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 わたくし、アクス侯爵家令嬢エレオノーラが婚約したのは十才になったばかりの時だった。相手はベッケル子爵家三男、同じ年齢のヴィルバルト様である。


 両家の領地は隣同士に位置していて、祖父の代から深い付き合いがある。なんでも、当時のベッケル子爵家は借金が嵩んで没落間近だったらしい。わたくしの祖父は隣領の幼馴染、当時のベッケル子爵を放っておくことができず、手を貸すことにしたのだそうだ。

 我が領の名産である綿花を使っての加工品を作る技術を教え、それを生産するための一通りの設備投資に手を貸し、出来上がった商品はすべて我が領で買い取った。安定した収入が見込めるようになった子爵家は、少しずつではあるが借金を返済してけるようになり、今に至っている。

 そんな経緯があるがゆえに、ベッケル子爵家はアクス侯爵家に対して頭が上がらない。今でさえ、我が領から綿花を安価で仕入れられなくなれば、またすぐに首が回らなくなるのだから当然だろう。

 だからなのだ、わたくしとヴィルバルト様の婚約が成ったのは。

 五才の時、わたくしの住んでいた王都のアクス侯爵邸に、ヴィルバルト様は両親である子爵ご夫妻と共に、挨拶のためにやって来た。その時、同じ年齢だということで、その場にわたくしも呼び出されたのだけれど、初めて見たヴィルバルト様のあまりに美しいお顔に、わたくしは一目惚れしてしまったのだ。

 ヴィルバルト様はこの国では珍しくない、濃い金色の髪と青い瞳を持つ美少年だった。色白で身体も細く、女の子と間違えてしまいそうなほど愛らしく、わたくしは一目見ただけで好きになってしまったのだ。

 その後、両家の大人たちが難しい話をしている間、邪魔にならないようヴィルバルト様とわたくしは庭園に出て二人で遊ぶことになった。

 見た目に違わずヴィルバルト様はお優しい方で、まだ幼いにも関わらず、紳士のごとくわたくしの手を取ってエスコートしてくれたし、亡くなったお母様の好きだった薔薇を見て、とても美しいと笑顔で褒めてくれた。

 わたくしは増々ヴィルバルト様に夢中になってしまい、挨拶が終わって子爵一家が帰宅する時には、悲しみのあまり泣いてしまったほどだった。

 父である現アクス侯爵はわたくしに甘い。一人娘なことと、心から愛していた妻の忘れ形見だということもあって、目に入れても痛くないほどに可愛がってくれている。だから、わたくしのヴィルバルト様へのを想いは、すぐにお父様にバレてしまったらしい。

 とはいえ、幼い子供の抱いた恋心だし、すぐに別の人間に移ってしまう可能性もある。それに、ヴィルバルト様の人間性もまだよく分からない。

 その後、ヴィルバルト様がとても真面目で誠実なだけではなく、座学でとても優秀な成績を収めている秀才であることなど、彼に対する様々な情報が父の元に届いたらしい。剣術や体術などの体力を使う部分はあまり得意ではないらしいが、騎士を目指していない貴族にとって、そこはあまり重要ではない。

 その報告書を読んだ父は、ヴィルバルト様をおおむね優秀な人間であると判断したらしい。

 同時に、わたくしのヴィルバルト様を想う気持ちも本物であると判断した父は、将来、アクス侯爵家へ入婿したヴィルバルト様が侯爵位を継ぐことを前提として、わたくしたち二人の婚約を整えたのだった。

 わたくしがヴィルバルト様に初めて会ってから、五年の年月が流れていた。

 婚約する前から、わたくしとヴィルバルト様は一緒に過ごす時間を多く持っていた。お茶をしながら楽しくおしゃべりしたり、護衛と共に王都の町にお忍びで出かけては、色々な商店を探索したりした。乗馬ができるようになってからは遠乗りに出かけたこともある。ダンスのパートナーとして、あらゆる種類のダンスを共に学んだ。

 いつでも優しく思いやりに満ちたヴィルバルト様は、わたくしの誕生日には欠かさずプレゼントをくれたし、手紙のやりとりも頻繁にしていた。

 わたくしはとても幸せだった。
 何年経ってもわたくしはヴィルバルト様に恋をし続けた。いつか結婚し、夫婦になれると想像しただけで、ついつい涙が零れてしまうほど、わたくしはヴィルバルト様に恋焦がれていたのだった。

「エレオノーラのさらさらの銀色の髪はとても美しいね。それに、紫に近い赤い瞳も。君みたいに美しい人が、いつかわたしの妻になってくれる日が来るなんて、なんだか夢のようだよ」
「まあ、ヴィルバルト様ったら。わたくしも同じ気持ちです。あなたの妻になれる日が、とても待ち遠しいですわ」

 そんな会話をした日の夜は、嬉し過ぎてなかなか寝付けなかったほどだ。

 ヴィルバルト様はいつだって優しかった。たくさんの誉め言葉をわたくしにくれた。いずれ侯爵家領主となる日に向けて、領地経営についても懸命に学び、努力し続けてくれた。

 わたくしは必ず幸せになれる。そう信じていた。
 相思相愛だった両親のように、いつまでも――例え片方が亡くなってさえ――互いを想い合い、助け合い、支え合うことのできる素晴らしい夫婦に、わたくしたちはきっとなれる。

 そう信じて疑わなかったわたくしは、貴族家の子供と特別に優秀な平民だけが通うことを許された王立学園において、その入学式の日、自分の頭から血の気が失せていく音を生まれて初めて聞いたのだった。

 それは、わたくしとヴィルバルト様が、学園の入学式まで少し時間があるからと、校内を散歩しながら見学していた時のことだった。わたくしたちが、ちょうど裏庭を通りかかった時、いかにも迷子ですといった顔をした女生徒が、少し離れた所で周囲をキョロキョロと不安そうに見回している姿に気が付いた。

「ヴィルバルト様、あの方、制服のリボンを見る限り、同じ新入生じゃありませんこと? 広い校内で迷ったのかもしれませんわ」
「そうだね。だったら、入学式の行われる講堂まで案内してあげようか。そろそろわたしたちも戻る時間だしね」
「ええ、それがいいですわ」

 わたくしたち二人は少女にゆっくりと近付いていった。驚かせないように、同じ女性であるわたくしが声をかけた。

「あの、もしかして迷っているのではありませんこと?」

 逆方向を見ていた少女が、驚いたようにこちらを向いた。その茶色の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。少女は必死になって訴えてきた。

「そ、そうなんです。わたし、学校内を色々と見回っている内に迷子になってしまって……もうすぐ入学式の時間なのに、遅れたらどうしようかって不安で」
「やっぱり。だったら、わたくしたちと一緒に行きましょう。ちょうど、これから式の行われる講堂まで戻るつもりでしたの。ね、ヴィルバルト様?」

 背の高いヴィルバルト様を見上げた時、わたくしは思わず息を飲んだ。ヴィルバルト様がこれまで見たことのないような熱い瞳で、目の前の少女を見つめていることに気付いたからだ。

 そして少女もまた、大きな茶色の目を更に大きく見開き、頬を染め、まるで食い入るようにヴィルバルト様を見つめていた。


 わたくしは二人が恋に落ちる正にその瞬間に、立ち会ってしまったのだった。





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