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第一章:春
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しおりを挟む四季展と発情期を終え、体調が安定した椿は、五月にはバイトに復帰した。
バイト先の宮古(みやこ)生花店は、宮古夫妻が営む花屋兼仲卸で、花の販売から配達、フラワーギフトからイベント花の作成まで、花にまつわることなら何でもこなす店だ。また、吉野原家へも花を卸していて、椿が生ける花は、いつも宮古生花店から仕入れている。花の品質において、椿は大幅な信頼を寄せていた。
椿は主に花束やフラワーアレンジメントを作成したり、切花の出荷作業をしたり、バックヤードで働いている。椿は接客が苦手なこと、またΩであることを宮古夫婦は気遣ってくれていた。しかし、配達が忙しいときは、夫婦ともに店を空けるときがある。その時は椿、もしくは、夫妻の娘の明音(あかね)が店番を任されていた。明音は十九歳で、デザイン系の専門学校に通っている。椿がバイトを始めた時は、明音に対して閉じた態度を取っていた。しかし明音の持ち前のコミュニケーション力と明るさのおかげで、今ではすっかり仲良くなっている。年が近く、お互い友達や兄妹のような存在で、椿も明音には心を許していた。
「椿、髪伸びたよね」
明音は手際よくラッピングペーパーやリボンで花束を飾り付ける。花束の色や雰囲気に合わせたラッピングをするのは、明音の腕の見せどころだ。
先ほど夫妻は配達にでかけたため、店には椿と明音の二人だけだった。木の温もりを感じる店内には、種々の花が並ぶ。来週に控えた母の日のため、花桶に入れられたカーネーションはいつもより多い。色は定番の赤、他にイエロー、ピンク、オレンジ、グリーンなど様々だ。
店内の作業台に椿と明音は並び、椿が小ぶりの花束を作り、明音はラッピングをするという役割分担で、花束を量産していた。明音はピンクベージュに染めた髪に、赤のインナーカラーを入れ、耳には左右合わせて五個ピアスがついている。二重の瞳は綺麗にカールしたまつ毛とアイシャドウに彩られ、ふっくらとした唇には赤の口紅が綺麗に塗られていた。
椿は前髪を横に流しながら「そうかも」と答える。人に会う機会が少ないため、ついつい見た目に疎くなる椿を、明音は常に気にかけていた。それは明音が前髪の下にある椿の顔の良さを知っていたからだった。明音は宮古生花店と書かれたベージュのエプロンのポケットに留めている黒のシンプルなヘアピンで、花を吟味している椿の前髪を止めた。形のいい額と滑らかな肌、ぱっちりとした瞳が現われ、明音は満足気に椿の顔を見つめる。
「やっぱり顔がいい」
「そうか?そんなこと言うの明音くらいだ」
ヘアピンのおかげで視界が良好になり、椿は幸いとばかりに花束を作り上げる。出来上がってくる花束はどれも綺麗で可愛く、さすがだと明音は感心していた。明音は椿のことを吉野原の生花教室生だと思っているし、椿もそう嘘を吐いていた。
明音はポケットからスマホを取り出し、ラッピングが終わった花束を並べ、SNS用に写真を撮る。生花店の公式アカウントに、宣伝のために写真をアップした。
「ね、椿。私の最近の推し、見たい?」
「え?なんとかってアイドルじゃなかったっけ?」
明音の推しがころころ変わることを椿は知っていた。この人がかっこいい、あの人がかっこいい、と常に聞かされて、椿は半ばうんざりしていた。いちいち覚えてられず、結局誰が推しなのか、椿はいつもわからなかった。
「違うって。今はこの人!見て見て!」
明音がスマホの画面を椿の目前に差し出した。視界を邪魔された椿は、不満に思いながらも、スマホの画面にピントを合わせる。そこには一人の男性が笑顔で映っていた。
「うちと取引してるスーパーの人なんだけど、優しくて、かっこよくてね。この前店に行って、宣伝するからって生花コーナーで写真撮らせてもらったの」
うっとりとした表情で話す明音の言葉は、椿の耳に届いていなかった。映っていたのは緑のエプロンを身に着けた秀悟だった。
「こいつって……」
「なになに?気になる?」
明音は椿を揶揄うように言ったが、椿の表情が険しいものであることに気づく。表情に乏しい椿にしては珍しいと明音は思った。見て見ぬふりをしたかった明音だが、気になりすぎて我慢ができなかった。
「え、知ってる人?訳ありだったり?」
「別に、知らない人」
「うっそだぁ」
スマホを持った明音の手を邪魔そうに押しのけ、椿は花の選別に戻る。目の前のカラフルな花を見ながら、組み合わせを考える。しかし、あの日の花を見つめる秀悟の表情がちらついて集中できない。小さく舌打ちして、花を花桶に戻す。こんな気持ちで花に向かい合う自分が許せず、椿は「ちょっと休憩する」とバックヤードへと足を向けた。
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