枢要悪の宴

夏草

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第3章 聖都シュラリス

19話 到着

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「ついたぜええ!聖都、シュラリス!」
 降り立った駅のホームでマウラは伸びをして叫んだ。凝り固まった背骨がポキポキと乾いた音を立てる。そんな中、汽車から降りてきた人の波が彼女を避けて流れていく。
 微かに香の匂いを乗せた風が、テオファンの赤い髪を撫でた。そう、およそ7時間の走行を経て、三人は聖都シュラリスへと辿り着いたのだ。
 
 
 機関車から降りる人々は様々な服装をしていた。聖職者、職人、役人。大きなシルクハットをかぶった髭の男性、深紅のドレスの裾を掴んで歩く女性。テオファンは帽子を目深にかぶると、彼らの波の中へ歩を進めた。
「あ、待ってくれ」
 石炭の臭いと香水の臭いに噎せていたドウメキは彼から離れないようにと小走りになる。マウラも「おおッ!」と声をあげると、ドウメキのマントの端を握りしめて逸れないようにした。
「なぁ、司祭さん。聖都には来たことあるのか?」
「初めてです」
「へぇ!田舎者だな、聖職者のくせに!」
「……」
 マウラを鋭い視線で睨めば、彼女は首をすくめてドウメキの影に隠れた。テオファンは諦めたようにため息を吐くと、出入り口の方へ歩いていく。
 駅の玄関にはひとつひとつのゲートが作られており、そこで駅員が身分の確認をしているようだった。それぞれに伸びている行列は、その身分確認待ちの列だろう。
 ゲートの端にはワークキャップを被った駅員が疲れた顔をして提示された身分証を確認している。テオファンは列の中で一番進みが速そうな後ろに並び、他の二人も彼に倣った。
「なぁ、俺達止められないかな?」
「さ、さぁ……」
「余計な事言わないでくださいね」
 いくら聖職者が同行していると言えど、ドウメキとマウラの二人は聖都を訪れる人の中でも異色であった。妙な服装に、ぼろい身なりの子供。
 それに対して周囲の来訪者の身なりは、高級そうな銀時計を胸ポケットに入れていたり、大きな羽のついた流行りの帽子を被っていたり――即ち、商売人か金持ちしかない。貧乏人や子供は見当たらなかった。
「テオファン司祭」
「なんですか」
「俺達、止められたらどうなる?牢屋行きか?」
「シュラリスへは入れませんね。で、私の仕事がぶち壊されます」
「……」
 マウラの顔が真っ青になる。どうやら、テオファンを怒らせるほうが牢屋へ入れられることよりも恐ろしいことだとわかっているらしい。なお、ドウメキは「牢屋じゃないならいいな」と呑気なことを考えていたが。
「余計なことを喋らないでくださいね。貴方はただ私の話に相槌を打ってください」
「わ、わかった。肝に銘じるよ」
 そう言うと、テオファンが一歩大きく前に進んだ。順番が来たようだ。

「名前と職業」
「テオファン。テオファン・クニャーゼフ。北部ノルスのスラヴレンの司祭をしております」
「……」
 目の下に濃い隈を作った駅員は、ちらとテオファンを見た。彼が聖職者を示す帽子を被っていることに気が付き、ふむと視線を手元の『許可証』へと移す。
 テオファンは懐を漁ると、彼の前に一枚の手紙――聖典封解儀の推薦状を出した。
「聖典封解儀の参加の為に来訪いたしました」
「なるほど」
 すんなりと納得し、推薦状を一瞥して判子を押す。テオファンの後ろに大きな体を縮こまらせて隠れたつもりでいたドウメキに駅員の視線が向けば、すかさず「同行人です」とフォローを入れた。
「わかった。では、入行を許可する――いや、待った」
 さっそくと足を踏み出したテオファンは、突然の静止にバランスを崩した。慌てて振り返れば、不愛想な駅員はマウラを顎で示している。
 こいつはなんだ、ということなのだろう。大体は予想が出来た事態なので、テオファンは落ち着いて鞄を持ち直す。慌てていると怪しまれるだろう。
「彼は、私の教会のシスターの弟でして。5番地区のスミス氏が彼の親に当たるのですが――聖都まで送ってほしいと頼まれていましてね。口約束なので、証明できるものはありません。しかし、スミスさんへの電話を一本入れていただければ」
「え?スミ――あ、そうです!スミス父ちゃんのところへ来たんです!」
 朗らかな笑顔のまま流れるように口から嘘を吐く一方で、マウラの『失言』には視線だけで人が殺せるのでないかというほどの殺意を向けるテオファン。マウラはびしりと姿勢を正し、無理やりに笑顔を顔面に貼り付けた。その頬を冷たい汗が流れた。二人の様子を遠目から見ていたドウメキは、相方の器用さに感心した。
「ふぅん、スミスさんね……」
 駅員はひどく退屈そうな顔で自分の小さな髭を摩った。そしてちらりと遠くの電話機へ視線を向けると、数秒ほど考え込む。
 そして、ポンと三つ目の判子を押した。
「聖都シュラリスへようこそ。ここは主のお膝元、あまり妙なことはしないように。……まぁ司祭が同行するならいいか」
「どうも、ありがとうございます」
 テオファンはさらりと許可証を三枚受け取ると、ゲートを通過した。
 
「心臓止まったよな!スミスさんって誰だよ!って思ったし!」
「ああ。テオファンは嘘を吐くのがうまい。すごい」
「……貴方には見破られましたけどね」
 ゲートを通過した三人は、まずは教会が手配した宿泊場所へと向かうようにした。長時間機関車に揺られていた為、体への疲労の蓄積は多く、すぐにでも熱いシャワーを浴びてふかふかのベッドで横になりたかった。
「しかしよ、本当に駅員がスミスさんに電話しろって言ってたらどうなってたんだ?」
「それはあり得ませんよ。電話機壊れてましたし」
「え!?そうだったのか、気付かなかった……」
 だからあんな挑戦的なこと言えたのか、とマウラは納得する。
 そんな風に、うんうんとひとり頷いている彼女を背広を着た男性が邪魔そうに避けた。駅を出てからというものの、人の流れの速さは増す一方だった。
 スラヴレンやリュトコよりはるかに発展した都市、シュラリス。大聖堂が高くそびえるようにと、特定の建造物以外は高さ制限をしいているせいか、この位置からでもどれが主要な建物かがわかる。
「あれは、大聖堂だろ。あっちはたしか……大学だっけ?あのあたりの小さい角は、教会!たくさんあるなぁ」
「スラヴレンのあそこみたいなのがあんなにあるのか……ルイスは元気にしてるかな」
 マウラは自慢げに建物を指でさしながら、ドウメキに説明していく。通りかかる店、並んだガス灯。すぐそばを通り抜けたのは、大きなキャリッジを引いた馬車である。その台の上には、銃をもった男たちが何人も座っていた。
「マウラ、あれは?」
「えっと、軍隊……?」
「違います。シュラリスは軍隊を所持していません。あの銃も火薬の銃ではない。シュラリスの警護の為の聖職者、つまりは守護聖職者プロテスターといったところでしょうか」
 先を歩くテオファンは振り返ることなくマウラとドウメキに説いた。二人とも、初耳であったのか「へぇ!」と同時に頷く。
「そもそもニフェゼドは銃火器の一般所持を認めていませんから……っと、アレに乗ります」
「!!」
 テオファンが足を止めたのは、小さな看板が立つ石の台の上であった。台といっても階段程度の高さしかなく、長めに作られた平坦面に何人かが並んで何かを待っている。――そう、これは「停留所」である。
 テオファンは最後尾に立つと地面に鞄を置いて、設置されている看板の方へ確認しに行く。ドウメキは理由もわからず、置かれた鞄の隣に立った。
「……」
「……」
 ちら、と隣のマウラに視線を向ける。彼女はキャスケットを横にずらし、なにやら楽しそうな顔をしていた。心なしか、ぴょこぴょことつま先でリズムもとっている。
「なぁ」
「ん?」
「なにがそんなに楽しいんだ」
「え!?そりゃ、聖都だぜ!?」
 聖都といえば、このインフルト大陸の技術が集まっている。人も、金も、知識も。王の権力よりも強い力をもつ信仰は、大陸の様々なものを集約させた。
 マウラが聖都へ行きたがっていたのも、結局は機工師の仕事を見つけるためである。一見、聖都とは何の関係性も持たない職業だが、人が集まれば仕事も機会も恵まれる。一種の博打だ。
「変だな、皆、聖都聖都って」
「変なのはドウメキの方だぞ。……お前みたいなタイプだから、簡単に聖都に来れたのかもな~。俺なんて、三年くらい待ってたんだぜ」
「三年!?……よく飽きなかったな」
 三年。まさか年単位とは。驚いて目を丸くするドウメキに、マウラは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「俺はずっと待ってたんだぜ。俺の身分じゃ、機工師として認められないからな……俺の親父も、そうだったけど……俺は特に」
「特に?」
 二人の会話を区切るようにして警笛が聞こえた。ガタゴトと重厚な機械音、僅かに揺れる金属のレール。漂う木炭の煙。ドウメキは染みる赤目を瞬かせると、やってきた鉄の塊を見た。
「あ、蒸気機関車だ」
「へへ、それも『路面』だぜ!」
「?」
 路面。道、ということか。そういえば、この蒸気機関車の足元には「枕木」がない。砂利もない。規則正しく敷き詰められたレンガを、金属のレールが軌跡を描いているだけだった。もしかしたらマウラはこれに期待していたのかもしれないと、飛び跳ねる彼女を見て思う。
「さ、乗りますよ」
 おいていた鞄を持ち、止まった機関車のステップに颯爽と乗るテオファン。どうやら、駅の蒸気機関車と違い車両が小さいために立って乗るらしい。マウラがぴょんぴょん跳ねて乗ると、ドウメキも後に続いた。
 そして運転手が汽笛の紐を引けば、再び鉄の箱は動き出す。どんどん速くなっていく地面と、ぶれていく景色に、ドウメキは手すりをぎゅうと握った。外に近いステップに立ったせいか、髪を打つ風は強かった。
 
 がたがたと揺れる車内。乗客のひとりが甘いにおいのする葉巻を吸い始めた頃、ドウメキはマウラに気になっていたことを聞いた。
「……俺がなんでこんな格好をしているかって?」
 こくり、と頷く。ドウメキとしては、こんな男のような服装をして、男のようにしゃべる女は初めてであった。それ故、何か理由があるのではないかと気になって仕方なかったのだ。
 マウラはううんと首を傾げた後、通り過ぎる馬車やガス灯をみながら――「それって理由が必要なのか?」と答える。
「え」
 シンプルだけども意外な返しに、ドウメキは言葉に詰まる。理由が必要かといえば、そうではないかもしれない。なにも、法律に「女は女の格好を、男は男の格好をしなくてはいけない」というものはない。だから、マウラが女装してても男装しててもいいのである。聞いてみたのは、ただのドウメキの興味。
 ドウメキは迷った末。
「理由はいらない。ないなら、それでいい」
 とだけ答えた。
 そして、ふぅと息を吐いて路面汽車の壁に背を預ける。マウラは彼のその顔を見て、肩を震わせた。
「ふっ、ふふ。まじになってんの。わーったよ。簡単に言えば、女は機工師になれないからな」
 がたん、と車体が大きく揺れた。どうやら、停留所に止まったようだ。テオファンがさらりと降車したので、ドウメキも慌てて降りる。
 降りた場所は、駅前の通りとはまた違った景色をしていた。あの通りには帽子屋、香水屋、その他の店舗が所狭しと並んでおり、いかにも『都会』の街並みという様子であったが、こちらは同じくらいの背丈の四角い建物がたくさん並んでいるだけだ。
 そして通りかかる人は、テオファンと似たような服装をしている人たちばかり。ドレスの女も、背広の男もいない。
「マウラ、女は機工師になれないって」
「そのまんまだよ。女がやる仕事じゃないって、それだけの理由で世間から突っぱねられる。女は花だ。工具なんて持つなってさ」
「……えぇえ……」
 ドウメキは意味不明な「世間の常識」に肩を落とす。マウラの技術がどれほどまでかは知らないが、女だと機工師は何か問題があるのだろうか。たとえば、低い声を出さないといけないとか。だとしたら、もしかしたら「殺し屋」にもなっちゃいけない性別はあるのかもしれない。
「……ドウメキ」
「うん?」
「やっぱ、面白いなお前」
 ぶつぶつと思考が口から洩れていたドウメキに、マウラは少しだけ寂しそうに笑った。
 
 ひとつの建物の前でテオファンは足を止め、ノッカーを軽く鳴らした。しばらくしてバタバタとせわしない足音が聞こえ、ドアノブが回る。
「いらっしゃ~い。あら、司祭さん。お待ちしてました」
 出てきたのは小太りの、くすんだ緑のドレスを着た女性だった。年齢は四十代くらいだろうか。テオファンに微笑み、ドウメキとマウラの姿を見ると目を丸くした。
「あら、同行者さん?」
「ええ、まあ……」
 マウラについては少し迷ったものの、適当に返事をすると、女性は「じゃあ部屋に案内するわ。男の子が三人ね」と言い出して奥へと進んでいく。
「あ、俺は女です!」
 なお、「男三人」には後ろのほうから律儀な訂正が飛ばされた。
 
 女性の名はパンジー・デンプシー。デンプシー夫人だ。このアパートの管理人をしており、聖典封解儀の際はこうして参加の聖職者たちに部屋を貸す。枢機卿クラスになれば、聖都にあらかじめ住まいを用意しているようだが、司教や司祭、その同行者はここに泊まることになっていた。
 アパートは広く、一見別の敷地に見えた建物らはすべて渡り廊下で繋がっているようだった。マウラは途中で別の女性に「女子エリアはあっちよ」と案内され、テオファンたちとは反対方向へ歩いていった。
「さて、ここがあなた方のお部屋」
 花や絵画が飾ってある品のいい廊下をしばらく歩き、デンプシー夫人は立ち止まり二人に鍵を渡す。それとなく受け取った二人は、鍵の番号を見つめた。
「665かぁ」
「……666」
 鍵と扉の数字をみてさっそく扉を開けようとしたドウメキに対し、なぜかテオファンの顔色は優れない。夫人がどうぞ、と言っても、ドウメキをちらりと睨むだけで鍵穴にさし込もうともしない。それどころか。
「ドウメキさん、交換させてください」
「え!?」
 なぜか、鍵の交換を言い出してきた。
 これにはドウメキも怪訝そうに眉を顰め、恐る恐る「なんで」と聞く。が、テオファンは「いいから」と無理やりにドウメキの鍵を奪おうとした。
「い、いやだ!」
 理由なき交換など裏があるに決まっている。そう判断したドウメキは、即座に部屋の鍵をあけると、室内へと避難してしまった。その動作の速さたるや、さすがは殺し屋といったところだろう。テオファンが腕をつかむ間もなかった。
「チィッ……あ、いや。デンプシー夫人、ありがとうございます」
「え?ええ。聖典封解儀は明後日からだけど、よくお休みね」
 テオファンはにこりと笑うと、鍵を開けて部屋の中へと入った。
 デンプシー夫人はしばらく彼が不満そうだった理由を考えてみたが、特に思い当たることもなく、洗濯場へとそのまま歩いていった。
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