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公爵の結婚

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この日、ハリエットはいつものように簡素なワンピースにコートを羽織り、コーネルの手を握っていた。


「今日は早く帰って来ますからね。きっと、いい報告が出来ます」


コーネルはここ数日、体調を崩し、食事をとることもままらない高い熱が続いており、伯爵家の医師もあとは体力が保つかどうかだと匙を投げている。
他の医師に診てもらっても答えは同じで、無事を祈るハリエットの姿は、デリックから見ても実の娘のように思えた。
たった2年半前に政略により親子となっただけの関係だが、幼さの残っていた彼女はどこを見ても隙のない女性へと変貌を遂げていた。
当主の世話をするだけの使用人達に笑いかけつづける直向きさは、怒りを覚えるほどだ。
ただの代理人であったデリックだが、何度も使用人たちに改善を求めたが、解雇する権限は持っていなかった。
今使用人の解雇の権限を持つのは伯爵家当主であるコーネルと、ハリエットである。
その冷遇され続けているハリエットが税収を上げ続けている現実に、余計に腹立たしさを感じていた。


デリックが開け放たれたドアの扉をトントンと形だけのノックをすると、ハリエットは伏せていた顔を上げる。


「ウィルソンが待っていますよ」

「そう。行くわ」

ハリエットはコーネルの腕に布団を被せると、デリックから帽子を受け取る。


「必ず食事をしてからお戻りくださいね」

「ウィルソンもいるのだから大丈夫よ」


この屋敷で彼女の面倒を見るものがいないということは、食事が出されることもないという事だ。
そんな大きなことに気付くのに、デリックは1ヶ月かかった。
彼女が頻繁に視察に出ていたことも影響したが、まさか食事すら出していないなどとは思いもしていなかった。


何度言ってもハリエットは使用人の解雇を認めず、当主への報告も許されなかった。
病に臥せる当主を思えば、ハリエットに共感もできる。
少しずつ変わっているこの領地を見れば、彼女が環境を変えるのは簡単なことなはずだったが、それを望まないのならばこれ以上は越権となると考え見守ることしかできなかった。



「ですが、きちんと言わないと食事を抜いてしまうでしょう」

「そんなに心配しないで。全く。ウィルソンと同じことを言うんだから」


帽子を被りながら、少しむくれたように唇を突き出した彼女が、この2年半で四つの事業と領地の改革をしているなんて、誰が信じようか。


「当主のことは私にお任せを」

「お昼過ぎには一度戻るわ。予定通り夕方から町長達が来るから厨房も気にかけてくれたら嬉しいわ」

「畏まりました」


ハリエットはデリックに「行ってきます」と振り向きながら声をかけると、そのまま待ちきれないとばかりに歩みを進めた。


商会の侍従のようなグレーの羊毛ベストを着たウィルソンは、階段の前で背筋を伸ばして待っていた。
騎士服よりも体のラインが出るベストは、彼の見た目の良さを強調しているようにも思う。
もう少し休みが増えれば充実した私生活となるだろうが、生憎異国へと逃亡した私たちに休暇と呼べるような日はない。


「その服、寒くはない?」


マントを受け取り、胸元のボタンを止めながらウィルソンに聞くと、一度両腕を確認しながらも「問題ありません」と短くグスチ訛りで答える。
アイナス語を話すのは貴族のみ。このグスチでは本来なら伯爵と、その娘のハリエットのみである。
それ故、2人はホーヴルスと呼ばれる北の国訛りの言葉を覚えなければいけなかった。
グスチと隣の地ゴードラン、そして今は隣国となっている土地の一部の者しか使っていない、帝国としての分類上民族語のひとつとされる難しい言葉だ。2人はまだネイティブと言える程操れてはいない。
喉の使い方、舌の使い方から覚えなければ行けなかった2人がデリックを屋敷に置いて出かけられるようになったのはわずか半年前だ。
どんなに素敵な男性でも、言葉が拙ければ素敵な令嬢との関係が発展する機会も減ることだろう。


ハリエットはウィルソンの操る小さな馬車で、伯爵家の裏にある小さな丘を経由して城下におりた。


言語に慣れる為の外出でもなく、視察をする為でもない外出。
今日は特別な日だった。


「ウィルソン、今の道!!右だった思うわ!」


暫く馬車の窓から街を見ていたハリエットが御者に指示を出すためだけにある小さな窓を開ける。


「すみません!次で右に曲がります」


ウィルソンが間違えるのも無理はない。普段はあまり通らない道を進んでいるのだ。
大切なお客様を迎えに行く、いくつものある運命の分岐に私達はいるのだから。
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