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3-1.夜に走る
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王輝はふわりと香る甘い匂いで目が覚めた。重い瞼をこじ開けると、目の前に見たことのない女性がいた。遅れて、腹や大腿部に重さを感じる。さらりと長い髪が王輝の顔に触れてこそばゆさを感じた。
「あ」
その女性は驚いて、アイメイクに彩られた大きな瞳でまばたきをした。王輝はぼやける視界ながらに女性の顔を観察するが、見たことのない顔だった。メイクはしているがあどけない顔立ちで、少女と呼ぶほうがふさわしい。顔から視線を下ろした王輝は、目を見開く。少女が着ているセーターはまくり上げられ、下着が見えていたからだ。王輝の視界からは見えないが、スカートは破れ、大腿部が露わになっていた。王輝は状況がわからずに慌てるが、頭も身体もどうしようもなく重い。横たわることしかできなかった。
「王輝さん、起きました?」
聞きなれた漠の声が王輝の耳に届く。王輝は顔を動かし、漠の姿を探す。ローテーブルの向こう側のソファに漠は座っていた。にやにやと笑いながら、スマホを操作している。
「なに、してんだよ」
王輝の声はかすれていた。状況を把握しようと視線を動かす。狭い部屋、備え付けのテレビ、ローテーブルの上に置かれたマイク、漏れ聞こえてくる音楽と歌声。カラオケにいることはわかった。カバンは見当たらないが、ジョガーパンツのポケットにスマホの重みを感じる。隙を見て須川に助けを求めるほうがよさそうだと王輝は判断した。
馬乗りになっている少女については全く見当がつかなかった。漠に聞くしかないと、王輝は漠を睨みつけ、無言の圧力をかける。漠は「こわ」とけらけらと笑ってから、スッと表情を凍らせる。釣り目の瞳は冷ややかに王輝を打ち抜き、王輝は背筋がぞくりとした。
「決定的瞬間を撮ってました」
「……は?」
言葉は聞き取れた王輝だったが、意味が理解できなかった。それに気を抜くと、また意識を失いそうだったので、自らの大腿部を思いっきり抓る。痛みでどうにか目を覚ましている状態だった。
「だから、決定的瞬間ですって」
漠は王輝にスマホの画面を見せるために、ぐっと腕を伸ばした。王輝が首を動かし、画面を見つめる。漠は画面をスワイプし、数枚の写真を王輝に見せつけた。
「人気若手俳優、泥酔してファンの女性に淫行」
漠の言う通り、王輝と少女が映った写真はそういう風に見えるように撮られていた。ご丁寧に、部屋の中で撮られたものとドアの外から撮ったものがあった。今は少女が上に乗っているが、王輝が少女に覆いかぶさっている写真もあり、王輝はぞっとする。意識がないうちに、何をさせられたのだろうと嫌な汗をかいた。しかし不安な表情を見せるわけにはいかず、王輝は気丈に振る舞った。
「そんな写真撮って、どうするつもりだ」
王輝は漠を睨みつける。漠はにやりと笑い、スマホを引っ込めるとローテーブルの上に伏せた。代わりにテーブルの上に置いてあるグラスを手に取り、ハイボールを一口飲む。
「どうするつもりも何も、俺が週刊誌に写真送れば、王輝さん終わりですね」
グラスをテーブルに置き、漠は楽し気に言い放った。
「矢内、お前…!」
王輝は怒りにつき動かされ、身体を起き上がらせる。上に乗っていた少女は、「きゃ」と小さく悲鳴を上げて慌てて王輝から離れた。部屋の隅へと逃げるように移動する。立ちあがろうとした王輝だが、ふらついてしまい、ソファに座りこんだ。
「落ち着いてくださいよ。暴行になっちゃいますって」
漠の言う通りだと、王輝は呼吸を繰り返して、冷静になれと自分に言い聞かせた。ここから早く逃げたいが、撮られた写真をどうにかしなければならない。王輝は少女を横目で見る。変わらず部屋の隅に立っていた。漠の知り合いなのか、本当に自分のファンなのか、王輝には判断できなかった。少女は不安そうな表情をして、漠と王輝の顔を見つめていた。
どうすれば切り抜けられるのだろう。王輝は考えるが、頭の中に靄がかかったように思考が四散していく。瞼が閉じそうになるのを我慢しながら、漠に尋ねた。
「俺に何を飲ませた?」
「睡眠剤です。俺がたまに飲んでる薬を、ちょっと多めにコーヒーに入れました。死んだりはしないと思いますけど、保証はないですね」
漠は軽い口調で応える。ひどく眠い理由がわかって、王輝は少し安心した。危ない薬物でないことだけは救いだった。
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