鈴蘭の魔女の代替り

拝詩ルルー

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禁書架4

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「それで、どうだったんだ?」

 クリフが期待半分に興味深そうな瞳で、レイに尋ねてきた。

「……ただのデートの覗き見でした……」
「は?」
「ラヒムさんのデートの覗き見です」
「……そうか……」

 応接室内には、なんとも言えない微妙な空気が漂った。


「それで、どうする? まだやれそうか?」

 クリフに確認され、レイは応接室のテーブルの上に並べてある二枚の手記を見比べた。

『北の庭、夜九時』
『三月末、兵五万、ベリアヘ進軍ス』

 待ち合わせの連絡の手紙と、間諜からの報告だ。

「う~ん、待ち合わせの方はまたデートっぽい感じがするので、続けてはちょっとキツいです……こっちならいけるかもです」

 レイは、間諜からの報告の手紙の方を指差した。見れるであろう誰かの記憶は、確実にデートでないのだけは分かる。二度もデートの覗き見は、勘弁である。

「ふむ。当時は、エスパルド帝国が次々と近隣諸国を征服していった時代だ。サハリア王国もまだそこまで大きな国ではなかったし、エスパルド帝国の侵略に対抗して、隣国のザミル皇国と友誼を結んで、そこの第二皇女と婚約を結んだんだ。二国間の関係強化に危機感を抱いた帝国がサハリア侵攻を早めた、というのが当時の時代背景だ」

 クリフが歴史の概要を、さらりとおさらいしてくれた。

「戦争関連の報告だからな、もし何かしら危険があるようだったら、身の安全を確保する方を優先して欲しい」
「分かりました」

 クリフの注意事項に、レイはこくりと頷いた。


 レイは、間諜の手紙に手を伸ばした。
 手紙の端には薄茶色に滲んだ汚れがついている。おそらく、使い魔を急がせるために、間諜が自らの血を提供したのが付いたのだろう。

(……それこそ、血の滲むような思いをして、この手紙を届けたんだ……)

 レイが神妙な思いで手紙を手に取ると、またもや手紙が持つ記憶の世界に引き摺り込まれていった。


***


(ここは確か、ワルダの庭園だっけ?)

 記憶の中の世界で目を覚ますと、レイは薔薇園に佇んでいた。
 時間帯は夜。バラの花々は、その可憐な花びらを蕾に閉じて、固くしまい込んでいた。
 人は誰もいない——いや、木組みのガゼボに、一人だけいた。

(ラヒムさん、この時間に一体??)

 レイがガゼボの方に近寄って行くと、不意にラヒムがこちらを振り向いた。

(わっ!!? もしかして、こっちが見えてるの!?)

 レイが思わずその場で固まっていると、レイを通り越して歩いて行く、ローズ色のたおやかな長い髪が見えた——ガザルだ。

(とっ、透過した!!?)

 レイはわたわたと自分の身体をあちこち触った。自分の中を誰か他の人が通過するのは初めての体験で、何だか気持ち悪い。


「……今さら、何かしら?」

 ガザルの声は冷たく鋭く、いつもの柔らかく愛らしいものからはかけ離れていた。
 蜂蜜のように濃い黄金眼は、今日は星々も暗く沈み、ラヒムを射殺すように睨み付けている。

「すまない!! ガザル、逃げてくれ!!!」

 ラヒムはガザルの氷点下の視線を物ともせず、その場で勢い良くがばりと美しい土下座をキメた。

(フライング土下座!!?)

 こっちの世界でも心からの謝罪はこのスタイルなのかと、レイはあさっての方向に感動していた。

「近々、帝国軍がこの国を侵略に来る。ここもどうなるか分からないし、私自身どうなるかも分からない。だから、君だけは逃げてくれ!!」

 ラヒムは額をぐりぐりと地面に擦り付けたまま叫んだ。

「……あなたは、逃げないの?」

 ガザルはラヒムの勢いに押されつつも、静かに尋ねた。

「逃げない! 本音では逃げたい!! でも、逃げられない!! だから、君だけでも逃げて欲しい!!!」
「何を言ってるの? 訳が分からないわ……」

 ガザルは困惑の表情を浮かべた。

「君にあんなことをして、酷い男だと自分でも重々分かってる! 今さらだし、どんな顔をして君に会えばいいかも分からない! 自分がどうしようもなく情けない奴なのも分かってる!! だけど、ガザル、君にだけは生きて欲しい!!!」

 土下座を続けるラヒムから、「ゔぅっ、ぐっ」と嗚咽の声が漏れる。ズビッと鼻を啜る音もだ。

「はぁ……仕方のない人……」

 ガザルの呆れた溜め息が漏れた。その表情は、この庭園に現れた時よりも、ずっと柔らかく優しいものだった。


(ラヒムさん……!!!)

 レイは両手で口元を押さえて、なぜか感動していた。ラヒムは非常にかっこ悪い体勢だが、ガザルへの真摯な愛はたっぷりと感じられたのだ。


 レイが瞬きした瞬間、またもやシーンが移り変わっていた。
 夜の庭園から、いきなり真っ昼間に変わっていたのだ。

 レイは眩しそうに目を細めて辺りを見回した。
 ここはどこか、崖の上のようだ。侵攻してきたエスパルド帝国の兵士の大軍が、平原を埋め尽くしているのが見える。


「嘘、だろ……?」

 ラヒムが震える声でこぼす。

「殿下! ここも危険です! すぐに退避しましょう!!」

 近衛らしき兵士がラヒムを正気に戻そうと、その肩を掴んで揺さぶっていた。

 ラヒムは立派な鎧に身を包み、近衛兵と共に、望遠鏡で平原の様子を窺っていた。

 ラヒムの視線の先には、淡いローズ色の鱗を持つ巨大な砂竜がいた。——エスパルド帝国の兵士に囲まれ、矢や槍やあらゆる魔術の集中砲火を受けている。
 砂竜の、蜂蜜のようにとろりと濃い瞳の中には、力強く星々が煌めき、ギラリと光っている。

 砂竜は天を仰ぎ、ヴォオォォォと咆哮を一つ上げた。
 魔力圧の衝撃波が、砂竜を中心に発生する。

 その衝撃波に触れたものは、帝国兵も馬も、草木も岩も、あらゆるもの全てが砂へと変わっていった。

 生き残った帝国兵が、散り散りに逃げていくのが見える。

 砂竜がバサリと羽ばたくと、ぶわりとその巨体が浮く。

 砂竜が大きく胸を膨らませたかと思うと、帝国兵に向けてとてつもないサンドブレスが放たれる。

 サンドブレスは、地面に当たると砂の大津波となって、帝国兵を次から次へと飲み込んでいった。そして、砂竜はそのまま首をぐるりと回して天を仰いだ。ブレスもその動きにつられて、そのまま真正面にあった遠くの山を削って真ん中から真っ二つに割り、天までもを二つに割った。

「ガザル……」

 ラヒムはまだ信じられないというように、掠れた声で呟いた。


(えっ!? 帝国兵はラヒムさんの兵が倒したんじゃなくて、砂竜王様が撃退したんだ!! ……それにしても、竜ってこんなに……)

 レイもまだ目の前のことが信じられなくて、全てが砂に埋もれた平原の方を見つめていた。
 以前も水竜ガラテアの「リヴァイアサン」を見ているが、地形を変えてしまう天災と言えるほどの竜の大技は、何度見ても恐ろしく、見慣れないものだった。

 ただただ圧倒されて、何も言葉にできなかった。


***


「どうだった?」

 目が覚めてからもずっと悄然としているレイに、クリフは温かいミルクティーを出してくれた。

 一口、口に含むと、シナモンがふわりと香り、蜂蜜も少し垂らしてくれたようで、ほんのり甘かった。

「……エスパルド帝国の侵攻を止めたのは、初代国王様ではなかったです」
「何?」

 クリフが訝しげに片眉を上げる。

「砂竜王様が、帝国兵を撃退してました。その影響で、平原だったところが、全て砂に変わってました……」
「まさか……そうなると、史実は異なるということか。砂竜王がやったことを初代国王陛下の功績にして、外部への威圧に利用したのか……悪いが、このことは黙っていてくれないか? アリ陛下にも確認を取りたい」
「分かりました」

 レイが力なく頷く。
 いろいろ過去の記憶を見過ぎて、今日はもうキャパオーバーだ。砂竜王の戦闘シーンも目に焼き付いて、その凄惨さにクラクラしているのもある。

「今日はもうこれで終わりにするか。レイもしっかり休んだ方がいい」
「そうですね。いろいろ見過ぎちゃって、ちょっと休みたいです」
「こっちは、また今度だな」

 カサリと、クリフが最後の一枚の手記を手にした。

「ふぁい……」

 レイがあくび混じりに返事をすると、クリフは眉を下げて「送っていこう」と提案してくれた。

 レイはそのまま甘えることにして、鉄竜の鱗の拠点まで転移で送ってもらった。


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