砂時計とハンカチと

よーこ

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01:ダニエルとエリナー

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 ダニエルは王都の平民街の片隅にあるガラス工房で働いている。
 見習いとして工房で使ってもらうようになってはや五年。長かった下積みがやっと終わり、厳しくも愛情持って指導してくれた親方から、ついに「一人前」との太鼓判をもらうことができた。

 一人前になると給金が上がる。給金が上がれば生活に余裕ができ、生まれ育った孤児院に仕送りができるようになる。

 孤児院の経営状況はかなり厳しい。孤児たちが貧しい暮らしを強いられ、常に空腹に苦しんでいることをダニエルはよく知っている。
 着古した服に穴が空いても新しい服が買ってもらえるはずもなく、ツギハギだらけの服を着た痩せぎすの孤児たちは、親がいる町の子供たちから忌諱されイジメられることも多い。

 そんな孤児たちの空腹を一時いっときでいいから忘れさせてやりたい。ツギ当てのない小綺麗な古着を購入してあげて、親のいる子たちへの羞恥心や引け目をなくしてあげたい。
 そういった強い思いを胸に、ダニエルはこれまでずっと、ガラス工房での仕事に励んできた。

 辛いことはたくさんあった。
 工房の先輩には親切な人もいれば意地悪な人もいた。孤児をバカにする先輩からは、本来ならダニエルがしなくていいはずの面倒な仕事や雑用を毎日のように押し付けられた。ちょっとしたことですぐに罵倒されたり、暴力を振るわれたりするのも日常茶飯事だった。

 特に工房に入ったばかりの十三才の頃など、満足な食事がとれていないダニエルの体は小さくて弱々しく、脅されて逆らえずに給金を巻き上げられたことも何度だってあった。

 くだらないイジメはやめるように親方が注意しても、あまり意味はない。そういったやからは表では笑顔で良き先輩のフリをして、陰では「親方にチクるなんて生意気だ」などと言って、それまで以上に酷いことをするようになるだけだった。
 
 悔しさとやるせなさで涙を滲ませながらも、ダニエルは歯を食いしばって耐え続け、ガラス職人としての技術を学んでいった。
 いつか立派な職人になって、高い給金をもらえるようになって、育ててくれた孤児院に恩返しがしたいと、そんな思いがあったから。だからダニエルは挫けることなくがんばってこれたのだった。

 そして実はもう一つ、ダニエルの辛い修行の日々を支えてくれたものがある。
 それは仕立屋の娘、エリナ―の存在だった。

 エリナ―は幼い頃からとても優しい娘だった。町の子供たちが孤児を毛嫌いする中、エリナ―だけは笑顔で優しく話しかけてくれた。

「ねえ、ダニエル。孤児院の子たちってすごいよね」
「すごいって、なにが?」
「だって、ほとんどの子が針と糸を上手に使って繕い物をするでしょう? それに料理もできるし洗濯もできるし、お掃除だって上手。孤児院の裏庭の畑で野菜や果物を育てるのも上手だし、小さい子や赤ちゃんの面倒をみるのも上手じゃない。それってすごいことよ!」
「そ、そうかな?」

 かわいい女の子に褒められて嬉しくないはずがない。テレるダニエルの頬が赤く染まる。
 エリナ―は瞳をキラキラと輝かせながら、ダニエルに尊敬の眼差まなざしを向けた。

「あたしなんて、なんにもできないもの。家が仕立屋だから縫物は得意だけど、それ以外はなーんにもできないわ。何日か前に卵料理に挑戦したんだけど、しょっぱすぎて食べれたもんじゃなかったし」

 その時のことを思い出したのか、エリナ―は「うへ~」と体を震わせながらしょっぱい顔をする。
 飾らない素の顔を見せてくれるエリナ―がかわいくて、ダニエルはクスリと笑った。
 それを見たエリナ―が頬をぷうと膨らませる。

「あ、ダニエルったら笑ったわね! どうせあたしは料理が下手ですよーだ!」
「ははっ、料理なんて慣れだから、すぐにエリナ―も上手になるよ」
「よーし、みてなさいよ。絶対にお料理上手になって、ダニエルをギャフンて言わせてやるんだから!」

 二人は年齢が同じこともあって気が合い、よく話をするようになった。いつしか二人はお互いを親友と呼べる関係になっていった。

 ダニエルがガラス工房で働くようになり、意地悪な先輩からの嫌がらせを受けた話を聞いた時には、エリナ―はまるで自分のことのように怒ってくれた。

「見習いで入ったばかりの年下の男の子をイジメるなんて……その先輩って卑怯者だわ!」
「まあでも、孤児院出身の人間を見下す人はどこにでもいるもんだよ。なんとか上手く付き合っていくしかないよ」
「どうして? どうして孤児だと見下されるの? 孤児の子たちは親がいる子よりもすごくがんばっていて色々なことができるのよ? むしろ尊敬されるべきなのに!」

 眉を吊り上げたエリナ―がダニエルの右手を両手で握りしめる。

「ダニエル、あたしに任せといて! その嫌な先輩がお金を落とすとか、転んでお尻を打つとか、寝坊して親方さんに叱られるとか……とにかく嫌なことがその先輩の身に起きるように、わたし今日から夜寝る前に必死に神様にお願いするから!」

 あまりに真剣な顔でそんなことをいうエリナ―に、ダニエルはつい笑ってしまう。
 不思議だった。どんなに怒っていたり落ち込んだりしても、エリナ―と会って話をするだけで、いつもダニエルは楽しい気持ちになれてしまう。
 今だって、ついさっきまでは先輩の仕打ちに憤っていたのに、エリナ―に愚痴を聞いてもらい、エリナ―が自分のことのように怒ってくれただけで、あっと言う間にダニエルの気持ちは落ち着いてしまった。

「お祈りはしなくていいよ。エリナ―の大切な時間を、あんなヤツのために使って欲しくないから」
「う~ん、確かにそうかも。嫌な人のために時間を使うくらいなら、刺繍してたほうが断然マシね!」
「刺繍?」
「実はね、ダニエルが工房でがんばってる話を聞いてから、あたしも家の仕事を真面目に手伝うようになったの。それで最近になって刺繍の練習を始めたんだけど、よかったらダニエルにあたしが刺繍したハンカチをもらってもらおうと思って。ほら、人にプレゼントする物だと気合が入るし、丁寧に最後まで仕上げられるじゃない?」

 それを聞いたダニエルは、驚きと喜びで一瞬だけ言葉が詰まってしまった。

「俺に刺しゅう入りのハンカチをくれるの? ほ、本当に?」
「初めての作品だから下手くそだと思うけど……もらってくれる?」
「もちろんだよ! すごく嬉しい!!」
「ふふ、じゃあ、がんばって作るわね。ダニエルも嫌な先輩に負けずに仕事がんばって!」
「うん!」

 数日後、仕事を終えたダニエルのオンボロアパートの一室に、エリナ―がハンカチを持ってきてくれた。確かにかなり歪なデキだったけれど、そこに込められた真心をダニエルは感じることができた。

 ダニエルは仕事に出かける時、そのハンカチを必ずズボンのポケットに入れておくようになった。

 先輩から嫌がらせをされたり、技術不足から思う通りのガラスが作れなくて落ち込んだり、ミスして親方に叱られたりと、嫌なことや悲しいことや辛いことがあった時など、ポケットに手を入れてハンカチにそっと触れる。それだけで不思議と「がんばれる、まだやれる、負けるな、落ち込む暇なんかないぞ」という気力が湧いてくるのだ。
 すぐ近くでエリナ―が応援してくれているような気がして、いつも元気と勇気と根性をもらえた。
 どんなに辛いことがあっても、工房を辞めることなく踏ん張れたのだった。


 その時以降、エリナ―は毎年ダニエルに新しいハンカチを贈ってくれるようになった。
 ダニエルは新しくもらったハンカチをポケットに入れて、過去の物は家の引き出しに宝物として大切にしまっている。

 これまでもらったハンカチを並べて見れば分かる。エリナ―の刺繍の腕前は年を追うごとに上達している。今では仕立屋でも一番腕のいいお針子となっていて、エリナ―の刺繍した布やドレスは高値で売れると評判だ。

「でもね、それって全部ダニエルのおかげなのよ。ダニエルに喜んでもらいたくてがんばっている内に、いつの間にか刺繍とか縫物が得意になったんだもの」

 そう言って笑顔をみせるエリナ―が、ダニエルにはとても眩しかった。

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