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第二章

66 ステラとレオンハルト

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「どういうことですか?」
 ステラは愕然として言った。
「ちょっ」
 それなりに大きく響いたステラの声に、宿屋の店主は辺りを警戒するようにきょろきょろと見渡す。そうして周囲をはばかるように小さな声で告げた。
「大きな声をださないどくれよ、周りに聞こえたら……」
「だって!」
 ステラの声のボリュームが上がる。
「突然、出ていけだなんて!」
 それに店主は不快げに顔をしかめた。
「しょうがないだろ、こっちも客商売なんだ。前科者が泊まってるなんて評判がたっちゃあねぇ」
「前科者って……」
「あんた、いろいろ騒ぎ起こしてんだろ。その目立つ容姿だ、いろいろ見られてんだよ。人の口に戸はたてられねぇっていうだろ?」
「そ……っ」
 それは誤解だと言いかけたステラの耳に、ひそひそと話す声が聞こえた。
「ねぇ、見て、あれでしょ? 刑務所に入れられた奴って」
 横目で声の主を探ると、それはステラとそう歳の変わらない少女だった。彼女は友人と思しき人達と食堂のテーブルを囲んでいた。
「あー、泥棒しようとして止めようとした奴逆上して半殺しにしたんでしょ?」
「なんかさぁ、友達見てたけどやばかったらしいよ」
「やばー」
「やばーじゃないよ、目をつけられたらどうするのさ!」
 呑気に話す2人に、それまで黙って聞いていた少年が怯えたように言った。それにもう1人の少年が同調するように頷く。
「宿変えた方がいいんじゃね? 変に因縁つけられても困るし」
「あ、あーお客様、大丈夫ですよ、今すぐこっちのほう出て行かせますんで」
 その不穏な会話に店主は焦ったように笑顔を作ってそう言った。その後でステラへは一転して険しい顔を向ける。
「とにかく! 出てってくれ! あんたにいられちゃ商売あがったりだ!」
 それはとりつく島もない態度だった。

(どうしてわたしがこんなめに……)
 夕焼けに染まった街をステラは荷物を抱えてとぼとぼと歩いた。結局あの宿屋からは追い出されてしまった。その後いくつかの宿屋を訪ねて歩いたが、どこも満室だと断られてしまいステラは途方に暮れていた。
(嘘だわ)
 満室だというのは言い訳だ。だってステラが尋ねた後に入った客は追い出されている様子はなかった。ステラのことを泊めたくなくて満室だと言って追い払ったのだ。
(どうして……)
 頭の中はその言葉ばかりだ。ステラが一体何をしたと言うのだろう。みんなのために頑張っているだけではないのか。
(やっぱりおかしい)
 村にいた時はこんなではなかった。みんなステラのことを優先してくれて、このようなぞんざいな扱いなどされなかったのに。
 その時ふと、見覚えのある藍色の髪が視界に入った。
「レオンハルト様!」
 彼はその声に振り返り、ステラを見るとわずかに驚いたような顔をした。
「ステラくん。どうしたんだい、こんな時間に」
 その穏やかな声にほっと息を吐く。ステラは瞳を涙に潤ませて彼に駆け寄った。
「レオンハルト様、わたし、わたし……っ!」
「……一体なにがあったんだい?」
 ステラは洗いざらい話した。みんなのために頑張ったが報われなかったこと、軍警察に逮捕されかけたこと、しかしそれは理由があっての行為でひどい誤解であること、そしてそのせいで宿を追い出されてしまったこと。
「……そうか、それは大変だったね」
 レオンハルトは慰めるようにそう言った。
「しかし……」
「レオンハルト様!」
 何かを言いかけたレオンハルトを遮り、ステラは彼に縋り付く。レオンハルトはわずかに不愉快げに眉を寄せたがそれは一瞬のことで、ステラは気づかなかった。
「わたしを、レオンハルト様のお家に置いてはいただけませんか?」
「……君を?」
 訝しげに目を細めるレオンハルトにステラは強く頷く。
「なんでもします! ですからどうか!」
 ミモザはレオンハルトの弟子として彼の家に滞在しているのだと風の噂で聞いて知っていた。ミモザにできるのにステラに許されないなどということはないだろう。
「レオンハルト様の弟子としておそばに置いてください!!」
「……なんでも、か」
 レオンハルトはふぅ、と小さく息をついた。
 そしてじ、とステラの体を見る
「俺の渡したトレーニングメニューはどうしたかな」
「え、えっと……」
「なんでもするというのなら、そこからしてもらわなくては。君にそれを渡したのは随分と前のことだったが、君はいまだに俺の1番最初の指導を行ってくれていないね。まずは基礎ができなくては話にならない」
「そ、それは……」
 二の句がつげない。確かにステラはレオンハルトから渡された謎の筋トレメニューをこなしてはいなかった。しかしそれは筋トレなど必要なかったからだ。ステラには膨大な魔力と人の羨むほどの有用な魔法がある。魔法の技術を鍛えるならともかく、筋力を鍛える必要性など欠片も感じない。
 あえぐように黙り込んだステラをしばし眺めた後、レオンハルトはにっこりと微笑んだ。
「きっと俺の指導は君には向かないのだろう」
 そうして優しくステラの肩を叩く。
「なに、無理をする必要はない。君は君らしく精霊騎士を目指してくれればいいんだ。無理に俺のやり方を倣う必要はない。応援しているよ」
「えっと……」
「では俺はこれで失礼するよ。ああ、宿屋なら北の通りの方を見てみるといいと思うよ。あの辺りならきっと見つかるだろう」
 そう言って爽やかに手を上げて彼はあっさりと立ち去ってしまった。
「…………」
 『北の通り』と聞いてステラは惨めな気持ちになる。元々ステラの泊まっていた宿屋は中央のメインストリートに面した非常に利便性の良く外観や内装も整っている場所だ。けれど北の通りはメインストリートからは遠く離れており正直人気のないエリアだ。
 そこは人気のあるエリアからあぶれたりお金のない人が仕方なく行くような場所だった。
「どうして……」
 先ほどまで渦巻いていたのと同じ言葉をこぼす。その途端にステラの中で何かが決壊してどろどろとした感情が一気に溢れ出してきた。
「どうしてよっ! わたしが何をしたって言うのっ!?」
 わめくステラに通行人は避けるように遠巻きに通り過ぎていく。
「おかしい、おかしい、おかしい、おかしい! わたしは優秀なの! 可愛くって! 賢くって! なんでもできて! みんなわたしのことを好きになってくれるの!!」
 ざわざわと周囲の喧騒が耳に入る。我に帰ると何人かがステラを指差して何かを囁いているようだった。
『きみの行為は常にマークされてると思いなさい』
 騎士の言った言葉が蘇る。
「あ、ああああああああああああ……っ!!」
 ステラは叫ぶと、耳を塞いで脇目も振らずに走り出す。
(見るなっ! 見るなっ!)
 人の視線がこんなに恐ろしいのは初めてだった。もはや全ての人がステラのことを蔑んでいるように感じられて人気のない方ない方へとステラは駆ける。
「はぁっ、はぁっはぁっ、はぁっ」
 息を切らしてようやく立ち止まったのはメインストリートから何本か横にそれた薄暗い裏路地だった。
「おかしい、おかしい……」
 爪をがりっと噛む。深く噛みすぎて血がじわじわと滲み出てきた。ぶつぶつと呟きながらステラはその場に座り込む。
 おかしい。こんなはずじゃなかった。だって前の時はこんな酷い目には合わなかったではないか。
「……くっ!」
 その時ひどい頭痛がステラを襲った。
(これは……っ)
 脳に一気に情報が詰め込まれる。あらゆる場面、あらゆる会話。そのどれもが確かな既視感を持ってステラの脳内によみがえった。
「そうだ、わたしは……」
 ステラはその深く青い瞳に仄暗い光を宿し、顔をあげる。
「繰り返したんだわ、女神様に頼んで」
 やっと思い出した、とステラはうっそりと笑った。
(レオンハルト様のために、人生を繰り返したんだ)
 失敗してしまった、とステラは反省した。
 先ほどのレオンハルトとの会話だ。ステラは前回も同じ理由でレオンハルトに弟子入りを断られたのだ。
 あそこは筋トレをしているふりをするべきだった。選択を間違えてしまった。
「でも、おかしいわね……」
 ステラは前回と何も変わらない。記憶が有ろうが無かろうが、ステラはステラのままだ。なのになぜ前回とこんなに状況が違うのか。前回も確かにレオンハルトは今のような距離感だったが、それ以外の5人とは仲良くできたはずなのに。
「……ミモザ?」
 前回と今回の1番大きな違い、それはミモザだ。
「……もしかして覚えているのかしら」
 それならばこの違いに説明がつく。
「……そう、またわたしの邪魔をするのね、悪い子」
 アベルもジーンもマシューも、前回はステラのものだった。ステラに反論したりしなかった。ステラを愛してくれていた。けれど今はどうだろう。
 ミモザが何かしたのだ。彼らに何かを。
「……殺してやろうかしら」
 しかしステラが直接手を下すわけにはいかない。それではすぐに足がついてしまう。
 確か前回のミモザは殺されて死んだ。しかし今回、もしミモザに1回目の記憶があるのなら、大人しく殺されたりはしないだろう。
「……会えないかしら」
 ミモザを殺した人間に。ステラとはきっと良い協力関係になれるはずだ。
「まぁいいわ、それは後でにしましょう」
 ステラには秘策がある。前回もお世話になったものだ。それさえあれば何も問題はない。
 そう、ステラの記憶が確かならば、確かこの場所はーー、
「そこのお嬢さん、よければおひとついかがかな?」
 その声にステラはにぃっと歪んだ笑みを浮かべた。
 その時、ぶわりと小さな音を立ててステラの守護精霊であるティアラから黒い霧のようなものが滲み出た。その目が薄暗い路地裏の中で紅く輝く。
 しかしそれはほんの一瞬のことで、ステラは気づかなかった。そんなことよりも自分の考えのほうに夢中だったからだ。
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