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第一部
甘い砂糖菓子
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「クラーク公爵がお見えになるそうだよ」
「えぇ。先程私にも手紙が届きましたわ」
父がわざわざ私の部屋まで来るのは、フロージアが侯爵令嬢を懇意にしていると噂が広まった時以来だ。
「あの縁談を受ける気なのか?」
「まだ分かりませんけど、受けてもいいかもしれないと思ったのでお会いしたいと私からとお返事しました」
「あの馬鹿王子のお陰でステラがイシュトハンを継いでくれるならと受け入れたというのに…今まで会った者ではダメだったのか?」
「ダメというわけではありませんが、気乗りするような相手がいなかったのは確かです」
父は広大な領地の結界を一人で担当させている母との約束で、早期の隠居を希望している。
娘三人が豊富な魔力量を保持して生まれた頃は、普通は魔法省から乳母や世話役の派遣を受けるのだが、魔力が強すぎて母は1人で対応するしかなかった。
泣けば魔力が暴走し、怒れば魔力が暴走する。時には笑っていたって魔力は暴走した。
多くの結界を張りながらの育児は前代未聞の忙しさだったに違いない。
結界に集中している今でも、食事と睡眠を生活の中心に置いているので、相当な無理をしていたはずだ。
それを考えれば、イシュトハンを早くに継いであげるのが優しさだろう。
魔力の多いものを婿にもらい、王宮の結界を張っていても何とかなるとは踏んでいるが、それだけでは厳しいだろう。
育児もとなると私でもとても自信が湧いてこない。
母を早く解放してあげたいとは思うが、私も魔術師の一人である。
母が結界に集中出来るのは、煩わしいと思うものを魔力の才能のなかった父が丁寧に排除しているからだ。
少なくとも、信頼のおける相手でないと側に置く必要すら感じられない。
クラーク公爵が婿に来ることは不可能だし、私も余程の理由がなければ縁談を受ける理由がない。
それでも心が騒つくのだ。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
彼はお昼過ぎにイシュトハンへ到着した。
王都の屋敷でも問題はなかったのだが、わざわざこの辺境の地まで転送装置でやって来たのだ。
「公爵閣下、ようこそいらっしゃいました」
私と父はクラーク公爵を丁寧に出迎えた。
辺境伯と公爵には天と地ほど開きがある。
正直に言えば、魔力の強い私にはこの階級制度に意味があるのかと聞かれると疑問しかないが、弱い者が虚勢を張るには必要なのだろうと思うことにしている。
「そんなに畏まらないでください。急な訪問に答えていただいたのに恐縮です」
「公爵、今日はどうぞごゆるりとお過ごしください」
公爵が到着するまで、結婚反対音頭を踊っていた父も、流石に丁寧にお辞儀をした。
「はいお気遣い感謝いたします。ステラ、昨日はよく眠れました?」
父が下がると同時に、公爵は私の頬にするりと手を添わせる。
「もちろんです。公爵も良い夢を見られたのではないですか?」
私はサラリと公爵の手を取ると、さり気なく頬から手を外した。
流石にお酒も入っていない状態で昨日のように気軽にスキンシップを許すつもりはない。
気を抜いたら唇さえ奪われそうな勢いだ。
「あぁ、君が隣にいればきっといい夢が見られたんだろうね」
「お上手ですこと」
ホホホホと笑いながら、私は彼を庭園の見えるバルコニーへと案内した。
イシュトハンは城自体が要塞のようになっているため、庭も同様に薔薇園が広がるような場所はない。
敵の侵入を遅らせる迷路のようにうねった庭園が見えるだけだが、ここよりも適切な場所が思い浮かばなかった。
「素敵な庭だね」
「庭園迷路の簡易版のようだと馬鹿にされることもあるのですが、敵が攻めてきた時には曲がりくねった道は思っている以上に役に立つのです」
「この庭でステラは育ったんだね。イシュトハンの歴史ある庭を馬鹿にするなんてとんでもないことだ」
あの庭の四阿でよくフロージアと本を読んでいた。
アカデミーに入るまで、フロージアはイシュトハンに来ることは滅多になかったのに、あまりにも思い出が増え過ぎてしまったようだ。
「もしかして、殿下のことを思い出してしまった?」
「え?」
「少し寂しそうな顔をするから」
私の表情管理が甘かったのかもしれない。
他のことを考えていることを気取られるなんてとても失礼なことだ。
「失礼しました」
「いや…そうだ。お茶が冷める前にいただこうかな」
「私のお気に入りのお茶をご用意しました。公爵の口に合えばいいのですが」
チラリと公爵を見ると、にっこりと笑っていた。
先程のことはあまり気にしていないようで胸を撫で下ろした。
「私ばかりステラと呼んでいたらとても失礼な男みたいじゃないか?」
「?」
「昨日はディヴィッドと呼んでくれたでしょう?」
そういえば、そう呼んでいた気がするが、お酒の入ったパーティでのことを間に受けて公爵を呼び捨てにするなんて烏滸がましいことだ。
「本当にディヴィッドと呼んでもよろしいのですか?」
「もちろん。ステラなら愛称で呼んでくれても構わないけど」
「まぁ。愛称だなんて、心を許し過ぎていると叱られるのでは?」
私は悪い冗談だと受け流したが、彼は本気で言っているようだった。
「私の一番星」
「それは私のことですか?」
「うん。あまり気に入らなかった?なら…可愛いスターキャットとか?」
「公爵にあまり名付けの才能を感じません」
「ええ!酷いなぁ。ほらステラ、私のことはなんと呼ぶんだった?」
「ディヴィッド…」
「うん。私の名前を呼ぶステラは本当に可愛いよ」
こんなに甘く微笑む彼の噂は聞いたことはないし、社交パーティでも見たことがない。
何人かエスコートしているのも見たことがあるが、もっと真面目な方だとばかり思っていた。
「えぇ。先程私にも手紙が届きましたわ」
父がわざわざ私の部屋まで来るのは、フロージアが侯爵令嬢を懇意にしていると噂が広まった時以来だ。
「あの縁談を受ける気なのか?」
「まだ分かりませんけど、受けてもいいかもしれないと思ったのでお会いしたいと私からとお返事しました」
「あの馬鹿王子のお陰でステラがイシュトハンを継いでくれるならと受け入れたというのに…今まで会った者ではダメだったのか?」
「ダメというわけではありませんが、気乗りするような相手がいなかったのは確かです」
父は広大な領地の結界を一人で担当させている母との約束で、早期の隠居を希望している。
娘三人が豊富な魔力量を保持して生まれた頃は、普通は魔法省から乳母や世話役の派遣を受けるのだが、魔力が強すぎて母は1人で対応するしかなかった。
泣けば魔力が暴走し、怒れば魔力が暴走する。時には笑っていたって魔力は暴走した。
多くの結界を張りながらの育児は前代未聞の忙しさだったに違いない。
結界に集中している今でも、食事と睡眠を生活の中心に置いているので、相当な無理をしていたはずだ。
それを考えれば、イシュトハンを早くに継いであげるのが優しさだろう。
魔力の多いものを婿にもらい、王宮の結界を張っていても何とかなるとは踏んでいるが、それだけでは厳しいだろう。
育児もとなると私でもとても自信が湧いてこない。
母を早く解放してあげたいとは思うが、私も魔術師の一人である。
母が結界に集中出来るのは、煩わしいと思うものを魔力の才能のなかった父が丁寧に排除しているからだ。
少なくとも、信頼のおける相手でないと側に置く必要すら感じられない。
クラーク公爵が婿に来ることは不可能だし、私も余程の理由がなければ縁談を受ける理由がない。
それでも心が騒つくのだ。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
彼はお昼過ぎにイシュトハンへ到着した。
王都の屋敷でも問題はなかったのだが、わざわざこの辺境の地まで転送装置でやって来たのだ。
「公爵閣下、ようこそいらっしゃいました」
私と父はクラーク公爵を丁寧に出迎えた。
辺境伯と公爵には天と地ほど開きがある。
正直に言えば、魔力の強い私にはこの階級制度に意味があるのかと聞かれると疑問しかないが、弱い者が虚勢を張るには必要なのだろうと思うことにしている。
「そんなに畏まらないでください。急な訪問に答えていただいたのに恐縮です」
「公爵、今日はどうぞごゆるりとお過ごしください」
公爵が到着するまで、結婚反対音頭を踊っていた父も、流石に丁寧にお辞儀をした。
「はいお気遣い感謝いたします。ステラ、昨日はよく眠れました?」
父が下がると同時に、公爵は私の頬にするりと手を添わせる。
「もちろんです。公爵も良い夢を見られたのではないですか?」
私はサラリと公爵の手を取ると、さり気なく頬から手を外した。
流石にお酒も入っていない状態で昨日のように気軽にスキンシップを許すつもりはない。
気を抜いたら唇さえ奪われそうな勢いだ。
「あぁ、君が隣にいればきっといい夢が見られたんだろうね」
「お上手ですこと」
ホホホホと笑いながら、私は彼を庭園の見えるバルコニーへと案内した。
イシュトハンは城自体が要塞のようになっているため、庭も同様に薔薇園が広がるような場所はない。
敵の侵入を遅らせる迷路のようにうねった庭園が見えるだけだが、ここよりも適切な場所が思い浮かばなかった。
「素敵な庭だね」
「庭園迷路の簡易版のようだと馬鹿にされることもあるのですが、敵が攻めてきた時には曲がりくねった道は思っている以上に役に立つのです」
「この庭でステラは育ったんだね。イシュトハンの歴史ある庭を馬鹿にするなんてとんでもないことだ」
あの庭の四阿でよくフロージアと本を読んでいた。
アカデミーに入るまで、フロージアはイシュトハンに来ることは滅多になかったのに、あまりにも思い出が増え過ぎてしまったようだ。
「もしかして、殿下のことを思い出してしまった?」
「え?」
「少し寂しそうな顔をするから」
私の表情管理が甘かったのかもしれない。
他のことを考えていることを気取られるなんてとても失礼なことだ。
「失礼しました」
「いや…そうだ。お茶が冷める前にいただこうかな」
「私のお気に入りのお茶をご用意しました。公爵の口に合えばいいのですが」
チラリと公爵を見ると、にっこりと笑っていた。
先程のことはあまり気にしていないようで胸を撫で下ろした。
「私ばかりステラと呼んでいたらとても失礼な男みたいじゃないか?」
「?」
「昨日はディヴィッドと呼んでくれたでしょう?」
そういえば、そう呼んでいた気がするが、お酒の入ったパーティでのことを間に受けて公爵を呼び捨てにするなんて烏滸がましいことだ。
「本当にディヴィッドと呼んでもよろしいのですか?」
「もちろん。ステラなら愛称で呼んでくれても構わないけど」
「まぁ。愛称だなんて、心を許し過ぎていると叱られるのでは?」
私は悪い冗談だと受け流したが、彼は本気で言っているようだった。
「私の一番星」
「それは私のことですか?」
「うん。あまり気に入らなかった?なら…可愛いスターキャットとか?」
「公爵にあまり名付けの才能を感じません」
「ええ!酷いなぁ。ほらステラ、私のことはなんと呼ぶんだった?」
「ディヴィッド…」
「うん。私の名前を呼ぶステラは本当に可愛いよ」
こんなに甘く微笑む彼の噂は聞いたことはないし、社交パーティでも見たことがない。
何人かエスコートしているのも見たことがあるが、もっと真面目な方だとばかり思っていた。
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