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第三章
[第44話]天満月(あまみつつき)の夜に
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再生の館活動初日は、早朝の時間帯だけで百人を超える人たちが訪れた。
事前に用意していた再生の種も早々に尽きると、サフォーネは『祈りの間』で新たな種に力を注ぐ。
『受け取りの間』では、筒がなく種の譲渡が行われる中、「病を見てもらいたい」という者が現れれば、『癒しの間』に通して、スラワとマオラがその治療を施した。
サフォーネの力が必要と思われる重病人だけは、急を要しない限り『控えの間』にてその日の『対話の時間』まで待つことになっている。
カルニスもニカウも初めての対応にあたふたしながら、慣れているトワの指示に従って奔走した。
しかし、予想を超える人数に、午前中だけで全ての対応は叶えられなかった。
昼休憩直後には『対話の時間』もある。
そのため、訪問者たちにはそのあとまで待ってもらう事を伝え、待機用天幕の設置が急遽必要になった。
館を作るために切り拓いた森には木陰が少なく、初夏を迎えるこの時期、外で待たせるのは困難と判断したカルニスとニカウの提案だった。
昼休憩を返上した男手総出でそれらの準備が進められる。
「…まだできたばかりだし、課題も多そうですね」
「そうだな…。でも、早くに問題点に気付けて良かったよ。隊長にも報告できるし」
ニカウの言葉に、最後の天幕を張りながらカルニスは頷いた。
デュークは恐らく今、ここを訪れるために疲れを押して仕事をしているに違いない。
今回の闇祓いの任務はいつもより難を来し、その上、浄清の天使団が不在での結末となった。
浄化が行き届かない闇祓いの仕事は、その区域と状況を改めて調査し、報告しなければならない。
そしてその報告はより正確なものを求められる。
デュークが手を抜くはずもなく、加えて五日で終わらせるのは相当に無理をしてのことだろう。
その隊長が来た時に、「二人に任せない方が良かった」と、がっかりさせたくない。
「よし!軽く飯食ったら、午後も頑張ろうぜ。な?ニカウ」
カルニスと同じ思いか、ニカウも「はい!」と元気に返した。
午後になり『対話の時間』になると、事前にその約束をした人々が受け取りの間に集められる。
集まったのは祖人、小人、獣人の他に、これまではなかなか訪れることのなかったエルフやドワーフの姿もあった。
「サフォーネ様か…どんな方なんだ?」
「あんた、あの知らせを見なかったのかい?髪が赤い羽根人だよ」
「異端の天使か…再生なんて本当にできるのかね…」
まだ半信半疑の者たちも居るようで、ひそひそと囁かれる言葉に、祭壇の横で控えるカルニスは、少し苛ついていた。
「サフォーネ様のお支度が出来ました」
職員の言葉が届き、場が静まる。
続いて『祈りの間』の扉が開かれ、肩掛けの衣を纏ったサフォーネが現れると、人々はその美しさに目を見張った。
赤色の瞳と髪は、想像していたものと違った。
柔らかい夕日のような明るさを放ち、その穏やかな表情に誰もが魅了される。
白い翼を背中に携え、天窓から差し込む日差しがさらに輝きを与える。
「まるで女神様だ…」
訪問者のひとりが思わず口にした。
後ろに控えるナチュアが、サフォーネの衣の裾を払い、座る場所を整えると、サフォーネは腰を下ろそうとしたが、集まっている人々が自分を見ていることに気がつくと、ぺこりと頭を下げた。
続いて、すとんと椅子に座ると、床から離れた足をぶらぶらさせながら、部屋の中を見渡した。
「サフォ…おはなしきくよ…?……え…っと……どうしよ…?」
言ったものの、どうやって話を聞くのかわからず、首を傾げる。
その言動は庶民そのもの。
最初に感じた神々しさとは裏腹の、らしからぬ行動に皆が唖然とすると、トワが思わず吹き出した。
「ちょっと…トワ」
カルニスが小声で叱責する。
事前の打ち合わせで、初となる『対話の時間』の流れを相談した時に、王都の職員からの強い要望もあり、厳かな空気を大事にしようと決めたところだった。
「やめようぜ、こんなの息が詰まるだろ。サフォーネは自然のままが一番いいんじゃないか?」
そう言うと、両手を挙げて集まった人々に向かって口を開いた。
「さぁ、再生の天使様のご登場だ。順番に話を聞くから並んでくれ」
トワの機転にナチュアもホッとした。
堅苦しい空気はサフォーネには似合わない。
サフォーネが親しげな笑顔を向ければ、訪問者たちも緊張が解けたか、順に並び始めた。
「言っておくが、ここに居るサフォーネは特別な力を持っているとは言え、俺たちと同じ人間だ。あまり無茶な注文はするなよ?」
獣人たちにも解るように通訳をするトワの独壇場と為りつつある状況に、カルニスも諦めてその場を楽しむことにした。
「正門の前にここでの掟を掲げている通り、全ての要望に応えられるとは限らない。そこだけは了承願いたい」
人々に呼びかけながら、最初の依頼者がサフォーネの前に進み出るのを許可した。
殆どの依頼が、畑作にしている作物がうまく育たないという悩みで、その種や苗を持参してきていた。
サフォーネはそれを一つ一つ確認し、必要ならば力を注ぎこむ。
その種や苗に充分な力があれば、再生の力を込めた肥料を渡したり、状況を聞いて土壌の改善が必要と思えば多年草の種を与えたりした。
「我が家に代々伝わってきた金のなる木が枯れそうなんです。何とかなりませんか?」
ドワーフの男が鉢植えを手に、サフォーネの前に歩み出た。
殆どの者が生活が掛かる事態の中で、その願いは滑稽にも聞こえる。
「そんなの、駄目な枝を落として刺し木すれば良いだろ?」
トワの容赦ない突っ込みに周囲も笑いを誘われたが、ドワーフの男は激しく首を横に振った。
「ここまで大きくなった木を捨てるなどとんでもない。何とかなりませんか?」
差し出された木に、サフォーネは顔を寄せて耳を傾ける。
角度を変えては数回そんな行動を繰り返したあと、笑顔を浮かべた。
「だいじょぶ。…でも、ここはげんきない。…ここも。あと、ここも…」
結果的にトワが言った刺し木にするような部分だけが残ったが、そこにサフォーネが再生の力を送ると、その場で一株くらい成長した。
ドワーフの男は満足したようだった。
午前中に来て、重病人と判断された者の順番が回ってきた。
スラワがある程度治療を施したが、内臓の奥に何かが潜んでいるような感覚を探り当て、それが取り除けないと判断したようだ。
重病人は40代くらいの祖人の男性で、その幼い息子と知人の男性が付き添いで来ていた。
「父ちゃんを、助けてください…」
涙声で訴える男の子に応えるように、サフォーネがその男性の様子を見る。
横たわる身体に手を翳して集中すると、胃の辺りに異変を見つけた。
それは周囲の細胞とは違う細胞だった。
「…みつけた…」
そう呟くと、サフォーネはその場所近くに力を送り込む。
正常な細胞の力が増し、異常を来した細胞を呑み込んで行くように増えていく。
しばらくの間、サフォーネは男性の胃の部分に手を翳し、祈るように瞳を閉じていたが、そっと目を開けた。
「…もぉ、だいじょぶ…。…えと、やさしいたべもの…あと、たくさんねんね」
その言葉にきょとんとする男の子に、ナチュアが声を掛けた。
「お父さま、大丈夫ですって。しばらく消化の良い食べ物をとって、たくさん睡眠をとらせてあげてください。きっと良くなりますよ?」
男の子は安堵したか、その場で嬉し涙を流した。
その声に起こされた男性は、事の状況を把握し、サフォーネに向かって感謝を述べた。
初となる対話の時間を終え、待たせていた訪問者の午後の対応が終わる頃には、陽が傾き始めていた。
全ての仕事が片付くと、受け取りの間に皆が集まる。
「対話の時間が増えたおかげで、終了時間が押したな。今後もこんな感じか…」
トワが溜息交じりに言うと、カルニスとニカウも軽く息をついて、力なく笑った。
女性の職員がお茶を用意してきたのを、ナチュアも手伝って全員に手渡す。
「でも、あのように救われる親子も居るのですから、遣り甲斐のある仕事ですよ。ね、サフォーネ様?」
ナチュアの言葉に、サフォーネが笑顔で頷いた。
サニエルは事務仕事の予定だったところ、今日は突然、天幕設置の手伝いとその待機する人たちの管理に追われ、思わぬ立ち仕事となった。
痛めた腰を辛そうに撫でていると、スラワが治療を施してくれた。
その様子を皆が和やかに眺めながら、互いの初仕事を労う。
館の職員全員が、心地よい疲れを実感しているようだった。
ナチュアはその光景に、今後の再生活動も良い方向へ行くと確信する。
「とにかく皆様、本日はお疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします」
翌日も、その翌日も、さらにその翌日も。
初日の時と同じように訪問者の数は多く、忙しい対応に追われたが、待機所の天幕を最初に用意した事で、二日目以降はひとの流れがある程度速やかに行われた。
そして、最終日を迎える夜、なかなか寝付けなかったサフォーネは、自室のバルコニーから夜のセレーネ島を眺めていた。
日に日に気温が高くなり、夜になってもその熱は冷めない日も増えてきた。
暗闇の森をざわめかす風も、どこか湿気を含んで纏わりつく。
その音に耳を傾けていると、涼やかな水の音が聞こえてきた。
湖が風で波立っているのか…いや。
「ふんすい…」
サフォーネは翼を広げると、バルコニーから飛び立った。
庭に降り立つと、噴水の水音がより大きくなる。
聖殿の噴水に比べれば確かに小さいが、これが自分のために造ってもらったものと思えば心は踊る。
ゆっくり近寄ると、サフォーネは一番下の受け皿に手を入れた。
水は冷たく、心地良い。
掬いあげると、手から溢れた雫が月明かりを受けてキラキラと輝いた。
今夜は天満月。
館の周囲には松明も灯っているが、それが無くとも十分なほどの青白い明かりが空から降り注ぐ。
「きれー…」
滴る雫を追って、水面に視線を落とす。
そこには水面に揺れる己の顔が映っていた。
笑っているつもりだったが、その顔は半分泣きそうになっていた。
「…デューク…こない…?」
カルニスの話では「五日後に」ということだったが…その話はとうに過ぎている。
しかし、デュークがやってくる気配はなかった。
このまま再生の活動を終え、聖殿に帰れば、デュークにも会えるだろうが、サフォーネはこの館をデュークに見てもらいたいと思っていた。
湖が見える展望台で、練習した笛を聞いてもらいたいと思っていた。
それが叶わないのが少しだけ、寂しくて辛い。
「デューク、いそがしい?…サフォ、がまん…」
零れる涙を誤魔化すように、噴水の水を両手で掬い上げ、顔を洗った。
その心地よさに誘われるように、サフォーネは噴水の淵に飛び登った。
翼を格納すると夜具の裾をつまみ、片足を水につけてみた。
眠れずに火照っていた体の熱が溶けていく。
そのまま爪先を蹴り上げると、雫が宙に舞った。
大小様々な水の粒がキラキラと輝き、乾いた台座の大理石に濃い色を描く。
それがだんだん楽しくなってきた。
何度も水面を蹴り上げて雫を飛ばすと、サフォーネから笑みがこぼれ始める。
その時…。
――カチャリ――
背後に聞こえた金属音。
それは騎士たちが身につける鎧と剣の金具が擦れる、耳馴染んだ音だった。
「デュー…」
振り返ったサフォーネは、その名を口にしようとして慌てて噤んだ。
「サフォーネか…?…こんな夜中に何してるんだ」
そこに立っていたのは、ランタンを掲げた夜回り中のカルニスだった。
サフォーネは笑顔を作った。
「…みず、きもちいーよ?」
そう言うと、カルニスに背を向けて、再び水を蹴りあげながら、その雫を見つめた。
「サフォーネ…」
五日目、「デュークくる?」と聞いてきたサフォーネ。
六日目も同じ事を繰り返し聞いてきた。
だが、七日目、八日目は徐々にその問いも減り、昨日はついに口にしなくなった。
すっかり諦めたと思っていたが、先ほど口にしようとした名前が誰のものか…カルニスはすぐにわかった。
(…ずっと、気にかけていたのか…)
月明りで逆光になる小さな背中が寂しそうに見える。
どう声を掛けたらいいのだろう。カルニスは躊躇した。
自分ではデュークの代わりは務まらない。
だが、このまま放っておく訳にもいかない。
まだ大事な再生活動期間中である。
その活動に支障を来す訳にはいかないのだ。
「そこに立ってたら危ないよ。それに、明日もあるんだから、もう休まないと…さぁ、降りよう?」
カルニスが手を差し伸べる。
それに気がついたサフォーネは、振り返ろうとして足を踏み外した。
「!!」
「うわっ!…サフォーネっ!」
噴水に吸い込まれるように、サフォーネが背中から倒れていく。
咄嗟にその手を掴んだカルニスだったが、逆に引きずり込まれ、激しい水飛沫が上がった。
小さい噴水とは言え、二人の少年を受け入れるには十分な大きさだ。
予期せぬ水浴びに若干溺れそうになりながら、その中で足を着くと、カルニスは慌てて顔を上げた。
「ちょっ…大丈夫か?サフォーネ」
背中から落ちた分、サフォーネは溺れかけなかったが、膝を立てて座り込み、きょとんとしている。
顔を上げたカルニスの頭に、水草が乗っているのだ。
「…カル…ふふ……あははは!」
サフォーネが何故笑っているのか解らないまま、その楽しそうな声に笑みを誘われそうになるカルニスだったが、火が消えたランタンを噴水の縁に置くと、毅然と言い放った。
「…もぉ、何てことしてくれたんだ。笑い事じゃ無いぞ。さ、早く出よう」
そう言って手を取ろうとすると、サフォーネは笑いながらすり抜ける。
新しい遊びでも見つけたかのように、この状況を楽しんでいるサフォーネを見て、カルニスは少しほっとした。
先ほどの沈んだサフォーネは見たくない。
もう少し笑わせてやろうか、そんな思いと共に悪戯心が刺激される。
「あ、…このぉ…。そういうつもりなら…こうだ!」
「…きゃあっ」
カルニスはサフォーネの動きを封じようと、その脇腹を掴んだ。
くすぐったい衝撃にサフォーネが悲鳴を上げて、噴水の中で足をばたつかせる。
「どうだっ!参ったか…」
サフォーネに振り回された腹いせに、もっとくすぐり攻撃をお見舞いしようとしたところ…。
するりと頬を掠めるように、背後から剣先が伸びてきた。
「!!!」
「おい…何をしている…」
低い声と共に首に突きつけられる冷たい刃先。
驚いて固まるカルニスの腕の中で、サフォーネは慌てて声の方へ振り仰ぐ。
「デューク!」
その名にカルニスの背筋が思わず伸びた。
腕の中で立ち上がろうともがいているサフォーネの姿を改めれば、濡れた夜具に肌が透けて、肩はほぼはだけている。
これはひょっとして、襲いかかっていたと誤解されたのでは…。
返答次第によっては、その剣を容赦なく奮いそうなほど迫力のある声に、カルニスは生唾を呑み込んだ。
「…ち、違うんです。隊長!お、俺は見回りしていて、それで水音がしたから来てみたらサフォーネが居て、それで二人で噴水に落ちて…」
カルニスが言い訳する横をすり抜け、立ち上がったサフォーネが、デュークに抱きつこうと噴水の淵に立って身を乗り出してきた。
「!…ちょ、ちょっと待て、サフォ…」
ずぶ濡れのサフォーネに一瞬躊躇したが、避ける訳にも行かず、デュークは受け止める。
ぐっしょりと濡れた夜具で抱きつかれ、さすがのデュークも戦意喪失したか、剣を下ろして片腕でその体を抱き締めた。
「デューク…きた…。よかった…」
安堵の声。
デュークはサフォーネの背後から手を回して剣を納めると、その顔が見えるように腕を弛めた。
「すまなかった。予定通り来る筈だったんだが…シェルドナが急に産気付いて…」
「シェル…?さん、け…?」
「あー…えーっとだな…子供が…シェルドナの子が産まれたんだ」
「シェルドナの…こ…?あかちゃん?」
「あぁ、そうだ。思ったより難産…いや、産まれてくるのに時間が掛かって、ここ数日ついてやっていたんだ。遅くなって悪かった」
デュークの言葉にサフォーネは首を横に振った。
「デューク…きてくれた…だから、いいの…うれしい」
「サフォ…」
待たされたことを責めるでもなく、ただただ喜びを噛み締めるサフォーネに愛しさを覚え、その濡れている髪に静かに口付けた。
「シェルドナの、あかちゃん…あえる?」
「そうだな、戻ったら会いに行こう。サフォーネが名前を付けてくれるか?」
「!…なまえ…?サフォが…?」
デュークの言葉にサフォーネは瞳を輝かせた。
何かに名前を付けるなど、経験したことがない。
いったいどんな名前が良いのだろうか…サフォーネはすっかりそのことに囚われたか、宙を見つめたまま固まっている。
その様子を微笑ましく見ながら、デュークは足元のカルニスに視線を落とした。
「それにしても…カルニス…何してるんだ。ここには遊びにきてるんじゃ無いんだぞ?」
なるべく二人の様子を見ないように…というよりも、隊長としての顔を解くデュークを見ないように、噴水の中で正座していたカルニスが、不意に話を振られて、そのまま姿勢を正した。
「いや、これは、その…」
「デューク…!カル、たのしいの。サフォ、げんきでたよ?」
カルニスが怒られていると思ったサフォーネは庇うように言うと、何か閃いたように、デュークの首に回していた手に力を込め、噴水の方へ引き寄せた。
「…おい?サフォ…?ちょ、ちょっと待て…っ」
油断していたデュークはそのまま前につんのめり、バランスを崩す。
サフォーネはデュークを巻き込みながら、再び背中から噴水に落ちた。
その隣で二人分の激しい水飛沫をカルニスはもろに被った。
「…こらっ!サフォーネ!」
噴水から顔を上げて叱責するも、サフォーネはけらけらと笑っている。
その顔を見ればそれ以上怒れるはずもない。
デュークは水を掬ってサフォーネに引っ掛けた。
サフォーネも負けじと、両手を使ってデュークに水を引っ掛ける。
普段の隊長では考えられない様子を直視しないようにと、カルニスはただ戯れる二人から視線を反らし、硬直していた。
激しい水音と楽しげな笑い声は、さすがに館の中まで届いたか、三階のバルコニーから顔を出したナチュアが驚きの声を上げる。
「きゃぁっ!こんな時間に何してるんですか!…え?デューク様…?…って、お二人ともぉ…」
初夏とは言え、夜中に水遊びなど聞いたことがない。
ナチュアは部屋へ引っ込むと、夜具の上に衣を羽織り、手ぬぐいを数枚手にして階下へ向かった。
二階のテラスからは、それぞれの部屋からスラワとマオラが何事かと顔を出し、トワも窓から身を乗り出して、不服そうにつぶやいた。
「…なんだ、やっぱり水浴び場じゃねぇか…」
翌日の最終日には、サフォーネの傍らでデュークがその活動状況を見守った。
再生の活動を目の当たりにするのは初めてだったが、周囲の助力もあって、しっかり出来ている様子に胸を撫でおろす。
待機用の天幕についても、機転を利かせた部下たちを褒め、より改善策を練ることにした。
帰路につく前の僅かな時間。
湖のほとりの展望台で、サフォーネは練習した笛をデュークに聞かせた。
完璧ではないが、その曲が『エルフ族の労働の唄』だと充分にわかる。
デュークは微笑んで、サフォーネの頭を撫でてやった。
大闇祓いまで、あと二ヶ月に迫っていた。
~つづく~
事前に用意していた再生の種も早々に尽きると、サフォーネは『祈りの間』で新たな種に力を注ぐ。
『受け取りの間』では、筒がなく種の譲渡が行われる中、「病を見てもらいたい」という者が現れれば、『癒しの間』に通して、スラワとマオラがその治療を施した。
サフォーネの力が必要と思われる重病人だけは、急を要しない限り『控えの間』にてその日の『対話の時間』まで待つことになっている。
カルニスもニカウも初めての対応にあたふたしながら、慣れているトワの指示に従って奔走した。
しかし、予想を超える人数に、午前中だけで全ての対応は叶えられなかった。
昼休憩直後には『対話の時間』もある。
そのため、訪問者たちにはそのあとまで待ってもらう事を伝え、待機用天幕の設置が急遽必要になった。
館を作るために切り拓いた森には木陰が少なく、初夏を迎えるこの時期、外で待たせるのは困難と判断したカルニスとニカウの提案だった。
昼休憩を返上した男手総出でそれらの準備が進められる。
「…まだできたばかりだし、課題も多そうですね」
「そうだな…。でも、早くに問題点に気付けて良かったよ。隊長にも報告できるし」
ニカウの言葉に、最後の天幕を張りながらカルニスは頷いた。
デュークは恐らく今、ここを訪れるために疲れを押して仕事をしているに違いない。
今回の闇祓いの任務はいつもより難を来し、その上、浄清の天使団が不在での結末となった。
浄化が行き届かない闇祓いの仕事は、その区域と状況を改めて調査し、報告しなければならない。
そしてその報告はより正確なものを求められる。
デュークが手を抜くはずもなく、加えて五日で終わらせるのは相当に無理をしてのことだろう。
その隊長が来た時に、「二人に任せない方が良かった」と、がっかりさせたくない。
「よし!軽く飯食ったら、午後も頑張ろうぜ。な?ニカウ」
カルニスと同じ思いか、ニカウも「はい!」と元気に返した。
午後になり『対話の時間』になると、事前にその約束をした人々が受け取りの間に集められる。
集まったのは祖人、小人、獣人の他に、これまではなかなか訪れることのなかったエルフやドワーフの姿もあった。
「サフォーネ様か…どんな方なんだ?」
「あんた、あの知らせを見なかったのかい?髪が赤い羽根人だよ」
「異端の天使か…再生なんて本当にできるのかね…」
まだ半信半疑の者たちも居るようで、ひそひそと囁かれる言葉に、祭壇の横で控えるカルニスは、少し苛ついていた。
「サフォーネ様のお支度が出来ました」
職員の言葉が届き、場が静まる。
続いて『祈りの間』の扉が開かれ、肩掛けの衣を纏ったサフォーネが現れると、人々はその美しさに目を見張った。
赤色の瞳と髪は、想像していたものと違った。
柔らかい夕日のような明るさを放ち、その穏やかな表情に誰もが魅了される。
白い翼を背中に携え、天窓から差し込む日差しがさらに輝きを与える。
「まるで女神様だ…」
訪問者のひとりが思わず口にした。
後ろに控えるナチュアが、サフォーネの衣の裾を払い、座る場所を整えると、サフォーネは腰を下ろそうとしたが、集まっている人々が自分を見ていることに気がつくと、ぺこりと頭を下げた。
続いて、すとんと椅子に座ると、床から離れた足をぶらぶらさせながら、部屋の中を見渡した。
「サフォ…おはなしきくよ…?……え…っと……どうしよ…?」
言ったものの、どうやって話を聞くのかわからず、首を傾げる。
その言動は庶民そのもの。
最初に感じた神々しさとは裏腹の、らしからぬ行動に皆が唖然とすると、トワが思わず吹き出した。
「ちょっと…トワ」
カルニスが小声で叱責する。
事前の打ち合わせで、初となる『対話の時間』の流れを相談した時に、王都の職員からの強い要望もあり、厳かな空気を大事にしようと決めたところだった。
「やめようぜ、こんなの息が詰まるだろ。サフォーネは自然のままが一番いいんじゃないか?」
そう言うと、両手を挙げて集まった人々に向かって口を開いた。
「さぁ、再生の天使様のご登場だ。順番に話を聞くから並んでくれ」
トワの機転にナチュアもホッとした。
堅苦しい空気はサフォーネには似合わない。
サフォーネが親しげな笑顔を向ければ、訪問者たちも緊張が解けたか、順に並び始めた。
「言っておくが、ここに居るサフォーネは特別な力を持っているとは言え、俺たちと同じ人間だ。あまり無茶な注文はするなよ?」
獣人たちにも解るように通訳をするトワの独壇場と為りつつある状況に、カルニスも諦めてその場を楽しむことにした。
「正門の前にここでの掟を掲げている通り、全ての要望に応えられるとは限らない。そこだけは了承願いたい」
人々に呼びかけながら、最初の依頼者がサフォーネの前に進み出るのを許可した。
殆どの依頼が、畑作にしている作物がうまく育たないという悩みで、その種や苗を持参してきていた。
サフォーネはそれを一つ一つ確認し、必要ならば力を注ぎこむ。
その種や苗に充分な力があれば、再生の力を込めた肥料を渡したり、状況を聞いて土壌の改善が必要と思えば多年草の種を与えたりした。
「我が家に代々伝わってきた金のなる木が枯れそうなんです。何とかなりませんか?」
ドワーフの男が鉢植えを手に、サフォーネの前に歩み出た。
殆どの者が生活が掛かる事態の中で、その願いは滑稽にも聞こえる。
「そんなの、駄目な枝を落として刺し木すれば良いだろ?」
トワの容赦ない突っ込みに周囲も笑いを誘われたが、ドワーフの男は激しく首を横に振った。
「ここまで大きくなった木を捨てるなどとんでもない。何とかなりませんか?」
差し出された木に、サフォーネは顔を寄せて耳を傾ける。
角度を変えては数回そんな行動を繰り返したあと、笑顔を浮かべた。
「だいじょぶ。…でも、ここはげんきない。…ここも。あと、ここも…」
結果的にトワが言った刺し木にするような部分だけが残ったが、そこにサフォーネが再生の力を送ると、その場で一株くらい成長した。
ドワーフの男は満足したようだった。
午前中に来て、重病人と判断された者の順番が回ってきた。
スラワがある程度治療を施したが、内臓の奥に何かが潜んでいるような感覚を探り当て、それが取り除けないと判断したようだ。
重病人は40代くらいの祖人の男性で、その幼い息子と知人の男性が付き添いで来ていた。
「父ちゃんを、助けてください…」
涙声で訴える男の子に応えるように、サフォーネがその男性の様子を見る。
横たわる身体に手を翳して集中すると、胃の辺りに異変を見つけた。
それは周囲の細胞とは違う細胞だった。
「…みつけた…」
そう呟くと、サフォーネはその場所近くに力を送り込む。
正常な細胞の力が増し、異常を来した細胞を呑み込んで行くように増えていく。
しばらくの間、サフォーネは男性の胃の部分に手を翳し、祈るように瞳を閉じていたが、そっと目を開けた。
「…もぉ、だいじょぶ…。…えと、やさしいたべもの…あと、たくさんねんね」
その言葉にきょとんとする男の子に、ナチュアが声を掛けた。
「お父さま、大丈夫ですって。しばらく消化の良い食べ物をとって、たくさん睡眠をとらせてあげてください。きっと良くなりますよ?」
男の子は安堵したか、その場で嬉し涙を流した。
その声に起こされた男性は、事の状況を把握し、サフォーネに向かって感謝を述べた。
初となる対話の時間を終え、待たせていた訪問者の午後の対応が終わる頃には、陽が傾き始めていた。
全ての仕事が片付くと、受け取りの間に皆が集まる。
「対話の時間が増えたおかげで、終了時間が押したな。今後もこんな感じか…」
トワが溜息交じりに言うと、カルニスとニカウも軽く息をついて、力なく笑った。
女性の職員がお茶を用意してきたのを、ナチュアも手伝って全員に手渡す。
「でも、あのように救われる親子も居るのですから、遣り甲斐のある仕事ですよ。ね、サフォーネ様?」
ナチュアの言葉に、サフォーネが笑顔で頷いた。
サニエルは事務仕事の予定だったところ、今日は突然、天幕設置の手伝いとその待機する人たちの管理に追われ、思わぬ立ち仕事となった。
痛めた腰を辛そうに撫でていると、スラワが治療を施してくれた。
その様子を皆が和やかに眺めながら、互いの初仕事を労う。
館の職員全員が、心地よい疲れを実感しているようだった。
ナチュアはその光景に、今後の再生活動も良い方向へ行くと確信する。
「とにかく皆様、本日はお疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします」
翌日も、その翌日も、さらにその翌日も。
初日の時と同じように訪問者の数は多く、忙しい対応に追われたが、待機所の天幕を最初に用意した事で、二日目以降はひとの流れがある程度速やかに行われた。
そして、最終日を迎える夜、なかなか寝付けなかったサフォーネは、自室のバルコニーから夜のセレーネ島を眺めていた。
日に日に気温が高くなり、夜になってもその熱は冷めない日も増えてきた。
暗闇の森をざわめかす風も、どこか湿気を含んで纏わりつく。
その音に耳を傾けていると、涼やかな水の音が聞こえてきた。
湖が風で波立っているのか…いや。
「ふんすい…」
サフォーネは翼を広げると、バルコニーから飛び立った。
庭に降り立つと、噴水の水音がより大きくなる。
聖殿の噴水に比べれば確かに小さいが、これが自分のために造ってもらったものと思えば心は踊る。
ゆっくり近寄ると、サフォーネは一番下の受け皿に手を入れた。
水は冷たく、心地良い。
掬いあげると、手から溢れた雫が月明かりを受けてキラキラと輝いた。
今夜は天満月。
館の周囲には松明も灯っているが、それが無くとも十分なほどの青白い明かりが空から降り注ぐ。
「きれー…」
滴る雫を追って、水面に視線を落とす。
そこには水面に揺れる己の顔が映っていた。
笑っているつもりだったが、その顔は半分泣きそうになっていた。
「…デューク…こない…?」
カルニスの話では「五日後に」ということだったが…その話はとうに過ぎている。
しかし、デュークがやってくる気配はなかった。
このまま再生の活動を終え、聖殿に帰れば、デュークにも会えるだろうが、サフォーネはこの館をデュークに見てもらいたいと思っていた。
湖が見える展望台で、練習した笛を聞いてもらいたいと思っていた。
それが叶わないのが少しだけ、寂しくて辛い。
「デューク、いそがしい?…サフォ、がまん…」
零れる涙を誤魔化すように、噴水の水を両手で掬い上げ、顔を洗った。
その心地よさに誘われるように、サフォーネは噴水の淵に飛び登った。
翼を格納すると夜具の裾をつまみ、片足を水につけてみた。
眠れずに火照っていた体の熱が溶けていく。
そのまま爪先を蹴り上げると、雫が宙に舞った。
大小様々な水の粒がキラキラと輝き、乾いた台座の大理石に濃い色を描く。
それがだんだん楽しくなってきた。
何度も水面を蹴り上げて雫を飛ばすと、サフォーネから笑みがこぼれ始める。
その時…。
――カチャリ――
背後に聞こえた金属音。
それは騎士たちが身につける鎧と剣の金具が擦れる、耳馴染んだ音だった。
「デュー…」
振り返ったサフォーネは、その名を口にしようとして慌てて噤んだ。
「サフォーネか…?…こんな夜中に何してるんだ」
そこに立っていたのは、ランタンを掲げた夜回り中のカルニスだった。
サフォーネは笑顔を作った。
「…みず、きもちいーよ?」
そう言うと、カルニスに背を向けて、再び水を蹴りあげながら、その雫を見つめた。
「サフォーネ…」
五日目、「デュークくる?」と聞いてきたサフォーネ。
六日目も同じ事を繰り返し聞いてきた。
だが、七日目、八日目は徐々にその問いも減り、昨日はついに口にしなくなった。
すっかり諦めたと思っていたが、先ほど口にしようとした名前が誰のものか…カルニスはすぐにわかった。
(…ずっと、気にかけていたのか…)
月明りで逆光になる小さな背中が寂しそうに見える。
どう声を掛けたらいいのだろう。カルニスは躊躇した。
自分ではデュークの代わりは務まらない。
だが、このまま放っておく訳にもいかない。
まだ大事な再生活動期間中である。
その活動に支障を来す訳にはいかないのだ。
「そこに立ってたら危ないよ。それに、明日もあるんだから、もう休まないと…さぁ、降りよう?」
カルニスが手を差し伸べる。
それに気がついたサフォーネは、振り返ろうとして足を踏み外した。
「!!」
「うわっ!…サフォーネっ!」
噴水に吸い込まれるように、サフォーネが背中から倒れていく。
咄嗟にその手を掴んだカルニスだったが、逆に引きずり込まれ、激しい水飛沫が上がった。
小さい噴水とは言え、二人の少年を受け入れるには十分な大きさだ。
予期せぬ水浴びに若干溺れそうになりながら、その中で足を着くと、カルニスは慌てて顔を上げた。
「ちょっ…大丈夫か?サフォーネ」
背中から落ちた分、サフォーネは溺れかけなかったが、膝を立てて座り込み、きょとんとしている。
顔を上げたカルニスの頭に、水草が乗っているのだ。
「…カル…ふふ……あははは!」
サフォーネが何故笑っているのか解らないまま、その楽しそうな声に笑みを誘われそうになるカルニスだったが、火が消えたランタンを噴水の縁に置くと、毅然と言い放った。
「…もぉ、何てことしてくれたんだ。笑い事じゃ無いぞ。さ、早く出よう」
そう言って手を取ろうとすると、サフォーネは笑いながらすり抜ける。
新しい遊びでも見つけたかのように、この状況を楽しんでいるサフォーネを見て、カルニスは少しほっとした。
先ほどの沈んだサフォーネは見たくない。
もう少し笑わせてやろうか、そんな思いと共に悪戯心が刺激される。
「あ、…このぉ…。そういうつもりなら…こうだ!」
「…きゃあっ」
カルニスはサフォーネの動きを封じようと、その脇腹を掴んだ。
くすぐったい衝撃にサフォーネが悲鳴を上げて、噴水の中で足をばたつかせる。
「どうだっ!参ったか…」
サフォーネに振り回された腹いせに、もっとくすぐり攻撃をお見舞いしようとしたところ…。
するりと頬を掠めるように、背後から剣先が伸びてきた。
「!!!」
「おい…何をしている…」
低い声と共に首に突きつけられる冷たい刃先。
驚いて固まるカルニスの腕の中で、サフォーネは慌てて声の方へ振り仰ぐ。
「デューク!」
その名にカルニスの背筋が思わず伸びた。
腕の中で立ち上がろうともがいているサフォーネの姿を改めれば、濡れた夜具に肌が透けて、肩はほぼはだけている。
これはひょっとして、襲いかかっていたと誤解されたのでは…。
返答次第によっては、その剣を容赦なく奮いそうなほど迫力のある声に、カルニスは生唾を呑み込んだ。
「…ち、違うんです。隊長!お、俺は見回りしていて、それで水音がしたから来てみたらサフォーネが居て、それで二人で噴水に落ちて…」
カルニスが言い訳する横をすり抜け、立ち上がったサフォーネが、デュークに抱きつこうと噴水の淵に立って身を乗り出してきた。
「!…ちょ、ちょっと待て、サフォ…」
ずぶ濡れのサフォーネに一瞬躊躇したが、避ける訳にも行かず、デュークは受け止める。
ぐっしょりと濡れた夜具で抱きつかれ、さすがのデュークも戦意喪失したか、剣を下ろして片腕でその体を抱き締めた。
「デューク…きた…。よかった…」
安堵の声。
デュークはサフォーネの背後から手を回して剣を納めると、その顔が見えるように腕を弛めた。
「すまなかった。予定通り来る筈だったんだが…シェルドナが急に産気付いて…」
「シェル…?さん、け…?」
「あー…えーっとだな…子供が…シェルドナの子が産まれたんだ」
「シェルドナの…こ…?あかちゃん?」
「あぁ、そうだ。思ったより難産…いや、産まれてくるのに時間が掛かって、ここ数日ついてやっていたんだ。遅くなって悪かった」
デュークの言葉にサフォーネは首を横に振った。
「デューク…きてくれた…だから、いいの…うれしい」
「サフォ…」
待たされたことを責めるでもなく、ただただ喜びを噛み締めるサフォーネに愛しさを覚え、その濡れている髪に静かに口付けた。
「シェルドナの、あかちゃん…あえる?」
「そうだな、戻ったら会いに行こう。サフォーネが名前を付けてくれるか?」
「!…なまえ…?サフォが…?」
デュークの言葉にサフォーネは瞳を輝かせた。
何かに名前を付けるなど、経験したことがない。
いったいどんな名前が良いのだろうか…サフォーネはすっかりそのことに囚われたか、宙を見つめたまま固まっている。
その様子を微笑ましく見ながら、デュークは足元のカルニスに視線を落とした。
「それにしても…カルニス…何してるんだ。ここには遊びにきてるんじゃ無いんだぞ?」
なるべく二人の様子を見ないように…というよりも、隊長としての顔を解くデュークを見ないように、噴水の中で正座していたカルニスが、不意に話を振られて、そのまま姿勢を正した。
「いや、これは、その…」
「デューク…!カル、たのしいの。サフォ、げんきでたよ?」
カルニスが怒られていると思ったサフォーネは庇うように言うと、何か閃いたように、デュークの首に回していた手に力を込め、噴水の方へ引き寄せた。
「…おい?サフォ…?ちょ、ちょっと待て…っ」
油断していたデュークはそのまま前につんのめり、バランスを崩す。
サフォーネはデュークを巻き込みながら、再び背中から噴水に落ちた。
その隣で二人分の激しい水飛沫をカルニスはもろに被った。
「…こらっ!サフォーネ!」
噴水から顔を上げて叱責するも、サフォーネはけらけらと笑っている。
その顔を見ればそれ以上怒れるはずもない。
デュークは水を掬ってサフォーネに引っ掛けた。
サフォーネも負けじと、両手を使ってデュークに水を引っ掛ける。
普段の隊長では考えられない様子を直視しないようにと、カルニスはただ戯れる二人から視線を反らし、硬直していた。
激しい水音と楽しげな笑い声は、さすがに館の中まで届いたか、三階のバルコニーから顔を出したナチュアが驚きの声を上げる。
「きゃぁっ!こんな時間に何してるんですか!…え?デューク様…?…って、お二人ともぉ…」
初夏とは言え、夜中に水遊びなど聞いたことがない。
ナチュアは部屋へ引っ込むと、夜具の上に衣を羽織り、手ぬぐいを数枚手にして階下へ向かった。
二階のテラスからは、それぞれの部屋からスラワとマオラが何事かと顔を出し、トワも窓から身を乗り出して、不服そうにつぶやいた。
「…なんだ、やっぱり水浴び場じゃねぇか…」
翌日の最終日には、サフォーネの傍らでデュークがその活動状況を見守った。
再生の活動を目の当たりにするのは初めてだったが、周囲の助力もあって、しっかり出来ている様子に胸を撫でおろす。
待機用の天幕についても、機転を利かせた部下たちを褒め、より改善策を練ることにした。
帰路につく前の僅かな時間。
湖のほとりの展望台で、サフォーネは練習した笛をデュークに聞かせた。
完璧ではないが、その曲が『エルフ族の労働の唄』だと充分にわかる。
デュークは微笑んで、サフォーネの頭を撫でてやった。
大闇祓いまで、あと二ヶ月に迫っていた。
~つづく~
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