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第二章:夏
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しおりを挟む観覧車の赤色に塗られたゴンドラに二人は乗りこんだ。係員がバタリと扉を閉めると、二人っきりの空間が生まれる。
「いってらっしゃーい」
外から係員に手を振られ、秀悟は軽く手を振り返す。椿は気まずそうな表情をしただけだった。ゴンドラはゆっくりと動き、じわじわと高さを上げていく。
座席は二人が並んで座れる幅があったが、二人は顔を見合わせた後、対面で座った。ゴンドラに設置されたスピーカーからは、明るいメロディーが流れている。
「疲れてない?」
秀悟が尋ねると、椿は外を見ながら「うん」と頷いた。その先の言葉は続かない。二人の間には沈黙が落ちる。
椿は右半身にまだ熱が残っている感じがして、右腕を左手でかき抱いた。秀悟の重みは心地よく、安心すらした。服越しではあるが、あれほど長く他人の熱を感じたのは初めてだった。以前に直に触れられた頬の熱もよみがえり、鼓動はずっと速いままだ。
もっと触れられたらどうなるのだろう。椿は想像して、背筋がぞくりとした。発情期は終わったのに、発情期の時のように身体が熱くなる。落ち着かなければフェロモンがでてしまう。椿は静かに深呼吸を繰り返す。こんなところで発情してしまえば、秀悟に迷惑がかかる。秀悟に、襲われて、しまう。
「っ……」
椿は思わず口を手で覆う。美術館での、高架下での、欲に染まった秀悟の目を思い出した。圧倒的なαの存在を前にして、Ωがなす術はない。もし、今同じ状況になれば、椿は抵抗することなく、秀悟に全てを曝け出す。それは屈服ではない。受容だ。秀悟になら、と椿は思った。
「あ、プール」
秀悟の明るい声が、ゴンドラ内に響いた。
「ほら、見て、椿くん」
楽しそうな表情で、地上を指さす秀悟を見て、椿は我に返る。熱くなった思考を振り払うように、ふるふると顔を振った。
椿は秀悟の指先を辿り、地上を見下ろした。ゴンドラが円の半分ほどの高さまで上がっており、椿はその高さに少し驚く。
眼下のプールでは、水面が反射してキラキラと輝く。カラフルな水着や浮き輪が点々と存在し、動いていた。まるでミニチュアのおもちゃのようで、人々のはしゃぐ声が聞こえてきそうだ。
「椿くんは、泳ぐのは得意?」
「泳いだことないから、わからない」
「学校の授業で水泳ってなかった?」
「Ωは免除されてたから」
椿はネックガードをとんとんと叩く。プールを見つめる椿は無表情で、秀悟は曖昧に頷くしかできなかった。また沈黙が落ちる。
二人を乗せたゴンドラは少しずつ高度を上げて、頂上に到達した。見晴らしのいい景色が広がるが、二人ともはしゃぐことなく、外を見ているだけだ。このまま沈黙で、後半周するのは耐えられないと、秀悟は椿に話かける。
「そうだ、夏の四季展見に行ったよ」
秀悟の言葉に、椿はパッと表情を明るくして、秀悟へと向き直った。
「どの作品が好きだった?」
「えっと、どの作品も素敵だったけど……」
座席から乗り出さんばかりの勢い椿に押されながらも、秀悟は花々の姿を思い出す。しかし、考える時間は不要だった。秀悟の記憶に鮮明に残っているのは、蓉の作品だからだ。
「吉野原蓉の作品かな」
「本当に?!」
椿が勢いよく腰を上げた。その勢いで、ゴンドラがゆらっと揺れたほどだ。
「紫陽花とひまわり、どっちのほうが好きだった?」
「どっちって言われても……」
秀悟は明音と一緒に前期を見、後期は一人で見に行った。蓉の作品が、前期は紫陽花、後期はひまわりであったのは覚えているが、甲乙つけがたいのが正直な感想だ。それに、両方とも当たりの作品で、秀悟としては満足だった。
「両方とも好きだったよ」
「ふぅん」
椿は素っ気ない返事をしたが、本当は嬉しくて飛びあがりたかった。両方とも生けたのは椿だからだ。感情は隠せるものでなく、椿の頬は緩む。
椿の表情の変化に、秀悟は気づいていたが、その理由について検討がつかない。椿も蓉の作品が好きなのだろうと考えていた。
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