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2.噂

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 翌朝。

 昨日の帰り際、課長に何も考えずに眠れと言われたけれど、そうできるほど私の神経は太くも強くもなかった。

 泣き腫らした上に寝不足な目元を入念なメイクでごまかし、出社した。

 ムカつくほどの晴天。

 なのに、雨の日のように髪は湿気を含んでうまく整わず、毛先はいつものジェルでパーマを強調したものの、出がけにうなじで緩く束ねた。

 それでも、いつも通りの時間に家を出て、いつも通りの時間の地下鉄に乗る。

 いつも通り、会社近くのカフェでホットコーヒーをブラックで注文しようとして、カフェオレに変えた。

 直はいつも、カフェオレかキャラメルラテを飲んでいた。

 ブラックコーヒーは苦くて飲めないと言って。

 私は甘いものも飲むけれど、基本はブラック。

 仕事が忙しくて会えない日が続くと、いつもより早く家を出てこのカフェで待ち合わせた。

 朝から甘いカフェオレを飲んでほっと一息つく直と、苦いくらいのブラックで頭を起こす私。



 この前、二人でここに来たのはいつだっけ……。



 そんなことを思いながら、カフェオレを飲んだ。

「あま……」

 やっぱり、朝飲むには甘い。



 私と直じゃ、違い過ぎたのかな……。



 たかがコーヒーの好みひとつが、別れの原因のように思えた。

「朝からそんな甘いの飲むのか?」

 頭上から声が降ってきて、私は振り返って見上げた。

「おはよう」

「おはよう……ございます」

 東雲課長だ。

 ダークグレーのスーツは、袖のボタンホールの布地が黒の切り替えで、さり気にお洒落だ。

 どこで、こんな素敵なスーツを買っているのか、と思う。



 御曹司様は、オーダーメイドか。



「お前、コーヒーはブラックじゃなかったか」

「……以前から思っていたのですが」

「ん?」

 課長が当然のように私の隣に座る。

 なぜ、婚約解消の翌朝に、上司とカフェのカウンターに並んでいるのか。

 しかも、大通りを行き交う人たちを眺めるように窓に向かうカウンター席。

 いくら外からは見えにくい窓とはいえ、よく見れば目が合う。

 会社の人に見られたら、完全に誤解されてしまうだろう。



 昨日の時点で、誤解されてるか……。



 直のことだけでなく、その点も出社に抵抗を持つ要因だ。



 それなのにズル休みもしないなんて、私ってなんてバカ真面目なの。



 有給はたっぷり残っているのだから、休めばよかったのだ。

 いや、こんな時だからこそ、休むべきだった。

「お前、今日は休めば?」

「……は?」

「いや――」

「――ひどい顔なのは承知の上です」

 言われる前に言ってやった。

「誰も――」

「――というか、部下といえども『お前』呼ばわりは一種のパワハラになりませんか?」

 イライラするのは、寝不足のせいか。

 いや、昨日からやけに鉢合わせる課長この男のせいだ。

 見られたくない場面ときにきまって現れる。

「大体っ!『お前』って誰ですか。課長が仕事中に『お前』って言ったら、みんな振り向くじゃないですか。私を含め、人間には名前があるんです。夫でもない限り、私を『お前』なんて――」

「――天谷は言わなかったか?」

「……はい!?」

 いきなり直の名前を出されて、面食らう。

 自分が思うよりヒートアップしていたようで、私は肩を上下させるほど。

 はぁ、とゆっくり息を吐いて呼吸を整える。

「つーか、夫ならいいのか?」

 聞き返されて、『ん!?』と思った。

 確かに夫なら良いというものではない。

 ただ、そこまで深い関係でもないのに、と言いたかっただけだ。

「関係性にもよります」

 私は、冷静に、尤もらしく言った。

 課長は口角を上げて、不敵な笑みで私を見た。

「なるほど? 『お前』呼びが許されるほどの関係性、ね」

「……なんですか」
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