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第二章:夏
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しおりを挟む翌朝、秀悟は目を覚ました。カーペットという寝心地の悪さのせいと、昨晩の出来事のせいで、ほとんど眠れず寝不足だ。寝ぼけ眼で身支度を済ませたタイミングで、寝室のドアが開いた。椿がのっそりと歩み出てきて、欠伸を一つする。
「椿くん、おはよう」
秀悟はどうにか表情を取り繕い、にこやかに挨拶をする。椿は眠そうに目を擦り「おはよう」と返した。
「顔洗っておいで。洗濯した服は洗濯機横のラックに置いてあるから」
椿の下着以外の服は、昨晩のうちに秀悟が洗濯と乾燥を済ませていた。
「木元さんが、八時に迎えに来るって」
椿は部屋の壁時計を確認して頷く。八時まであと三十分程だ。昨日は怒涛の一日だったため、帰りたいという気持ちが強かった。それに、このまま秀悟と一緒にいると、自分がどうなってしまうかわからない怖さもあった。
身支度を終えた椿は、秀悟と共にマンションの一階へと降りる。マンションのエントランスで二人は並んで待つ。「あと五分ほどで着きます」と、静夏から秀悟へ連絡があった。朝から太陽は厳しい日差しを降らせる。体感気温は十分に暑い。
秀悟は隣に立っている椿を見下ろした。キャップの縁から跳ねた髪が飛び出し、頸のネックガードは柔い肌を守っている。昨晩の出来事が蘇って、秀悟は背筋がぞくりとした。それを振り払うように、軽く頭を振る。
一晩考えた末、秀悟が出した結論は、昨晩の出来事は許されないというものだった。いくら同意を得ていたとはいえ、椿は正気ではなく、秀悟に丸め込まれた状況だった。静夏から椿を任された、いわゆる保護者という立場にも関わらず、行為に及んでしまったことは信頼関係にも影響する。それにα用の抑制剤があったのに使用しなかったのは、秀悟の怠慢だ。
「椿くん」
名前を呼ばれ、椿は秀悟を見上げる。その視線は、無垢で純粋で綺麗だ。秀悟は椿を汚してしまった感覚が強くなり、猛省が加速する。秀悟は言葉を切り出そうとして、躊躇った後、ようやく口を開いた。
「昨日の夜のこと、忘れて欲しい」
「……え?」
「あれは全部僕が悪かったんだ。許されることじゃない。申し訳なかった」
秀悟の言葉と謝罪を、椿は素直に受け取れなかった。椿にとっては、全てが初めてで、刺激的で、忘れたくても忘れられない体験だ。
「俺は忘れたくない」
「でも」
「なんで忘れなきゃいけないの?俺のこと嫌い?」
「そんな、嫌いなんてこと……」
「じゃあどうして忘れろなんて……」
椿はまっすぐ秀悟を見つめる。純粋に知りたいという気持ちが、秀悟にはひしひしと伝わってきた。しかし、秀悟はすぐに答えられなかった。
秀悟と椿は友達関係であり、それ以上でも、以下でもない。だから昨晩の出来事は、一時の過ちとするべきだ。そうしなければ、静夏に申し訳がたたないし、椿にとっても好ましくない。
上辺だけの理由であれば、いくらでもある。けれども、結局のところ、秀悟には覚悟がないのだ。
「ごめん……」
秀悟は一言を絞り出して、その後は口を閉ざすことしかできなかった。最悪な返事であることは、秀悟は十分にわかっていた。
「なにそれ……」
椿は秀悟の返事に納得いかず、怒りが込み上げてくる。
ちょうどその時に、マンション前に静夏が運転する車が停車し、静夏が車から降りてきた。
エントランスに入ってきた静夏は、二人の間のただならぬ空気に、何かあったことを察する。
「椿くん、帰りましょう」
静夏は椿を車に乗るように促した。椿は大人しく従い、エントランスから出ていく。
「七村さん」
「……はい」
「今日は帰りますけど、後日、きちんと説明してくださいね」
言葉尻は柔らかだが、静夏の目は笑っていない。秀悟は自業自得だと感じながらも、「はい」という答えを絞り出すのが精一杯だった。
静夏と椿が乗った車は、厳しい日差しの中へと走り去っていく。秀悟はそれを見送ることしかできなかった。
〈第二章:夏、終〉
一年ぶりの更新にも関わらず、読んでいただきありがとうございます。また、お気に入り登録や拍手・いいねもありがとうございます。大変励みになっております。
第三章:秋については、現在執筆中ですので、気長に待っていただけますと幸いです。
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久しぶりにアプリを開いたら更新情報があったので飛んできました。更新本当にありがとうございます( ߹ㅁ߹)本編につきましては、2人がお互いに会えない間、お互いのことを考えている姿がまさに純愛ですっごく刺さりました;;無理なさらないペースでまた更新してくださると嬉しいです!
るち様
再びのコメントありがとうございます。感想も大変嬉しいです。
更新ペースが遅くて申し訳ありません…!次のお話は今書いているところですので、もう少し早くお届けできるかと思います。お待ちいただければ幸いです。
とっても面白かった!
人物や状況設定も細かですっきり物語に入れあっという間に読みました。
これから!という春で終わっているので、是非熱い夏を続けて下さいませ。
さくらこ様
コメントありがとうございます。また、お褒めの言葉もありがとうございます。大変嬉しいです☺️
続きについては考えてはいるのですが、なかなか書き進まずで、申し訳ございません。
続きが書けるように頑張ります…!
情景描写が繊細で言葉が綺麗でのめり込んで一気に読んでしまいました...!
二人はどんな感じでどんな感じになるのでしょうか...
続きが気になります>﹏<
るち様
はじめまして。感想ありがとうございます。
お褒めいただきありがとうございます。私には勿体無いお言葉で、大変恐縮です…!
続きは考えているのですが、更新滞っており申し訳ありません。更新頑張らせていただきます……!