エデルガルトの幸せ

よーこ

文字の大きさ
上 下
2 / 5

2

しおりを挟む
 もう十年以上も前のことになる。

  新規共同事業の話を進めるため、オットー伯爵が足しげくユルゲン侯爵邸を訪れていた時期がある。その何度目かになる訪問の際、伯爵はいずれ事業を継ぐことになる嫡子を侯爵に紹介するために、息子ヴィルマーを同行させた。

 すると挨拶の場で、ヴィルマーは侯爵への挨拶もそこそこに、同席していたエデルガルトに向かて歓喜の声を上げたのである。

「うわぁ、なんてかわいいんだろう! こんなにカワイイ子、俺初めて会った! ねえ、エデルガルト嬢、俺のお嫁さんになってよ! 一生大切にするから、ねっ、お願いだよ!」

 それはヴィルマーにとっての初恋だった。

 当時はまだ五才と幼さかったせいか、ヴィルマーは心の赴くままにエデルガルトを熱烈に口説きまくった。オットー伯爵が仕事の話でユルゲン侯爵邸を訪れる際には必ずヴィルマーも付いていくようになり、エデルガルトに怒涛の如く愛を囁き続けたのである。

 会えない時には下手な字ながらも一生懸命に手紙を書いて送り、恋人になって欲しい、結婚して欲しいとエデルガルトに熱い想いを伝え続けた。

 子供のすることだからどうせすぐに飽きるだろうと静観していた両家の当主たちも、ヴィルマーのとどまることのない猛烈アプローチを二年近くも見続ける内に「こりゃ本気のやつだ」と認識を改めた。そして、子供たちの婚姻について真剣に考えるようになっていったのだった。

 エデルガルトはというと、出会ったばかりの頃はヴィルマーのあまりの押しの強さに、正直かなり引いていた。しかし、時と共に少しずつ絆されていった。
 プレゼントをくれたり手紙を送ってくれたり、会うたびに好きだ可愛い愛していると言われ続けたのだから、箱入り娘のエデルガルトが少しずつ心を動かされていったのも当然のことと言えるだろう。

 そんなエデルガルトの心の揺らぎに気付いたのか、ある日、ユルゲン侯爵が愛娘にこう問いかけた。

「どうする? ヴィルマー君を将来の伴侶にするかどうか、エデルが決めていいよ。好きなら結婚してもいいし、嫌なら別の人と結婚すればいい」
「本当にわたくしが決めていいの?」
「もちろんさ。お父様にとってはエデルの気持ちこそが、なによりも一番大切なんだから」

 父親から優しく頭を撫でられ、そこに確かな愛情を感じたエデルガルトは幸せな気分になった。そして、自分をこんなにも愛してくれる父親が結婚してもいいと言っている相手なのだからと安心し、笑顔でこう答えたた。

「じゃあ、わたくしはヴィルマー様と結婚する。ちょっと思い込みが激しそうだけど、良い人そうだし。あんなに好きだって言ってくれるんだもの、わたくしをずっと大切にしてくれそうだわ」
「だったら次にヴィルマー君と会った時、結婚してもいいよってエデルが自分で伝えてあげなさい。きっと喜ぶから」
「はい」

 次に会った時のヴィルマーの喜びようは、筆舌に尽くしがたいほどのもので……。
 両手を上げて大歓喜しながら飛び跳ねるヴィルマーの姿に、エデルがルドは照れくさそうに頬を赤らめたのだった。

 そうやって二人の婚約は結ばれたのである。




「出会ったのが五才。婚約が正式に結ばれたのは二年後のことですわ。ヴィルマー様はすっかりお忘れのようですけど」

 冷たい目をしたエデルガルトに昔話を聞かされて、ヴィルマーが気まずそうに目を泳がせた。すっかり忘れていた幼少期のできごとを、たった今思い出したのだ。

「そ、そう言えばそんなこともあったか、な」
「ともかく、わたくしたちの婚約は自由恋愛により成ったもの。ですから解消も破棄も白紙に戻すのも、すべてわたくしたち二人の気持ち一つで済むのです」
「ってことは、二人の婚約はもう既に破棄されてるって考えてもいいのね?」

 ミリアの弾む声に、エデルガルトが肯定する。

「その通りですわ。今はまだ正式な書類を交わす前ですが、あなたが証人になってくれるのであれば、もう確定です。なにも問題ありませんわ」
「きゃーっ、やったぁ!!! なりますなります、わたし証人になります!」

 満面の笑みで飛び跳ねながらミリアが歓喜の声を上げた。

「ヴィルマー様っ、これでもう誰に後ろ指差されることなく、わたしたちは本物の恋人同士ですね! 嬉しいっ、すごく嬉しいです!!」

 ミリアのあまりの喜びように、ヴィルマーも幸せそうに微笑みを返す。

「俺も嬉しいよ。ミリア、学院を卒業したらすぐに結婚しよう!」
「はい! ヴィルマー様はオットー伯爵家のご長男。ということは、わたしが未来の伯爵夫人になれるのね! うわー、なんだか夢みたい!!」
「ミリアのような可愛い人が妻になってくれるなら、父上も母上も喜んでくれるに違いない」
「ご両親に気に入ってもらえるように、わたし、精一杯がんばります!!」

 ヴィルマーとミリアがはしゃぐ中、エデルガルトが首を捻りながら不思議そうな顔をした。

「あの、お二人ともなにを言ってらっしゃるの? ミリア様はオットー伯爵夫人にはなれませんわよ?」
「は? 君こそなにをバカなことを言っているんだ」

 不愉快そうにヴィルマーがエデルガルトを睨む。

「君との婚約は破棄され、今はミリアが俺の婚約者になった。であれば、ミリアが次期オットー伯爵夫人になるのは当たり前のことじゃないか」
「そうよそうよ!」

 ミリアも頬を膨らませてエデルガルトに文句を言う。

「どうしてそんな意地悪言うんですか?! ヴィルマー様に愛されてるわたしのことが羨ましくて憎いからですか?! でも、もうダメですからね、わたしが伯爵夫人になるんですからっ! ヴィルマー様は返しませんよ!!」
「そうだ、俺の愛はすべてミリアのものだ」

 ぎゃんぎゃん吠え立てる二人を前に、エデルガルトは心底呆れたように大きなため息を吐く。

「ヴィルマー様はわたくしとの婚約が成立した七才の時に廃嫡されております。今は弟君であるエルマー様がオットー伯爵家のご嫡子ですわ。貴族院にも書類が提出され、既に受理されておりましてよ」

 ハッとヴィルマーが青褪めて息を飲んだ。

「え、なに? どういうこと?!」

 ミリアがぽかんと首を傾げる。

「既に廃嫡……? どうして? だってヴィルマー様はオットー家の長男じゃない。廃嫡なんてあり得ないわ」
「それがあり得るのです。わたくしはユルゲン侯爵家の一人娘。そのわたくしと婚姻するということは、すなわちユルゲン侯爵家に婿入りするということ。わたくしの婚約者になった時、ヴィルマー様はオットー家を継ぐ資格を放棄しているのです」
「だったらオットー伯爵になれないヴィルマー様は、今後どうなるの? なにになるのよ?!」
「そうですねぇ……普通、家を継げない男性は結婚と同時に家を出されて平民になるんじゃないかしら。その後は能力に応じて騎士になったり文官になったりして、自分の力で身を立てるのが一般的ですわね」
「ええ――――っ?! うそでしょう!!!」

 辺りにミリアの絶叫が響き渡った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私の婚約者は失恋の痛手を抱えています。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
幼馴染の少女に失恋したばかりのケインと「学園卒業まで婚約していることは秘密にする」という条件で婚約したリンジー。当初は互いに恋愛感情はなかったが、一年の交際を経て二人の距離は縮まりつつあった。 予定より早いけど婚約を公表しようと言い出したケインに、失恋の傷はすっかり癒えたのだと嬉しくなったリンジーだったが、その矢先、彼の初恋の相手である幼馴染ミーナがケインの前に現れる。

自信過剰なワガママ娘には、現実を教えるのが効果的だったようです

麻宮デコ@ざまぁSS短編
恋愛
伯爵令嬢のアンジェリカには歳の離れた妹のエリカがいる。 母が早くに亡くなったため、その妹は叔父夫婦に預けられたのだが、彼らはエリカを猫可愛がるばかりだったため、彼女は礼儀知らずで世間知らずのワガママ娘に育ってしまった。 「王子妃にだってなれるわよ!」となぜか根拠のない自信まである。 このままでは自分の顔にも泥を塗られるだろうし、妹の未来もどうなるかわからない。 弱り果てていたアンジェリカに、婚約者のルパートは考えがある、と言い出した―― 全3話

何でもするって言うと思いました?

糸雨つむぎ
恋愛
ここ(牢屋)を出たければ、何でもするって言うと思いました? 王立学園の卒業式で、第1王子クリストフに婚約破棄を告げられた、'完璧な淑女’と謳われる公爵令嬢レティシア。王子の愛する男爵令嬢ミシェルを虐げたという身に覚えのない罪を突き付けられ、当然否定するも平民用の牢屋に押し込められる。突然起きた断罪の夜から3日後、随分ぼろぼろになった様子の殿下がやってきて…? ※他サイトにも掲載しています。

悪女と王子と王様と

碧水 遥
恋愛
「薄汚い汚れた女め。私たちが、貴様に相応しく、この城で飼ってやる!」  ……ええと。それ、誰のことですの?

手のひら返しが凄すぎて引くんですけど

マルローネ
恋愛
男爵令嬢のエリナは侯爵令息のクラウドに婚約破棄をされてしまった。 地位が低すぎるというのがその理由だったのだ。 悲しみに暮れたエリナは新しい恋に生きることを誓った。 新しい相手も見つかった時、侯爵令息のクラウドが急に手のひらを返し始める。 その理由はエリナの父親の地位が急に上がったのが原因だったのだが……。

10日後に婚約破棄される公爵令嬢

雨野六月(旧アカウント)
恋愛
公爵令嬢ミシェル・ローレンは、婚約者である第三王子が「卒業パーティでミシェルとの婚約を破棄するつもりだ」と話しているのを聞いてしまう。 「そんな目に遭わされてたまるもんですか。なんとかパーティまでに手を打って、婚約破棄を阻止してみせるわ!」「まあ頑張れよ。それはそれとして、課題はちゃんとやってきたんだろうな? ミシェル・ローレン」「先生ったら、今それどころじゃないって分からないの? どうしても提出してほしいなら先生も協力してちょうだい」 これは公爵令嬢ミシェル・ローレンが婚約破棄を阻止するために(なぜか学院教師エドガーを巻き込みながら)奮闘した10日間の備忘録である。

愚か者の話をしよう

鈴宮(すずみや)
恋愛
 シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。  そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。  けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?

【完結】ブスと呼ばれるひっつめ髪の眼鏡令嬢は婚約破棄を望みます。

はゆりか
恋愛
幼き頃から決まった婚約者に言われた事を素直に従い、ひっつめ髪に顔が半分隠れた瓶底丸眼鏡を常に着けたアリーネ。 周りからは「ブス」と言われ、外見を笑われ、美しい婚約者とは並んで歩くのも忌わしいと言われていた。 婚約者のバロックはそれはもう見目の美しい青年。 ただ、美しいのはその見た目だけ。 心の汚い婚約者様にこの世の厳しさを教えてあげましょう。 本来の私の姿で…… 前編、中編、後編の短編です。

処理中です...