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「家を買ってくれるって言ったよね! 囲ってくれるって約束したわよね?! 一体どうするのよ、子供が生まれるのよ?!」
「お、おお、落ち着いて、キャル。大丈夫だから! 婚約破棄なんて、絶対にならないから!」
「本当に!?」
「勿論だ! 成績は下がったけど、それはこれから挽回して見せればいいことだよ。学園卒業までまだ一年以上ある。今の時点の成績だけを見て、それを理由に婚約破棄などできるはずがない」
「そうなの? な、なーんだ、ビックリした。だったら良かった!」

 さっきまでの般若のような顔はどこへいったのか。キャリリン嬢はにっこり笑顔でヴィルバルト様の腕に抱きついた。ヴィルバルト様はあからさまにホッとした顔をしている。

 こ、この二人、本当に心から思い合っているのだろうか。少し疑問に思ってしまう。

「――――金銭目的なのか?」

 隣からラファリック殿下の呆れたような呟き声が聞こえた。

 実はわたくしも同じことを思っていた。しかし、浮気された側のわたくしがうがった見方をしているだけかもしれず、もしそうだったら嫌だなぁと思っていた。恥ずべきことである。しかし、ラファリック殿下も同じようなことを思っていることが分かって、かなりホッとした。
 良かった、わたくしだけが色眼鏡で見ていたのではなかったらしい。

 そんなことを考えていると、すっかり落ち着きを取り戻したらしいヴィルバルト様が、腕にキャリリン嬢をくっつけたまま話しかけてきた。

「それで、エレオノーラ。今日わたしをここに呼び出した用事は、もうこれで終わりかな。だったらもう失礼するよ。君のお父上の信頼を損なわないためにも、すぐにでも勉学に励んだ方が良さそうだからね」

 立ち上がろうとしたヴィルバルト様をラファリック殿下の声が止めた。

「用事はまだ終わってないぞ。エレオノーラ、きっぱり言ってやるといい。結婚前から浮気相手と子を作るような男との婚約など、この場できっぱり破棄してやると」
「はい、殿下」

 頷くと、わたくしは立ち上がった。

「ヴィルバルト様、わたくしは仲の良い両親に憧れておりました。ですから自分の夫とは互いに想い合い、尊重し合える関係になることを夢見てきたのです。なので、婚約者がいながら浮気をし、しかも相手の女性を妊娠させるなど、夫となる者として許せません。改めて言わせてもらいます。あなたとの婚約は破棄いたします」
「それは受け入れられないね。婚約は継続するよ」

 ヴィルバルト様がお道化るように肩を竦める。

「破棄される理由がわたしにはないからね。仮に婚約が白紙に戻るとしても、婚約破棄ではなく、アクス侯爵家側の都合による解消となるはずだ。貴族が愛人を持つことは、珍しいことでもなければ犯罪でもない。わたしに非は一切ない」

 胸を張ってヴィルバルト様は言ったけれど、残念ながら違うのだ。実はヴィルバルト様には婚約を破棄されてしまう理由がある。

 わたくしとヴィルバルト様が婚約した十才の時。
 婚約のための契約書を作成する際、お父様とベッケル子爵はちょっとした遊び心のつもりで、将来の笑い話にするために、こんな一文を付け加えた。

『婚姻前に他異性との子供を作る行為に至り、妊娠が確認できた場合、一方的に婚約は破棄され、慰謝料と違約金を全額支払うこととする』

 簡単に言えば、わたくしがヴィルバルト様以外の人の子を妊娠した場合、婚約破棄されて慰謝料・違約金をベッケル子爵家に支払うことになり、ヴィルバルト様が浮気相手を妊娠させた場合も、婚約は破棄されて慰謝料・違約金をアスク侯爵家に支払う義務が生じる、ということだ。

「そ、そんなバカな……」

 契約書の控えを見せながらそのことを教えると、ヴィルバルト様は真っ青になって震えだした。

 お父様もベッケル子爵も、まさかこんなことになるとは思っていなかっただろう。絶対にあり得ないと思ったからこそ、あくまでも冗談のつもりで書き加えた一文なのだ。もしかすると、そんな一文を加えたことすら二人は覚えていないかもしれない。
 わたくしとしては助かったけれど。ふふっ。

 心の中で二人にお礼を言っていると、ヴィルバルト様がいきなりこんなことを言い出した。

「実はキャルのお腹の子はわたしの子ではないんだ!」

 今更なにを言うのかと耳を疑ったが、それはわたくしだけではなかったらしい。

「はぁ?!」
「……屑ね」
「屑だな」
「糞野郎だ」

 ヴィルバルト様のいきなりの発言を聞き、キャリリン嬢、アリア様、ハインツ殿下、ラファリック殿下が思わず声を発した。それらを無視して、ヴィルバルト様は必死に言い訳を続ける。

「父親の分からない子を妊娠したと相談を受け、不憫に思うあまり父親役を買って出ただけなんだ。だから本当のことを言うと、わたしとキャリリン嬢は交際しているわけでもない。平民の可愛そうな学友の相談にのってあげていただけなんだよ」
「ちょっと、バルト、なに言ってんのよ?! ふざけないでよね、お腹の子は間違いなくアンタの子なんだからーっ!」
「うるさい、黙れ! 人の親切心を仇で返すつもりかっ」
「なんですってーっ! ふざけんな、この自分本位の下手なセックスしかできない腐れチ〇ポ野郎がっ!!」

 キャリリン嬢の発した言葉に、わたくしとアリア様は顔を赤らめ、殿下二人は微妙な顔で天井を見上げてしまった。そんなわたくしたちの前で、ヴィルバルト様とキャリリン嬢はののしり合いを始めてしまう。

 堪えきれず、わたくしは大きなため息をついてしまった。

 わたくしの目はどれほど節穴だったことか。
 まさか、初恋の相手がこれほど見下げ果てた人間だったとは、思いもしなかった。こんな人に長年恋をしていた愚かな自分を殺したくなる。

 がっくりと肩を落としたわたくしを気づかうように、ラファリック殿下がテーブルの下でまた手を握ってくれた。目が合うと、そこにはわたくしを気づかう色が見て取れた。

 殿下の優しさのお陰でわたくしの気が少し晴れたところで、アリア様が氷以上に冷たい声で、口喧嘩を続けている二人に声を発した。

「おやめなさい、王太子殿下の前でなにをやっているの。不敬でしてよ!」

 ビクリと身体を震わせて、大声で罵り合っていた二人が押し黙った。それを見て満足そうにアリア様は頷く。

「こういったこともあろうかと、ベッケル殿にはわざわざ確認したはず。キャリリン嬢のお腹の中にいるのはベッケル殿の子で間違いないか、と。あの時、ベッケル殿は肯定したわ」
「あれは、その、少し間違ってしまって……」
「となると、あなたは王太子殿下の前で虚偽の報告をしたということ? であるならば、これはもう婚約破棄だなんだという話ではないわね。王族に対して嘘を付くなど看過できることではないわ。今すぐ扉の外にいる護衛騎士を呼んで牢屋に……」
「もっ、申し訳ありません。わたしの子で間違いありません!!!」

 ヴィルバルト様は即座に椅子から立ち上がると、ハインツ殿下とアリア様の前で膝をつき、床に頭を擦りつけるように平伏した。

「お、お許しを!」

 ふん、とアリア様が鼻をならした。隣からハインツ殿下がわたくしに笑いかけてくれる。



 これを持って、わたくしたち二人の婚約が破棄されることが決定したのである。

 あの後、怒り狂ったキャリリン嬢が平伏するヴィルバルト様の頭を蹴り飛ばしていたけれど、それは見て見ぬフリをした。

 自業自得。

 そう心の中で呟きながら。


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