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第4章 スタートダッシュ
24話 金の剣
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ぞろり、と紅い眼が動く。ちかちかと金の亀裂が点滅する。
金属質な反射を携える眼球に写り込むのは、小さな子供を抱えた怯えた若い女。
土気色の舌が、獲物を前に滴る唾液を舐めとり、体の表面にびっしりと張り付いた鱗がぬらぬらと光った。
トカゲのようでもあり、あるいは狼のようでもあるそれは二本脚で立ち上がり、当たり前の聖都の風景の中、白い紙に滴ったインクの染みのように歪であった。女は悲鳴をあげることもできず、己の子供にこの恐ろしい光景を見せてはいけないと、しっかと頭を自らの胸に押し付けていた。
無理もない。その怪物の後ろには、すでに食い荒らされて散らばった「人間だった肉」が転がっているのだから。
臓物を晒し、雑巾のように引き裂かれた皮膚は地面にこびりつき、流れていたであろう血は黒く変色している。それを見てしまえば、怯えてしまうのも至極当然のこと。
「あ」
怪物の爪が女に伸びた。あと少し届く。届いてしまう。
悲鳴をあげなくてはと喉が引きつった。今すぐ逃げなくてはと足が震えた。
それでも動けない。動かない。迫る。欠けた剣を並べたような牙が、喉の柔らかい肉へ。
「おやおや、こんな場所に人が」
柔らかい声だった。まろやかな音は、溶かしたバターにゆっくりと刺しこむナイフの感触にどこか似ていた。
諭すような声だった。いけないことをした子供を叱る母親に似ていた。
けれども、それは人の声であった。
ひぅんひぅんと空気が裂かれる音と同時に、ケダモノの体がかちりと止まる。女には何が起きたのかがわからない。だが、ケダモノが首すら動かせずに「静止」したこととと、そして、そのケダモノの頭の天頂へと銀色の一振りが降ろされたのは理解できた。
「――」
ケダモノは悲鳴すら上げず、頭頂部から振り下ろされたもので体が左右に分かれていく。内部には臓器の他に骨格もあるだろうに、その『銀』は紙を裂くのとなんら変わらず、一つを二つへと変貌させていく。
やがて、最後に残した肉をさらりと断ち切れば、褐色の血しぶきと共にケダモノを切り捨てた者が現れた。
女はその目を見て固まった。
はたして、これではどちらが『怪物』だろうか。
その男の両目は濁る赤褐色であり、傍らで死んでいる肉が流している色と何ら変わらない。伸び晒した髪は無造作にまとめられ、ケダモノを断った得物を握りしめた左側の衣服は肘のあたりまで色を変えていた。
「あ。――ぎゃぁあああ!!」
そこで初めて女は悲鳴を上げた。
「まったく。貴方のせいで一般人が怯えてしまったじゃないですか。私たちは主に仕える清き聖職者。たとえ貴方はそうでなくとも、私の下についているからには心得てくださいね」
悪魔に襲われて怪我をした女性を手当した後、テオファンは先ほどから文句をぶちぶちとドウメキに向かって呟いている。どうやら、ドウメキが悪魔を倒した際に被害者を怯えさせてしまったのが心底気にくわないらしい。
ドウメキとしても別に驚かせるつもりはなかったので、テオファンに小言を言われるのは全く納得いっておらず、「はいはい」と生返事をするだけであった。あのやり方以外にどうしろという問題である。
聖典封解儀の宣言がされてから数時間が経過していた。儀式が行われる七日間は、本日がスタート地点となる。つまりは、今日が最初の一日目ということだ。
ザチャリアという最高主皇はあの宣言の後、とっとと大聖堂の奥へと入っていってしまった。どこへいったのかとテオファンに聞いたところ、大聖堂の奥、聖域と呼ばれる場所に引きこもっているらしい。聖典を書き写している間は最高主皇を守らなければいけないため、その聖域ではザチャリアへの面会は許されない。少なくとも、テオファンのような平聖職者が最高主皇がいる聖域へと入ることは有り得ないとのことだ。
聖都の様子もさっぱりと変わってしまった。今や日は大きく首を傾げ、夕方の時刻であるというのにあたりにはコトンと夜が落ちていた。ドウメキは夜目が効く方ではあったが、それにしても昏い。テオファン曰く、結界が解かれたせいで光も届きにくくなっているらしい。
そのおかげか、悪魔を恐れた店はほとんど閉じてしまっていた。晴れた日中ならば開いているようだが、あまり期待はしないほうがいいと言われた。
「ま、一般人もいますからね。出歩かないとはいえ」
いくら聖都が危険な場所になったとはいえ、ここに住んでいる人からすれば簡単にでていくという話でもないようだ。家を空けている間に悪魔の被害がでたら?盗みにあったら?そんな事情もあり、この七日間は「日がでている間は外に出れるが、日が出ていない間は絶対に家の中にいる」というのが一般人の心得らしい。
そのため、こうして一般人が悪魔に襲われることもある。そういった人を助けるのも、テオファンやドウメキの仕事だ。
(にしては……)
テオファンの性格的に、「タダで行う人助け」を積極的に行っているイメージがドウメキとしてはないのだが、彼は存外積極的に働いていた。一応は人にやさしい聖職者なのだな、とドウメキは納得する。
その実、ザチャリアとした「聖典封解儀で存分に働いたら、グリフィス教の秘密を教えてやらんこともない」という約束にテオファンは賭けているだけなのだが、ドウメキはそんな約束を知る由がない。
「さて、これで二体目ですね。本当に悪魔が沸くように出てくる……朝になれば休めますが」
「昼夜逆転生活だな」
「嫌なことですよ。仕方ないとはいえ」
悪魔の臭いを辿っていく。テオファンは硫黄の臭いが悪魔の臭いといっていたが、ドウメキには悪魔の臭いは野生動物の独特な臭気に感じられた。だが、犬でも猪でもなく、ただただ獣臭いのだ。それも、どことなく毛皮と肉が焦げたような悪臭だ。悪魔を見つけるのに苦労はしないが、気分は良くない。
「……」
「臭いはしますか?」
「少しだけ」
今、彼らが歩いてるのは大聖堂のある場所から少し離れた、住宅が並ぶ通りだ。大聖堂周辺には強大な悪魔が出現しやすく、二人以上の枢機卿クラスが見張としているらしい。
ドウメキもテオファンもあまりにも強い悪魔と当たるのはごめんだと、まずはさほど危険がなさそうな場所から攻めているのだ。キュリアキの見立てでは初日にそんなものが現れることはないとのことだったが、何しろ今生きている人間は経験したことのない儀式。舐めてかかるよりは、疑ってかかったほうが良い。
「さて、まずは肩慣らしということで……他の悪魔を探しましょうか」
「ああ」
刀に付着した悪魔の血は綺麗に消えている。どういう原理なのかはわからないが、ドウメキとしては都合がよい。人間を斬った後では脂や血で刃物がぬめる為、せいぜい三人を連続で殺すのが限界であった。だが、悪魔ならば刃がこぼれない限り、己が動けない限り、いくらでも斬れる。
ドウメキは『新しい発見』に「ふふ」と口元を綻ばせると、刀を鞘へと仕舞った。
より強い獣臭の方へ、少しだけ急ぎ足で向かっていく。カチャカチャとテオファンの腰についたナイフのホルダーが鳴った。しかし、地面は妙な湿り気を帯びており足音は立たない。
「この角を曲がった先にいますね」
「ああ」
すでに準備は万端。テオファンが絡めとり、ドウメキが斬る。そのリズムは先の二体で掴めている。さて、いこうかと大きく踏み込んだところで――
「うわ!」
「なんだ!?」
全くもって危ないところであった。
ドウメキが斬りかからんとした人の形をした影は、紛れもない人間だったのだから。それも、紅いストラを身に着け、金髪を編んでまとめた北部の新しい司教――ローアティヴィだ。
「なんだお前!?」
「あ、すまない」
寸でのところで抜刀を止めたドウメキはつんのめりながらも、ローアティヴィとの衝突を避けた。ローアティヴィはぎょっとした顔をしていたが、テオファンの姿を見かけるとすぐに顔を正面へと戻す。
「邪魔をするなよテオファン」
「おや先輩。取り込み中でしたか」
ドウメキとテオファンが嗅ぎつけた臭いの元は、すでにローアティヴィの獲物だったらしい。彼の蒼い視線が向く方向には、四つ足の黒い生き物が唸り声をあげて存在していた。
「Grrr!」
「おっと!」
四つ足の悪魔が咆哮とともに突進してくる。ローアティヴィは横に飛んで避けたが、ドウメキは数秒だけ反応が遅れた。脳が危険を認識するより早く体は警告音を発したが、一度たたらを踏んだ脚はすぐには動かない。
「うぐッ!?」
だがその爪が体に届くより速く、ドウメキの体が何かに引っ張られる。両手と両脚は己の知覚を超えた速度で持ち上がり、ほぼ飛ぶようにして横方向へと跳ね上がった。
四肢を同時に引かれるような痛みと、自分の体重が不自然にかかる苦しさに顔をしかめたが、地面に転がりつつも怪我は一切していない。何が起きたのかと素早く起き上がり辺りを見回せば、テオファンが右手を中途半端にあげたまま静止していた。
おそらくは糸をドウメキの体に巻き付け、無理やり回避させたのだろう。かなりの荒業ではあるが、結果として無傷であった為、礼の代わりにと軽く手を挙げた。
「先輩。補佐は私がやります。なので――」
「テオファン。お前の補佐なんぞいらん。俺一人で十分」
「……そうですか」
テオファンの協力の申し出をわざわざ断ったローアティヴィは「ふん」と鼻を鳴らして、持っていた銀色の棒を構える。柄のような形状はあるが、刃もなにもない、ただただ重そうで長いだけの棒だ。あれがローアティヴィの聖媒なのだろうか。それにしては頼りないように見えるが。
一方の悪魔は、かなり体が大きい。ドウメキの刀では幅を考えると一刀両断とはいかないだろう。裂けた唇からは黄ばんだ不ぞろいの牙が何本も顔を出しており、のっぺりとした棒ひとつではどうにも敵うような気はしない。
「大丈夫か?」
「先輩も司教です。一応」
テオファンの服の裾をちょんちょんと引っ張って声をかけてみたが、このローアティヴィという男は司教という肩書だけではなく、相応の実力もあるらしい。
まずはお手並み拝見。そう言わんばかりに、テオファンは腕を組んでただ見守る姿勢になった。ドウメキも起き上がり、彼の隣に立つ。
「さて、悪魔退治の時間だ!」
ローアティヴィか棒を振りかざす。柄を握りしめ、その棒の先端が地面にこつりと当たった瞬間。
――ジャキン!
小気味良い音とともに、棒の両脇から刃が飛び出した。
ローアティヴィは発動したギミックに満足そうに唇を歪めると、現れた『大剣』を振りかざす。
「どうだテオファン!美しいだろう?!」
「ええ。そうですね」
棒は叩きつけられた時に現れた刃によって、一本の巨大な剣へと変形していた。鍔はなく、刃と柄だけの無骨な剣である。
長い剣筋をフォローするために、中央付近には持ち手がついており、色は切先に至るまで金色であった。この量の刃先があの棒のどこへとしまわれていたのかわからないが、とにかくそこには権威を象徴するかのように巨大な剣があった。
剣は全てを金色で彩られているだけではなく、刃の中央部には精巧な飾り細工がついている。悪魔を倒すだけならばそんな装飾は不要だと思うが、ローアティヴィとしては大事なポイントなのだろう。細やかではありつつも、一切の欠けもくすみも生じていなかった。
「いくぞ、しっかり見ておけ!」
大剣を振りかぶったローアティヴィ。一歩大きく踏み出すとその金色が更に輝き、あたりがこうこうと照らされる。ドウメキは思わず顔を背けたが、テオファンは瞬き一つせず見守っていた。
「ふん!!」
発光した剣をステップと共に振り下ろすと、ローアティヴィは集積した光を斬撃として解き放つ。まっすぐ、しかし速く悪魔へと走っていった白い刃は、迷うことなく悪魔を真っ二つにした。
「おお!!」
「……ふ、これが当然」
神力による攻撃で致命傷を負った悪魔はしばらく黒い煙を出していたが、はらりと枯れ葉のように地面に落ちると融けて消えていく。ローアティヴィが一撃で倒したのだ。
「流石です先輩」
パチパチと手を叩くテオファンに、金髪の司教は再び鼻を鳴らすと「このくらい出来なくてどうする」と胸を張った。
その後、ローアティヴィはクドクドとテオファンに「悪魔祓いがなんであるか」を喋り、「俺は多くの人を助ける。そして、司教としての仕事をまっとうする」とだけ言い残し、消えてしまった。
二人になった後、ドウメキが「たまにはまともな聖職者がいるものだ」と思っていると、それを見透かしたようにテオファンに脇を突かれた。
「あれはただの見栄ですよ。あるいはバカ」
「えっ?」
見栄。それは一体どういうことなのだろうか。
「あんな神力の無駄撃ちしたらすぐに消耗します。ローアティヴィが肩で息をしてたの見てなかったんですか?あれが彼の『全力』です。神力を使って『物質』を作るのは、例え斬撃であれ相当なものなんですよ。エネルギーを形にしているんですからね」
「そ、そうなのか?」
「あと、あの剣の使い方はああではありません。棒術と剣術を不規則に組み込むためのギミックだというのに……ああ、なんというか」
――ほんと、パワーでゴリ押ししかしない人で呆れる。そういうとテオファンはわざとらしく肩を落とした。ドウメキ的には悪い人ではない……そんな気がしたが、どうもこの話を聞く限り、頭のほうは良くないらしい。
「なら、テオファンの糸も疲れるのか?」
「だからこそ私は糸という最小限のものしか生成しないんです。効率重視ですよ、効率」
ちっちっちと指を振るテオファンを見て、「やはり聖職者はこういう人しかいない」と考えを改めたドウメキだった。
金属質な反射を携える眼球に写り込むのは、小さな子供を抱えた怯えた若い女。
土気色の舌が、獲物を前に滴る唾液を舐めとり、体の表面にびっしりと張り付いた鱗がぬらぬらと光った。
トカゲのようでもあり、あるいは狼のようでもあるそれは二本脚で立ち上がり、当たり前の聖都の風景の中、白い紙に滴ったインクの染みのように歪であった。女は悲鳴をあげることもできず、己の子供にこの恐ろしい光景を見せてはいけないと、しっかと頭を自らの胸に押し付けていた。
無理もない。その怪物の後ろには、すでに食い荒らされて散らばった「人間だった肉」が転がっているのだから。
臓物を晒し、雑巾のように引き裂かれた皮膚は地面にこびりつき、流れていたであろう血は黒く変色している。それを見てしまえば、怯えてしまうのも至極当然のこと。
「あ」
怪物の爪が女に伸びた。あと少し届く。届いてしまう。
悲鳴をあげなくてはと喉が引きつった。今すぐ逃げなくてはと足が震えた。
それでも動けない。動かない。迫る。欠けた剣を並べたような牙が、喉の柔らかい肉へ。
「おやおや、こんな場所に人が」
柔らかい声だった。まろやかな音は、溶かしたバターにゆっくりと刺しこむナイフの感触にどこか似ていた。
諭すような声だった。いけないことをした子供を叱る母親に似ていた。
けれども、それは人の声であった。
ひぅんひぅんと空気が裂かれる音と同時に、ケダモノの体がかちりと止まる。女には何が起きたのかがわからない。だが、ケダモノが首すら動かせずに「静止」したこととと、そして、そのケダモノの頭の天頂へと銀色の一振りが降ろされたのは理解できた。
「――」
ケダモノは悲鳴すら上げず、頭頂部から振り下ろされたもので体が左右に分かれていく。内部には臓器の他に骨格もあるだろうに、その『銀』は紙を裂くのとなんら変わらず、一つを二つへと変貌させていく。
やがて、最後に残した肉をさらりと断ち切れば、褐色の血しぶきと共にケダモノを切り捨てた者が現れた。
女はその目を見て固まった。
はたして、これではどちらが『怪物』だろうか。
その男の両目は濁る赤褐色であり、傍らで死んでいる肉が流している色と何ら変わらない。伸び晒した髪は無造作にまとめられ、ケダモノを断った得物を握りしめた左側の衣服は肘のあたりまで色を変えていた。
「あ。――ぎゃぁあああ!!」
そこで初めて女は悲鳴を上げた。
「まったく。貴方のせいで一般人が怯えてしまったじゃないですか。私たちは主に仕える清き聖職者。たとえ貴方はそうでなくとも、私の下についているからには心得てくださいね」
悪魔に襲われて怪我をした女性を手当した後、テオファンは先ほどから文句をぶちぶちとドウメキに向かって呟いている。どうやら、ドウメキが悪魔を倒した際に被害者を怯えさせてしまったのが心底気にくわないらしい。
ドウメキとしても別に驚かせるつもりはなかったので、テオファンに小言を言われるのは全く納得いっておらず、「はいはい」と生返事をするだけであった。あのやり方以外にどうしろという問題である。
聖典封解儀の宣言がされてから数時間が経過していた。儀式が行われる七日間は、本日がスタート地点となる。つまりは、今日が最初の一日目ということだ。
ザチャリアという最高主皇はあの宣言の後、とっとと大聖堂の奥へと入っていってしまった。どこへいったのかとテオファンに聞いたところ、大聖堂の奥、聖域と呼ばれる場所に引きこもっているらしい。聖典を書き写している間は最高主皇を守らなければいけないため、その聖域ではザチャリアへの面会は許されない。少なくとも、テオファンのような平聖職者が最高主皇がいる聖域へと入ることは有り得ないとのことだ。
聖都の様子もさっぱりと変わってしまった。今や日は大きく首を傾げ、夕方の時刻であるというのにあたりにはコトンと夜が落ちていた。ドウメキは夜目が効く方ではあったが、それにしても昏い。テオファン曰く、結界が解かれたせいで光も届きにくくなっているらしい。
そのおかげか、悪魔を恐れた店はほとんど閉じてしまっていた。晴れた日中ならば開いているようだが、あまり期待はしないほうがいいと言われた。
「ま、一般人もいますからね。出歩かないとはいえ」
いくら聖都が危険な場所になったとはいえ、ここに住んでいる人からすれば簡単にでていくという話でもないようだ。家を空けている間に悪魔の被害がでたら?盗みにあったら?そんな事情もあり、この七日間は「日がでている間は外に出れるが、日が出ていない間は絶対に家の中にいる」というのが一般人の心得らしい。
そのため、こうして一般人が悪魔に襲われることもある。そういった人を助けるのも、テオファンやドウメキの仕事だ。
(にしては……)
テオファンの性格的に、「タダで行う人助け」を積極的に行っているイメージがドウメキとしてはないのだが、彼は存外積極的に働いていた。一応は人にやさしい聖職者なのだな、とドウメキは納得する。
その実、ザチャリアとした「聖典封解儀で存分に働いたら、グリフィス教の秘密を教えてやらんこともない」という約束にテオファンは賭けているだけなのだが、ドウメキはそんな約束を知る由がない。
「さて、これで二体目ですね。本当に悪魔が沸くように出てくる……朝になれば休めますが」
「昼夜逆転生活だな」
「嫌なことですよ。仕方ないとはいえ」
悪魔の臭いを辿っていく。テオファンは硫黄の臭いが悪魔の臭いといっていたが、ドウメキには悪魔の臭いは野生動物の独特な臭気に感じられた。だが、犬でも猪でもなく、ただただ獣臭いのだ。それも、どことなく毛皮と肉が焦げたような悪臭だ。悪魔を見つけるのに苦労はしないが、気分は良くない。
「……」
「臭いはしますか?」
「少しだけ」
今、彼らが歩いてるのは大聖堂のある場所から少し離れた、住宅が並ぶ通りだ。大聖堂周辺には強大な悪魔が出現しやすく、二人以上の枢機卿クラスが見張としているらしい。
ドウメキもテオファンもあまりにも強い悪魔と当たるのはごめんだと、まずはさほど危険がなさそうな場所から攻めているのだ。キュリアキの見立てでは初日にそんなものが現れることはないとのことだったが、何しろ今生きている人間は経験したことのない儀式。舐めてかかるよりは、疑ってかかったほうが良い。
「さて、まずは肩慣らしということで……他の悪魔を探しましょうか」
「ああ」
刀に付着した悪魔の血は綺麗に消えている。どういう原理なのかはわからないが、ドウメキとしては都合がよい。人間を斬った後では脂や血で刃物がぬめる為、せいぜい三人を連続で殺すのが限界であった。だが、悪魔ならば刃がこぼれない限り、己が動けない限り、いくらでも斬れる。
ドウメキは『新しい発見』に「ふふ」と口元を綻ばせると、刀を鞘へと仕舞った。
より強い獣臭の方へ、少しだけ急ぎ足で向かっていく。カチャカチャとテオファンの腰についたナイフのホルダーが鳴った。しかし、地面は妙な湿り気を帯びており足音は立たない。
「この角を曲がった先にいますね」
「ああ」
すでに準備は万端。テオファンが絡めとり、ドウメキが斬る。そのリズムは先の二体で掴めている。さて、いこうかと大きく踏み込んだところで――
「うわ!」
「なんだ!?」
全くもって危ないところであった。
ドウメキが斬りかからんとした人の形をした影は、紛れもない人間だったのだから。それも、紅いストラを身に着け、金髪を編んでまとめた北部の新しい司教――ローアティヴィだ。
「なんだお前!?」
「あ、すまない」
寸でのところで抜刀を止めたドウメキはつんのめりながらも、ローアティヴィとの衝突を避けた。ローアティヴィはぎょっとした顔をしていたが、テオファンの姿を見かけるとすぐに顔を正面へと戻す。
「邪魔をするなよテオファン」
「おや先輩。取り込み中でしたか」
ドウメキとテオファンが嗅ぎつけた臭いの元は、すでにローアティヴィの獲物だったらしい。彼の蒼い視線が向く方向には、四つ足の黒い生き物が唸り声をあげて存在していた。
「Grrr!」
「おっと!」
四つ足の悪魔が咆哮とともに突進してくる。ローアティヴィは横に飛んで避けたが、ドウメキは数秒だけ反応が遅れた。脳が危険を認識するより早く体は警告音を発したが、一度たたらを踏んだ脚はすぐには動かない。
「うぐッ!?」
だがその爪が体に届くより速く、ドウメキの体が何かに引っ張られる。両手と両脚は己の知覚を超えた速度で持ち上がり、ほぼ飛ぶようにして横方向へと跳ね上がった。
四肢を同時に引かれるような痛みと、自分の体重が不自然にかかる苦しさに顔をしかめたが、地面に転がりつつも怪我は一切していない。何が起きたのかと素早く起き上がり辺りを見回せば、テオファンが右手を中途半端にあげたまま静止していた。
おそらくは糸をドウメキの体に巻き付け、無理やり回避させたのだろう。かなりの荒業ではあるが、結果として無傷であった為、礼の代わりにと軽く手を挙げた。
「先輩。補佐は私がやります。なので――」
「テオファン。お前の補佐なんぞいらん。俺一人で十分」
「……そうですか」
テオファンの協力の申し出をわざわざ断ったローアティヴィは「ふん」と鼻を鳴らして、持っていた銀色の棒を構える。柄のような形状はあるが、刃もなにもない、ただただ重そうで長いだけの棒だ。あれがローアティヴィの聖媒なのだろうか。それにしては頼りないように見えるが。
一方の悪魔は、かなり体が大きい。ドウメキの刀では幅を考えると一刀両断とはいかないだろう。裂けた唇からは黄ばんだ不ぞろいの牙が何本も顔を出しており、のっぺりとした棒ひとつではどうにも敵うような気はしない。
「大丈夫か?」
「先輩も司教です。一応」
テオファンの服の裾をちょんちょんと引っ張って声をかけてみたが、このローアティヴィという男は司教という肩書だけではなく、相応の実力もあるらしい。
まずはお手並み拝見。そう言わんばかりに、テオファンは腕を組んでただ見守る姿勢になった。ドウメキも起き上がり、彼の隣に立つ。
「さて、悪魔退治の時間だ!」
ローアティヴィか棒を振りかざす。柄を握りしめ、その棒の先端が地面にこつりと当たった瞬間。
――ジャキン!
小気味良い音とともに、棒の両脇から刃が飛び出した。
ローアティヴィは発動したギミックに満足そうに唇を歪めると、現れた『大剣』を振りかざす。
「どうだテオファン!美しいだろう?!」
「ええ。そうですね」
棒は叩きつけられた時に現れた刃によって、一本の巨大な剣へと変形していた。鍔はなく、刃と柄だけの無骨な剣である。
長い剣筋をフォローするために、中央付近には持ち手がついており、色は切先に至るまで金色であった。この量の刃先があの棒のどこへとしまわれていたのかわからないが、とにかくそこには権威を象徴するかのように巨大な剣があった。
剣は全てを金色で彩られているだけではなく、刃の中央部には精巧な飾り細工がついている。悪魔を倒すだけならばそんな装飾は不要だと思うが、ローアティヴィとしては大事なポイントなのだろう。細やかではありつつも、一切の欠けもくすみも生じていなかった。
「いくぞ、しっかり見ておけ!」
大剣を振りかぶったローアティヴィ。一歩大きく踏み出すとその金色が更に輝き、あたりがこうこうと照らされる。ドウメキは思わず顔を背けたが、テオファンは瞬き一つせず見守っていた。
「ふん!!」
発光した剣をステップと共に振り下ろすと、ローアティヴィは集積した光を斬撃として解き放つ。まっすぐ、しかし速く悪魔へと走っていった白い刃は、迷うことなく悪魔を真っ二つにした。
「おお!!」
「……ふ、これが当然」
神力による攻撃で致命傷を負った悪魔はしばらく黒い煙を出していたが、はらりと枯れ葉のように地面に落ちると融けて消えていく。ローアティヴィが一撃で倒したのだ。
「流石です先輩」
パチパチと手を叩くテオファンに、金髪の司教は再び鼻を鳴らすと「このくらい出来なくてどうする」と胸を張った。
その後、ローアティヴィはクドクドとテオファンに「悪魔祓いがなんであるか」を喋り、「俺は多くの人を助ける。そして、司教としての仕事をまっとうする」とだけ言い残し、消えてしまった。
二人になった後、ドウメキが「たまにはまともな聖職者がいるものだ」と思っていると、それを見透かしたようにテオファンに脇を突かれた。
「あれはただの見栄ですよ。あるいはバカ」
「えっ?」
見栄。それは一体どういうことなのだろうか。
「あんな神力の無駄撃ちしたらすぐに消耗します。ローアティヴィが肩で息をしてたの見てなかったんですか?あれが彼の『全力』です。神力を使って『物質』を作るのは、例え斬撃であれ相当なものなんですよ。エネルギーを形にしているんですからね」
「そ、そうなのか?」
「あと、あの剣の使い方はああではありません。棒術と剣術を不規則に組み込むためのギミックだというのに……ああ、なんというか」
――ほんと、パワーでゴリ押ししかしない人で呆れる。そういうとテオファンはわざとらしく肩を落とした。ドウメキ的には悪い人ではない……そんな気がしたが、どうもこの話を聞く限り、頭のほうは良くないらしい。
「なら、テオファンの糸も疲れるのか?」
「だからこそ私は糸という最小限のものしか生成しないんです。効率重視ですよ、効率」
ちっちっちと指を振るテオファンを見て、「やはり聖職者はこういう人しかいない」と考えを改めたドウメキだった。
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