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第1部 第1章
第1話 銀の鈴
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虎の刻。
小夜は、百度参りをした帰り道、参道で銀の鈴を拾った。
月の光に輝く、一寸程の球を掌に載せ、「綺麗……」とつぶやき、砂利石でついた小さな傷を撫でた。
耳元で一振りする。
『りんっ』と鳴ったその音が、月の光の届かぬ闇に消えていくのを耳で追い、「音までが美しい」と笑みを浮かべ、灯籠にその鈴を掛けた。
「良いものを見た。良い音を聞いた」
小夜は、鈴の音が、心まで清しくしてくれた気がして、我が胸を抱きしめ笑みを浮かべる。
鳥居の下。世を分ける結界の狭間に、白い狩衣を着た女が立っていた。
整いすぎた顔は尋常の者とは思えぬ白さで口の紅を浮き上がらせている。
小夜が鳥居の下で踵を返し、本殿に向かい一礼をして再び踵を返したとき、狩衣の者は前にいて道を塞ぎ、「もしや」と小夜に声を掛けた。
「鈴を見なかったか」
「あれはお前様の……はい。拾いましたので、近くの灯籠に掛けておきましたが,取ってまいりましょう」
三度踵を返そうとする小夜を留めるように重ねて問うた。
「何故掛けたのだ」
「あれほどの鈴なら、持ち主が必ず探しに戻ると思いましたゆえ、目に付く場所にと」
「誰か邪な者が持ち去るとは思わなんだのか」
「それは」
小夜はその言葉に驚き、「思いませなんだ」と口に手を当てて笑う。
「ここはそのような者が訪れることができない場所なので」
社は、御幣で結界が造られて、清浄な気に充ちている。
「ふむ」
狩衣の者は口の端を歪めて「殊勝なことを言う」そう言って懐から鈴を出した。
「これはお前にやろう」
「えっ?頂けるのですか? それは何故。それに頂けるのならあの落ちて傷がついていたものがよろしいのですが」
美しいものについた傷を愛おしく感じてそう言った。
「これはあれだ」
見れば確かにそれは灯籠に掛けて置いたあの鈴だった。
「……これは、不思議な……」
「百度参ったであろう。病気の祖母の平癒を願うたか。幸田七村の長、八郎太の娘、小夜」
「私をご存じなのですか」
「我は幸田家の祭神にして、高天原におわします多紀理比姫命のつかわしめである。また、天界の意思を伝える役も担う」
「では、私の願いを叶えて下さるために現世に?」
「我は眷属である故にその力は持たぬ。なれど、その力を持つ者を知る。その鈴はそなたをその場所に導く」
小夜は神使の足下に伏して手をつき「有り難いことでございます」と礼を言った。
「なれど……懸念がある」神使は小夜に問い糾す。
「そなたは己の命と引き替えても祖母を助けられるか。力を持つ者とは鬼である。鬼はお前の肉を食い血をすする。鬼の責めに耐えた者だけが引き換えに望みが叶えられ力を得ることができる」
「私の命と引き替えに……。わかりました。この身に変えまして祖母の病が治りますのなら」
神使は小夜の言葉を聞き、嘲るように言った。
「命の事を易々と言う者は命を失う苦を知らぬからだ。また、命を失えぬことの苦も知らぬ。ひとたび鬼と約定を結んだあとで、そなたが途中で逃げ出せば、祖母もそなたも冥界に落ちて永劫に身を裂かれて喰われることになる。死ぬことが如何に救いかを知ることになろうぞ」
「軽い心根ではありませぬ。祖父は死に、両親も何処かに旅立った今、祖母が幸田七ヶ村の采配を振っております。祖母が死ねば幸田は未熟な私が継ぐことになり、いつか潰てしまいましょう。それはなんとしても防がねばなりません。また、祖母には慈しまれてこれまで育てられました。その祖母が病で苦しむ姿を見るのが辛いのです。幾度も苦しみを変われるものならと願うておりました。その為であれば、耐えられぬことなどないのです。どうぞ鬼の元にお導き下さい」
「覚悟は分かった」
神使が頷く。
「なれどそなたには宇宙からの使命がある。村を導き杜を守らねばならぬ。故に死んではならぬ。そなたの祖母もそなたの心労を嘆いている。自ら命を絶ち、そなたを解き放ちたいと試みておった。然りど、そなたが村を作り、その子が世を安寧するまでは生きよと、われが枕辺に立ち、執着を与えて命を繋がせておいた。そのお前が命を引き替え宇宙の使命を棄てたとあっては、祖母はどれ程嘆き悲しみ悔やむであろうな」
「よくぞお聞かせ下さいました」
小夜はそう言って泪を滲ませた。
「またよくぞ祖母の命を引き留めて下さいました。おん礼の言葉もございませぬ。お言葉を聞き、いよいよ覚悟が定まりました。如何なる辛苦にも耐えて、きっと宇宙の使命を全うし、祖母に孫を抱かせましょう」
神使は満足そうに微笑み、
「ならば今夜、身を清めて、丑の三つに家を出よ。丑寅の方に向むかい》てゆけば竹藪がある。幾筋もの細道に鈴をかざせば行くべき道で鳴る」
小夜は神使に対し手を合わせ、二礼二拍手する。
「宮の姫。つかわし女様の弥栄を……」
「この神薬をしんぜよう。指の間に挟み隠し持て。いよいよ鬼の責めに耐えられなくなったなら呑むが良い。これは苦しみ、痛みを除き、それらを快楽に代える」
一粒の丸薬を指の間に埋め込み、鈴を残して、暁の光の中に神使が消えた。
小夜は、百度参りをした帰り道、参道で銀の鈴を拾った。
月の光に輝く、一寸程の球を掌に載せ、「綺麗……」とつぶやき、砂利石でついた小さな傷を撫でた。
耳元で一振りする。
『りんっ』と鳴ったその音が、月の光の届かぬ闇に消えていくのを耳で追い、「音までが美しい」と笑みを浮かべ、灯籠にその鈴を掛けた。
「良いものを見た。良い音を聞いた」
小夜は、鈴の音が、心まで清しくしてくれた気がして、我が胸を抱きしめ笑みを浮かべる。
鳥居の下。世を分ける結界の狭間に、白い狩衣を着た女が立っていた。
整いすぎた顔は尋常の者とは思えぬ白さで口の紅を浮き上がらせている。
小夜が鳥居の下で踵を返し、本殿に向かい一礼をして再び踵を返したとき、狩衣の者は前にいて道を塞ぎ、「もしや」と小夜に声を掛けた。
「鈴を見なかったか」
「あれはお前様の……はい。拾いましたので、近くの灯籠に掛けておきましたが,取ってまいりましょう」
三度踵を返そうとする小夜を留めるように重ねて問うた。
「何故掛けたのだ」
「あれほどの鈴なら、持ち主が必ず探しに戻ると思いましたゆえ、目に付く場所にと」
「誰か邪な者が持ち去るとは思わなんだのか」
「それは」
小夜はその言葉に驚き、「思いませなんだ」と口に手を当てて笑う。
「ここはそのような者が訪れることができない場所なので」
社は、御幣で結界が造られて、清浄な気に充ちている。
「ふむ」
狩衣の者は口の端を歪めて「殊勝なことを言う」そう言って懐から鈴を出した。
「これはお前にやろう」
「えっ?頂けるのですか? それは何故。それに頂けるのならあの落ちて傷がついていたものがよろしいのですが」
美しいものについた傷を愛おしく感じてそう言った。
「これはあれだ」
見れば確かにそれは灯籠に掛けて置いたあの鈴だった。
「……これは、不思議な……」
「百度参ったであろう。病気の祖母の平癒を願うたか。幸田七村の長、八郎太の娘、小夜」
「私をご存じなのですか」
「我は幸田家の祭神にして、高天原におわします多紀理比姫命のつかわしめである。また、天界の意思を伝える役も担う」
「では、私の願いを叶えて下さるために現世に?」
「我は眷属である故にその力は持たぬ。なれど、その力を持つ者を知る。その鈴はそなたをその場所に導く」
小夜は神使の足下に伏して手をつき「有り難いことでございます」と礼を言った。
「なれど……懸念がある」神使は小夜に問い糾す。
「そなたは己の命と引き替えても祖母を助けられるか。力を持つ者とは鬼である。鬼はお前の肉を食い血をすする。鬼の責めに耐えた者だけが引き換えに望みが叶えられ力を得ることができる」
「私の命と引き替えに……。わかりました。この身に変えまして祖母の病が治りますのなら」
神使は小夜の言葉を聞き、嘲るように言った。
「命の事を易々と言う者は命を失う苦を知らぬからだ。また、命を失えぬことの苦も知らぬ。ひとたび鬼と約定を結んだあとで、そなたが途中で逃げ出せば、祖母もそなたも冥界に落ちて永劫に身を裂かれて喰われることになる。死ぬことが如何に救いかを知ることになろうぞ」
「軽い心根ではありませぬ。祖父は死に、両親も何処かに旅立った今、祖母が幸田七ヶ村の采配を振っております。祖母が死ねば幸田は未熟な私が継ぐことになり、いつか潰てしまいましょう。それはなんとしても防がねばなりません。また、祖母には慈しまれてこれまで育てられました。その祖母が病で苦しむ姿を見るのが辛いのです。幾度も苦しみを変われるものならと願うておりました。その為であれば、耐えられぬことなどないのです。どうぞ鬼の元にお導き下さい」
「覚悟は分かった」
神使が頷く。
「なれどそなたには宇宙からの使命がある。村を導き杜を守らねばならぬ。故に死んではならぬ。そなたの祖母もそなたの心労を嘆いている。自ら命を絶ち、そなたを解き放ちたいと試みておった。然りど、そなたが村を作り、その子が世を安寧するまでは生きよと、われが枕辺に立ち、執着を与えて命を繋がせておいた。そのお前が命を引き替え宇宙の使命を棄てたとあっては、祖母はどれ程嘆き悲しみ悔やむであろうな」
「よくぞお聞かせ下さいました」
小夜はそう言って泪を滲ませた。
「またよくぞ祖母の命を引き留めて下さいました。おん礼の言葉もございませぬ。お言葉を聞き、いよいよ覚悟が定まりました。如何なる辛苦にも耐えて、きっと宇宙の使命を全うし、祖母に孫を抱かせましょう」
神使は満足そうに微笑み、
「ならば今夜、身を清めて、丑の三つに家を出よ。丑寅の方に向むかい》てゆけば竹藪がある。幾筋もの細道に鈴をかざせば行くべき道で鳴る」
小夜は神使に対し手を合わせ、二礼二拍手する。
「宮の姫。つかわし女様の弥栄を……」
「この神薬をしんぜよう。指の間に挟み隠し持て。いよいよ鬼の責めに耐えられなくなったなら呑むが良い。これは苦しみ、痛みを除き、それらを快楽に代える」
一粒の丸薬を指の間に埋め込み、鈴を残して、暁の光の中に神使が消えた。
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