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#幕間

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 何も知らぬ旅人であったとしてもこの郷の発する空気、あるいは人々の郷に向ける視線なり嫌悪を理解したなら好んでかかわろうと思う者はいないはずだった。社会から外れ忌み嫌われる人々の暮らす郷。「そういう」人間たちの集う場所。
 さればこそと使命感を燃やし慈善精神を発揮してやってくる者がまったくなかったわけではない。あるいは好奇心。しかしいずれも三度も顔を見ぬうちに絶えた。ただ一人、目のまえに立つこの女以外は。
 男は土に汚れたてのひらで顔を覆った。

「そんなことだろうと思っていた。よほどの強制力か後ろ盾でもない限り一介の舞師ふぜい、それも女がこのさとに通い続けるなどできるはずがなかった」
「郷の人たちにはずいぶん親切にしてもらったわ。もっと陰気で陰湿なところだと思ってたら誰も彼も善良で素朴で親切で。外と何も変わらない、わたしの歌を楽しんでくれる普通の人たちばかりだった」
「……」

 女の声には少なからぬ怒りがにじんでいた。調子のいいことをとなじろうとして、しかし男は舌打ちをする。女は男に対しても郷に対してもたいそうな嘘をついていたが、彼女の「怒り」はまぎれもなく本心からのものだった。それがわかる程度には男は彼女と交流を持ってしまった。
 女は天皇の隠密だった。曰く、時の天皇は諸外国に対抗するため妖魔の力を欲しており、「もっとも血の濃い者」を提供するよう郷に求めた。条件は一族に課せられているすべての義務の撤廃と一般身分への昇格。名誉すらも与えるという破格のものであった。
 郷の者たちは皆激怒した。
 オロチの一族。その端はオロチに贄としてささげられていた部民を総称したことにはじまる。天災、疫病、凶作はなぜ起こるのか。人々の嘆きや不満に対して政治がこしらえた神秘、それが「ヤマタノオロチ」という怪物だったのである。

「『ヤマタノオロチ』という妖魔を実際に見た人はいないわ。見ることができるのは贄の人だけなのだから当然よね。まさに『死人に口なし』。なのに『八つの頭があり長大な尾をもち、鋭い鉤爪と巨大な翼がある』と誰もが語る」

 稲穂のようとたとえられる金色の髪を、女が物憂げにかきあげる。「贄」は災害のたびに出荷され、のちにその工程は「祭り」と呼ばれた。「マツリ」とは神の怒りを鎮めるにあらず、民心のあらぶるのを抑えるためにおこなわれるれっきとした政策なのだ。
 それがいつしか時の流れの中で誰が言い出したのかオロチが祖という話になった。本当にオロチの一族であればどうしてかような不遇をいとしい子に孫に強いてこようか。郷の者たちは天皇の要求を拒んだが、天皇はある青年を指名することで返答とした。

 のちに室町幕府を開く青年、すなわちヤマトタケルである。それは長を含む一部の人間しか知らぬ秘密のはずだったが、郷の者は郷から出られないのだから自ずと情報源はしぼられてくる。
 思い至ったときにはすでに手遅れだった。男は天皇に「献上」されることが決まった。くだんの悪魔がやってきたのはその直後のことだった。
 地響きのような音とともに天井が揺れる。いくらか落ちた土を見、女は格子の向こうに視線を戻した。

「私の国ではムカデは悪魔の遣い、もしくは悪魔が変じたものとされているの。だから魔術師は己の魔力を鍛えるために日頃からムカデを砕いて食べるわ。本当は生きたままがいいそうだけど」

 女が言っているのは郷にある風習のことだ。一族の男たちは年に三度ムカデを食べる。昔どこかの国でどこかの男が己の復讐を成すため薪の上に寝て苦いきもをなめていたそうだが、これも動機は同じだったに違いない。
 この怒りをけして忘れまい、願わくばいつか遠い未来、うぬらのいう恐ろしい妖魔となって復讐を果たそう。そういった怨念をこめた呪術だ。
 ほかはどうか知らないが、男はそれを毎日おこなっていた。初めて「外」の人間に石をぶつけられてから。自分が社会の「どこ」にいるのかを理解してから。

「見て、タケル」

 見張りの兵はすでに事切れて場には男と女しかいない。皆「天皇への献上品」である妖魔を恐れているから飛び込んでくる者もないだろう。もっとも、それどころではないだろうが。
「どういうつもりだ」
 あわてて声に警戒をまとわせるが遅い。服を脱ぎ全裸になった女の姿態は世の男を誘うにはじゅうぶんな豊満さとみずみずしさを備えていたが、男が注目したのはその白い肌をおおう数々の古傷、それから奴隷紋と思しき痕跡だった。
 三重にかけられた錠が落ち、閂がはずされ、女がそのままの姿で男に近づく。

「約束するわ。この先に生まれる私の歌はすべてあなたのものだと。あなたのために私は歌う。だからタケル、あなたの怒りを私に刻んで」
「こんな状況で、……ッ気がおかしくなったのか!? いったい何を――」

 女のやわらかな唇が動揺する男の口をふさいだ。女は隠密である。男が自分に惹かれていることを知っていたし、男をこの場から連れ出さなければ自分がどのような運命に至るかも理解していた。自分の行為が男の積み上げてきたものをずたずたにするだろうことも。
 それでもこの唯一の機会を逃してはならないと思った。自分はなぜ世に生まれたのか。
 自分は女だ。愛する男の種を抱くことができる。ざまあみろ、悲惨な己の半生はけして無駄ではなかったと神なるものに向かって吐いてやるのだ。
「あなたを愛した。私の人生はそれでいい。胸を張って生きていける。それでも私はしあわせだったと末期に微笑んで言えるのよ」


 悪魔との命を懸けた壮絶な戦いは決着し、男はのちに天皇が「ムカデ」に噛まれて死んだことを知る。将軍を名乗り室町幕府を開いた男は祭祀全般を「斎宮」とさだめ、行方をくらました女を探したが生涯その願いがかなうことはなかった。

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