36 / 41
#幕間
しおりを挟む何も知らぬ旅人であったとしてもこの郷の発する空気、あるいは人々の郷に向ける視線なり嫌悪を理解したなら好んでかかわろうと思う者はいないはずだった。社会から外れ忌み嫌われる人々の暮らす郷。「そういう」人間たちの集う場所。
さればこそと使命感を燃やし慈善精神を発揮してやってくる者がまったくなかったわけではない。あるいは好奇心。しかしいずれも三度も顔を見ぬうちに絶えた。ただ一人、目のまえに立つこの女以外は。
男は土に汚れたてのひらで顔を覆った。
「そんなことだろうと思っていた。よほどの強制力か後ろ盾でもない限り一介の舞師ふぜい、それも女がこの郷に通い続けるなどできるはずがなかった」
「郷の人たちにはずいぶん親切にしてもらったわ。もっと陰気で陰湿なところだと思ってたら誰も彼も善良で素朴で親切で。外と何も変わらない、わたしの歌を楽しんでくれる普通の人たちばかりだった」
「……」
女の声には少なからぬ怒りがにじんでいた。調子のいいことをとなじろうとして、しかし男は舌打ちをする。女は男に対しても郷に対してもたいそうな嘘をついていたが、彼女の「怒り」はまぎれもなく本心からのものだった。それがわかる程度には男は彼女と交流を持ってしまった。
女は天皇の隠密だった。曰く、時の天皇は諸外国に対抗するため妖魔の力を欲しており、「もっとも血の濃い者」を提供するよう郷に求めた。条件は一族に課せられているすべての義務の撤廃と一般身分への昇格。名誉すらも与えるという破格のものであった。
郷の者たちは皆激怒した。
オロチの一族。その端はオロチに贄としてささげられていた部民を総称したことにはじまる。天災、疫病、凶作はなぜ起こるのか。人々の嘆きや不満に対して政治がこしらえた神秘、それが「ヤマタノオロチ」という怪物だったのである。
「『ヤマタノオロチ』という妖魔を実際に見た人はいないわ。見ることができるのは贄の人だけなのだから当然よね。まさに『死人に口なし』。なのに『八つの頭があり長大な尾をもち、鋭い鉤爪と巨大な翼がある』と誰もが語る」
稲穂のようとたとえられる金色の髪を、女が物憂げにかきあげる。「贄」は災害のたびに出荷され、のちにその工程は「祭り」と呼ばれた。「マツリ」とは神の怒りを鎮めるにあらず、民心のあらぶるのを抑えるためにおこなわれるれっきとした政策なのだ。
それがいつしか時の流れの中で誰が言い出したのかオロチが祖という話になった。本当にオロチの一族であればどうしてかような不遇をいとしい子に孫に強いてこようか。郷の者たちは天皇の要求を拒んだが、天皇はある青年を指名することで返答とした。
のちに室町幕府を開く青年、すなわちヤマトタケルである。それは長を含む一部の人間しか知らぬ秘密のはずだったが、郷の者は郷から出られないのだから自ずと情報源はしぼられてくる。
思い至ったときにはすでに手遅れだった。男は天皇に「献上」されることが決まった。くだんの悪魔がやってきたのはその直後のことだった。
地響きのような音とともに天井が揺れる。いくらか落ちた土を見、女は格子の向こうに視線を戻した。
「私の国ではムカデは悪魔の遣い、もしくは悪魔が変じたものとされているの。だから魔術師は己の魔力を鍛えるために日頃からムカデを砕いて食べるわ。本当は生きたままがいいそうだけど」
女が言っているのは郷にある風習のことだ。一族の男たちは年に三度ムカデを食べる。昔どこかの国でどこかの男が己の復讐を成すため薪の上に寝て苦いきもをなめていたそうだが、これも動機は同じだったに違いない。
この怒りをけして忘れまい、願わくばいつか遠い未来、うぬらのいう恐ろしい妖魔となって復讐を果たそう。そういった怨念をこめた呪術だ。
ほかはどうか知らないが、男はそれを毎日おこなっていた。初めて「外」の人間に石をぶつけられてから。自分が社会の「どこ」にいるのかを理解してから。
「見て、タケル」
見張りの兵はすでに事切れて場には男と女しかいない。皆「天皇への献上品」である妖魔を恐れているから飛び込んでくる者もないだろう。もっとも、それどころではないだろうが。
「どういうつもりだ」
あわてて声に警戒をまとわせるが遅い。服を脱ぎ全裸になった女の姿態は世の男を誘うにはじゅうぶんな豊満さとみずみずしさを備えていたが、男が注目したのはその白い肌をおおう数々の古傷、それから奴隷紋と思しき痕跡だった。
三重にかけられた錠が落ち、閂がはずされ、女がそのままの姿で男に近づく。
「約束するわ。この先に生まれる私の歌はすべてあなたのものだと。あなたのために私は歌う。だからタケル、あなたの怒りを私に刻んで」
「こんな状況で、……ッ気がおかしくなったのか!? いったい何を――」
女のやわらかな唇が動揺する男の口をふさいだ。女は隠密である。男が自分に惹かれていることを知っていたし、男をこの場から連れ出さなければ自分がどのような運命に至るかも理解していた。自分の行為が男の積み上げてきたものをずたずたにするだろうことも。
それでもこの唯一の機会を逃してはならないと思った。自分はなぜ世に生まれたのか。
自分は女だ。愛する男の種を抱くことができる。ざまあみろ、悲惨な己の半生はけして無駄ではなかったと神なるものに向かって吐いてやるのだ。
「あなたを愛した。私の人生はそれでいい。胸を張って生きていける。それでも私はしあわせだったと末期に微笑んで言えるのよ」
悪魔との命を懸けた壮絶な戦いは決着し、男はのちに天皇が「ムカデ」に噛まれて死んだことを知る。将軍を名乗り室町幕府を開いた男は祭祀全般を「斎宮」とさだめ、行方をくらました女を探したが生涯その願いがかなうことはなかった。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
幽閉された魔王は王子と王様に七代かけて愛される
くろなが
BL
『不器用クールデレ王様×魔族最後の生き残り魔王』と『息子×魔王』や『父+息子×魔王』などがあります。親子3人イチャラブセックス!
12歳の誕生日に王子は王様から魔王討伐時の話を聞く。討伐時、王様は魔王の呪いによって人間と結婚できなくなり、呪いを解くためにも魔王を生かして地下に幽閉しているそうだ。王子は、魔王が自分を産んだ存在であると知る。王家存続のために、息子も魔王と子作りセックス!?
※含まれる要素※ ・男性妊娠(当たり前ではなく禁呪によって可能) ・血縁近親相姦 ・3P ・ショタ攻めの自慰 ・親のセックスを見てしまう息子 ・子×親 ・精通
完全に趣味に走った作品です。明るいハッピーエンドです。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
勇者の股間触ったらエライことになった
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
勇者さんが町にやってきた。
町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。
オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。
【完結】推しに求愛された地味で平凡な俺の話
古井重箱
BL
【あらすじ】沢辺誠司は実家の酒販店で働く27歳。シンガーソングライターの貝塚響也の火力強めのファンである。ある日、ひょんなことから沢辺は貝塚のピンチを救う。そのことがきっかけで沢辺は貝塚に惚れられる。「全力でお断りします! 推しと同じフレームに俺みたいな凡人が収まっちゃダメでしょう!」「推しじゃなくて、ひとりの人間として僕を見てほしい」交流するうちにやがて、沢辺は貝塚を意識し始める。
【注記】独占欲強めの繊細王子様×自分の殻を破りたいと願う平凡くん。【掲載先】自サイト、ムーンライトノベルズ、pixiv、エブリスタ、フジョッシー、カクヨム(全年齢版)
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
弟みたいに可愛がっていたショタがアイスをバカ喰いするのを叱ったら、俺のチンコを舐めるための練習と言われその後俺は乳首を吸われて母性が芽生えた
松任 来(まっとう らい)
BL
※エッチなシーンは5話目から始まるのでそこまで飛ばしていただいて大丈夫です。
※読む人によっては不快になる表現・描写があります。
※食べ物を使用するシーンはありません。
※登場人物の感性及び思考及び台詞は作者の思想が反映されているものではありません。
・ピクシブのファンボックスで以前メモ書き程度に投下してた『大好きなお兄ちゃんにフェラをする練習でアイスをしゃぶるショタ』を膨らませて小説に仕立てたものです。前置きシーン長すぎてすみません・・・。
・♡喘ぎに初めて挑戦してみましたが、難しさに何度も投げ出しかけました。完成して本当によかったです・・・。無駄にシリアスシーンが入っている♡喘ぎものは大変すぎるということが分かったので、もう頼まれん限り書かないと思います・・・。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる