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第三章

98 れっつくっきんぐ!

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 ふりふりのフリルがついた真っ白いエプロンが宙を舞った。そのまま吸い込まれるようにしてそのエプロンは抜群のプロポーションの持ち主の身体へと着地する。
(ファンシー……)
 フレイヤがエプロンをつけた姿を見て、ミモザは自分の胸へと手を当てた。
 ペタン、と情けない音が鳴る。
 ふぅ、と一度目を閉じる。すぐにカッとミモザは目を見開いた。
「これが、格差社会!!」
「なんの話?」
 どん、どん、どん! と机の上に買ってきた材料を並べるフレイヤに、ミモザは首を振る。
「個人的なコンプレックスの話です」
「ああ」
 納得したように彼女は頷いた。
「そのうち大きくなるわよ」
「お、大きい人はみんなそう言うんだ……」
 ミモザは机に手をついてうなだれた。
 場所はフレイヤの屋敷のキッチンである。
 ミモザの隣で材料を並べ終わったフレイヤはそれをスルーした。
「貴方、何を作るの?」
 フレイヤが髪を邪魔にならないようにまとめながら聞いてくる。
 仕方なくミモザもうなだれるのをやめて同じくエプロンをつけながら応じた。
 きりり、と表情を引き締める。
「溶かして固めます」
「もうちょっと頑張りなさいよ」
 フレイヤはじっとりとした目でミモザを見る。そうは言ってもこちとら初心者である。難しいものに挑戦して失敗するよりも確実に食べられるものを作ったほうがいいではないか。
 一応型は凝った物を用意した。
「フレイヤ様は何になさるご予定ですか?」
 フレイヤは腰に手を当てて胸を張った。
「チョコレートマフィンよ」
「いいですねー」
 ミモザは拍手をする。
 すると急にフレイヤはぱっと顔を真っ赤に染めるとうつむいて小声で言った。
「当時、孤児院に訪問する時、持って行ってたのよ」
 ミモザは口に手を添える。
「ひゅーひゅー」
「からかわないで!」
「いえ、囃し立てただけです」
「どっちも一緒でしょ!」
「思い出の品なんですね?」
 ミモザが尋ねると再びフレイヤは顔を真っ赤に染める。
「と、当時、美味しいって言って食べてくれてたのよ。別にたいして作るのうまかったわけじゃないのに。それでわたくし真に受けて毎回同じマフィンを」
「ひゅーひゅー」
「囃し立てないで!」
 フレイヤは軽い調子でミモザの背中を叩いた。
 心臓が口から飛び出しそうなくらいの衝撃がミモザを襲った。


 とある昼下がりの午後、ガブリエルは中央教会の回廊を歩いていた。暖かなひだまりに思わず足を止め、大きく伸びをする。
「んーー……」
 ここ最近なにかと忙しくしていた反動か、なんとも気が抜けている気がする。
 正直ガブリエルは武闘派ではない。一応団長として恥ずかしくないだけの実力はあるつもりだが、単純な戦闘はレオンハルトやフレイヤには劣る。どちらかというと人を指揮したり作戦参謀として振る舞う方が得意なのだ。しかしそれゆえに最近は少々直接戦う機会が減り、体が鈍ってきている気配がする。
「鍛錬にでも行くかぁ……」
 今は少し時間があった。さて、訓練場にでも行くか、と目線を外から回廊へと戻したところで、
「……おっ」
 思わず体をびくりと震わせる。
(なんかいる……)
 ガブリエルの視線の先では、回廊の柱から顔を半分だけ覗かせたミモザがこちらを無言でじっと見ていた。
(いつのまに……)
 ガブリエルは冷や汗をかく。先程歩いていた時は居なかった。……はずだ。
 美しいハニーブロンドは日の光を反射してきらきらと輝き、その湖面のように深い青色の瞳は神秘的と呼んでも差し支えない。
 見た目だけならば文句なしに美少女である。
(あるんだが!)
 どうにも行動が突飛で読めない。本人にとっては意味があるのかも知れないが、意味がない行動にしか思えない振る舞いの多いこの少女のことが、ガブリエルは少々苦手だった。
 意味がわからないからだ。
 意味がわからないものは不安になる。
(ただの馬鹿ではないのがまた困るんだよなぁ)
 ガブリエルはがしがしと頭を掻く。
 頭が悪いのならまだ理解ができるのだ。しかし頭がそこまで悪いわけでもないからなおさらガブリエルの頭は痛くなる。
「そこのかっこいいお兄さん」
 彼女は囁くようにそう言うと、ゆっくりと手招きをした。
 いまだにその顔は半分柱に隠れたままである。
 不気味だ。
 正直近づきたくはないが、近づかないで済ますことはできないのだろうと悟って、ガブリエルは気を取り直すように咳払いをするとことさらゆっくりと彼女へと歩み寄った。
「なんだ?」
 一応辺りを警戒する。周囲に彼女以外の人影はなかった。
「どうした? お嬢ちゃん。つーかなんで半分しか顔を出さないんだ?」
 ミモザはそんな彼のことをじっと見上げると、
「ちょっと僕と恋バナしませんか」
 と静かな声で告げた。
(苦手だ)
 まったく意味がわからない。
「……本当になんなんだ?」
 不審そうに聞いた後、しかし思い当たることがあってガブリエルははっ、とミモザの顔を見た。
「もしかしてとうとう気づいたか」
「何にですか?」
「気づいてないのかー」
 こりゃ先が長いな、とガブリエルは頭を掻く。
 仕事のできる後輩のことをガブリエルは気に入っていた。無愛想で付き合いは悪いが真面目でいい奴だ。一体何がどう転がってあの後輩がこの少女に好意を抱くに至ったのか、ガブリエルには想像もつかないが、前途多難であることは間違いない。
 唯一の救いは本人はそれなりに楽しそうにこの少女に振り回されていることだろうか。
(そりゃあなびかないわけだよなぁ)
 ガブリエルは腹違いの妹のことを思った。
 こんな変な少女がストライクだというのなら、この世のおよそほとんどの女性はあの後輩の好みではないだろう。
「なら本当になんなんだ。まさかこのお兄さんに愛のチョコレートをくれる、なんてこたぁないだろ?」
「そのまさかです」
「え」
「僕じゃありませんけど」
 ガブリエルは引き攣った顔からほっと力を抜いた。
「なんだよ、びっくりさせんなよ」
「皆さんちょっと失礼すぎやしませんかね」
「流血沙汰はごめんなんだよ。職場の同僚と色恋で殺傷沙汰とか笑えねぇ」
 なんの話ですか、と彼女は全くわかっていない様子で唇を尖らせた。ガブリエルは苦笑する。
 ミモザはしばらく不思議そうにガブリエルのことを眺めていたが、ガブリエルが口を割らないと察したのか、
「実はあるご婦人から依頼を受けまして」
 と本題を切り出した。
「ご婦人?」
 ガブリエルは眉をひそめる。まったくなんの話だかわからない。
 しかし彼女は神妙な顔で淡々と話を進める。
「子どもの頃にこの孤児院で出会った方のことが忘れられないと」
「お、おお?」
「その方はこの孤児院で育って、ブラウンの髪と目をした方だとか」
「それって……」
 幼い日の思い出が蘇る。おさげに結われた髪、そばかすの散った頬、やぼったい眼鏡をかけた少女の甘く話す声音が今でも鮮やかに思い出せた。
 一緒に過ごした時間はわずかだった。彼女は家の名代として学園に通う前のたった数週間だけをこの孤児院の訪問に当てていたのだ。学園に通うようになったら家を背負って立つために鍛錬を積まねばならないと寂しそうに話していた。
 ガブリエルに心当たりがあると察したのだろう。ミモザはそれに頷き返すと、
「騎士として再会することをお約束したそうですね?」
 と切り込んだ。
「いるのか!?」
 ガブリエルは思わずミモザの肩を掴む。それにミモザが驚いていたように後退った。そのことに気づいて慌ててガブリエルはその手を離す。
 らしくもない失態だ。感情をあらわにするなど。
「あー、悪い、えっと、その、彼女は……」
 気まずいがそれだけをなんとか尋ねると
「中庭においでです」
 ミモザはあっさりと返した。
「…………っ」
 悲喜交々入り混じった色々な感情がガブリエルの中で暴れる。
「お会いになられた方がいいと思いますよ」
 それがわかっているのかいないのか、ミモザがその何もかもを見抜くような深い青色の瞳でこちらを覗き込みながら勧めた。
「いや」
 しかしガブリエルは首を横に振る。
「元々向こうは貴族、俺は平民のしかもみなしごだ。会ったところでどうにもならねぇよ」
 幼い頃はあまり理解していなかった。しかしこうして大人になり、あらゆる立場の人間と接するようになると夢みたいなことは言ってられない。
 御前試合の時、会えなかったことを残念に思っていたが、同時にガブリエルは安堵したのだ。
 再会することがなければ、身分の違いに悩むこともない。
「…………」
 ミモザはそんなガブリエルのことをじー、と無言で見つめた。その視線にガブリエルは身じろぎをする。
「な、なんだよ」
「違いますよ」
「ああ?」
「騎士です」
 彼女は言う。
「貴方も、あの方も、二人ともただの騎士です」
「………う」
 逃げを許さない静謐な眼差しで、彼女は言った。
「騎士として再会すると、約束されたのでしょう」
「………そうだな」
 ガブリエルは観念するように両手を挙げた。
「騎士団長ならちょっとは格好がつくかね?」
 観念ついでにミモザへと聞いてみる。
 彼女はちょっと笑った。
「格好いいですよ、ガブリエル様は」
 ガブリエルは照れを隠すように頭を掻いた。
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