鈴蘭の魔女の代替り

拝詩ルルー

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雨の回廊3

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 レイたちは、街の住民たちに道を訊きつつ、ワルダの庭園に向かった。

 ワルダの庭園に一歩足を踏み入れると、日が陰り始めた。もくもくとしたグレー色の暗雲が、青空に広がっていく。

「ひと雨きそうでしょうか?」
「降られる前に、さっさと探し出すか」

 レイが空を見上げて呟くと、ダズがズンズンと庭園の中へと進んで行った。


 ワルダの庭園には、さまざまな種類、色とりどりのバラが植えられていた。

 樹高のあるこんもりと茂ったカップ咲きやロゼット咲きのバラたちは、淡いピンク色の花を咲かせ、庭園内のあちらこちらに植えられていた。

 庭園の道々には、所々にアーチが設えてあり、丁寧に育てられた蔓薔薇が巻き付いて、黄色や白、オレンジの小さくて可憐な花を咲かせていた。

 人々が休めるようなベンチの近くには、ミニバラが花壇に植えられ、赤やラベンダー、ピンク、アプリコット、グリーン、チョコレートなど、さまざまな色や形のものが咲き誇っていた。

 庭園全体には、ほのかに甘いバラの香りが漂っていて、人々はゆったりと散歩をしたり、満開のバラに目を細めては楽しんでいた。

 庭園は思いの外広く、記憶の世界で見た木組みのガゼボを見つけるのに、レイたちは四半刻ほど庭園内を探し回った。

 レイたちが目的のガゼボを見つける頃には、空はすっかりグレー色の暗雲で覆われていた。


「しっ! 誰かいる」

 ダズが気配に気づいた。
 ガゼボの中にいる人たちに悟られないよう、彼は裏手に回ろうと親指で差し示した。

 簡素な木組みのガゼボとはバラの木々を挟んで据えられたベンチに、レイたちは並んで座った。
 黄色に赤が差した可憐な花を咲かせたバラの木越しに、さりげなく背後のガゼボの様子を窺う。

 しとしとと、雨が降り始めた。

「……ラヒム、話は聞いたわ……本当なの?」

 涙で震える女性の声がする。

(……砂竜王様の声だ)

 レイはごくりと息を呑んだ。

「…………」
「君が泣くと、空まで泣いてしまうね」

 サディクによく似た、優しい声がする。こちらも、この雨空のように重く沈んだトーンだ。

「……っ!!」

 バッと、女性がガゼボから駆け出して行くのが見えた。たっぷりと長いローズ色の髪が揺れ、遠ざかって行く。

 しばらく経って、サディクによく似た男性が、彼女が走って行った方向とは別方向へと歩いて行った。


「「「「…………」」」」

 レイたちは、ひたすら沈黙を貫いていた。

「……兄上に、本当にそっくりですね。顔立ちも、背格好も……」
「声も、一瞬、サディク殿下かと思いました」

 ダズとクリフは静かに感想を述べた。

「さっきのは、修羅場というものではなかったのか? 彼らに声をかけなくて良かったのか?」

 サディクだけが、なんとも言えない表情で、冷静に尋ねた。

「「「あっ……」」」

 サディク以外の全員の声が揃った。さすがに別れ話の途中で突入する勇気は、誰も持ち合わせていなかった。

「せめて、どちらかだけでも……!」

 レイが駆け出そうとベンチから立ち上がると、一瞬で、時が進んだ。雨雲は消え去り、青空が広がる。

「「「「!!?」」」」

 全員が、驚愕の表情で固まった。

「さっきまで、雨が降ってましたよね??」

 レイはベンチから立ち上がった勢いから、力を抜いて歩みを止めた。手のひらを上にして、降ってもいない雨を確かめる。

「ここは時間の流れが不定期だな。特殊魔術の空間であれば、術者の都合のいいように時間が飛ぶことは、よくあることだ」

 クリフが空を見上げて、渋い表情で言った。

「……じゃあ、もうお二人とも……」
「ああ。時が進んでしまったようだからな。今は別の所にいるだろう」

 レイが肩を落とすと、クリフも残念そうな表情で答える。

「一旦、宿に戻るか? それとも、他に思い当たる場所はあるか?」

 サディクが、全員をぐるりと見回して尋ねた。

「このワルダの庭園が、記憶の世界で一番よく見かけた場所でした。他に彼らに会えそうな場所は、戦場ですが……」

 レイはふるふると首を横に振った。

「それなら一旦、戻るか。今がいつなのかが分からなければ、探しようがないだろ? 宿に戻りがてら確認するか。レイが見たっていう記憶も、詳しく教えてくれ」

 ダズがベンチから重い腰を上げた。
 他の二人も、「そうするか」とベンチから立ち上がった。


***


 宿に戻ると、クリフが紙に現サハリア王国の歴史の概略を、時系列ごとに簡単に書き留めた。
 レイは、その文字の横に、記憶の世界で何が見えたかを書き出していった。

——
皇女と婚約……北の庭、砂竜王と別れるよう告げられる
       ワルダの庭園、砂竜王との別れ話

エスパルド帝国侵攻開始……ワルダの庭園、砂竜王に逃げるよう告げる

エスパルド帝国戦……平原、帝国兵を砂竜王が撃退

サハリア王国の砂漠化
——

「……待て。帝国戦で、なぜ砂竜王が出てくるのだ?」

 サディクがメモを眺めて顔を顰め、疑問を口にした。

「歴史上ではエスパルド帝国兵は、ラヒム王太子殿下に撃破されたとなっておりますが、此度の調査で、砂竜王に撃退されていたということが分かりました」
「……歴史がひっくり返るな」

 クリフの説明に、ダズが目を丸くした。

「まだアリ陛下にも確認中ですので、このことは内密にお願いします。おそらく、ラヒム陛下の功績にして、対外的な威圧を強めて、サハリアに手を出しづらくするための処置でしょう」

 クリフが冷静に答える。

「なるほど。だが、『砂竜王に逃げるよう告げる』とは矛盾しないか? なぜ、砂竜王は逃げずに戦ったのだ?」

 サディクがさらに質問を重ねる。

「私の推察ですが……砂竜王様は、ラヒム殿下のお言葉に、却って『私がこの人を守らないと!』と思われたのかもしれません。ラヒム殿下はフライング土下座で謝られた後、砂竜王様に逃げるよう泣き落としされてましたから……」

 レイは眉を下げて、記憶の世界で見てきたことを伝えた。
 ラヒムの姿は非常に情けなかったが、ガザルへの思いやりと愛はしっかりと感じられた。ラヒムの心からの愛があったからこそ、ガザルも彼を助けようと戦場に出たのだろう。

「フライング土下座……」
「武王のフライング土下座からの泣き落とし……」

 サディクとダズは、信じられないといった表情で、固まったまま呟いた。

「レイ、すまない。王家では、初代国王陛下は憧れのまとなんだ。戦では負け無しの不敗伝説があるお方だからな。殿下方も幼き頃から寝物語に、初代国王陛下の武勇伝を聞かされてきて、特にお気に入りなんだ。……その、あまり刺激的な表現は避けて欲しい」

 クリフが小声で注意事項を教えてくれた。

「えっ!? そうだったんですか!?」

 レイが「しまった!」と両手で口を押さえてチラリと振り向くと、そこには、心なしか沈んで項垂れているサディクとダズがいた。

 しばし項垂れた後、先にサディクが回復した。

「……詳細は置いといて、とにかく次に二人に接触するなら、ワルダの庭園になるのだね?」
「そうです。ラヒム殿下が砂竜王様に逃げるようお願いする時ですね。確か、また同じガゼボで、時間帯は夜だったかと思います」

 サディクの言葉を継いで、レイが説明する。

 ダズは「うぅっ……俺は見たくない……武王の泣き落とし……」と大きな両手で顔を覆い、背中を丸めて壁にもたれかかっていた。

 ダズは、歴史上語り継がれてきたラヒム初代国王——武王の相当なファンだったようだ。


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