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 驚いた。笑顔がこれほどまでに心を惹きつけるものだとは、思いもしなかった。彼女の回りの空気だけが違うかのように、温かく優しく感じるのは何故なのか…。どんな言葉を並べても、今の彼女を正しく表現することはできないけれど、唯一わかっているのは【彼女に近づきたい】その気持ちだけ。 

                     ・

「....は?」 
「...だから、結婚はなくなったの」 
 そう答えた後、紬里はビアグラスを煽った。そして一つ溜息をついた後、高校時代からの友人で麻酔科医でもある紗季の目を見ないまま、小さくこぼした。 
「気持ち悪いって」 
 言いながら、両手で持っていたグラスに力がこもる。 
「2か月くらい前に私がBL好きなのがバレちゃって。...それから彼の態度が変わってさ。初めのうちは彼も何とか取り繕っていたみたいだけど、だんだんと距離が出来たというか連絡が減ってきて...。」 
 頬杖をつきながら聞いていた紗季が、表情を変えずそのまま言葉を繋げる。 
「それって破談の原因になるほどのこと?」 
「...私だってそこまでって思ったわよ。私の中では普通の事だからさ。でも...彼は違ったの。」 
 紬里はグラスをグッと煽ったあと、もう1度溜息をこぼして言った。 
「いろいろ考えて、価値観が違うんだって事に行き着いたって。」 
「...体よくまとめてんじゃないわよ。」 
「だって彼がそう言ったんだもん。」 
 口を尖らせながらすねたように話す紬里を見やりながら、紗季がワイングラスを手に取った。 
「それで紬里は素直に聞き入れたってこと?」 
「勿論それだけじゃ私だって納得できないもん。2年付き合って結婚も決めて、今さらそんな事言われても、普通、え?って感じでしょ?でもその時はすごく気持ちが落ちてて話す気にも聞く気にもなれなくて。」 
 ようやく紗季と目を合わせた紬里は、苦し気に笑いながらゆっくりと話を続けた。 
「LGBTQが現実だっていうのは頭ではわかっていても、身近に感じたことはなくて彼自身も露ほども想像したことなかったって。私が読んだり観たりしてるのがたとえフィクションだとしても、彼の中では現実みたいに思えて気持ち悪く感じちゃうって。今の私の考えも理解できないし、子供にも影響があるかもとか考えるともう無理だって、そんな感じの事を言ってた気がする。」 
遠い昔の事のように、少しずつ思い出しながら話している紬里をじっと見つめていた紗季は、ワイングラスを置き頬杖をついた。 
「...子供が大きくなる頃には、もっと世の中進んでるわよ。」 
「でも私まで気持ち悪く思われてんだから、もう終わりよ。」 
「ため息交じりにつぶやいた紗季にそうこぼして、紬里は自分の手元を見やった。 
「遅れてごめーん。...て、どした?」 
 着いたばかりの琉希が紗季のとなりを陣取りながら二人の顔を交互に見て、返答を待っている。琉希もまた紬里とは高校からの親友で、現在は建築家。明るいブルーのジャケットの下に黒のTシャツと黒のパンツを品よく合わせ、容姿も相まって他の客の目線を惹きつけていた。 
「結婚、なくなったんだって。」 
 紗季が一口ワインを飲んだ後、あっけらかんと話す。 
「は~~~っっ!?」 
 周りの客にも聞こえる大声で叫ぶ琉希に、紬里は驚き少しの間フリーズし、紗季は表情も変えずもう一口ワインを飲んだ。 
「琉希うるさい。」 
「なんで!?どうしてそんな事になんの!?てか、なんで紗季はそんなに冷静なんだよ!」 
「どんなに愛情があっても、全てを受け入れてもらえるなんて奇跡なんだって事を痛感しただけ。愛情って強いけど脆くもあるのよ。」 
「意味わかんない。ちゃんと説明してよ!」 
 紬里は言い合いを続ける二人をテーブルの向かい側から眺めながら、自分を思って言い合ってくれる友人がいることに心から感謝した。それと同時に、騒ぎ続けている琉希を宥めながら、近くのテーブルの客達に頭を下げた。 

 

 3人が知り合ったのは高校2年の同じクラスになった時。紬里が学校へ持ってきた教科書の間に、BL同人誌が紛れていたのをたまたま2人に目撃されたのがきっかけだった。2人ともBL好きで、琉希にいたっては自分がゲイであることを確信した頃だったこともあり、秘密を共有するかのように一気に仲が深まっていった。高校卒業後それぞれ別の大学へ進学したものの、交流は今でも続いている。 
「BLの何が悪いのさ‼」 
 破談の話を聞いた琉希が開口一番毒ついた。 
「悪いんじゃなくて、どんな形であっても受け入れられない人はいるって事よ。仕方ないでしょ、それは。人の気持ちはそうそう変わらないし、変えられない。だからリアルでもまだ恋人を紹介できないCPだっているんじゃない。アンタもそうでしょ。」 
「...そりゃそうだけど。」 
 紗季の言葉に、先ほどまで息巻いていた琉希が急に大人しくなる。 
「でも、そんなのあんまりだ。悲しすぎるよ。」 
 顔を歪めて涙をこらえる琉希の肩を、隣にいる紗季が優しく叩いた。 
「琉希、ありがとうね。」 
 自分の事のように涙してくれる友人の手を、紬里はありったけの感謝を込めて握った。勿論、紬里も目に涙を浮かべながら。それでも今明るく笑っていられるのは、この二人のおかげであることに間違いはなかった。 
「でもなんでバレたのよ。あんなにひた隠しにして、抜かりなかったわよね?」 
 ウェイターにボトルワインを追加注文し終えた紗季が、紬里に尋ねた。そこへ琉希も便乗するように言葉を繋ぐ。 
「そうだよ。彼氏が急に家に来ても大丈夫なようにって、ノベルだってコミックだって僕んちで預かってるし、同人誌だってそうじゃないか。どこにバレる要素があるわけ?」 
 本気でわからないという表情で二人に見つめられ、紬里は存在も声も小さくなるしかなかった。 
「………たの。」 
「は?」 
「聞こえないわよ。」 
紬里は一度深呼吸し、しっかりと二人の目を見据えた。 
「タイのBLドラマを見てたら、突然彼氏が来て。それが濃厚なラブシーンだったもんだからさ。私も没頭してて気が付かなかったし、しかもテレビで見てたから隠しようもなかったの。いつもはスマホで見てるんだけど、約束もなかったしその日は残業って言ってたから、まさかうちに来るとはこれっぽっちも思わなくて...。」 
 話しながら段々と目線が下に向かう紬里を、紗季と琉希の2人は目を合わせた後、同時に紬里を見つめて、少し溜息交じりに答えた。 
「そら厳しいわ。」 
「本ならまだしも、映像となると確かに想像がリアルになるもんね。紬里、それってもしかして前に僕がおすすめしてたヤツ?」 
「...そう。」 
「あれか~~。」 
 琉希は目元を片手で覆いながら、天井を仰いだ。 
「何よ。どんな話?」 
 ワイングラスから手を放し、再び頬杖をついた紗季の質問に、姿勢を正した琉希が少し前のめりになりながら口を開く。             
「地に足をつけた生活してるんだけど性格が俺様ドSな御曹司が、天然ピュアな後輩を落として激甘彼氏になる話。んで脇CPがね、遊び人で野獣御曹司なんだけど傷心の年下男子の魅力に落ちて、今までが嘘みたいにスパダリに成長すんの。これがまたエロな魅力もちゃんとあっていいんだよ~~。」 
 ウキウキと話す琉希の顔を無表情に眺めていた紗季が、目線を紬里に変え苦笑しながらつぶやいた。 
「なんで御曹司がそんなにゴロゴロいんのよ。確かにドラマとしては面白そうだわ。でもそれは素人さんでしかもノンケにはキツイわね~。」 
「うん。大好きなドラマだしおススメしといてなんだけど、僕だってあれは厳しいと思うよ。」 
今まで味方だった二人のマイナス意見だが、紬里もさすがに反論はしなかった。 
「私もそれはわかってるもん。」 
 ちょっと不貞腐れた感を表情に出しながら、パスタをフォークに巻き付ける。食べるでもなくクルクルと回し続けながら、今度は笑顔を顔に貼り付けて話を繋ぐ。 
「それからね、仕事も辞めちゃった♪」 
「「......はああああ~~~!?」」 
 一瞬の間を置いて、先程の琉希の大声を上回る2人の絶叫が、店中に響き渡った。 

   
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