の罠なんですから』



 罠?



『後で聞いてみてください。私、ちゃんとできてましたから』



 なにが、ちゃんと――?



 私はきつく握りしめたボイスレコーダーに視線を落とした。

 以前、会議の後できらりに広塚家具の件で責め立てられたのもこの会議室で、その時に録音していたのがこのボイスレコーダー。

 あの時の会話もそのままだ。

 レコーダーのスイッチを入れると、小さなディスプレイに『1』と表示された。

 一件のはずがない。

 聞かない方がいい。

 動揺しているとはいえ、きらりの言うなりになっていいことなどないことは、わかる。



 だけど……。



 さっき、皇丞はきらりと同じことを言った。

『ゲームだ』と。



 だったら……。



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